レオ・シュトラウス『自然権と歴史』
レオ・シュトラウス(1899-1973)は、カール・シュミット『政治概念論』の鋭い書評者、『ホッブズの政治理論』における独創的なホッブズ解釈者として知られている。近年では、現代米国の病理を大胆に指摘したベスト・セラー『アメリカン・マインドの終焉』の著者アラン・ブルームが、恩師シュトラウスの学恩を繰り返し述べたことによっても注目された。
半世紀近く前(1953年)の著作である本書は、著者の思想史理解の全体像を窺わせる著作として、思想史研究者の間で読まれてきたが、1990年に至ってようやく邦訳が出版された。可能な限りで良心的かつ正確な訳業である(訳者は塚崎智・ 石崎嘉彦両氏)。
著者は、まず万人が天賦人権を享有することを「自明の真理」と宣言する独立宣言を引用し、この信念がドイツからの亡命思想家たちによって解体に瀕している思想的状況を指摘する。19世紀以降のドイツにおいて、すべての思考は歴史的で、普遍的自然権への信仰を素朴な理性信仰として排斥する歴史主義が支配してきた。
また事実と価値を峻別する新カント主義の影響下で、価値相対主義が支配し、「神々の争い」に対し人間は非合理に選択する他ないとするニヒリズムを帰結したとして、その代表者ウェーバーの思想・理論を詳細に批判する。
このようなニヒリズムを克服する思想を求めて、著者は人為の制度(ノモス)を超えた「自然」(フュシス)を発見した古代思想を回想し、「善き生」「善き国家」の形相(イデア)を追求したソクラテス的伝統の意義を強調する。
古代自然法論が人間の社会性を前提し、徳と自制を基礎として国家論を形成したのに対し、ホッブズなど近代政治思想は、人間の欲望する権利から出発し、ロックは貨幣経済の下での自由競争による無限の蓄財を正当化する。
この近代哲学の行き詰まりを感知した先駆者は『ガリヴァー旅行記』の著者スウィフトであるが(大らかで寛容な巨人国は古代国家、せせこましく闘争的な小人国は近代国家を象徴する)、やがてルソーやバークのような根本的批判者が登場する。
著者の他の作品と同様、本書も読みやすくはない。自然権思想の弁証が本書の主題かと思うと、その基礎をなすホッブズやロックの政治哲学は否定的に扱われ、結末は思想史的叙述で終わってしまい、全体の構成もはっきりしない。だが理解可能な部分だけでも、重要な諸問題が深く鋭く論じられていて、精読に値する著書である。
ところで著者には、本書には現れないユダヤ教徒としての側面がある。彼はドイツで正統派ユダヤ教徒の家い生れ、17歳でシオニズム運動に参加、哲学者ヘルマン・コーヘン創設のユダヤ学研究所員となり、スピノザの宗教批判論を処女作とし、中世ユダヤ教思想家マイモニデスを終生研究し、1962年「なぜ我々はユダヤ教に留まるか」という講演をしている。
シュトラウスの難解さの根源はこのあたりにあるのではないかと考えてみている。(『法学セミナー』1998年1月号)[本website「レオ・シュトラウス問題」参照]