ハンス・ケルゼン
民主制の基礎づけをめぐって(1)
第一部 民主制と哲学
民主制は「人民による政治」であり、一つの政治的手続きである[シュンペーターの批判]
十九世紀の政治理念は民主制であった。それは十八世紀のアメリカ革命とフランス革命の中で生れたものである。もっとも西洋文明の中に、専制的原理を擁護しようとする潮流も存在しなかった訳ではないが、その唱道者たちは反動という刻印を捺された。未来は「人民による政治」の側にあった。民主制は進歩を信ずる人々、社会生活を一層高次の段階に引き上げようと志す人々の希望の的であった。この理念のために闘ったのは、なかんずく若く、興隆しつつあるブルジョワジーであった。
ところが二十世紀に至ると、精神的状況も政治的状況も一変した。もっとも、第一次大戦が直接もたらしたものは民主制原理の勝利で、君主制の最も強力な堡塁であったドイツ帝国は共和国となった。しかしヴェルサイユ講和条約の文書のインクが乾かない内に、イタリアにおいてファシズムが政権を掌握し、ドイツにおいてナチ党が勝利への道を歩み始めていた。彼らは、民主制に情熱的に反対し、政治的救済への新たな道を唱える新政治原理、即ち独裁を唱道した。疑いもなく、この新たな偶像は、ブルジョワ知識人に対し巨大な魅力をもった。それもイタリアやドイツばかりでなく、西側世界の至るところでである。第二次大戦によってファシズムやナチズムは政治的現実としては壊滅したが、そのイデオロギーは消滅せず、依然として直接・間接に民主制への信念を掘り崩そうとしている。
ファシズムやナチズムよりもっと危険な民主制に対する敵はソ連共産主義である。それは民主制の言葉を用いつつ民主制と闘っているのだ。民主制というシンボルが既に一般的承認を得てしまったために、その内容を否定する場合にもシンボルだけは保持しなければならないようである。「ファシズムが米国にやってくれば民主制と呼ばれるだろう」という冷笑者の言葉(2)は有名である。シンボルはその指示する内容をすっかり逆転させてしまった。ソヴィエトの政治理論においては、プロレタリア独裁の名を標榜する共産党の独裁は、民主制であると唱えられている。それ故、シンボルの歪曲をもたらしているこの概念的からくりの正体を明らかにすることは、至上の重要性をもっている。
「デモクラシー」という言葉は古代ギリシャの政治理論の中で生れたもので、民衆(demos)による支配(kratein)を意味するものである。この言葉の意味する政治現象の本質的要素は、被治者の統治への参与であり、政治的自律という意味での自由であり、これこそが西洋文明の政治理論が承継してきたものである。古代においても現代においても、「民衆による統治」はそれが「民衆のための統治」に連なると期待される故に求められてきた。ここで「民衆のための統治」とは民衆の利益のために働く統治ということである。しかし「民衆の利益とは何か」という問いへの答えは一様でない。民衆自身が自分たちの利益と考えているものが、民衆の利益だとは限らない。そもそも民衆が自分たちの利益とは何かについて意見をもち、その実現を求める意志をもっているのか自体疑わしいところがある。従って政府は、自分たちが実践しているのは全然「民衆による統治」ではないが、「民衆のための統治」であると考えることはあり得るし、実際上すべての政府がそう考えている。既に古代において、民主制の敵であったプラトンやアリストテレスは、政治的実践に未経験で政治上の事実や問題を知らない民衆による統治は、民衆の利益を実現するものではないし、そういう統治は、やらせてみればむしろ民衆の利益に反するものだと指摘している。政治に関する著作者たちは、「民衆による統治」、即ち民主制よりも、(世襲君主制であれ、指導者独裁制であれ)専制支配の方が民衆のためになる、と繰り返し説いてきた。この議論に一定の真実が含まれていることは否定できないし、「民衆のための統治」と「民衆による統治」が異なったものであることは事実である。民主制のみならず、その反対物である専制支配も「民衆のための統治」であり得るならば、「民衆のため統治」ということが民主制の概念要素であることはあり得ない。「客観的に認識できる共通善が存在し、民衆はそれの認識能力をもち、それに従って行動し得る」という信念が民主制の前提となっていると説く者もいるが、この説が誤りなのもそのためである。仮にこの説が正しければ、そもそも民主制などというものは存在し得ないであろう。客観的に認識可能な共通善などというものが存在しないことは見やすいことで、「何が共通善か」という問いへの解答は各人によって異なる主観的価値判断である。仮にそういう共通善なるものが存在すると仮定しても、平均人、即ち民衆はそれを認識する能力をもたないであろう。民衆とは様々な経済的・文化的価値基準をもった諸個人の群であり、彼らが一つの意志などもつはずがない。現実に意志を持ち得るのは個人のみで、「民衆の意志」なるものは実在ではなく、ものの喩えである。それに対し「民衆による統治」と定義される政治形態は、共通善(と考えられるもの)を実現しようとする民衆の「一つの意志」の存在を前提していない。「民衆による統治」とは、民衆が直接・間接に参与する統治であり、民衆集会ないし民衆に選ばれた単数ないし複数の機関の多数決によって行なわれる統治、更には民衆に選ばれた一人の人物によって行なわれる統治である。民衆に選ばれた諸個人は「代表者」と呼ばれる。この「民衆代表」とは、選挙者と被選挙者との、選挙を通じての関係である。ここで「民衆」とは統治に服するすべての成人のことで、その統治は全民衆の集会によって直接か、民衆から選ばれた代表者によって間接に行使される。民主制における選挙は、普遍的で平等で自由で秘密の投票によって行なわれる。民主的原則の実現には程度の差があり、上述の諸要素、特に選挙権の普遍性に応じて高低がある。十九世紀には非納税者や女性は選挙権をもたなかったが、二十世紀には選挙権はかなり拡大された。民主制は大衆民主制となったのである。無制約的な民主制が制限民主制よりもよく民衆の意見や意志(そんなものが認識できるかどうか疑わしいが)を実現するか、また(民衆が思うところの)「公共善」をよりよく実現するか、は別問題である。この問題にいかに答えようと、民主制の定義を「民衆による統治」から「民衆のための統治」等の定義に置き換えることは正当化されない。
それ故民衆の統治への参与、即ち共同体を構成する社会秩序の一般的規範や個別的規範の民衆による創造と適用こそが民主制の本質的性格でなければならない。この参与が直接的であるにせよ間接的であるにせよ、即ち直接民主制であるにせよ代表民主制であるにせよ、この参与は一つの手続きであり、共同体を構成する社会秩序の創造と適用の方法である。ある政治体制が民主制と呼ばれ得るか否かの判別基準は、まさしくこの手続きの有無にある。この手続きは、その社会秩序の特定の内容ではない。なぜならこの手続き自体はこの秩序の内容、即ちこの秩序によって規定された内容ではないからである。この秩序創造の方法は、その秩序が法秩序であるならば、常にその法秩序によって規定されるものである。なぜなら法の特色は、自らの創造と適用を規定対象とするするものだからである(3)。もっとも西洋文明において行なわれている近代の民主制概念は、本来の古代的概念と全く同一ではない。なぜなら近代的概念は政治的自由主義によって修正されているからである。政治的自由主義は、個人の自由のために統治権を制約しようとする傾向をもっており、その影響下で民主制の概念に精神的自由、特に良心の自由が含まれることとなった。そうなると、社会秩序創造・適用の手続きが被治者の統治への参与を保障している場合でも、そのような自由の保障を含んでいないような社会秩序は民主的秩序とは呼ばれないこととなる。しかし自由主義的な近代民主主義は、民主主義の一形態であるに過ぎない。民主制の原理と自由主義の原理が同一でないこと、両者間には一定の対立があることを肝に銘じておく必要がある。民主制の原理によれば、民衆の権力は無制約的なもので、「フランス人権宣言」のいうように、「主権の原理は国民(nation)の内にある」。これが国民主権の原理である。それに対し自由主義は(どのような権力とも結びつき得る)政治権力の抑制である。それ故自由主義が民主制と結びつけば、民主的権力を抑制する。民主制の本質は「民衆による統治」であり、第一義的にはこの手続的要素であって、社会秩序の特殊的内容である自由主義的要素は二次的重要性を有するに過ぎない。自由主義的民主主義も、第一義的には特定の手続である。
「民主制は一つの政治的方法である、即ち政治的・立法的・行政的決定に到達するための制度的装置に他ならない」という点を目して、それ故「歴的状況のいかんによってああなったりこうなったりするものであるから、それ自体が目的とはなり得ない」(4)とか、単なる方法に過ぎないものであるから、「いつでどこでもそのために戦って死ぬに値するような利益や理念とはなりえない」とか、「状況によっては民主的方法が他の政治的方法よりもより多くの個人の自由を保障するとは限らない」(5)とか、「民主制は専制政治よりも良心の自由を保障するとは限らない」(6)とかと批判される。しかし民主制が手続であるということから導き出されたこの[シュムペーターの]批判は、全面的に正しいものとはいえない。民主制を、「社会秩序の服従者によって社会秩序を創造し運用する政治的方法」であると定義するならば、民主制は定義上自律という意味での政治的自由を保障する体制であり、いつでもどこでもこの政治的自由に役立つのである。また我々が、民主制の上述の定義に加えて、良心・出版等の精神的自由の保障もその条件に加えるならば、民主制は定義上当然に、いつでもどこでもこの精神的自由に役立つのである。特定の場合にこの定義に合わないような仕方で社会秩序が創造され、また自由を保障していないとすれば、それはそもそも民主制ではない。[シュムペーターの]上述の批判は、民主制の理念と、この理念に適わないにも拘らず不当に民主制だと標榜している政治的事実とを、混同しているのである。
この批判はまた、「民主制が特定の理念の実現に必然的に役立つか」という問題と、「民主制それ自体が絶対的理念であり得るか」という問題とを混同している。どうも著者は、第一の設問に対する答えが「ノー」であるところから、第二の設問への答えも「ノー」思っているらしい。ところが実は第一の設問への正解は「イエス」であり、しかも第二の設問への解答は「ノー」なのである。すべての政治的理念がそうであるように、自由の理念も、政治の科学の見地から見れば相対的理想に過ぎないが、それは情念上の評価という観点からすれば、個人の抱く最高・至高の理念、これに矛盾する他の諸価値を排して選び取る理想であり得る。私は民主制が実現し得る自由のために無条件に闘い、そのために命を棄てることができるが、しかし合理的科学の見地からそれが相対的なものに過ぎないことを認めることができる。シュムペーターが「自己の信念の妥当性が相対的であることを認識しつつ、なおそのために断乎闘うことこそ、文明人が野蛮人と異なるところである」(7)と言っているのは極めて正しい。
民主制は方法であり、手続きであるから、それは統治の「形式」である。ある社会秩序が創造され適用される際の手続きは、その内容・実体と対比すれば形式的なものだと考えられる。確かにそれは形式であり、国家の形式、統治の形式に相違ないが、しかし注意すべきは、形式と実体、形式と内容の対立は相対的なものに過ぎず、同一物もある見地からは実体・内容と解されるが、他の見地からは形式と解されることがあることである。特に両者の何れが価値的に上位であるかを定める客観的な原則は存在せず、ある観点からすれば形式が、他の観点からすれば内容・実体が重要性においてまさることもある。ある思想や政治的企図を「形式主義」とよんで誹謗することはしばしば行われるが、それはたいてい本心は形式主義に反対しているのではなく、別のことに反対しているのだが、その本心を隠蔽しようとしているのである。民主制を求める動きを妨害し、専制支配への道を開き、人々の政治参与への希望を断念させるのに、「民主制は単なる『形式』に過ぎない」と下らないもののように言い、政府が民衆の利益のための政治を行なえば彼らの願望は成就されると説得し、「民衆のための政治」を行なう政府があれば民主制への願望は実現されたのだと説くのは、うまい方法である。そこでそういう立場に都合のよいイデオロギーを供給しようとする政治理論は、「民主制の本質は民衆の利益のための統治であり、民衆の政治参与などは大して重要ではない」と強調するのである。彼らは、「民衆のための統治」、即ち民衆の利益のための統治が行なわれれば、それは民衆の意志の実現であり、「民衆による統治」であるとも言い得るであろう、と言い、誰でも自分の利益を意志するのであるから、政府が民衆の利益を実現すれば、(政府が民衆に普遍的で平等で自由で投票の秘密が守られた選挙で選ばれたものでなくとも、万人に自由にその政治的意志を表明する機会を与える選挙制度をもたなくても、否そもそも何の選挙も行なわれなくても)、それは民衆の意志の実現であり、民衆が支配者である、と言う。これに対して「そうなれば政府が実現しようとする利益と、民衆自身が自分たちの利益だと思っているものとが食い違うかも知れないではないか」という反論が行なわれると、「いや、彼らは自分たちの『真の』利益を誤解しているのだ。政府の方が民衆の真の意志を代表するもので、これこそが単なる形式的な、偽物の民主制ではなく『真の』民主制なのだ」と論ずるのである。この「真の」民主制においては、民衆はエリートに、「前衛」に、更にはカリスマ的指導者に「代表」される。このからくりの根本は民主制の定義を「民衆による統治」から「民衆のための統治」にすり変えるところにある。
ソ連の民主制論
このすり替えを典型的な形で示すのが、「共産党の独裁は民主制である」というソ連の教説である。政治的イデオロギーの前面に「大衆の利益」を掲げる傾向は、既に『共産党宣言』に現われている(8)。それによれば、社会主義運動の当面の目標はプロレタリア独裁の樹立であるが、それは民主主義の勝利だと称されている。「労働者階級による革命の第一段階は、民主制の闘いを勝ち取ることである」「プロレタリア運動」は「厖大な多数者の自覚的・独立的運動であり、それは膨大な多数の利益のための運動である」、と。レーニンはこの発想を発展させて、「被抑圧者の前衛の組織」であるプロレタリア独裁は「民主制の巨大な拡大」であると言う。なぜなら、それは(ブルジョワ民主制のような)富者のための民主制ではなく、貧困者のための民主制、人民のための民主制となるからである」(9)と言っている。彼によれば、この民主制の本質的特色は、「民主制を現実に享受する人々の範囲を、これまでの世界史に前例のない段階にまで拡大すること、資本主義に抑圧された人々、労苦する階級にまで拡げることである」(10)。決定的に重要なのは、代表制度のような形式主義的基準ではなく、大衆の利益を実質的に実現することである、とされ、レーニンは「社会主義的民主制は一人の人間が管理し独裁することに全く矛盾しない。階級意志は時には独断専行する独裁者によって実行されるし、それは屡々必須である」(11)と宣言する。『プラウダ』はこれを承けて、「レーニンは我々に、階級社会におけるプロレタリア独裁は多数者の利益を代表するものであり、それゆえプロレタリア民主制の一形態であると教えている」と述べている(12)。
しかしプロレタリア独裁は社会主義的民主主義の最終段階ではない。「民主制は平等を意味する」が、ブルジョワ民主主義は単なる「形式的」平等に過ぎず、社会主義的民主主義こそが「形式的平等を越えて真の平等へ、『各人はその能力に応じて』という原則から、『各人はその必要に応じて』という原則に到達するのである」(13)と言う。これがこれが国家なき未来の共産主義社会における正義の定式である。この社会においては、民衆は統治に参与しない。なぜなら統治なるものはもはや存在しないからである。
