バッカスの信女は実在したか?

 

テーバイ王カドモスの娘セメレは、浮気者の神々の王ゼウスの子を産むが、「セメレは本当は人間の男と交わってその子を産んだのだ」という噂がつきまとう。そこでその子ディオニソスは、自分が父から神性を受け継いでいることを、神威を顕わすことによって示そうとし、その神威により女たちを集団的に狂乱させる。彼女らは、太鼓を叩き、髪振り乱し、蛇を頭に巻いて、歌い踊りながら山河を彷徨する。更には、羊を殺して裂き、生肉を喰らったりもする。カドモス王の孫で、現在のテーバイ王ペンテウスは、合理主義者で、このような宗教集団を敵視したため、罰として彼女らに引き裂かれて殺される。

これがエウリピデス『バッカイ』の荒筋であるが、英国の古典学者John Edwin Sandys (1844-1922)は、上品で理性的なヴィクトリア期の知識人として、「女たちが集団で狂乱に耽るなどということは実際にあるはずもなく、この話は単なる空想の産物である」と言った。ところがそれが実際にあった、というのが、Eric Robertson Dodds (1893-1979)の説(1940年発表の論文、The Greeks and Irrational, 1951.に再録)で、以下その内容を簡単に紹介したい。

まず紀元前一世紀の歴史家Diodoros (90-21 B.C.)など様々な著作者が、ギリシャ各地で二年おきに、女たちが山に入って集団的忘我状態に入り、奇声を発しながら踊りを踊ると書いており、この行事にはoreibasia(「山歩き」)という名がつけられている。それは真冬の夜に行なわれる寒く苦しい行事で、犠牲者が出ることもあった。この行事について、豊年祈願のためのものとの説もあるが、それなら冬山でなく、春の田畑で行なうはずで、二年おきというのも変だ。

そこでDoddsは、「踊る宗教」についての文化人類学的資料を渉猟する。まず注目されるのが、ヨーロッパ中世末期に見られた「踊り病」の流行である。1374年フランス・リエージュの資料によると、人々は半裸体で、髪に花輪を飾って踊り狂い、直前までまともであった人々にも次々に伝染し、失神者も次々に出たという。

笛と太鼓の音楽、髪を振り乱し、首を前後に打ち振るしぐさ、それに『バッカイ』747以下の次の叙述なども、宗教的集団ヒステリーについての多くの報告に共通に見られる。

  女たちは、まるで空飛ぶ鳥のように、ほとんど足が地に触れぬほどの疾さで山を駆け下り、山裾の村の家々から幼な子を掠め、奪った銅器石器のたぐいを肩に載せて運んでゆくのですが、紐で結えつけもせぬのに、一つとして地面に落ちることがありません。また髪の毛の上に火をかざしているのに、いっこうに火傷をするようにも見えません。                           (松平千秋訳)

そして、村人が掠奪を阻止しようとしても、女たちは不死身のように傷つかないという。これとそっくりの記述が、諸地域の探険者たちの報告に記載されているとして、色々引用されている。幕末の「ええじゃないか」騒動においても、酒屋や質屋の掠奪に手のつけようがなかったことなども想い出される。

バッコスの女たちは蛇で鉢巻をしたが(101)、これはギリシャの壺絵や諸民族の宗教的狂乱にも見られるもので、キリスト教の一派の儀礼にも見られる。動物や人間を殺して生肉を喰うのも、広く見られる習俗で、キリスト教の聖餐においてキリストの血と肉を象徴的に飲食する儀礼にも連なっている。

こうしてDoddsは、バッコスの信女たちの狂乱は実在したのだと、主張するのである。

                 (『ギリシャ悲劇とともに』1999年日大ゼミ誌)