当為について(1)

 

兜を脱いで

 私は長い間、法哲学者たちが「法はどういう規範か」(強制規範か外面規範か等)ということばかり論じて、その規範とは何かを論じなかったことを批判してきた。しかしどうも、数十年間考えて、結局「よく分らない」ということになり、兜を脱ぐことになった。それは規範という観念(形相因)によって人間界に秩序を作るという法の営みにおいて、なぜそのようなことが可能なのかという、宇宙論と人間論を接続させる問いに答えられないからである。そこで結局、以下では「人間の心の中に規範という観念が存在する」ということをドグマティックに前提して、そこから法理論を展開したHans Kelsenを基礎として考察することになるが、しかし「日本に残存する唯一のKelsen研究者」というendangered speciesに属する私も、この一番肝心の点について、Kelsenに承服したことはないのである。

 

Kantについて

 Kelsenは「新Kant主義者」ということになっており、その思想の重要部分はKantを下敷きとしている。そこでまずKantの思想について紹介したい。

 Kantはどれくらい偉いか?彼は人間的に極めてまじめであった。しかし凡庸なまじめ人間は学界には掃いて捨てるほどいるから、それだけで尊敬する訳にはいかない。彼はNewtonHumeなどの近代思想の影響を受けながらも、神や道徳律への崇敬という理想主義的精神を失わなかった。その点を特に強調する人々もいるが、学問は理想主義的精神を展開する場ではないと考えているので、その点は学問的評価の対象としない。

 彼はHumeの懐疑に抵抗し、その懐疑にも拘らず、以下のようなものは絶対性をもつとした。

(1)   時間・空間

(2)   純粋数学と純粋幾何学

(3)   因果律

(4)   Newton物理学

(5)   道徳律

 更に彼は、次のようなものの存在は、立証できないがその存在を「要請」した。

(6)   神の存在

(7)   人間の自由意志

(8)   魂の永生

 Humea posterioriな経験の積み重ねによって普遍的な真理を知ることはできないと指摘したが、Kantは普遍的真理は認識対象としての経験の内でなく、認識主体の側のa prioriなもの((2)~(5)についてはそれを範疇(Kategorie)と名づけた)であるとして、(1)~(4)の真理性を再建し得たと信じた(本心は神が人間の心に範疇を与えたのだと言いたかったのではないかと思われる)。しかし(1)(4)EinsteinHeisenbergの物理学によって反証され、(5)は人格の自律とか平等とかという特定の倫理体系の前提が持ち込まれていて、a prioriな真理とはいえないと指摘されている。

 

KantKelsen

 理論家としてのKelsenは理想主義的精神を理論の場に持ち込むKantの態度を排斥した(実践的態度には多少の親近性がある)。(3)の因果律に関しては、「結果に相違が見出された場合には、原因に何らかの相違があるはずだから、それを発見せよ」という認識への要請(postulate)として再解釈した。例えば同じ温度・湿度・気圧の下で、一定の分量の薬剤を混合したところ、沈澱の量が一度目の実験と二度目の実験とで異なったとすると、「同じ原因から違う結果が出ることもあるのさ」とは考えず、「結果が異なった以上、何か条件の中に未知の相違があったに相違ない。それを探究しよう」と考えるべきだ、という探求への命令だというのである。

 (5)については、Kantが持ち込んだ特定の倫理的前提を排除したが、「べし」(Sollen, ought)という観念は人間の心の中に存在し、その内容は各人の心の中で、植え込まれるか選び取られるかする、と考えた(明治時代の先輩たちはSollenを当為[まさに為すべし]と訳した)。そして人間の意識の中に存在する「べし」という観念を当為の範疇とよんだ。これが先週述べた、人間は社会的存在であり、善悪の観念を社会が心に(言語を媒体として)植え込むのだというAristoteles              の思想と結びつくのである(もっともKelsenは、まったく当為の観念をもたない人間、あるいは一旦植え込まれたことは植え込まれたが、それを拒否する「道徳的無政府主義者」の可能性を否定はしない。しかしそのような態度では、人間界に起っていることの大部分が説明できないだろう、と言う)。

 

 未開人の思惟

 初期のKelsenにおいては、人間の心には(上記のように解釈された)因果律と、具体的内容をいっさい排除した形式としての当為の観念という二つの範疇があると考えていたが、ドイツ語の著書『応報律と因果律』(1941)とその英語版『社会と自然』(1943)において、「未開人は応報律だけで思考していて、因果律の観念をもたない」として、因果律を「生得的範疇」だとするKantを批判した。

  未開人が因果律の範疇をもたないとはどういうことか。それは規範体系としての社会が植え込んだ規範に従ってしか思考しないということである。例えば目上の人間の悪事などをタブーとして直視しない。ある人間が落雷で死ぬと、その者の過去の悪行を思い出して「バチが当った」という。もっと悪いことをした人間がピンピン元気でいるじゃないか、という風に考えるのはタブーである。規範体系に逸脱したことはタブーとして考えないということになれば、自然も社会もすべては応報律に従って動いているということになる。

 これに万物を人間的に解釈する「擬人化」という思考がある。「かみなり」という言葉の背後には、雷鳴は雷神が鳴らしているという観念があるが、「万有は霊魂と鬼神に充ちており」、我々が自然現象と考えるものもすべて霊魂や鬼神の仕業である。霊魂や鬼神の中で重要なのは死者の霊魂である。病気などはもちろん何かの祟りである。未開の神話は、太陽と月、山と川、動物と動物の関係がすべて応報律に従って動いていると考える。未開人には自然はなく、我々が自然現象と解するものもすべて社会現象であるという。我々がピクニックの日に晴れると「日頃の行ないがいいからだ」というのはこういう観念の残存である。

 タブーの拘束が少しずつ弱まって、人間が世界をありのままに見るようになると、善人が滅びたり悪人が栄えたりする現実に気づき、世界が応報律通りに動いていないことに悩む。この段階で「来世の応報」信仰が登場する。この世で報いられなかった善人は来世で天国に行き、この世で栄えた悪人は来世で地獄に堕ちる、と。かつての死霊は応報の主体であったが、今や応報の客体になる。

   日本において、神道の死者は応報の主体で、偉大な人物の霊は神社に祭られて子孫を護る。仏教では死者は応報の客体で、三途の川の彼方で閻魔大王の裁判を受ける。仏教徒であった楠正成は、いまはのきわに「ななたびこの世に生れきて」応報の主体となろうとした。神島二郎によれば、仏教の圧倒的影響にも拘らず、日本人は死後あの世に送り出されて、子孫との縁が断たれることに抵抗したのだという。