民主制の概念を「民衆による支配」(ということは近代国家においては民衆の選挙による代表民主制のことであるが)から「民衆の利益のための政治体制」へと転換させることは、用語の濫用であって理論的に許されないのはもちろんであるが、政治学的観点からしても甚だ問題である。そうすることで、民主制であるか否かの判別基準を、選挙された機関による代表という客観的に確認可能な事実に代えて、「民衆の利益」という極めて主観的な価値判断に置き換えるものだからである。すべての政府は人民の利益のために行動していると標榜できるし、実際すべての政府はそうしている。民衆の利益かそうでないかの客観的判別基準など存在しないから、「民衆のための政治」という言葉はあらゆる政府をイデオロギー的に正当化するために用いられる空虚な定式である(14)。ナチ党のイデオローグたちも、民主制に正面切って反対する勇気がなかった場合には、共産主義のイデオローグたちと寸分違わない遣り口を用いた。彼らは、ドイツにおけるそれまでの民主制を金権政治であり、少数の富者による多数の貧者に対する支配を保障する「形式的」民主制に過ぎなかった、ドイツ国民のエリートとしてのナチ党こそが、ゲルマン人種の偉大さと栄光という民衆の真の意志を実現するものだ、と唱えたのであった。
[フェーゲリンの]「代表に関する新たな理論」
民主制概念を「民衆による」から「民衆のために」にねじまげるのは、ソ連やナチばかりではない。最近「新政治理論」の名で唱えられた[エリック・フェーゲリンの]「代表」に関する議論も全く同一のパターンである(15)。著者はまず「代表」について、「単に初歩的な」代表と「実存的」代表を区別するが、これはまさしくソ連の理論家たちの言う「形式的」民主制と「実質的」民主制の区別に対応している。前者は「立法議会の議員が選挙によって選ばれる」もので、行政権については米国の大統領制、英国の議院内閣制、上下両院合同会議で内閣を選出するスイスの制度、更に君主が担当大臣の副署によってのみ行動する立憲君主制などが挙げられている。そこでは代表者は一定地域内に住む一定年齢以上の者の全員によって選ばれ、選挙は相当な期間ごとに行なわれ、選挙の過程において組織者・仲介者を務める政党が存在しなければならない、という(16)。これはソ連の政治理論において「ブルジョワ国家の形式的民主制」とよばれるものと大体同じである。この初歩的代表制は、「単に立憲的な意味」(17)における代表制とも呼ばれるが、著者のいう「新政治理論」の見地からすると「認識価値に乏しい」(18)と評価される。これが「初歩的」なのは「社会の外的実存」(19)「外界の単なる所与」(20)にのみ関わるに過ぎないからだそうである。しかし人間関係の総体としての社会は外界においてしか存在し得ず、社会現象としての代表などというものも、外界の所与に関わるものではあるまいか。以下に検討するように、この「新政治理論」なるものが「単に初歩的な」代表に代えて持ち込んでくる「実存的」代表なるものも、実は全く同様に外的な社会的実存にのみ関わるものである。
この「新政治理論」の著者は、「初歩的」代表制から「実存的」代表制への発展について、「代表制の初歩的型(即ち普通・自由な選挙で選ばれた代表機関――ケルゼン)は、代表の問題のすべてではない」(21)という。民主的代表以外に非民主的代表も存在するのだから、そんなことは当り前だ。ある個人がある集団の「代表」であるとは、その個人が集団の機関として行動していることを意味し、個人が集団の機関として行動するとは、その個人が集団を形成している社会秩序によって定められた一定の役割を果たしていることを意味する。国家などの場合その秩序とは法秩序であり、この秩序の定める役割とは、この秩序の創造と適用に他ならない。もちろんその前提として、その法秩序は有効な(valid)秩序でなければならないが、そのためには概して実効的(effective)である、即ち規範の対象となった人々によってある程度遵守されていなければならない。ある人物は、国家機関として行動している場合にのみ、その人物の行為は国家に帰(impute)される、即ちその行為は国家行為と解釈される。そのような場合に、その人物は国家の代表であるとみなされるのである。法秩序は、遂行さるべき役割と、その役割を遂行する個人(機関)の両方を定める。機関を決定するには色々なやり方がある。機関が法秩序服従者全員の集会である場合や、その全員から選ばれた者である場合は、その体制は民主制であり、その代表制は「民主的型の代表制」である。しかし団体の代表、特に国家代表は、民主的に選ばれたものだとは限らない。専制国家においては、代表は民主的には選ばれない。いかなる組織的団体も機関をもち、代表がある。いかなる国家にももちろんある。
しかしいわゆる「代表制民主国」においては、伝統的政治理論によれば、機関は国民を代表することによって国家を代表する。「立法機関である議会や最高執行機関である大統領は国民を代表する」という命題は、国家を構成し、国法秩序に服する諸個人、即ち国民が、これらの立法機関や行政機関の創造に決定的な影響力をもつことが、憲法上の選挙制度によって定められていることを意味する。国家代表と国民代表とは異なった概念であるが、伝統的な政治理論は必ずしもその相違を明確にしてこなかった。しかし実際には伝統的政治理論が代表制度について述べていること、[即ちただ「代表」と言っても民主的代表を意味することは]、誤解を招きようのない明確なものであった。同一の用語が広義と狭義という二つの意味をもつことはしばしばあることで、絶対君主制も憲法をもっているから「立憲」君主制と呼んでもよさそうなものであるが、通常立憲君主制といえば多少とも民主的な憲法をもった君主制を呼ぶように、非民主的代表というものも存在し得るにも拘らず、「代表制」いえば通常民主的代表制を意味するのである。あらゆる国家は憲法をもつが、「憲法」という言葉は通常特定の内容をもった[多かれ少なかれ民主的な]憲法を意味し、あらゆる国家は機関によって代表されているが、「代表」という言葉は通常特定の[民主的な]内容をもったものに用いられる。「代表」という言葉を広義に用いたり、狭義に用いたりするのも、そう感心したことではないが、[フェーゲリンが]一方を「初歩的」と決めつけるのはおかしい。彼自身も民主的代表のことを「立憲的意味での」代表と呼んでいるが、あらゆる代表は憲法によって作り出されるのであるから、彼の言う「実存的」代表もまた「立憲的代表」ではないか。
代表概念の広義・狭義というような問題は、実際上殆ど誤解の余地のないものであるから、対して重要な論点ではない。それより遥かに重要なのは、「国家代表」と区別された「国民代表」という言葉は、民主的に選挙された機関以外について用いるべきでないことである。「ある国家機関が民衆の代表である」と言い得るためには、国民がその機関の創造に決定的な影響力をもつ必要がある。そうでない国家機関を「国民代表」と呼ぶことは、許し難い擬制である。ところが「新政治理論」なるものは、この擬制を避けることに関心を示さない。
著者が代表の民主的型を「単に初歩的なもの」と決めつけている本当の理由は、それが「代表の問題のすべてではない」からではなく、別の所にある。彼はそれが無意味だと思っているのだ。彼は民主的投票過程について、「この(初歩的)段階における代表制度の理論化に当っては、・・・性別、年齢、投票用紙に記された氏名の脇の欄へのチェック、投票の集計、当選者たる代表者の特定、外的事実によって代表者たることを示す形式的行為、といったことが問題とされる」(22)と述べているが、こういう言い方からして、民主的手続きは非本質的で、単に形式的で、大して重要でないと考えていることを示している。彼は「代表の過程はその実体に関する諸条件が充たされた場合にのみ意味をもち」「手続の設定は当然にそのような実体を賦与するものではない」(23)と言うが、この「手続の設定」とは選挙手続のことを言っている。民主的選挙手続が実体を賦与しないならば、非民主的手続がそれを賦与するのであろう。そこで問題になるのはこの「実体」なるものであるが、それはいったい何なのか?「初歩的」代表概念に代えて「実存的」(existential)なものをもちこむのであるから、それは「存在」(existence)のようなものなのであろう。この「新政治理論」なるものの著者は、「初歩的概念」を「認識的価値が乏しい」として否定する。彼によれば、国家機関が民衆に選挙される代表制度として描かれる民主主義諸国の実存は「それを実存せしめるものは何かとか、その存在とはどんなことかを穿鑿するまでもなく、当然のこととして前提される」(24)。こういう言い方から察知されることは、著者が、選挙された機関による代表という民主的代表の定義は価値に乏しいと考えていることを示唆する。なぜなら、民衆が機関を選挙するということによっては、国家の存立、あるいは彼の見るところでの好ましい存立が保障されないからである。この「初歩的」代表概念批判は、民主的代表とは何かという問題と、民主的代表が国家の存立、ないし好ましい存立を保障するかという問題を混同している。即ちこれは政治的現象の本質とその価値とを混同するものであり、重大な方法論的誤謬を犯している。代表の「実体」に関して、彼は「この実体を確保したり堕落させたりするものとして、媒介的制度、即ち政党が何らかの関わりをもっている」と言い、また「この実体は、漠然たる言い方をすれば、民衆の意志と結びついているのであるが、この『民衆』という象徴が正確に何を意味するかは明確でない」と言う(25)。これは奇妙だ。「初歩的」代表における「民衆」という象徴の意味は、団体構成員の可能な限りの多数が民衆的代表決定の手続に参加し得ることで、極めて明瞭である。ところがこの「新政治理論」なるものの著者が、「実存的」代表の要素としての「民衆」という象徴に与えようとしている意味は、明らかにこれと異なったものである。「民衆」という象徴を放棄する訳ではない。確かに「実存的」代表も何らかの意味では民衆を代表するものだと称しているが、「実体を確保したり堕落させたりするものとして、媒介的制度、即ち政党」に関して、代表制の活動に対する政党の影響に関しては多様な見解がある、と述べたのち、以下のように言う。
政党が存在しない場合も、一つだけ政党が存在する場合も、二つ以上の政党が存在する場合も、二つの政党が一つの政党の二つのセクトである場合も、代表制は「代表的」という名に値する。・・・代表制において、複数の政党が基本原則において対立する場合には、代表制は機能しないであろう(26)。
ここでも著者は民主的代表の本質の問題と、それが円滑に機能するための条件とを混同している。上述のような意見の主張者も、「民主制において複数政党制が不可能だ」とか「政党結成の自由を認めず、あらゆる政党を禁止するか、一つの政党のみを認めるような憲法の下でも民主制が成立する」とかと正面切って主張はしないし、できるはずがない。政府の円滑な運用を保障するために一政党のみを許容するのはファシズム、ナチズム、そして共産主義という反民衆的イデオロギーの共通の要素である。かつてのイタリアのファシズム、ドイツのナチズム、そして現在のソ連は「一党国家」であるし、そうとしか呼びようがない。民主制のように政党結成の自由を保障するならば、複数政党の成立は不可避である。民主制が一党国家となることはあり得ない。一党の存在しか承認しない政治体制と政党結成の自由を認める体制との間には決定的な相違があり、一党国家においては国民は一党の候補者のみにしか投票できないのであるから、そのような体制下の政府は国民を代表するものとは考えられない。ところが「新政治理論」なるものは、次のように言う:
「一党国家」というような類型概念の理論的価値は疑わしい。時事的政治論争の過程で一言するくらいの実用価値はあるかもしれないが、科学的理論にふさわしい明確性をもたない。初歩的代表概念と同様の初歩的レヴェルのものである(27)。
ところがすぐ後の議論で、この一党国家こそが「実存的」代表の理想的事例とされるのである。
一党国家の典型はソ連であろう。このソ連について、「新政治理論」なるものの著者は「ソ連政府が国民代表かどうかについては根本的対立があるかも知れないが、歴史における行動形態(form for action)という意味でのソ連社会の代表者であることには、何らの疑いを容れる余地もない」(28)と言う。著者は「ソ連政府はソ連国家の代表ではあるが、ソ連国民の代表者ではない」とは明言しない。彼が断言するのは「ソ連政府はソ連『社会』の代表者だ」ということである。だが彼の真意は、この「社会」とは「国民」のことに他ならず、従って社会の代表は国民の代表だというところにある。そのことは、「ソ連政府の命令は国民に服従されており、ソ連政府の立法行為や行政行為は国内において実効的であり」、「ソ連政府はソ連社会の人的・物的資源を基盤として巨大な軍事機構を実効的に運用している」故に、ソ連政府はソ連社会を代表していると述べているところからも知られる。ソ連政府は国民を実効的に支配しているから、ソ連社会の代表者だというのである。ここで彼は「行動形態としての政治社会の資格において、明確な個性をもった歴史における権力単位が登場する」と言っているが、この「権力単位」とは国家でしかあり得ない。なぜ国家という言葉を避けるのか?なぜ国家代表と国民代表とを明確に区別しないのか?彼は言う:
政治社会が行動形態となるためには、そのメンバーの一部、即ち統治者の命令行為が習慣的に服従されるような内的構造を具有しなければならない。これらの命令行為は領土の防衛とか司法とかという社会の実存的必要に役立たなければならない(29)。
一団の人々が国家の政府であるためには、他国政府から独立し、その国法秩序国民の恒常的服従を獲得しなければならないということは、一般的に承認された原則であり、民主国家にも専制国家にも妥当する原則である。この原則は、「国法秩序は概して実効的である、即ち規制対象である人々に服従されているとき、効力をもつ」という、更に普遍的な原則の適用に他ならない。「新政治学理論」なるものは、古来政治学や法学が当然の前提としてきたこの原則を、「実存的」代表という新語を用いて持ち出しているようである。著者は、防衛と司法が「社会の実存的必要」であると述べた後、曰く、
人間が行動的社会へと自己形成してく過程は、社会の分節化(articulation)と呼ぶことができよう。この政治的分節化の結果として、社会を代表して行動する
支配者が登場する。彼らの行動は自分自身の行動ではなく、社会全体の行動と解釈され、その結果人間生活を規制する一般的規則として彼らが発言するものは、 道徳哲学の暗誦ではなく、社会の構成員たちを拘束する規則の宣言として構成員たちに受け取られる。このような形で支配者の行為が社会に帰されるとき、その人物は社会の代表者とされる(30)。
この論述の中で、著者は「代表の意味」は実効的帰属(effective imputation)を基礎とするということを強調しているが、それはただ支配者の支配が実効的であれば支配者の行為は国家の行為となるということを意味しているに過ぎない。
国家を構成する法秩序はある程度実効的であるときにのみ効力をもつという原則は、代表の問題、即ち誰が団体の機関であるか、どの個人が国家の代表権をもつかの決定の問題と何の直接的関係もない。代表を決定しうるのは効力をもった法秩序であり、効力をもつのはある程度実効的な法秩序である。この実効性の原則は国家を構成する法秩序の問題であって、国家機関についてのことではない。実効性が問題となるのは規範であって機関ではない。機関は、実効的であるが故に効力を有する法秩序に従って、規範を創造し適用するのである。政府が実効的であるとは、機関が発し、国家法秩序の一部をなす規範が実効的であることを意味する。国家機関の行為、特に政府の行為が国家行為となる、即ち国家に帰されるのは、従ってその行為を行なう個人が国家の代表者となるのは、機関が実効的であるからではなく、個人とその行為が有効な法秩序(ある程度実効的な法秩序)によって規定されているからである。「国家」と呼ばれる団体を構成する法秩序は有効な、即ちある程度実効的な法秩序でしかありえないから、国家機関・国家代表もそのような法秩序を基礎とするものでしかありえない。その国家が民主国か非民主国か、その代表が「国民代表であって国家代表」なのか、「国民代表でない国家代表」なのかなどという区別はここでは関係がない。実効性は国家存立の条件であるから、いかなる型の代表にとってもその存立の前提条件である。国家の政府とよばれる一団の人々がただ「国家代表」なのか、「国家代表」であると同時に「国民代表」なのかという問題は、「国家の発する命令、即ち規範が実効的であるか否か」には依存していない。なぜなら一団の人々が政府となる条件は、彼らの行動が実効的国法秩序に適合していること、及びこの一団が発する命令、即ち国法の重要な部分が大体において遵守されていることのみであって、その法秩序が民主的であろうと専制的であろうと差異はないからである。政府は常に国家代表である。その政府が同時に国民代表でもあるかということは、その政府が民主的に、即ち普遍的で自由な選挙によって選ばれたものか否かにかかっている。実効的であるか否かで代表の民主的型と非民主的型を分類するなどということは不可能である。
