あとがき
本書は以下の作品を訳出したものである。
(1)
“Vom Wesen und Wert der
Demokratie,” Archiv für Sozialwissenschaft
und Sozialpolitik, 47.Bd., 1920/21.
(2)
“Das Problem des
Parlamentarismus,” Soziologie und
Sozialphilosophie: Schriften der soziologischen Gesellschaft in Wien, III, Wien-Leipzig,
W. Braumüller, 1925.
(3)
“Demokratie,” Schriften der deutschen Gesellschaft
für Soziologie, 1.Serie, V.Band, Tübingen, 1927.
(4)
Staatsform und Weltanschauung, 1933, J.C.B.Mohr (Paul
Siebeck)
(5) “La dictature du
parti,” Annuaire de l’Institut International
de Droit Public, 1934, Paris, Recueil Sirey, 1935.
(6) “Foundations of
Democracy,” Ethics, Vol.66, 1955,
Nr.1, Part 2.
(7) Adolf Menzel, “Demokratie und Weltanschuung,” Zeitschrift für
öffentliches Recht, 2.Bd., 1921.
(1)~(3)と(5)は『デモクラシー論』(木鐸社、1977年)に、(4)(7)は『自然法論と法実証主義』(木鐸社、1973年)に収録したものに各訳者が多少手を入れたもの。(6)は古市恵太郎氏の『民主政治の真偽を分つもの』、理想社、1959年)を収録するつもりであったが(そして全体的には読みやすい日本語でもあるが)、訳者の法律用語・政治学用語、それに特殊ケルゼン的思考様式の理解に、哲学者としてやむをえない不充分さがあり、長尾が全面改訳した。
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Democracyの、思想は「民主主義」、制度は「民主制」、その制度下の現実は「民主政治」と訳すべきものであろう。西島芳二氏はその何れにも特定できないため、『デモクラシーの本質と価値』としたのかも知れない(吉野作造が「民本主義」という言葉を用いたように、「民主主義」が天皇制タブーに触れる言葉であったこともあるであろう)。古市恵太郎氏はFoundations of
Democracyに『民主政治の真偽を分つもの』という題を付されたが、内容が主として思想に関するものであるので「民主主義」に修正し、読者に同氏の訳したものと同一の原典であることを示すために、副題に付けさせて戴いた(同氏の訳の本文ではdemocracyは終始「デモクラシィ」と訳している。「真偽」という言葉も多少問題もあるが、「真贋」などはなじまない)。
これに対立するautocracyは、木鐸社版では「専制制」と訳したが、「なぜ『制』の字が二つ必要なのか」と質問された。前の「制」は制するという動詞、あとの「制」は制度の制で、一つ省く訳にいかないのだ、と答えたが、不自然な感じもないではないので、今回のFoundationsの訳ではこの言葉を避けて、「専制体制」等と訳してみた。
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ケルゼンの民主制論は、次のように体系的に展開する。
(1) 人間は本性的に自由を求め、他律を嫌うが、社会的動物としての人間は、社会的拘束から自由なアナキーの中に生きることができない(この命題の前半はホッブズ=ロック的、後半はアリストテレス的である)。
(2) そこで社会的拘束を自律化し、自由を集団的自律として再定義することにより、自由と拘束を結合しようとする。これが民主制である(個人が一般意志(volonté générale) の形成に参加し、その拘束を受けるのが集団的自律である。この理論構成はルソーに由来する)。
(3) 民衆による集団的意志形成、即ち民衆による統治(government by
the people)が民主制の本質であり、この過程を排除する民衆のための統治(government for
the people)を民主制とよぶことは、用語の濫用である(ムッソリーニやレーニンの支配を「民主主義」と称したのは、この濫用による)
(4) 民主制においては、個人は自らの意志に反する規範に服従せざるを得ない。この他律を最低限にし、自律を最大限に実現する制度が、常に半数以下の者のみが他律に服する単純多数決である。
(5) この前提には、一票の価値が等価であるとする平等主義が前提されている。しかし民主制における平等はこのような意味であり、結果の平等を実現するために多数決原理を蹂躙することは、民主主義の原則の逸脱である。
