シャラー(Michael Schaller)『アジアにおける冷戦の起源――アメリカの対日占領』(立川京一, 原口幸司, 山崎由紀訳)(The American Occupation of Japan: The Origin fo Cold War in Asia, 1985)
太平洋戦争末期、米国内では、対日hard Peace派とsoft peace派の論争が続いていた。前者は、明治維新を「裏切られた革命」とするノーマンの日本論を典拠とし、近代日本を本質的に反民主的・侵略的なものとして、天皇制廃止、支配層の広範な追放、財閥の徹底的解体、賠償による日本工業の破壊さえ主張していた。
後者は、昭和初期までの日本を穏健な国際協調体制として評価し、その後の侵略政策は一部の狂信者のせいで、権力中枢ではなお「穏健派」が勢力を保っているとする。天皇もその一人で、財閥も基本的には平和的交易を欲し、侵略に消極的であった、戦後日本はこの穏健派を中心に再建さるべきであるとする。
国務省内における後者の代表者はグルー国務次官。前者の支持者アチソンは、終戦後辞任したグルーの後任となるや、極東部からグルー系を一掃した。この人事はマッカーシー期に、日本の赤化を図ったものとして攻撃された。批判者たちは、幸いマッカーサーが国務省の指令を無視して穏健政策をとったため、日本の赤化が防がれた、という。
ところが本書によると、1947年以後は事態が逆である。国務省は、冷戦と中国内戦を見て、急激にパラダイム転換した。その戦略は、中国大陸の放棄、日本から東南アジアに至る新防衛線の構築、同地区で唯一潜在工業力をもつ日本経済の早急な回復、そして日本を「新大東亜共栄圏」の中心に据えるというものである。
そこでマッカーサーに独禁法再考を働きかけたが、彼は冷戦の現実に目覚めず、GHQ左派の過激な改革路線に拘泥し、意地になってそれを制定した、という。マッカーサーの尊大な態度は、米政府高官の多くの反感を買ったようで、ケナンは、GHQはインフレで日本を破壊し、国家予算の三分の一を浪費し、非建設的な改革を押しつける日本の寄生虫である、と記している。
占領末期、長期占領派の国防省と早期講和派の国務省の対立は、独立後日本が離反しない保障があるか、占領長期化が反米感情を増幅するかをめぐって水かけ論を重ねたが、朝鮮戦争勃発とともに、国防省が一挙に態度を変えた。それには独立後の米軍基地の存続を申し出た吉田首相の介入も、大きな役割を果たした、という。
本書は、米国政府の内部資料の丹念な蒐集を基礎とし、極東政策の決定過程を、世界政策との有機的関連において解明したもので、トルーマン、アチソン、マーシャル、ケナン、ダレスなどの構想の交錯が詳細に叙述され、政治的決断がいかに多元的な勢力や考慮の複合物かを思い知らされる。
対日懲罰主義者だったアチソンらが、日本経済再建へと政策を転換したのは、米国政治家の、情緒に流されないドライさとも見られるが、「大国の度量」も感じさせる。また戦術の次元での様々な対立にも拘らず、戦略次元においては、当時の米国政府要人たちが、基本的に一致していることも印象深い。(『法学セミナー』1996年10月号)