ところが、「新政治科学」なるものがなそうとしているのは、まさにこの不可能事である。即ちその「科学」が、民主的型の代表を「実存的」型より「初歩的」だとして軽蔑するのは、まさしくそれが実効的でないからだというのである。この議論は、「国家代表」と「国民代表」の区別を消去することによって、民主的代表は「初歩的」で、国家代表は「実存的」だなどと唱えるのである。この区別を消去し、しかも「国家代表」という用語を避けて、「社会代表」などという曖昧模糊とした概念によってそれに代え、「新政治科学」なるものは、実効性の要素を取り入れた概念のみが正しい代表概念であり、この実効的代表という型が、何らかの仕方で「国民代表」なのだ、という印象を作り出そうとしている。「分節化された社会の代表的支配者は、社会の他の構成員たちと何らかの関係に立たなければ、その社会全体の代表者となることはできない」(31)と著者は言うが、「他の構成員」とは民衆のことであろう。そこで言う、
民主的用語法の圧力を受けて、二つの関係を区別することへの抵抗が強く、政治理論にまで影響を与えるに至っている。・・・政府は国民代表であるが、この「国民」という用語が二つの意味の両方を吸収してしまった。例えば中世の用語においては「王権」(realm)と「臣民」(subjects)とは情緒的反感なしに区別されていたのであるが(32)。
ここで「二つの関係」と呼んでいるのは、「支配者の社会全体との関係」と「支配者の他の社会構成員との関係」のことで、民主的用語法の圧力によって両者が区別されなくなったというのである。民主制において政府が政府への服従者としての国民を代表するという意味は、そこで政府は、政府構成員含まない社会である国民(「他の社会構成員)を代表することによって、社会全体を代表することを意味する。なぜなら、政府の構成員も政府への服従者としての国民に含まれるからである。政府構成員は統治すると同時に統治に服するのである。専制支配における支配者は、政府の支配の外にあるが、民主制においては支配者も政府の支配下にある。まさしくそのことの故に、即ち政府は政府構成員を含んだ社会の代表者であるが故に、民主制においてのみ政府は全体としての社会の代表者なのである。ところが「新政治理論」の著者はどうも「全体としての社会」という言葉で国家を意味しているらしい。なぜなら、彼は「全体としての社会」という言葉で、中世における「臣民」と区別された意味でのrealmを指示しているようだからである。realmと「臣民」という対概念は、近代における「国家」と「国民」の区別に対応するであろう。「民主的政府は国民代表である」という命題は、そこでは政府は国民を代表することによって国家を代表するということを意味している。そこで改めて問わなければならないのは、なぜ「新政治理論」なるものが、なぜ近代的概念である「国家」という言葉を避けて、はるかに曖昧な中世的概念realmという言葉を用いるのかである。realmという言葉は文字どおりにはkingdomを意味するものではないか。また疑問なのは、なぜ「国家」と言わずに「社会全体」などと言うのか。その理由は明らかだ。「社会全体」の代表者といえば、当然「他の構成員」をも代表するだろう。なぜなら国家の「実存的」代表者も国民代表とされているらしいからである。「分節化された社会の代表的支配者」は実効的に社会を代表する支配者でしかあり得ない。そして実効的代表者は全体の代表者で、全体社会とは国家のことである。実存的支配者が代表するのは「全体社会」である。上記の引用において「分節化された社会の代表」と言われているものは明らかに「実存的」支配者である。ところが民主的であれ専制的であれ、政府というものは実存的意味の支配者であり、「実存的」支配者である。ここで「新政治理論」の著者は、分節化された社会の支配者が全体(即ち国家であろう)の代表者であるためには「社会の他の構成員」、即ち国民と「何らかの関係」に立たなければならない、と言う。「何らかの関係に立つ」とは国民を代表するということ以外ではあり得ない。何故なら「国民代表」と「国家代表」は、彼によれば「民主的用語法の圧力」によって区別できなくなっているからである。[こうして馬脚が顕われる]。支配者は「他の社会構成員」、即ち国民との関係において、彼が「初歩的」とよぶ普遍・平等・自由・秘密投票の選挙を経ないままで、国民と「何らかの関係」に立ち、国民を代表するのである。
「新政治理論」の主張者は、ソ連政府は「政治的社会」としてのソ連社会の最も実効的な代表者であると言い、それは「ソ連政府の立法行為や行政行為は国内において国民の服従を獲得しているという意味で実効的であり」、「ソ連政府はソ連社会の人的・物的資源を基盤として巨大な軍事機構を実効的に運用している」故であるという(33)。しかしそれはソ連政府がソ連の「全体社会」即ちソ連国家を代表していることを意味するに過ぎない。著者によればソ連政府は実存的代表の理想的事例であり、全体としての「分節化された社会」の代表者なのである。分節化された社会を代表する支配者は、その社会の他の構成員と「何らかの関係」に立たなければならないが、[その「何らかの関係」とは実効的支配だということになり]、従って非民主的政府であるソ連政府もソ連国民の代表者と言うことになるのである。「新政治理論」なるものの主張者も、さすがにここまでは明言しない。しかし民主的代表制を単に初歩的だとして下らないもののように言い、「実効性」という要素を強調してそれを「実存的」代表として持ち上げる傾向を見れば、その含意は明らかである。
この代表論を展開した「新政治理論」の著者は、「単に立憲的意味で代表的な政府は、遅かれ早かれ実存的意味での統治者によって命脈を絶たれるであろう。そしてその後支配する実存的支配者は、立憲的意味では余り代表者とは言い難いものになる可能性が大である」(34)と警告する。著者は先に、「実存的意味」で代表的なこの統治者も、「他の社会構成員(即ち国民)とある種の関係に立たなければ」、全社会の代表者となれないと言っていた。この人物も、民主的意味ではないが、国民を代表する――まさにファシスト的な意味で。フューラーとかドゥチェとかは、人々を実効的に行動に向けて組織すれば、国民代表を名乗り、民主制の実現者を標榜し得るというのである。
「新政治理論」なるものについての以上の分析が示すのは、この「理論」なるものが侮蔑の言葉をもって「初歩的」と呼ぶところの代表概念、単に「立憲的な」意味で国民を代表する政府という意味での民主制の概念を、可能な限り厳密に保持することが最高度に重要だということである。そしてそれを「実存的」代表などという、民主制と専制支配の基本的対立を曖昧にし、民主制の本質を客観的に理解することを妨げる概念によって置き換える試みを峻拒することも喫緊の重要性を有する。
この客観的な理解のためには、単にこの二つの対立的な組織の構造を記述するのみでは充分でない。なぜなら、人類史の全体が、民衆を従属させようとする強烈な権力意志の持ち主と、他者の意志による支配に対し抵抗し、自律を求める民衆との間の、終ることなき闘争の歴史であり、現実において民主制と専制支配の対立に未だ決着がついておらず、それと同様に人類思想において民主制と専制支配の優劣に関する議論に決着がついていないということ、そしてその闘争は一方が勝ったかと思えば他方が盛り返すということの繰り返しあることを認識するならば、問題は単なる社会技術、二つの社会組織の間の選択に尽きない対立が含まれていると考えられる。従って我々は、この対立の根源を世界観の対立に遡って求めるべきではあるまいか。こうして我々は、政治学と哲学の間に存在する結び付きという問題の探求に導かれるのである。
以下私は、一方で政治理論における専制支配と民主制の対立と、他方で哲学における絶対主義と相対主義の対立との間に、単なる外的並行関係のみならず、内的結びつきが存在することを示そうと思う。即ち、政治的絶対主義としての専制支配と哲学的絶対主義との、また政治的相対主義としての民主制と哲学的相対主義との結びつきを(35)。
哲学における絶対主義と相対主義
アリストテレスが第一部『倫理学』に続いて第二部『政治学』を論述した時代以来、政治理論と「倫理学」とよばれる哲学の一分野が密接な結びつきをもってきたことはいうまでもない。しかし政治理論と哲学の他の分野、例えば認識論や価値論との親近性ということになると、一般に承認されたものではない。政治学の中心問題は支配の主体と客体の関係であり、認識論の主要問題は認識の主体と客体の関係である。支配の過程と認識の過程は無縁ではない。認識とは、主体が感性的知覚のカオスに何らかの秩序をもたらし、その対象を支配しようとするものである。これは主体が客体の善悪を判断し、対象を裁く評価過程と共通性がなくはない。哲学的絶対主義と哲学的相対主義の対立の主戦場は認識論と価値論にあり、それは政治的絶対主義としての専制支配と政治的相対主義としての民主制の対立と類比関係にある。
しかしこの類比の意味について起こり得る誤解を避けるために、幾つかの予備的註釈が必要であろう。先に述べたように、政治の中心問題も、認識論や価値論の中心問題も、主体と客体の関係である。政治する主体においても哲学する主体においても、その主体の元来の気質(disposition)が、支配の客体ないし認識・評価の客体との関係に関する思想の形成に決定的な影響力をもっているに相違ない。政治的信念と哲学的信念は、ともにその根源をその担い手の心性(mentality)、自我の性格に有しており、この自我が(自分も自我であると主張する)他の自我との関係や(そういう主張をしない)物との関係において自分をどのようなものと体験するかの態様に有しているのである。政治論の体系や哲学の体系が窮極においてそれを担う人間の心性によって決定されるということを認識することによってのみ、なぜこれらの体系間の対立が克服不可能なのか、相互理解が(まったく不可能とまではいわないまでも)これほどまでに困難なのか、この対立が知的領域におけるもので、権力闘争ではないのにも拘らず、かくも怒りに満ちた情緒的なものとなるのか、を理解することが可能となるのである。政治理論や哲学理論の類型論が結局性格類型論に帰着する、あるいはそれが言い過ぎであるとすれば、政治論は哲学理論と結び付けて考えざるを得ない。自分と人間仲間との関係やそれを支配している秩序について解釈を試みるのも、自分と世界全体との関係を考察するのも、同じ人間なのであるから、特定の政治的信条と特定の世界観との間に結びつきがあると想定することができよう。もっとも、政治思想と哲学思想が発祥する場は、経験的人間の心の中であって、純粋理性の領域ではないから、特定の政治思想があらゆる時あらゆる所でそれと論理的に対応する哲学体系と結びついているとは限らない。この結合は、政治理論史・哲学理論史における代表的思想家の著作を分析することによって証明されるが、この結びつきを断ち切り、ある政治思想の持主がそれに対応する哲学思想を持つことを妨げたり、ある哲学思想の持ち主がそれに対応する政治思想を持つことを妨げるような力の作用を無視することも誤りである。人間の心は理性のみによって支配されるものではないし、常に論理的でもない。情念的要因が人間の思考を本来の方向からまげてしまうこともある。(哲学的思弁の方は制限されていないが)政治的思考の自由が奪われているというような外的環境も考慮しなければならない。また政治的判断、特に民主制や専制支配を支持するに至る決断は、充分な事実研究や良心的自己分析をしないままで、その時々の状況や気紛れによってなされることもある。軽視してはならないのは、体制があれば反体制があり、民主制下において何らかの理由で不満を持った者が専制支配の支持者になり、専制支配に失望した者が民主制支持者になるというような事実である。万年不平分子というような者もいて、どんな既存の秩序にも反対し、過去の、あるいは未来の体制を憧れる者もある。民主制下であらゆる悪は民主制のせいだと思っていた者が、ファシズムになると確信的民主主義者になったり、民主制が長く続いて飽きが来ると、ファシズムを支持するようになる者もいるかも知れない。しかしこういう人々は少数の例外で、問題の考察にとってあまり重要ではない。有名な人々、特に偉大な思想家たちに関しても、哲学者が政治理論に手を染めていないとか、政治家や政治理論家が自覚的に哲学的問題を設定するほどに思索を進めていないということで、政治思想と哲学史思想の間の関係を論じようがないという場合もある。こういう留保を附した上で、政治と哲学の関連づけが可能となる。
哲学的絶対主義は、絶対的存在、人間的認識から独立した存在があると主張する形而上学的見解である。その存在は人間の認識能力を限界づける時間と空間の彼岸に存在する。他方哲学的相対主義は、存在はもっぱら人間の認識能力の範囲内のものであるという経験論に立ち、存在は認識の対象であり、認識する主体と相関的であると主張する。この立場によれば、絶対者・物自体は人間的経験の彼岸にあり、人間的認識によっては接近できず、認識不可能なものである。
絶対的なものがあるという想定は、絶対的真理や絶対的価値が可能だという想定と対応している。哲学的相対主義はそれを否定し、相対的真理と相対的価値のみを認める。仮に事実判断が絶対的存在の認識に到達するとすれば、そこで得られるのは絶対的真理であろう。即ち判断主体としての人間との関連において、人間的理性の立場からのみならず、超人間的・神的・絶対的理性の立場からしても真だということになるであろう。そして絶対的存在というものが存在するならば、それは絶対的価値と一致するに相違ない。なぜなら絶対的なるものは当然完全性を含意し、絶対的存在は絶対的価値の源泉としての絶対的権威ともなる。絶対的なものを人格化し、その絶対者は全能で絶対的に正義である宇宙の創造者として描き出され、その意志は自然法則でもあり人間界の法則でもあるとされれば、その行き着く先は哲学的絶対主義の他ない。その形而上学は一神教的性格を帯びざるを得ない。この思想は、「事実の中に価値が内在している」「現実は絶対善の被造物ないし流出物である」という思想と本質的に結びついている。この形而上学は、事実との整合性である真理と、価値との整合性である正義との同一視に向かい、正不正の判断に真偽の判断と同一の絶対性を認めることになる。価値判断は、それが絶対的存在に内在する価値に言及するものであるならば、即ち絶対的権威によって設定されたものであるならば、特定の判断主体にとってではなく、時と場所とを問わず、万人に対して正当性を主張し得るはずのものである。それに対し、哲学的相対主義は、反形而上学的経験主義・実証主義であって、事実と価値の峻別、事実命題と価値判断の区別を主張する。価値判断というものは、理性的事実認識ではなく、突き詰めれば、願望と恐怖という、人間意識の情念的要因を基礎としている。相対主義は、断乎として経験的・合理的な立場に立つもので、従って懐疑論的であることを躊躇なく認めるものである。
