高野清弘著『トマス・ホッブズの政治思想』
「王もまた神と法の下に立つ」と、絶対君主ジェームズ一世に直言し、やがて1629年の「権利請願」の起草に指導的役割を果たしたサー・エドワード・クック(1552-1634)は、コモンローの伝統の輝かしい体現者として、英国法制史に名を残している。このクックに対し、パーキンソン病だったとかいう晩年のトマス・ホッブズ(1588-1679)が、手厳しく批判する対話編を残しているが、著者(高野氏)は、この作品の分析を通じて、両者の法哲学・歴史哲学を鋭く対比している。
クックによれば、コモンローは悠久の過去より法律家たちが形成してきた叡智に結晶であり、それはいかなる個人の天才的頭脳も及ばないものである。彼が「王の上に立つ」とのべた「法」とは、このコモンローに他ならない。
ホッブズは、それに対し、英国法史は、1066年のノルマン征服によって断絶し、征服者たちは、自らの法を英国民に強要したとして、クックの主張の非歴史性を指摘した。更に、実際上コモンローの諸制度が甚だ非合理で、また苛酷であることを、数々の具体的事例を挙げて指摘する。クックの歴史的理性に対し、ホッブズが対置するのが、普通の人間のもつ自然的理性である。彼はこれを拠点として、「人民の安全」(salus populi)こそが最高の法であり、その担い手は、議会の助言と審議を経て法を宣言する国王である、とする。またホッブズは、クックの主張の中に、伝統を神秘化することによって、法曹の特権を擁護しようとする動機を見る。
判例法体系と制定法体系の何れが合理的か、英米法曹のコモンロー信仰のどこまでが正当でどこからが神話なのか、読者は、今世紀のリアリズム法学をめぐる論争で論じられた多くの主題が、すでに三世紀前のこの作品の中で、鋭く論じられていることを見るであろう。
ここで紹介したのは本書の第二章に過ぎないが、ノルマン征服や、ピューリタン革命などの非常事態において、制度を超えて民衆の自然的理性が発現するという著者のホッブズ理解には、カール・シュミットの着想への関心も感じられる。しかし本書の中心主題は、むしろホッブズ神学のヘブライ的性格を強調し、カルヴァンとの対比でそれを解明する独創的視角で、これは世界の学界に対する問題提起といえよう。
日本のホッブズ学は、少数の、しかし極めてすぐれた研究者たちによって、地道に、しかし着実に進展しており、この十年ほどの間にも、シュトラウス、ワトキンス、タックなどの難解な研究書の正確な翻訳が現れた。極限的個人主義、極限的エゴイズムから近代社会を構成しようとしたホッブズの試みが、軽薄な人々が「ポストモダン」と囃したてている現代に対しても、深刻な問題を投じていることの一つの現れであろう。
(『法学セミナー』1996年3月号)