二つの「悪法」
治安維持法と国家総動員法は、昭和前期の歴史を暗くした、最も不評な立法で、悪法の双璧ともいうべきものである。ところが悪人同士が必ずしも仲良しであるとは限らないように、この二つの法律も必ずしも調和的ではない。
治安維持法は、大正14年、「大正デモクラシー」の頂点をなす「第二次護憲運動」の結果、山縣系の清浦内閣を倒して成立した護憲三派内閣の産物で、若槻禮次郎内務大臣(憲政会)と小川平吉司法大臣(政友会)の主管のもとで成立した。その政府原案の第一条第一項は「国体若ハ政体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織」した者等を罰している。この「政体」について、議会の審議において、両大臣とも、これは代議政体を意味し、衆議院廃止論は本法にいう「政体変革」に当たるが、貴族院廃止論は当たらないという答弁を繰り返した。政党内閣制確立期における政党指導者の自負がここに反映している(衆議院の反対で「若ハ政体」は削除)。
私有財産制度については、若槻は、これこそ日本の経済組織の根本で、これの否認はどうしても許すべからざることであると答弁し(大14・2・19衆院本会議)、小川も「所有権の制度あるが為に人類と云ふものは満足もし、競争によって発達も致しませう、要するに所有権と云ふものが元になって居ると思ふ、斯の如く私有財産制を破壊して仕舞ふと云ふと、露国のやうになりますが、是は人類としてはどうしても続き得まいと思ひます。それが為に蒙った惨禍と云ふものは多大のものであらうと思ひます」と答弁している(大14・2・23衆院治安維持法案委員会)。
それに対し昭和13年第72議会で可決成立した国家総動員法は、反議会制度・反政党的思想を背景に、議会の立法権と国民の財産権を大幅に奪い去る内容のものであった。この法案の起案者でその実施機関である企画院は、マルクス経済学の洗礼を受けた転向者や偽装転向者を少なからず擁しており、和田耕作のような3・15事件関係者、小沢正元のような4・16事件被検挙者などもいた。企画院を支配していたのは、議会制・市場制資本主義を糾弾し、ソ連経済・ナチ経済、少なくともルーズヴェルトのニューディール政策などを模範とする統制経済論であった。
この統制経済の支配に対し、治安維持法側が一矢を報いたのがいわゆる企画院事件で、企画院調査官の和田博雄、稲葉秀三、勝間田清一、正木千冬、佐多忠隆らが、治安維持法違反で検挙された。この事件の背後には、観念右翼、特に治安維持法にいう「国体」と「私有財産制」を結合して擁護しようとするイデオロギーの持ち主がいたようで、小川平吉などもその支援者であった。
迫水久常は戦後この事件を回顧して、「あのとき引っぱられた人は全部いまは社会党員なんだ。勝間田、佐多忠隆、和田。同じ机をならべて引っぱられなかったぼくは、自民党にいるんだが、もしあの事件がなかったら、どうなっていただろうと思うとおもしろい」といっている(中村隆英他編『現代史を創る人々』(3)73ページ)。「引っぱられた」人々が、もともと社会党的だったから引っぱられたのか、引っぱられて社会党的になったのかは、興味深い問題である。(『ジュリスト』No.769(1982))。
★なお「光と闇」を見よ。