人間的認識から独立した絶対的存在という哲学的絶対主義の仮説からは、認識の役割は、それ自体として存在しているのものを鏡のように反射することだという帰結が導かれる。それに対し相対主義的認識論は、そのもっとも一貫した主張者であるカントに見られるように、認識過程を対象の創造と解釈する。この考え方によれば、人間という認識の主体は、認識論上世界の創造者であり、世界とは認識の中に、認識によって構成されるものである。ということは決して認識過程が恣意的なものだということを意味しない。認識過程によって認識が対象を構成するとは、神が世界を創造するように対象を創造するということを意味しない。認識の主体と客体との間には相関関係があり、この過程を規制する規範法則が存在する。この規範に従うことにおいて、合理的な事実認識が――価値判断の基礎である主観的情念の表現と異なって、客観的なものとなるのである。しかしこれらの規範は人間の精神に発するものであり、認識主体は自律的立法者である。それゆえ、認識主体の自由――形而上学的な意志の自由ではなく、自律という意味での認識の自由――こそが相対主義的認識論の基本前提である。それに対し、哲学的絶対主義は、一貫するならば、認識主体は客観的事実に内在する他律的法則に完全に決定されている、絶対的なものに従属していると考えるはずである。特にその絶対的なものが、人格的・超人間的権威と考えられている場合には。
相対主義的理論には二つの危険がある。一つの危険は唯我論、即ち認識主体としての自我が唯一の実在で、他我・汝の存在を否定する自己中心思想である。そういう前提に立つと、相対主義的認識論は自己矛盾に陥る。なぜなら自我が唯一の存在であるとすれば、それは絶対的存在でしかあり得ないからである。妥協なき唯我論もまた哲学的絶対主義である。これは逆説的帰結であるが、もう一つの危険も、それに劣らず逆説的である。この立場によれば世界は主体の認識の中にのみ存在するのであるから、自我はいわば自分の世界の中心にある。しかし他方で多数の自我が存在することを承認せざるを得ないとすれば、認識主体の数だけ世界が存在することにならざるを得ない。この二つの危険に対し、哲学的相対主義は、唯我論をも多元論をも慎重に避ける。ほんものの相対主義は、当然多様な認識諸主体の相互関係を考慮に入れる。そうなると共通の一つの世界の客観的存在を確保できないことになり、それを認識主体である諸個人が平等だと言う想定によって償うのである。この想定は、(主体の心の中の情念的反応は等しくないが)理性的認識過程は等しいということを含意している。更に、各人の心の中で起こる認識の対象も相互に整合的だという想定も可能となろう。そのことは人間の外的行動によって確証されるのである。確かに絶対的平等と絶対的自由とは矛盾するが、認識主体の自由は絶対的なものではなく、理性的認識の法則の支配を受ける相対的なものであり、この相対的自由なら全認識主体の平等という想定と矛盾しない。自由を、すべての主体を平等に支配する法則によって制約すること、これが哲学的相対主義の本質的要素である。他方哲学学的絶対主義の見地からすれば、重要なのは主体の平等ではなく、逆に諸主体の絶対至高の存在との関係における基本的不平等である。
自然的自由と社会的自由
自由と平等が哲学的相対主義の本質的要素であるとすれば、それと政治的民主制の類似は明らかである。なぜなら自由と平等は民主制の基本思想であり、社会的存在としての人間が有する二つの原始的衝動だからである。民主制の基礎をなすのは、自由への願望と平等の感情である。それは何よりも、あらゆる種類の社会的現実に不可避的に結びついている強制、自分の意志を屈服させようとする他者の意志に対する反撥、秩序、他律のもたらす不快感に対する抵抗である。自由を求めて社会に反抗するのは人間性そのものである。社会秩序としての他者の意志が自分にのしかかってきているという感情は、他者の自分に対する優越を排除しようと意識すればするほど、耐えがたいものである。優越者として自分に臨んでくることへの反感が高まると、「あいつも自分と同じじゃないか。我々は平等なのに、どうしてあいつに自分を支配する権利があるのだ」という意識が湧き起こってくる。こうして平等という消極的観念が同様に消極的な自由の観念を支援することになるのである。
「人間は平等である」という想定から、「誰も他者を支配する権利をもたない」という原則が導き出されるであろう。しかし経験の教えるところでは、社会的現実の中で我々が平等であり続けようとするためには、被支配ということが不可欠である。自由と平等は同時には実現できないが、政治思想は民主制という観念のうちで両者を結合することを目指す。政治思想の巨匠の一人であるキケロは、この結合を「民衆の権力が最高であるようなところでなければ、自由は住み得ない。そのような自由ほど甘美なものはないが、しかし平等でないような自由は自由とはいえない」という有名な言葉で表現している。
自由という象徴は、それが社会的世界において位置づけをもつためには、根本的な意味変化を遂げなければならない。自由は元来あらゆる社会秩序の否定を意味するものであり、自由の世界はいかなる統治も存在しない自然状態なのであるが、ここではそのような意味を放棄して、社会秩序を樹立する特殊な方法という意味に、即ち特定の型の統治形態という意味に転化しなければならない。一般的に社会が、特殊的には国家が可能であるためには、人間間の相互関係を規制する規範的秩序が拘束力をもたなければならない。従って、その秩序のもたらす人間の人間に対する支配を容認しなければならない。しかし支配が不可避であるならば、どうせ誰かの支配を受けなければならないならば、その「誰か」を自分たち自身にして、自分たち自身の支配を受けよう、と。こうして自然的自由は社会的・政治的自由に転化するのである。確かに、社会的・政治的に自由だということは、規範的秩序に服従することを意味する。その自由は、社会規範の下での自由である。しかしその服従は、他者の意志に対する服従ではなく、自己の意志に対する服従である。即ち服従者が、その服従する規範の制定に参加した規範への服従である。民主制と専制支配の対立における民主制の特徴はその自由にあるが、それが可能となるのは、自由の意味のこの転換によってである。この意味転換によって、自由が民主制という社会組織の形態を作り出す動因となるのである。
自由の形而上学的観念
自然的自由から社会的自由への転換こそ民主主義という思想の基礎をなすものであるが、その前提として自然と社会の二元論がある。そしてこの二元論は、相対主義哲学の特徴である事実と価値の二元論と密接に結びついている。自然は自然現象の因果的秩序であり、社会は人間行動の規範的秩序である。こう考えることによってのみ、自然と異なった社会という体系が可能となる。規範とは、なにごとかが「あるべきだ」という観念の表現であり、この規範によって「価値」という観念が可能となる。前にも述べたが、「なにごとかをなすべきだ」とか「なにごとかはなさるべきだ」という観念の根源は、願望と恐怖にある。その意味で、合理的認識の範疇たる因果法則によって構成された客観的現実と異なって、規範の構成するものは主観的価値である。仮に自然が神の被造物で、絶対的善意志の顕われだとするならば、自然法則と社会規範とも間の区別は存在し得ない。なぜなら、その場合は、自然法則も神が自然に命令した神の意志の顕われであり、規範だからである。このような形而上学的見解からすれば、自然と社会の区別はない。なざなら自然もまた神に支配された普遍的・宇宙的社会なのであるから。自然法論の基礎にあるのはこの思想である。ところが、哲学的絶対主義の形而上学的思弁は、この前提に対し公然と矛盾する説を唱えている。即ち、「人間の意志は、神の意志に従属してはいるが、自由だ」という説である。この説の神学版も、これに劣らず矛盾を含んでいる、即ち、人間は、全く神と異なってはいるが、神の似姿として創られた、それ故人間の意志は、神の意志と同様に、他のいかなる原因の結果でもない原因、第一原因(prima causa)である、という教義である。これが、因果法則は神の意志であるが、人間はその法則の除外例であるという、形而上学的人間自由意志論である。
この意味における人間の自由は、ある種の形而上学的人間学からは、社会の一員としての人間、義務や責任の担い手としての人間にとって本質的な属性であると考えられている。その主要な論拠は、もし人間がこの意味で自由でなく、その意志が因果法則によって決定されているとすれば、人間の行為について責任を問うことができなくなるからだというにある。即ち法とか道徳とかの規範的秩序の存在は、人間の形而上学的自由を前提しているというのである。非決定論とよばれるこの説は、合理的・反形而上学的哲学が断乎として拒否するものである。拒否する理由は、「人間の意志は全能の神の意志に服従していながら、またその支配を免れているとは矛盾ではないか」という形而上学的議論の故ではなく、人間の意志を含む自然現象が自然的事実を構成する因果律から自由だと考えるのは、到底許容されない自己矛盾だというところにある。自由意志という幻想的な観念が存在するのは、哲学的絶対主義が、価値と事実、社会と自然、規範性と因果性を分離しないからである。自然秩序と社会秩序が異なった秩序であることを認識するならば、一方は因果律に、他方はそれと異なった原則に支配されていることを認めざるを得ない。人間の行為はある時には自然現象として、他の時には社会現象として考察される。従ってそれは二つの相異なった解釈図式(schemes of interpretation)の対象なのである。この両者の関係は、両立不可能なものではなく、共存関係にある。それ故、自然現象としての人間行動は、因果法則に決定されているが、社会現象としてのそれは「自由」であり得るのである。そうであるとすれば、自由であることは因果法則からの除外、因果法則の除外例であることを意味しない。そうではなくて、ここでの自由とは社会秩序を構成する原則に従っていることを意味するのである。このように考えていくと、人間がその行為について責任を問われるのは、因果律から解放されているという形而上学的意味で自由であるからではなく、合理的な意味で責任を問われる対象だからである。なぜなら、行為について責任を問われるということは、その行為が賞罰の対象となるということであり、そして賞罰の対象であるということは、道徳規範や法規範がその行為に賞罰を結びつけているということに他ならない。人間の行動に賞罰を結びつけることは、その行為が因果法則に決定されていないことを意味するのではなく、むしろ逆に決定されていることを前提している。なぜなら、ある行為に刑罰を結びつけるのは、人がそれによって刑罰を恐れ、その行為を慎むことが想定されているからであり、ある行為に報賞が結びつけられるのは、人がそれによって賞を得ようとしてその行動をとることが想定されているからである。もし人間の行動、元を辿れば人間の意志が特定の原因によって決定されないとすれば、行為に賞罰を結びつけ、責任を問う規範秩序など無意味なものであろう。自然法則による原因と結果の結合と対比して、社会規範が要件としての人間行動と効果としての賞罰を結合される関係の呼称として、「帰報」(imputation)という用語が提案されている(36)。因果律が自然認識の基本原則であるように、帰報は規範秩序としての社会認識の基本原則である。この両原則の根本的相違は、因果関係の連鎖は無限で、いかなる原因も更なる原因の結果であり、第一原因などというものは存在し得ないのに対し、帰報は罪と罰、功と賞という二要素のみの連結であることである。それ故、刑罰が犯罪行為に帰され、報賞が功績に帰されれば、帰報はそれで終る。社会の一員として規範的秩序に服している人間が「自由」であるとは、彼が因果性の出発点に立っているからではなく、帰報の終結点だからである。「人間の意志は第一原因(prima causa)である」という幻想的観念は、事実と価値、自然と社会、因果性と帰報の形而上学的混淆の帰結であり、帰報の終結点を第一原因と誤解したものである。ちょうど、支配の不存在としての自然的自由が統治への参加としての政治的自由へと変形したように、因果性の出発点としての形而上学的自由の観念は、帰報の終結点としての合理的自由の観念へと転化したのである。
ルソーの民主制論
「自由とは国民の政治的自律、即ち国民の政治参加である」という定義は古代ギリシャ的自由観念として、「自由とは支配からの自由である」という昔のゲルマン人の有していた個人主義的自由観念と対比される。後者は多かれ少なかれアナキーを求める志向である。ゲルマン諸部族がアナキーの中に生きていたことなどないから、こんなことが正しいとは到底言えないし、それが歴史でなく民族誌的事実として唱えられていることもおかしいが、ともあれ、いわゆるゲルマン的自由観念から古典ギリシャ的自由観念への転化は、根源的な自由本能が変形・変性する不可避的な過程の第一歩を示している。それは人類が自然状態から社会状態へと辿った軌跡なのである。この変化こそ我々人類の社会的思惟のメカニズムをもっともよく特色づけるものに他ならない。政治思想において自由の観念がなぜこのように格別の重要性をもっている理由は、この自由の観念の根源が人間精神の窮極的源泉、即ち個人を社会に対して反抗に駆り立てる原始的本能にあるからである。ところが、この自由という反社会的傾向を理性的に反省した結果、殆ど神秘ともいうべき自己欺瞞を経て、「社会の中の個人」という地位を示すものに転化するのである。こうしてアナキーの自由は民主制の自由となる。
この変化は一見して思われるよりもずっと大きなものである。民主制の最も有力な思想家の一人であるルソーは、最善の政体とは何かと問い、それは民主制であると答えるのであるが、その問題を次のように定式化している。曰く、
それは次のような結合形態を見出すところにある。即ち、各成員の身体と所有を、団体の総力を挙げて防衛し保護するような結合の形体、しかもその結合によって各人が万人と結びつきながら、自分自身にのみ服従し、以前と同様に自由であり続けるような形態を見出すことである。社会契約が解決を与えようとする根本問題とはそのような問題である(37)。
ルソーは、自由を、個人が自分自身にのみ服従する状態、自分の意志にのみ服する状態と定義することによって、自然的自由の観念、社会と両立しないアナキーの自由からその論述を出発させる。しかし当然彼はこの定義を維持し続けることができない。なぜなら彼は代表(représentation)の可能性を承認しないからである。彼は言う、
主権というものは、譲渡不可能であるのと同様に、代表不可能なものである。主権は本質上一般意志のうちに存するが、一般意志は代表を許さない。主権はそれ自体であるか、そうでないかの二者択一であって、中間はあり得ない。それ故国民の代理人(députés)は国民の代表者(représentants)ではあり得ず、事務処理者(commissaires)に過ぎないから、何ごとについても最終的決定を下し得ない。国民が自ら裁可したものでない法律は無効であり、そもそもそれは法律ではない。英国国民は自分たちを自由だと思っているが、それはひどい自己欺瞞で、彼らが自由なのは議員選挙中に過ぎない。議員が選ばれれば、彼らは無に帰し、奴隷となる(38)。
