スコット・トゥロー『立証責任』(Scott Turow, The Burden of Proof, 1990)(上田公子訳)
弁護士Sが出張から帰宅してみると、妻が自殺している。その預金から巨額の使途不明金が見つかり、更に彼女が性病に感染していたことがわかる。次々に独り暮らしの女性が接近してきて、Sは妻の追憶に耽りつつも、寂しさと男の性(さが)から、新たな複数の女性関係が始まる。やがてSの義弟で依頼人のDを訴追する女性検察官K(41歳、既婚、癌で乳房を一つ失い、現在妊娠している)への片恋が切なさを増していく。
一代で大財産を築いたDは、先物取引での不正につき、連邦検察庁の嫌疑を受け、訴追を免れない情勢である。弁護活動の過程でS自身も罪を犯し、訴追される危険が出てくる。やがて妻に性病を感染させたのはDであることが判明し、SはDへの怒りを爆発させて、弁護人を辞任しようとする。――だが、終末における思いもかけない展開は、人間存在の悲劇性、善の中に潜む悪、悪の中に潜む善への作者の深い洞察を示し、読み終えた興奮覚めやらぬ現在においては、文学史に残る傑作の一つではなかろうかとさえ感じている。
ともあれ、作者も主人公Sも弁護士で、教科書では知りえないアメリカの法的現実を知らせてくれる。検察側と弁護士の虚々実々の駆け引き、密告者の利用など、捜査の実態が生々しく描かれ、州裁判所で書記官や廷吏の買収が横行し、屡々法律家が廊下で殴り合いを演ずるとか(下180頁)、大陪審では、編み物をしたり、爪をいじったりしながら尋問を聴く陪審員たちが、検察官の言いなりになる(下22頁)とか、叙述は具体的で生々しい。
刑事弁護士駆け出しの頃のSは、警察裁判所の廊下に立ち、「ジプシーや万引き常習者や酒場の喧嘩に巻き込まれた酔っ払い」などから客を見出そうとした。そのうち「部長刑事が彼に目をとめ、成功報酬5ドルの約束を取りつけて、警察の護送車に詰めこまれた被拘禁者たちにSの有能さを宣伝し、彼の名刺を渡しはじめた」(上227頁)。先物取引の世界の叙述も面白い。日々大金を動かしている彼らは、昼食に行く途中、1000ドルずつ金を出し合って、どのエレヴェーターが先にくるか賭けをしているなど(上279頁)。
意外なのは、対立しているはずの検察官と弁護士の親密な関係で、SとKはデートじみた二人だけの話し合いを何度もする。そこでSは、検察官の正義とは、「もうすでに打ち砕かれ傷を負った者に、さらなるダメージを与えるだけではないか」と非難したりする(下84頁)。ユダヤ人であるSは、人生に傷ついた弱者の味方なのである。「法律の高貴さについて語る人もいるが、Sはそんなものを信じない。いままで足を踏み入れたどの法廷からも、血なまぐさい決闘場のにおいが立ちのぼっていた。この稼業はけっしてきれいごとではない」(上241頁)とは、Sの法廷観である。
訳は翻訳であることを忘れさせるほど自然で、法律用語・取引用語も極めて正確に訳されている。