(6) 多数決は少数者との共存を前提しており、多数者の絶対的支配ではない。近代民主制は少数者の自由の保障と結びついている。
(7)
「直接民主制はある程度以上大きな集団においては実現不可能であり、「代表制」が不可避である。従って現代における民主制は議会制でしかあり得ない。もっとも国民投票制など直接民主制的制度による補完は可能であるが。
(8) 「代表」という言葉には「組織の機関」という意味と、「民主的手続きを経て選出された機関」という意味とがあり、前者は「組織代表」、後者は「民衆代表」とよばれる。民主的手続きを経ずに組織を代表する機関について「民衆代表」の用語を用いることは、民主的でないものに民主的正当性を賦与するもので、用語の濫用である(フェーゲリンの一見錯綜した議論は、ソ連の権力者などを「民衆代表」と呼ぼうとする詐術である)。
(9) 「政治体制と経済体制とは独立しており、民主的政治体制と専制的政治体制と資本主義的経済体制と社会主義的経済体制とを組み合わせた四つの場合があり得る。「資本主義下では民主制は不可能だ」(レーニン)という訳でもなければ、「社会主義化では民主制は不可能だ」(ハイエク)という訳でもない。
(10) 民主制は相互的自己相対化を基調とする他者との共存の体制であるから、価値判断の相対主義を前提としている。民主制の基本である自由の価値もまた相対的価値の一つである。
(11) 相対主義は価値ニヒリズムではなく、相対主義者も自己の相対性を自覚しつつそのために闘うことが可能である。
(12) 思想史上プラトン以下、信心深い宗教思想家など、絶対者への信仰者の多くが民主主義の敵対者であった。
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独墺など中欧諸国は、第一次大戦後に、長年の願望であった共和制・民主制をようやく実現したが、その直後から反民主的イデオロギーが興隆し、やがて多くの諸国で民主体制を扼殺した。ホルスト・ドライヤーや「ケルゼンはワイマール期の憲法学者の中で、思想と行動の両面において、真に民主主義者と呼びうる数少ない人物の一人である」と言っているが(長尾『ケルゼン研究II』(信山社、二〇〇五年、一三頁)、そのケルゼンはこの時期終始この動向を憂慮し、民主制擁護の論陣を張り続けた。
「民主制の本質と価値」(一九二〇/一年)は、マルクス『フランスの内乱』に描かれたパリ・コンミューンをモデルとして、アナキズムに境を接する過激な直接民主制を唱えているように見えたソ連政権が、行動において絶対主義的性格を顕わにする過程を、憂慮をもって観察しており、「議会制の問題」「民主制」は危機に立つ民主制を政治社会学的に観察している。「民主制の擁護」(一九三二年)は悲観主義者の眼で追い詰められた民主制をあくまで擁護する態度を表明しており、「政党独裁」(一九三四年)は亡命先ジュネーヴで、民主制を葬った諸勢力を諦観的に分析している。
「現代民主制論批判」は、渡米後、ヨーロッパ時代に展開した民主制論を米国思想界に紹介するとともに、「人民による統治」という民主制の原則を、「人民のための統治」にすり替えて、専制支配を民主制と僭称する言説が依然として横行している現状を批判し、相対主義にナチスの責任を負わせようとする宗教思想家たちの言説が、思想史的にみて誣言であるばかりか、彼ら自身が絶対主義的言説の影から相対主義を密輸入していることを指摘している。
「民主制と世界観」は、ケルゼンの師の一人で、『政治体制と世界観』の思想史観に刺激を与えたメンツェルの小論文で、参考のために収録した。
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ケルゼンの民主制論の現代的意義については、読者の判断に委ねたいが、極めて明晰な定式化であることは否定できないのではあるまいか。西側世界においては、当時と異なり民主制が深刻な脅威の下にあるとは言えないが、彼の洞察は、その外における様々な専制支配体制の認識に資するところがあるであろう。声の大きい狂信的少数者を基盤とする「ポピュリズム」のカリスマ的支配は、現代における擬似民主制の典型であるが、カール・シュミットの民主制論はまさしくこのような「ポピュリズム」を真の民主制として描き出すものであった。ケルゼンの「民主的人間像」の叙述は、これらの言説に対する批判の拠点を提供するものではあるまいか。
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遠い昔の訳業の再刊に協力して下さった訳者たちに深く感謝の意を捧げたい。実際読み直して見て、上原・森田・布田三氏の翻訳は、正確で理解しやすく、名訳と評しても差し支えないものと思う。「現代民主制論批判」におけるヘーゲル、ブルンナー、マリタンなどについては、可能な限り独仏語の原文に遡って訳した。
慈学社の村岡侖衛氏には、いつもながら、本書の刊行のために多大の労力を投入して下さった。深く感謝したい。
二〇〇九年六月十三日
長尾龍一