ルソーが一貫して主張しているのは、直接民主制の原則である。しかし国家意志が直接国民集会によって創造されたとしても、個人が自由なのは投票の瞬間のみである。否、その瞬間でさえも、多数派の方に属している場合のみで、投票で敗れた側には自由はない。そこで、なお自由という民主制の原則を守るためには、多数決に負ける可能性を減らすことが一応考えられる(負ける可能性を完全になくすことは不可能であろうが)。即ち自由を保障するために制限多数決、更には全会一致の原則を要求するのである。しかしルソーほどの極端な自由の使徒でも、全員一致制は国家創設の原始契約の際しか要求していない。こうして全員一致制を原始契約に限定した理由は、単に便宜の考慮からではない。国家設立契約締結に際して、「自由とは自己の意志にのみ拘束されることだ」という自由の原則から全員一致が要求されるならば、首尾一貫すれば、契約によって設立された規範的秩序の存続の条件にも秩序服従者の全員一致が要求されるであろう。そうなれば、各人はその秩序の拘束力を承認しなくなれば団体を脱退することが自由であるはずである。こういう帰結が生ずるということは、ルソーの定義する自由、即ち自然的自由が社会秩序と両立しないことを明示している。社会秩序というものは、その本性上、その拘束力が服従者の意志から多少とも独立しているからこそ可能となるもので、「お前はこう行動すべきだ」という規範の拘束力がその者の同意に依存し、そのような行動をとる気になった時にのみそのような行動をとれというのでは、規範はまさしく規範たる意味を失う。一般に社会秩序、特に法秩序・国法秩序は、その秩序の内容とそれに服する個人の意志との間の乖離の可能性を前提としている。この両極間の緊張、当為と存在の間の緊張がゼロになったならば、即ち自由の価値が無限となったならば、規範秩序に対する服従などということはそもそもあり得ない。それ故、社会契約説によれば服従者の全員一致の決定で発足した秩序も、その変更・発展は多数決によることになるのである。そしてこのことこそまさにルソーの教えるところである。彼は、社会契約の問題の第一の定式化として、「自由とは自己の意志にのみ服することだ」と定義した後、彼は問題を次のように再定式化する。曰く、「我々は共同して、自己の身体とすべての力を一般意志の至高の指令下に置く。そして我々は各人を全体の不可分の一部として受け容れる」と。ここで彼は「全員の意志」と区別された「一般意志」の概念を導入したが、これは極めて玄妙な概念であって、彼は決してそれを明確に定義しない。そこで彼は一般意志と個々人の意志の間の衝突の可能性について考察する。曰く、「そこで、社会契約が空虚な定式になってしまわないように、一般意志に反する者は集団全体によって服従を強制されるということを、暗黙のうちに契約に取り込む。これによってのみ契約の他の部分も力をもつのである。これ即ち、個人は自由であるように強制されることを意味する」と(39)。もはやここでは、「自由」とは自己の意志のみに服従することではなく、自由であることと一般意志に服従することとは矛盾しないのである。主権とはそれを構成する諸個人の全体、団体の成員によって形成され、自由とはこの「集権的権力を分有すること」である(40)。この議論を基礎にして、ルソーは国民と臣民を区別し、「自然的自由」を「国家的自由」に代置する。曰く、「人が社会契約によって失うのは、欲するのもを求め、取得したものを領得する無制限の権利としての自然的自由であり、それに代って獲得するものが・・・国家的自由である。我々は、個人の実力のみを基礎とする自然的自由と、一般意志によって制約された国家的自由とを明確に区別しなければならない」、と(41)。この意味転換がいかに根源的であるかは、一般意志に適合しない意志をもつ個人は、一般意志に適合するよう強制される、それは自由であるように強制されることだ、という言葉からも知られる。ルソーは、この強制される自由の例証として、ジェノアにおいて、牢獄の正門に「自由」という標語が掲げられていること、またガリー船を漕ぐ囚人奴隷の鎖にも「自由」という文字が刻まれていることを挙げ、これを「善い、正しい」工夫だと言っている。
自然的自由の政治的自由(ルソーの言う「国家的自由」)への転化において、両者が全く異なったものであることは、ルソーが一般意志が多数決で作られると言っているところからも明らかである。曰く、
その本性上満場一致の合意が必要な法律はたった一つある。それは社会契約である。なぜなら、国家的結合こそあらゆる行為の中で最も自発的なものだからである。各人は自由に生れ、自己自身の主人であるから、何人も、またいかなる口実の下でも、自身の合意なしに服従させることはできない。奴隷の子は奴隷として生れたのだと定めることは、彼が人間に生れなかったと定めることである(42)。
ルソーが、その自由概念の転化が頂点に達したその時に、自分自身のそれ以前の叙述と公然と矛盾して、「何人も、またいかなる口実の下でも、自身の合意なしに服従させることはできない」として、自然的自由という最初の思想を主張しているのは不思議である。そこで直ちに起って来るのは、「多数意見と反対の投票した者はどうなのか。彼らはこうして採択された法に拘束されないのか」という疑問であろう。それに対するルソーの解答は、「社会契約が締結された時、それへの反対者がいたとしても、彼らの反対は契約を無効にするものではない。反対者は加入を拒否されるのみである。彼らは国民の中の異邦人である」というものである。こう言っているところを見ると、多数決で採択された法に反対投票した者は、その法に拘束されないように見える。しかしもとよりルソーはそういう結論を受け容れず、続けて言う、「一旦国家が発足すれば、そこに住んでいることが同意していることである。領土内に居住していることは、主権者に服従していることを意味する」と(43)。これはまさしく、「沈黙者は合意者と看做される」(Qui tacet, consentire videtur)という、悪名高いローマ法の擬制である。しかし彼は次のセンテンスで、この擬制に訴えずに多数決原理を主張している。曰く、「始原契約以外では、多数票は常にそれ以外の者を拘束する。この帰結は契約そのものから生ずる」と。ということは、社会契約の中に、国家秩序の根本規範として、多数決原理が組み込まれているということである。しかしそこで、いかにすれば、この多数決原理は自然的自由の思想によって正当化され得るのか」という疑問が起って来る。ルソーも「自由でありながら、自分のものでない意志に服従を強要されるということがどうして可能なのかという問題がある。少数派は、自由でありつつ、賛成しなかった法に従属するのか」という問いを立て、投票過程の意味について再解釈を試み、それによって反対投票をした法に拘束されながら、自分の意志にのみ服従しているという意味で自由だということを示そうとするのである。ルソーは、国民は、ある法の採択に反対票を投ずることによって、自己の意志を表現したのではなく、一般意志についての彼の見解を表明したのだ、と言う。曰く、
しかしこの直前で、我々は「全国家成員の自覚的意志が一般意志」で、「少数者の意志もその一般意志の中に含まれており、彼らは反対したにも拘らず可決された法にも同意している」と教えられたばかりである。従って彼らは自分の意志にのみ服しており、自由だというのである。ある法案について賛否の投票をする者は、自分の見解のみならず、特殊意志を表明していることは否定できない以上、投票過程についてのルソーの理論構成は、人間が二つの意志をもつことを前提している。即ち臣民としての特殊意志と、一般意志に含まれる国民としての意志である。そしてこの二つが矛盾することがあり得るから、あることを欲しつつ同時にその逆のことを欲するということが起こるのである。ルソーも「各人は人間としては特殊意志をもち、国民として有する一般意志に異なる、反することもある」(45)と明言している。しかし仮に我々が「投票は意志の表示ではなく見解の表示だ」というルソーの解釈を受け容れたとしても、「なぜ多数者の見解は正しく、少数者の見解は誤っているのか」という疑問は残る。後に新たな選挙をして、多数と少数が入れ替われば、ある時真だった見解が別の時には誤謬になるではないか。ルソーは、自然的・絶対的自由という幻想を救おうとしたからこそ、この矛盾にがんじがらめにされてしまったのである。しかしルソーのこの著書が、この矛盾にも拘らず絶大な成功を博したのは、まさしくこの幻想を救おうと企てたからではあるまいか。
多数決原理
社会秩序の発展のために多数決原理が受け容れられるとする以上、自然的自由の観念はもはや完全には実現され得ず、この観念への近似のみが可能である。それでも民主制が自律であり、多数決原理の下でも民主制の自由は各人が自己の意志にのみ服従することであるとすれば、自由の観念はもう一段の変遷を蒙ったことになる。
多数者と同一の票を投じた者も、自己自身の意思のみに従っている訳ではない。そのことを思い知らされるのは、投票時の意志を変更した時である。「そのような個人意志の変更は法的意味をもたない」とされていること自体、人が他者の意志に服従していることの証左であり、比喩を排して言えば、人が社会秩序の客観的拘束力に服していることを意味している(46)。もっともその者の意志変更と同様に多数者が意志を変更すれば、自己の意志にのみ服従するという意味で、自由であり続ける。しかし多数決が単純多数決でない場合には、自分の意志変更が多数の意志変更と合致するという、個人的自由の保障の可能性はいよいよ限縮される。そして全員一致制の下では、この可能性は殆どゼロになる。ここに政治のメカニズムのもつ奇妙な二義性が表われている。社会秩序を最初に樹立する時には個人の自由を保護したその同じ原則が、それからの離脱を不可能にし、その自由を破壊するのである。ところで経験の示すところによれば、「社会秩序の最初の樹立」なるものは現実には存在しなかった。個人は常に既存の社会秩序の中に、自分自身がその創造に参加したのではない既存の国家の中に生れる。現実に可能なのは、この既存の秩序の変更のみである。こう考えてくると、自由の観念に相対的に最も近いのは、特別多数決ではなく、単純多数決の原則であることが明らかになる。なぜなら、この原則の下においてこそ、この秩序に(全体的であれ、部分的であれ)反対しながらそれへの服従を余儀なくされている者の数より、それに賛成する者の数の方が常に多いからである。その秩序に、あるいはその秩序を構成するある規範に反対する者の数が賛成する者より多くなれば、その瞬間に新たな多数・少数関係に即応した状況が樹立される。多数決原理の基礎をなす思想は、社会秩序は可能な限り多数者の意見と一致するように、可能な限り少数の反対者をもつようにする、というものである。
政治的自由とは、個人的意志と(社会秩序において表明される)集団的意志の一致であり、社会内において可能な限りの政治的自由を保障するのが単純多数決の原則である。もし社会秩序が単純多数決によって変更できないとすれば、即ち例えば全員一致とか、(三分の二とか四分の三のような)特別多数決でしか変更できないとすれば、一個人、あるいは少数者が社会秩序の変更を妨げることができる。そうなればその秩序は服従者の過半数が反対する秩序となる。政治的現実の中で自由の観念に最大限接近する原則である多数決原理は、その本質的条件として平等という原則を前提としている。「社会における自由の実現度は自由な個人の数と比例する」という見解は、すべての個人が平等な政治的価値をもち、万人が平等の自由要求権をもつこと、即ち全体意志は個人意志と一致すべきであるということを意味している。ある個人が自由で、他の個人は自由でないとか、そういう議論に立ち入らず、彼も我も政治的に平等の人間なのだと考えるからこそ、可能な限り多数の者が自由であるべきだ、自由な個人の数が問題なのだという原則が正当化される。この自由と平等の統合ということが、(集団意志としての)社会秩序と個人意志の関係、支配の主体と客体の関係に関する民主主義思想の基礎をなすのである。これは自由と平等の統合が認識の主体と客体の関係に関する相対主義的思想の基礎をなしているのと同様である。
民主的人格
心理学的見地からすると、民主制の本質的特質である自由と平等の統合は、個人、即ち自我(ego)が自分の自由のみならず、他人(tu)のためにも自由を求めるところにある。こういう心理は、自分を比類を絶する独特のもので、再生不可能なものだと感ずるのではなく、少なくとも原理上は他者(tu)と対等なものだと感ずる場合にのみ可能となる。即ち自分と他者の間に相違があることは否定できないが、それは本質的なものではなく、自我意識を他者と対等なものと感ずる場合にのみ、「汝」(tu)も汝にとっては自我(ego)であるとしてそれを尊重することが可能となるのである。これこそが相対主義哲学の精神状態である。自由であろうとする願望が平等観によって修正された人格は、他者の中にも自我を認識する。こういう人格の持ち主は、他者を敵でなく友として見る傾向をもつ他者尊重的(altruistic)人格で、共感的・平和的人間である。そのような人物も元来は攻撃衝動と無縁でないが、その対象を他者から自分へと向け変えて、自己批判的人格へと転化する。そして罪の意識、責任意識の持ち主となるのである。支配の最小化という自治的統治形態が相対的に自我意識の強くない人格と対応するということは、一見不思議に見えるが決して不思議ではない。なぜなら、個人の支配に対する態度は、自己の内部における権力意志の強さによって決せられるものだからである。個人は、統治の主体となっても、自分の立場と合致するような統治形態の下で生きていると、政府と自我が似てくるものである。
権力意志が強い者は自由を低く評価する。自由の価値を否定し、支配を最大化すること、これが専制支配の思想であり、絶対主義の原理である。絶対主義は、国家の全権力を一人の個人、即ち統治者に集中する。その思想を定式化したものが、ルイ十四世のものといわれる「国家とは朕だ(L'état, c'est moi)」という有名な言葉で、「国家とは我々だ(L'état, c'est nous)」という民主制の標語と対極的である。絶対主義の下では、法とは民衆の意志ではなく、支配者の意志である。民衆は支配者の権力に参与しない支配者への従属者であって、それ故に支配者の権力は無制限で、全体主義への内在的傾向を有している。この意味で、政治的絶対主義は被治者にとっては自律の完全な放棄を意味する。支配者と被支配者は本質的に異なったものとされるから、平等の観念との両立はまったく不可能である。
哲学的絶対主義と政治的絶対主義の並行関係は一目瞭然である。認識の客体である絶対者と認識主体である個人との関係は、絶対主義政府とその臣民との関係と極めて似ている。絶対主義政府は、全く臣民の影響を受けない無限の権力をもち、臣民は自らはその創造に参与していない法に服従する。同様に、哲学的絶対主義においては、絶対者は人間的経験の彼岸にあり、認識客体は認識主体から独立して、その認識は他律的法則によって決定し尽くされている。哲学的絶対主義は、認識論上の全体主義と呼ぶこともでき、その立場からすれば、宇宙の体制は民主政体でなく、被造物は創造から全く排除されているのである。
心理学的には、政治的絶対主義は自我意識が過大となった性格型に対応する。この種の人物は、他者を独立の自我、自分が体験している自我と同種のものとして承認し、尊重することができず、またそうしたくないため、平等を社会的理想として受け容れることができない。またそのような人物は、強烈な攻撃衝動・権力意志の故に、自由や平和を価値として承認しない。こういう人物は、自己を超自我・理念的自我と同一化することによって自意識を高める。無制限の権力を具有する独裁者は、自己を理念的自我として描き出す。それ故、厳格な規律・盲目的服従を好むこのようなタイプの人物が、命令と同様に服従に幸福を見出すのも、矛盾であるどころか、心理学的見地から見て極めて当然である。服従の秘密は権威と自我との同一化だからである。
寛容の原則
自由と平等の原則は、支配を最小化させようとする傾向をもつから、民主制は絶対的支配ではあり得ず、多数者の絶対的支配でもあり得ない。民衆のうちの多数者の支配は、その定義上反対者、即ち少数者の存在を前提とし、更にその存在を政治的に承認し、その権利を保護するという点で、他のすべての支配と異なっている。ソ連の政治理論は、民主制を、少数の富者のためのものでなく、多数の貧困者のためのもので、この少数の富者を抑圧するための暴力組織であると定義するが、これこそ明確な用語の濫用である。レーニンは、「真の民主主義」であるプロレタリア独裁は、「抑圧者、搾取者、資本家の自由に対し一連の制約を加える」(47)というが、彼らはプロレタリア独裁政権下ではもはや「抑圧者、搾取者、資本家」ではなく、「元抑圧者、搾取者、資本家」であるに過ぎず、現在なお存続しているとしても、ただの少数者としてに過ぎない。ソ連が自らの体制を民主制と呼ぶ権利がないことは、諸々の論拠から言いうることであるが、中でも少数者を暴力によって抑圧することを主要な任務としているということこそ、その反民主制の表れである。
「統治の不在」という自然的自由の観念を「支配への参加」という政治的自由の観念へと転化させたという場合に、注意すべき事項として最も重要なのは、この転化が前者、即ち自然的自由の完全な放棄を意味するものではないということである。転化にも拘らず、統治権力に対する一定の制約、即ち政治的自由主義の基本原則は残存するのである。近代民主主義は政治的自由主義と切り離して考えることはできない。政府は個人の一定の利益範囲に介入してはならないこと、その領域は基本的人権ないし基本的自由として法の保護を受けること、これが近代民主主義の原則である。これらの権利の尊重によって、少数者は多数者の恣意的支配から保護されるのである。多数者と少数者、政府と野党の恒常的な緊張関係が、民主的国家意志形成の特徴をなす弁証法的過程をもたらす。「民主制とは討論である」という言葉は正当である。従って国家意志、即ち法秩序の内容は妥協の結果となる(48)。このような政治形態は国内平和をもたらすから、平和愛好的・非攻撃的人格の人々に好まれるのである。それ故信教の自由、言論出版の自由は、なかんずく客観的認識の可能性への信仰を基礎とする学問の自由は、民主制の本質的要素である。合理的科学を尊重し、それを形而上学的・宗教的思弁から解放しようとする傾向は、近代民主制の重要な側面であり、政治的自由主義の影響下で形成されてきたものである。政治的自由主義の基礎をなす自由の観念は、「個人の他の個人との関係における外的行動は(可能な限り)自己自身の意志に従うべし」という要請であり、国家意志との関係においては、「個人自身がその創設に参加したものにのみ従うべし」という要請であるが、それと同時に「個人の内面的行為、即ち思考は、その理性の彼岸に存在する、ないし存在すると想定される権威(理性によって到達することが不可能であるゆえに、理性が参与することのできない権威)ではなく、自己の理性にのみ服すべし」という要請を含んでいる。近代民主制に内在する自由主義は、個人の政治的自律のみならず、精神的自律、理性の自律をも意味する。合理主義の本質は理性の自律である。
この態度、特に科学に対する態度は、先に民主的人格として描いたものと完全に対応している。意欲と認識、世界支配への意志と世界理解への意志の相克において、このような性格型の者は権力意志・自我体験が相対的に弱く、相対的に自己批判的であるから、振り子は意欲より認識の方へ、支配より理解の方へと揺れる。それ故批判的な、即ち客観的な科学への信仰が確保されるのである。
他方専制支配においては反対意見は許されず、討論も妥協もなく、ただ命令があるのみである。それ故宗教や言論の自由が存在しない。意志が認識に優越するところでは、正義が真理に優越する。そして何が正義かという問いに対する解答は、もっぱら国家の権威によって決定される。国民の意志のみならず、物の観方も国家に従属し、国家権威よりの逸脱は誤謬であるのみならず、可罰的犯罪である。そのような政治体制において科学の自由が存在し得ないことは当然で、科学は権力に従順な道具としてのみ許容される。専制支配への屈伏に向かう精神的態度の典型的特徴は、客観的科学、政治的利害から独立した科学、それ故自由に値する科学の可能性への信仰の放棄である。客観的認識の理念が他の諸理念に従属させられるとき、民主制の存立も危うくなる。そのような精神運動は、たいてい合理的なものより非合理なものを高く評価する傾向と手を携えている。宗教と科学との衝突に際して、宗教を優越させる傾向も、そのような潮流の一環である。
民主制の合理主義的性格
民主制の合理主義的性格を特徴的に示すのは、国法秩序を一般規範の体系として樹立し、その規範の創造をこの目的に適合した手続として制度化することである。そこでは、裁判所や行政機関の個別的行為が、事前に制定された法によって、可能な限りあらかじめ計算可能となるように、設計されている。国家権力が発現する過程を合理化しようとする明確な意図によって支配されているのである。立法が他の国家機能の基礎をなすという思想の根拠はここにある。決定的に重要な役割を果たしているのは合法性の理念であり、国家の個別的行為は法律の一般的規範に対する適合性によって正当化される。絶対的正義よりも法的安定性の方が法意識において重視されている。それに対し専制支配においては、権力の合理化を軽蔑し、国家行為の内容を、裁量権を制約するような一般的規範によってあらかじめ決定することを可能な限り避けようとする。その国家行為が専制的支配者の行為である時は特にそうである。最高の立法者である専制支配者は、自分で制定した法に拘束されない。「王は法から解放されている」(Princeps legibus solutus est.)。専制制の典型であるプラトンの理想国においては、一般的規範は全く存在しない。「王的裁判官」は具体的事件の判定に当って無限の裁量権を有している。もちろんこれは、プラトンの国家が小共同体であるからこそ可能なことで、普通の規模の国家では、専制支配者とて必要なすべての司法行為・行政行為を自ら担当することはできず、下位機関を任命せざるを得ない。そしてこれらの機関に専制支配者の意志を実現させるためには、彼らの行為を法によって束縛しなければならない。しかし彼は、いかなる場合にも、彼が適当と考える(法からの)例外を認める絶対権を留保している。従って専制制には法的安定性は存在し得ない。それにも拘らず、国権の発動はすべて正義の実現であると標榜されるのである。この正義は一般原則として表現されることを拒否し、従って定義されることを峻拒する。正義は具体的事例の特殊性に則した個別的決定としてのみ発現するのである。正義の秘密は、支配者に排他的に専有され、神寵によって植え込まれたの個人的徳性、神的能力の内にある。この正義の秘密こそ彼の独裁権の正当化根拠なのである。従って、民主政体とは反対に、専制政体はその目的を綱領という形で公表することを拒否する。仮に綱領を公表せざるを得なくなっても、その綱領なるものは空疎な言葉の羅列であるか、矛盾だらけの約束であるか、ということになる。そういう批判を受けると、「綱領というものは、政府の最重要の仕事を表明しないし、表明し得ないものだ」、と答える。「脈打つ現実は一般原則によっては把握することも規制することもできないのだ」、と。すべては具体的行動に、創造的時宜(kairos)に依存している、という。
民主制においては、法的安定性、合法性、国家行為の予測可能性が要求され、国家活動の合法性を保障するために、その活動を統制する諸制度が樹立され、その結果として公開性の原則が支配している。事実の蔽いを剥奪しようとする傾向、これこそ民主制の特質である。「専制支配より民主制において腐敗が多い」という皮相で悪意ある解釈を唱える者があるが、それは公開性の原則がもたらしたもので、何の根拠もない。実際には隠蔽の原則が支配する専制支配においては、腐敗が公然化しないだけのことである。専制的体制においては、権力を統制することは統治の実効性を減殺するものとして、認められず、従って公開性でなく隠蔽性が支配する。権力の権威を傷つけるようなもの、官僚の規律や民衆の服従を減殺するようなものは極力隠蔽しようとされる。
専制支配においては、その権力を維持するために、宗教的・形而上学的イデオロギーが好んで用いられるが、そのようなイデオロギーを嫌悪することも、民主制の合理的・批判的態度の表れであることは先に述べた。民主制の専制支配に対する闘争において、大きな役割を果したのは、人間の心の非合理な要素に訴えかけるイデオロギーに対する批判的理性の名における闘争である。もっともいかなる支配も、それを正当化するイデオロギー用いざるを得ず、民主制とてその例外でない。しかし原則として、民主制の用いる様々なイデオロギーは、合理的で現実に近く、それ故専制支配の用いるものに比べて迫力に欠ける。専制政府は臣民を強力に把握しようとするから、その分だけ本体を隠蔽する深い靄が必要となる。確かに民主制も、専制政府を支える、あるいは支えると信じられる諸々の宗教的・形而上学的イデオロギーを用いない訳ではない。例えば国民の政府こそ神の意志の実現者であるとか。しかし実際には「民の声は神の声」(Vox populi vox dei)などというスローガンが本気で受け容れられたことはない。神寵によって王位にあると称する君主の、あるいは超自然的霊感によってカリスマを得ていると称する指導者のもつ後光(halo)を、「アメリカ君」「アメリカさん」(Mr. and Mrs. America)が持ちうるはずがない。このような仕方で自己を正当化しようとする民主制は、獅子の皮を着た驢馬の説話のような嫌疑を受けるのがオチである。
リーダーシップの問題
民主制と専制支配との相違は、支配者のありようについても現れる。専制支配のイデオロギーにおいては、支配者は絶対的価値の体現者である。支配者は神的起源の存在、あるいは超自然的能力の持ち主であるから、共同体が創設し、あるいは創設し得る機関ではなく、共同体の外に立つ権威と考えられる。支配者が共同体を創設し、統合するのである。従って支配者の起源や創造は、合理的認識によって解明さるべき問題ではない。政治的現実においては、権力の簒奪がないはずがないが、それは権力神話によって懸命に隠蔽される。他方民主制においては、いかにして統治機関を選定するかという問題は、白日の下で合理的考慮の対象となる。支配者の価値は絶対的でなく相対的であり、団体機関は短い任期で選挙される。首長にしたところで、それが「指導者」となるのは一定期間、一定領域に限られており、任期も権限も限定されている。国家元首であっても、他の人々と同様に一国民であり、批判の対象となる。「専制支配の支配者は共同体超越的であり、民主制の支配者は共同体内在的である」ということから、専制支配における支配者は社会秩序を超え、団体に対して責任を負わない(「神にのみ、あるいは自己自身にのみ責任を負う」などとイデオロギー的に表現される)のに対し、民主制における支配者は社会秩序の下に立ち、それへの責任を負う。民主制においては、支配者であることは超自然的属性ではなく、支配者は合理的・公開的に統制された手続きによって創造されるから、その地位は特定個人の永続的独占物ではあり得ない。「不動の支配者」というようなものは、公開性・批判・責任という原則によって不可能である。支配者が頻繁に交替することも民主制の特徴の一つであり、民主制はその意味で動的性格の体制である。被治者の共同体から治者の地位への上昇が恒常的に見られる。他方専制支配においては、静態的性格が顕著で、治者と被治者の関係は凍結される傾向がある。
全体的には民主制には、一般に権威の原則、特殊的には指導者理念(Fuehrer-ideal)に好適な地盤が欠けている。「父」が権威の原型である限りにおいて(というのは、父親があらゆる権威の体験の出発点であるから)、民主制はその観念に即して言えば「父なき社会」、同等者の共同体であって、その原理は対等性である。その最も原始的形態は母権制組織で、そこでは男たちは、同一の母の息子として、兄弟として共存する。「自由、平等、兄弟性」というフランス革命の三標語はまさしくそのことを象徴している。それに対し専制支配は、その本質において父権的共同体であり、「父−子関係」がそれに対応する性格であって、その構造は対等関係ではなく上下関係である。その方が民主制より存続可能性が高いという者もあり、実際歴史を見ると民主時代より専制時代の方がずっと長く、民主制は人類史というドラマの中の幕間劇に過ぎないような感じもある。専制支配は情け容赦なく敵を破滅させるが、民主制は合法性、言論の自由、少数者の保護、寛容などの原則の故に、敵に宥和的であるから、戦いとなれば抵抗力に劣るように見える。民主制は、その自己流の国家意志形成方法によって、自分自身を廃止することさえも容認する。これは民主政体というものがもつ逆説的優位であり、専制支配に対する疑わしい優越性である。しかし専制支配においても利害対立は存在し、それを円滑に解決する制度的方法が存在しないのであるから、重大な危険がある。政治心理学的見地から見ると、民主制は大衆、特に反対分子の政治的情念を社会意識の領域にまで高め、発散による鎮静(Abreagierung)をもたらそうとするものである。それに対し専制支配においては、政治的情念を抑圧し、無意識ともいうべき領域に押し込むことによって社会的平衡を実現しようとする。何れの技術が革命的転覆に対して体制を保障するのに適当かは、私が言うまでもないであろう。
民主制と専制支配の対立をぼかそうとする諸々の試みについては既に先に論述したが、その中でも民主制の問題をリーダーシップ[の弱さ]の問題として提出しようとする傾向には、看過すべからざる重大な論点が含まれている。この傾向は、一時期ファシズムやナショナリズムが顕著な成功を博した際、表面化したものである。その潮流は自らを「古き民主制論」に対立する「新たな民主制論」であると標榜し、実効的なリーダーシップの必要性を強調する。その行き着くところは、「権威主義的民主制」なるもので、それはもとより概念矛盾であるが、この説の追随者たちに「ファシズムは民主主義である」と信じ込ませることに成功した(49)。ムッソリーニは言う、「ファシズムは、国民を多数者と同一視し、かの多数者の水準にまで国民を引き下げるような民主制には反対する。しかし実はファシズムは民主制の純粋な形態である。もし国民というものが、量的でなく質的に把握さるべきものであるならば、また最も道徳的で、首尾一貫した、最も真実であるが故に最も強力な理念であるべきならば。この理念は、国民の中で良心として発動する。それは少数者の意志であり、一者の意志でさえあり得る。その少数者の意志、一者の意志が全国民の良心、全国民の意志を動かすのである。ここでその全国民とは、正当に国民を構成する人々のすべてという意味である・・・」と(50)。
もとより民主国家においてもリーダーシップが必要であることは否定できない。民主政体においても、大衆の熱狂的支持を獲得する強力な指導者が登場することを阻止し得ない(好ましいことと言うわけではないが)。またそのような人物の登場が民主制の廃棄をもたらし、民主制を標榜する公然たる専制制や独裁制をもたらす可能性も否定し得ない。そしてまたリコール制のような、民衆の投票によって公務員を罷免する憲法上の制度や、古代の陶片追放のような制度が充分実効性を有したとは言い難いことも事実である。しかしだからといって、民主制の問題をリーダーシップの問題にすり替えることが許されるわけではない。民主制是非は、最も実効的な統治形態は何かとは別問題である。実効性という点から言えば、他の政体の方が実効的であるかも知れない。民主制は実効性の最大化ではなく、個人の自由の最大限の保障を課題とする。それ故、「実効的政府」への願望(本当に実効的かどうかは疑わしいが)なるものを論拠として、「人民による政治」という民主制の定義を、別の定義、積極的発言力の担い手としての民衆を消去し、民衆を指導者に何らかの仕方で同調を表明するだけの消極的存在にしてしまうような定義に置き換えることは許されない。そのような再定義は、民主制からの乖離を民主的用語によって覆い隠そうとする意図の産物であり、かりに意図的にそうでない場合でも、結果としては覆い隠すことになる。
民主制と平和
上述した国内政治上の対立は、外政上の対立と対応する。即ち民主的型は平和主義的外政に向かう傾向をもち、専制的型は帝国主義的徴候を示す。民主性ももとより征服戦争を遂行した過去を有している。しかしそのような行動への推進力は専制支配よりずっと弱く、そのために克服すべき内政上の障碍はずっと大きい。それ故、民主制においては、対外政策を合理主義的・平和主義的思想によって正当化しようとする明確な傾向が見られる。民主国においては、遂行する、あるいは遂行しようとする戦争を、「我が平和愛好的政府に対して敵から強要された防衛戦争である」として示す必要があるが、専制支配においては英雄主義イデオロギー以上の正当化を必要としない。あるいは民主制においては、戦争目的は「国際組織による窮極的な世界平和、あるいは局部的平和を実現することを目的とするものである」などと宣言される。その国際組織は、平等の権利をもつ諸国家の共同体であり、選挙された代表による一種の政府の下におかれ、国際紛争を調整する権限をもった世界法廷を備えて、まさしく民主国家のもつ諸属性を具備している。それは世界国家への発展の第一歩である。こういう思想は、専制的・帝国主義的観点からすると、まったく無価値で、平準化狂の誤謬として排斥される。彼らは、こういう思想がもたらすものは、窮極においては文明の破壊に連なるというのであるが、彼らの言う文明は、生存競争・適者生存によって進歩するとされるのである。
民主制と国家論
この国家間と正反対なのが、「国家は国家を構成する人間たちと異質の神秘的実体ではなく、従って合理的経験的認識を超えた実在ではなく、人々の相互関係を規制する一種の規範的秩序である」という国家観・国際観である。この理論は、国家を彼岸的・超越的存在とは考えず、国家の存在とは一規範秩序の効力と実効性であると考える。即ち国家はこの規範秩序によって義務と権利が定められる人間の心の内にあり、そこでは国家は絶対化ではなく相対化されるのである。この立場は主権の概念を特定の権力政治イデオロギーであると批判し、その概念を法的・政治的現実の科学的記述において用いるべきでないとする。他国と並列関係にある国家にとって、絶対的至高性・主権性はその本質的属性ではないし、またあり得ないことを示し、こうすることによって政治学や法学が国家をその一員とする国際共同体とその法秩序である国際法秩序を認識するに当ってそれを阻害する最も頑強な偏見を除去する。この立場からすれば、法人が国家の一員であるように、国家も国際法共同体の一員なのである。この理論が示すところによれば、諸国家によって構成される国際共同体から、個々的な国際組織を経て、個々の国家へ、更に国内の諸法人へ、そして最後に法主体としての個人へと移行する法現象の諸段階において、法的共同体としての国家はその中間段階に位置する。
以上述べてきたところから帰結されるのは、この反イデオロギー的・合理主義的・相対主義的政治理論は、民主的な精神の型に対応することである。それは政治的・法的現実についての科学的理論であり、それに対し専制的型の精神は、社会現象一般、特殊的には国家現象について、形而上学的・神学的解釈を保持する。民主政体を含む諸政体の客観的分析は、この民主的型の精神のみのなし得るところで、政治的絶対主義の信奉者は、民主制と専制支配を対等の基盤において、価値判断抜きで検討することができない。彼らにとっては没価値的認識よりも、政治的現実を評価すること、善悪是非を論ずることが重要だからである。民主制と専制支配の対立が人間の気質の相違に帰着するとすれば、認識の価値を高く評価する科学的態度と、そうでない価値、社会的価値を志向する政治的態度との対立は、政治的相対主義対政治的絶対主義との対立と結びつくであろう。そうであるとすれば、政治に関する真の科学がなぜ民主制においてのみ栄えるかということも充分理解できる。そこでは自由、権力からの独立が保障され、専制支配におけるように政治的イデオロギーのみが幅を利かせているのとは対照的である。そしてまた同様に、なぜ民主制の支持者が社会一般、個別的には国家や法について科学的に認識しようとする強い志向を有し、専制支配の支持者がイデオロギー的態度への志向を有するかも、理解できるのである。
古代におけるソフィストたちは相対主義者であった。その中で最も有名な哲学者プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と教え、この潮流を代表する作家エウリピデスは民主制を讃えた。それに対し史上最大の形而上学者プラトンは、プロタゴラスに反対して「神こそ万物の尺度である」と唱え、絶対善としての神を彼のイデア論の中枢に据えた。そして民主制を軽蔑すべき政体として排撃した。彼の批判対象は何よりも彼の祖国アテナイであり、これこそが政治的関心対象の焦点であった。プラトンの批判がどのように評価さるべきかを客観的に知るために、それをトゥキュディデス『ペロポネソス戦史』が描き出したアテナイ民主制像と対比して見よう。トゥキュディデスは最も偉大な、また最も信頼に値する歴史家であり、プラトンよりせいぜい一世代前の人物である。トゥキュディデスはペリクレスに次のように語らせている。
われらの政体は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、民主政治と呼ばれる。わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる。だが一個人が才能に秀でていることが世にわかれば、無差別なる平等の理を排し、世人の認めるその人の能力に応じて、公けの高い地位を授けられる。またたとえ貧窮に身を起そうとも、ポリスに益をなす力をもつ人ならば、貧しさゆえに道をとざされることはない。われらはあくまでも自由に公けに尽くす道をもち、また日々互いに猜疑の眼を恐れることなく自由な生活を享受している。よし隣人が己れの楽しみを求めても、これを怒ったり、あるいは実害なしとはいえ不快を催すような冷視を浴びせることはない。私の生活においてわれらは互いに掣肘を加えることはしない。だが事公けに関するときは、法を犯す振舞いを深く恥じおそれる。時の政治をあずかる者に従い、法を敬い、とくに、侵された者を救う掟と、万人に廉恥の心を呼び覚ます不文の掟とを、厚く尊ぶことを忘れない。・・・われらは富を行動の礎とするが、いたずらに富を誇らない。また身の貧しさを認めることを恥とはしないが、貧困を克服する努力を怠るのを深く恥じる。そして己れの家計同様に国の計にもよく心を用い、己れの生業に熟達をはげむかたわら、国政の進むべき道に充分な判断をもつように心得る。ただわれらのみは、公私両域の活動に関与せぬものを、閑を楽しむ人とは言わず、ただ無益な人間と見做す。そしてわれら市民自身、決議を求められれば判断を下しうることはもちろん、提議された問題を正しく理解することができる。理をわけた議論を行動の妨げとは考えず、行動にうつる前にことをわけて理解していないことこそ、かえって失敗を招くと考えているからだ。・・・一言にして言えば、わが国はギリシャの学校である(51)。(最後の一文以外は久保正彰訳)
プラトンは『ポリテイア』において、民主制を「民衆による支配」とも、またトゥキュディデスのように「多数者の支配」とも定義せず、「貧民の支配」と定義する。「貧民が勝利を博し、対立勢力の一部を殺し、他を追放して、残りの者に市民権と官職を平等に分配し、官職の多くは籤で定める」と(52)。民主制の基本原理である自由については、単なる無秩序しかない、と言う。曰く、
プラトンは、民主的人間類型について、「その生活は何の秩序にも抑制にも服さず、彼が快的で自由で幸福だとよぶ生活を変更しようとする意志など毛頭ない。こういうのが自由と平等を標語とする生活のありようなのだ」と描いている(54)。
この言葉を民主制の観念やそれがアテナイにおいて具現したものの客観的叙述だと主張する者はいないであろう。これは熱烈な敵対者の描いた戯画である。プラトンの民主的自由に対する憎悪は、反民主主義の本格的論証として書かれた次の言葉にも現れている。曰く、「このような国家に生じる最大の自由は、買われてきた奴隷たちが、男でも女でも、買ったほうの主人に少しも劣らず自由であるという状態のうちに達成されるだろう」と。彼は更にこのことを誇張して、「このような国では、人間に飼われている動物たちまでもが、他の国にくらべてどれほど自由であることか。犬たちは、それこそまったく諺のとおりに、『女主人にそっくりに』振舞うようになるし、さらには馬たちや驢馬たちも同様で、きわめて自由にして威厳ある態度で道を歩く慣わしが身について、路上では、こちらからわきにのいてやらないと、出会う人ごとにぶつかってくるという有様なのだからね。その他万事につけてこのように、自由の精神に満たされることになるのだ」とまで言うのである(55)。
アリストテレス『形而上学』においては、絶対者は他を動かすが自らは動かされないものとして登場する(63)。動かされずして動くもの、それは永遠なるものであり、実体であり、現実体である(64)。この「動かされずして動くもの」は同時に純粋理性・絶対理性であり、最高善であり神である。この絶対者、存在それ自体は絶対君主制の君主であり、そのことは「世界は悪しく支配されることを拒否する。多数者の支配はよくない。一者の支配こそあるべきものである」というホメロスの言葉を通じて表明される(65)。
アリストテレスはその形而上学の帰結として、世界を目的論的に解釈した。これはまさしく原子論者たちの機械論的世界観に対立するものである。原子論者たちは、原因であって同時に目的であるようなものを厳格に排除し、近代科学の創始者となったのである。レウキッポスとともに反形而上学的な原子論を展開したデモクリトスが「民主制における貧困は、君主制における豊穣より望ましい。それは隷従より自由が望ましいのと同様である」と述べたのは偶然でない。
トマスの同様の思想は『神学大全』でも説かれている(69)。それに対しニコラ・クザーヌスは、哲学において絶対者は不可知であると説き、政治理論においては人間の自由と平等を主張した。近代においては、スピノザは反形而上学的汎神論を倫理と政治の分野における公然たる民主制支持と結びつけた。他方形而上学者ライプニッツは政治的絶対主義の決然たる支持者であった。英国における反形而上学的経験論者たちは、政治的絶対主義に対する決然たる反対者であった。ロックは、絶対君主制は文明社会に適合せず、そもそも成政体とは言えない、とした。ヒュームは、カント以上の形而上学破壊者と呼び得るが、確かにロックほど徹底してはいない。しかし彼の見事な論文「原子契約論」において、民衆の同意が統治の最善の基礎であると説き、論文「完全な国家の観念」においては民主的共和国の国制を概観している。カントはその自然哲学において、ヒュームに従って、形而上学的思弁の不毛さを示した。しかし彼は、その倫理学において、理論哲学において徹底的に排撃した絶対者を再導入した。これに対応して、彼の政治的立場も一貫性を欠いている。彼はフランス革命に共感し、ルソーを尊敬したが、プロイセン警察国家の絶対君主制下において、政治的発言を慎重にせざるを得ず、本心を吐露することができなかった。他方ヘーゲルは、絶対精神・客観精神の哲学を説き、絶対君主制の支持者であった。
民主制と政治的相対主義
十九世紀ドイツにおける反民主制闘争において、「多数でなく権威を」という標語を定式化したのはヘーゲルの弟子であった。確かに、もし絶対者、絶対的価値、(あるいはプラトンの用語を用いて)絶対善の存在を信ずるとすれば、何が政治的善であるかを多数決で決定するのは無意味ではないか。民主制においては、社会秩序の内容を定める立法は、客観的に見て受範者たちに最善であるか否かという基準によってではなく、正否はともかくも彼らの多数が最善だと信ずるものが制定される。これは自由と平等という民主制の帰結なのであるが、それは何が最善かと言う問いへの絶対的解答が存在しない、絶対善などというものは存在しないという前提の上でのみ正当化され得るものである。神的起源や霊感によって絶対善の知識を専有する一者の決断を差し置いて、無知な者どもの多数に決定を委ねることは、最も愚かな遣り方ではないか、そのような知識が不可能で、誰も他人に自分の見解を強要する権利をもたないという前提がなければ・・・。哲学的相対主義の基本原則の一つは、価値判断の正当性は相対的なものに過ぎないということで、その結果として反対の価値判断が論理的にも道徳的にも可能だという帰結を含意している。民主制の基本原則の一つは、万人が自由で平等である以上、各人は他者の政治的意見を尊重すべきだということである。民主制の特徴をなすのは、寛容、少数者の権利、言論と思想の自由であるが、これらは絶対的価値への信仰を基礎とする政治体制においては存立の余地がない。絶対的価値への信仰は、絶対善の秘密を専有すると考えられる人物が、その意見と意志を他者に強要する権利を標榜することにならざるを得ず、実際そうなってきた。その意見や意志に反する者は、誤まてる者だからである。この思想によれば、誤まてる者は不正な者であり、処罰の対象となる。それに対し、人間の認識と意志にとって到達可能なのは相対的価値のみであるとすれば、それに賛成しない人々に社会秩序を強制することは、この秩序が平等な諸個人の最大多数と一致していること、多数の意思と一致していることによってのみ正当化され得る。多数者の意見より少数者の意見が正しいという可能性もあるであろう。この可能性、今日正しい事が明日正しくなくなる可能性があるからこそ、少数者にも自由に意見を発表する機会、やがて多数になる可能性が与えらるべきなのである。このような可能性は、哲学的相対主義の上に立ってこそ可能となる。何が正しく何が不正であるかを絶対的には決定できないという前提に立ってのみ、討論と、討論後の妥協が求められるのである(70)。
イエスと民主制
ヨハネ伝十八章にキリストの裁判の場面が描かれている。物語の単純さと言葉遣いの素朴さの故に、それは世界文学の中で最も崇高な作品の一つであり、意図することなしに、絶対主義と相対主義の対立の象徴となっている。
過越祭の時イエスは、神の子、ユダヤ人の王と自称したかどで訴追され、ローマの総督ピラトゥスの前に連れられてきた。イエスはローマ人の眼からは哀れな愚者にしか見えなかったから、ピラトゥスは皮肉な調子で、「それではお前はユダヤ人の王なのか」と問うた。しかしイエスの方はこの質問を極めて真摯に受け止め、神的使命に対する情熱に燃えて答えた、「そうなのだ。私は王なのだ。そのために私は生れ、そのために私はこの世に来たのだ。私は真理の証人なのだ。真理の側に立つ者は皆我が声を聴け」と。そこでピラトゥスは「真理とは何か?」と反問した。彼は懐疑的相対主義者で、真理とは何か、この男が信じている絶対的真理とは何かを知らなかったから、極めて当然のこととして、決定を大衆の投票という民主的方法に委ねた。彼はユダヤ人たちの前に出て、「私はこの男に何の罪も見出さない。しかし汝等は過越祭に、私に一人の罪人を釈放させる慣例を有している。汝等は私がこのユダヤ人の王を釈放することを望むか」と問うた。ユダヤ人たちは、「この男でなくバラバを」と叫んだ。ここで福音書は、「バラバは強盗であった」と付け加えている。
(1) 本論文は、一九五四年四月、シカゴ大学「米国制度研究Charles R.Walgreen基金」主催の公開講演において最初に発表したものである。
(2) Cf.Ithiel de Sola Pool, Symbols of Democracy ("Hoover Institute Studies," Stanford: Stanford University Press, 1952), p.2.
(3) Hans Kelsen, General Theory of Law and State (Cambridge: Harvard University Press, 1945), pp.113ff.
(4) Joseph A.Schumpeter, Capitalism, Socialism and Democracy (New York and London: Harper & Bros., 1942), p.242.
(5) Ibid., p.271.
(6) Ibid., p.243, note.
(7) Ibid., p.243.
(8) Cf. N.S.Timasheff, "The Soviet Concept of Democracy," Review of Politics, XII (1950), pp.506ff.
(9) Lenin, "State and Revolution," in Selected Works, ed. by J. Fineburg, (New York: International Publishers, 1935-1938), VII, p.80.(イタリック[日本語版は傍点]は付加した(ケルゼン))
(10) Lenin, "Bourgeois Democracy and Proletarian Dictatorship," ibid., p.231.
(11) Lenin, "Speech to the 9th Congress of CPSU" (March 31, 1920), ibid., VIII, p.222.
(12) Pravda, August 1945. (イタリックは付加した)
(13) Lenin, "State and Revolution, " op.cit., p.91.
(14) 「プロレタリア独裁が真の民主制だ」というマルクス主義者の教説を受け容れれば、「全体主義的民主制」という概念に到達するであろう。タルモン(J.L.Talmon, The Rise of Totalitarian Democracy, (Boston: Beacon Press, 1952))は「自由主義的型の民主主義と並行して、同一の前提から十八世紀に、全体主義的民主主義と呼ぶことを我々が提案する潮流が登場した」「両者間の緊張は近代史の重要な一章を構成するもので、今や現代における死活の問題となっている」ことを示そうとする(p.1)。彼によれば、自由民主主義は「自発性・無強制」という観念によって特色づけられ、全体主義的民主制は「自由は絶対的集団目的の追求と達成においてのみ実現される」という信念を基礎としているという。彼によれば、自由民主主義の窮極目的は「消極的に捉えられ、その実現のために実力を行使することは悪と考えられている」。それに対し全体主義的民主主義は、最大限の社会的正義と安定を目指し、その「目的」は「人間の真の利益の完全な充足、そして人間的自由の保障にある」(p.2)。「近代の全体主義的民主主義は大衆の熱狂に基礎を置く独裁制であり、神権的君主や簒奪的僭主の行使する絶対的権力とは根本的に異なっている」と言う(p.6)。しかし「大衆の熱狂」が普遍・平等・自由・秘密投票という選挙制度を通じて表明されるものでなければ、そんなものが存在するか否か、甚だ疑わしい。その存在は客観的に確認できないし、最も専制的な権力を含むあらゆる権力が自らのイデオロギー的正当化のために用い得るし、実際用いてきたものである。「神権的君主」たちは常に民衆に愛されていることを権力正当化の根拠として主張してきた。民衆の「愛」と「熱狂」との間には本質的な相違はない。民衆の熱狂の存否が民主制の判断基準であるとすれば、ナチ党の独裁も共産党の独裁も同様に民主制である。また民主制が独裁制であり得るなら、民主制概念はその独自の意味を喪失し、民主制と独裁制の区別は消失する。タルモンが自由主義的民主制と全体主義的民主制の対立と呼んでいるものは、実は民主主義の二つの型ではなく、民主制と社会主義の対立である。確かに政府の権力を限定する民主制と限定しない民主制という二つの民主制の型は区別される。後者の方が時代的に古く、原初的型である。タルモンがそれを十八世紀に登場したというのならば誤りで、既に古代に存在している。両者に共通なのは、制限的であれ否であれ、それが民主制であるためには、政治権力が直接国民集会によるか、普通、自由、平等、秘密投票によって選挙された代表によるかという点を基準として判断されることである。タルモンは、ソ連の理論と同様、この基本的な点を無視することによって、独裁制を民主制だと唱えているのである。
(15) Eric Voegelin, The New Science of Politics (Chicago: University of Chicago Press, 1952), pp.27ff.
(16) Ibid., p.32.
(17) Ibid., p.49.
(18) Ibid., p.32.
(19) Ibid., p.31.
(20) Ibid., p.33.
(21) Ibid., p.35.
(22) Ibid., p.33.
(23) Ibid., p.35.
(24) Ibid., p.32.
(25) Ibid., p.35.
(26) Loc.cit.
(27) Ibid., p.36.
(28) Loc.cit.
(29) Ibid., ppp.36,37.
(30) Ibid., p.37.
(31) Ibid., p.38.
(32) Loc.cit.
(33) Ibid., p.36.
(34) Ibid., p.49.
(35) Cf. Kelsen, Vom Wesen und Wert der Demokratie (2nd ed. ; Tübingen: J.C.B.Mohr [Paul Siebeck], 1929) and Staatsform und Weltanschauung (Tübingen: J.C.B.Mohr [P.Siebeck], 1933).
(36) Cf. Kelsen, "Causality and Imputation," Ethics, LXI (1950), pp.1-11.
(37) Rousseau, The Social Contract, Bk.I, chap.vi.
(38) Ibid., Bk III, chap.xv.
(39) Ibid., Bk I, chap.vii.
(40) Loc.cit.
(41) Ibid., Bk I, chap.viii.
(42) Ibid., Bk IV, chap.ii.
(43) Loc.cit.
(44) Loc.cit.
(45) Ibid., Bk I, chap.vii.
(46) ジョン・ハローウェル(John H. Hallowell, The Moral Foundation of Democracy (Chicago: University of Chicago Press, 1954), p.120)は「民主政体に要求されることは、多数であるからということで多数の意志に従うのではなく、多数の考え抜かれた判断(reasoned judgment)に従うべきことである」「多数決原理は質的観点を棄てて量的観点に帰依するというものではない」という。もしそうだとすれば、誰が多数のある意志が「考え抜かれた」ものであるか否かを判断するのか、という問題が起こる。その判断者は当然多数決に拘束される人物であろう。そうなれば各個人がそれを判断して服従するか否かを決することになる。それは民主制ではなく、アナキーである。
(47) Lenin, State and Revolution, op.cit., pp.81, 246.
(48) 価値相対主義哲学は妥協を可能にする。しかし妥協は民主制の本質ではないし、ハローウェルが言うような、民主制に「活力を賦与する原則」(animating principle)でもない(Cf. Hallowell, op.cit., pp.27f.)。民主制の本質・「活力を賦与する原則」は、平等と結合した自由である。
(49) この説を典型的な仕方で唱えたのは、ナチのイデオローグとして一時的に成功を博したカール・シュミットである。彼はその著『憲法論』(Carl Schmitt, Verfassungslehre (Munich and Leipzig: Duncker & Humblot, 1928)の中で、民主制と独裁の相違を消去しようと試みた。彼はロシアのソヴィエトやイタリアのファシストの支配が独裁であることを認め(pp.81f.)、独裁の特質は「独裁者の権限が一般的規範によってこまかく規定されず、自らの権限の範囲と内容を自ら判断するところにある」と言い(p.237)、また多数決原理は民主制の特質でなく自由主義の特質であると主張する(p.82)。彼によれば「国民の意志」は「秘密投票や多数の統計的確認などとは無関係」で、「圧倒的な喝采と有無を言わさぬ公論」において表明される。「『圧倒的な喝采と有無を言わさぬ公論』が表明された後で秘密投票をしてみたところで、おのずからにして噴出した国民意志の表明と同じ結果が出るとは限らない。公論というものは通常積極的な政治的関心をもつ少数者によって形成されるものであり、有権者の圧倒的多数は必ずしも政治的関心の持ち主ではない。政治的意志をもたない人々が、それをもつ人々の意志を蹂躙するなどということは、奇妙な政治原則であって、民主的でもなんでもない」(p.279)。それ故シュミットは、「民主制の基礎の上でのみ独裁は可能である」と主張するのである(p.237)。
(50) Benito Mussolini, "La Dottrina de Fascismo," Enciclopedia Italiana, XIV (1932), pp.847-851.
(51) Thucydides, History of the Peloponnesian War, ii, 35ff.
(52) Plato, Republic, viii. 557.
(53) Ibid., 557ff.
(54) Ibid., 561.
(55) Ibid., 564.
(56) Kelsen, "The Platonic Justice," Ethics, XLVII (1938), pp.367ff.
(57) Republic, vi. 494,495.
(58) Ibid., v. 474.
(59) Ibid., vii. 540.
(60) Ibid., vi. 501.
(61) Ibid., 500.
(62) Ibid., ix. 576.
(63) Aristotle, Metaphysics, iv. 8. 1012.
(64) Ibid., xii. 6. 1072.
(65) Ibid., xii. 10. 1076.
(66) Aristotle, Politics, iii. 8. 1279.
(67) アリストテレスの政治理論は一貫していない。彼は他方で、中産階級が富者階級と貧者階級より強力であって、所有権が没収から守られている穏健な民主主義を容認している(Politics iv.11.1295; v.8.1309; vi.5.1320) 。Cf. Kelsen, "The Philosophy of Aristotle and the Hellenic-Macedonian Policy," Ethics, XLVIII (1937), pp.1ff.(私は同論文でこの非一貫性を指摘した)。
(68) Thomas Aquinas, De Regimine Principum, i. 2.
(69) トマス・アクィナス『神学大全』(Summa Theologica, i.103.3)の中に寛容についての極めて興味深い主張がある。「人間的統治は神の統治に由来するものであり、それに倣うべきものである。ところで全能にして至善なる神は、時に世界に悪が行われる事を許容する。神はそれを抑止しようと思えばできるのだが。それを抑止すると、より大いなる善が破壊されたり、より大いなる悪が生じたりするからである。人間界の統治においても同様に、支配者はある善が破壊されたり、より大きな悪が代りに生じたりすることがないように、ある種の悪を正当に許容することがある。・・・それ故不信者がその儀礼によって罪を犯しても、それによって何らかの善が引き出されるとか、何らかの悪が避けられるとかという理由で寛大に扱わるべき場合がある。ユダヤ教徒が行っている儀礼は、我々[キリスト教徒]が堅持している真の信仰に先行する古き儀礼であるから、そこから、敵から得られる信仰の証し、我々の信仰の象徴的具現という有益なものを得ることができる。それ故彼らはその儀礼を容認されているのである。しかし他の不信者たちの儀礼には真理も効用もないから、全く容認さるべきではない。但しそれを抑圧することから生ずる躓きや不和を避けるとか、抑圧することが、寛容によって改宗する可能性をもつ者の救済の妨げになるとかという場合はその限りではない。教会は、こういう理由で、時に異端者や異教徒の儀礼に寛容をもって臨んできた。特に不信の徒が多数である場合には」と(ibid., ii/ii.10.11)。
フェーゲリン(op.cit., pp.6ff.)は、「破壊的」実証主義やその没価値的社会記述に依存すべきではなく、プラトンやアリストテレスが用いたような「形而上学的思弁」やトマス・アクィナスが示した「神学的象徴化」の方法に依拠すべきである、と提案している。この提案は、これらの権威たちの政治哲学のもたらした帰結を考慮に入れずに受け容れる訳にはいかないだろう。
(70) たとえばハロウェルのように、相対主義の価値相対主義は、価値なるものは存在せず、「道徳法則や道徳秩序も存在せず」(op.cit., p.76)、民主制は「擬制」に過ぎず、従って専制支配・圧政と闘う闘争は「無意味で空しいもので」、「不可避なものには屈伏するのが一番だ」と考えている、とする(p.21)のは甚だしい誤解である。実証主義的相対主義も、価値判断なしには人間の行動は不可能だと考えるが、一般に価値判断、具体的には民主制が善き政体、最善の政体であるということを、合理的・科学的認識によって絶対的善であると証明することはできない、他の価値判断の可能性を否定できない、と考えるのである。実際に民主制が実現されるなら、それは相対主義的価値理論の見地からも、相対的価値ではあっても一つの価値の実現であり、単なる擬制でない一つの現実である。ある人物が、自由は自分にとって最高の価値だと考えて専制支配より民主制を選ぶとすれば、その人物にとって民主制のために専制支配と闘うこと、即ちその人物や志を共有する人々が最善と考える社会状態を創り出すことほど重要なことはない。民主主義者があ多数となり、その闘争は「空しい」どころか、大成功を博し得るであろう。従って彼らが専制支配が「不可避」だなどと諦める理由は全然ないのである。相対主義的価値理論特有の帰結といえば、他の政体を選ぶ人々に民主制を押し付けないこと、闘いながらも相手もまた理想のために闘っているかも知れないという自覚を保ち続けること、闘いを寛容の精神をもって遂行することである。
相対主義価値理論は道徳秩序の存在を否定しないし、屡々誤解されるような、道徳的ないし法的責任と両立しない立場ではない。ただ唯一正当な、普遍的に受容さるべき道徳秩序が存在するということを否定するのである。相対主義的価値理論は、相互に大きく異なる道徳体系が存在すること、それ故選択がなされなければならないことを主張する。相対主義は「何が正しく、何が不正か」を判断するという困難な任務を各人に負わせる。もとよりそれは極めて重大な責任であり、人間がとりうる最も重大な道徳的責任である。実証主義的相対主義は、道徳的自律の立場である。
「絶対的価値が存在し、その価値は合理的認識によって事実から導き出される」という思想は、「価値が事実に内在している」という見解を前提としている。ハロウェルはこの思想を「古典的リアリズム」とよび、その原則を「存在と善は一つの世界に共存している。我々が何であるかの認識によって我々が何をなすべきかを知ることができる」と定式化している(p.25)。この原則は論理的誤謬のの上に成り立っており、自然法論の誤謬の典型である。存在から当為を合理的に推論することはできない。善があれば当然悪もある。存在と善のみならず存在と悪もひとつの世界に共存している。存在それ自体は善と悪を区別できないから(善も悪も同様に存在であるから)、「我々がこうある」という認識から「我々がこうあるべきだ」という結論を導き出すことはできない。我々は善き「存在」でもあり、悪しき「存在」でもあるのだから。「人間は過去に戦争してきたし、現在もしている。それ故戦争は人間の本性の一部ではないか」という認識から、「戦争はあるべきだ」という帰結も「戦争はあるべきでない」という帰結も導き出されない。ハロウェルは、存在一般、そして具体的には人間の在りようから、「人間特有の完成に向かって我々の個人生活・社会生活を導く普遍的に適用可能な原則」(即ち絶対的価値を構成する道徳原則)を導き出すと称するが(pp.25-26)、そのようなことは不可能である。実際「我々は何であるか」から、即ち人間性から導き出されたと称して、極端に対立する諸原則が主張されてきたではないか。
「存在と善は一つの世界に共存している。我々が何であるかの認識によって我々が何をなすべきかを知ることができる」という主張は、宗教的基礎の上に、即ち「現世は神に創造され、従って神の絶対的善意志の具現である」という信仰の上にのみ成立する。人間は神の似姿として創造され、従って人間的理性は何らかの仕方で神の理性と結びついている、という信仰である。ハロウェルは以下のように述べて、まさしくこの信仰を一貫して説いている。曰く「人間の理性は神の似姿の反射であり、人間はそのような独自の存在だという信仰を、我々は回復しなければならず、また自然法への信仰が依拠している神学的基礎を回復しなければならない」と。科学の領域を放棄して、この信仰や自然法の神学的基礎づけを回復するとすれば、その帰結として成立する道徳的・宗教的な民主制の基礎づけなるものは甚だ怪しげなものである。まさしく神学的自然法論を基礎として、ロバート・フィルマーは、民主制を人間の本性に反し、神の意志にも反するとして排斥したではないか。なお民主制と宗教の関係については、本書第二部で論ずる。
(71) ストックスJ.L.Stocks, Reason and Intuition (London and New York: Oxford University Press, 1939), p.143)は言う、「政治における民主的理想の優位と科学その他における方法的経験論が行なわれていることとの間には密接な関係がある。・・・これまで思想界において経験的志向が根強く主張されている諸国は、民主制が深く根を下ろした国である。ヨーロッパの大国の中で、仏英両国が最も民主的であり、世界観が経験論的であるが、ドイツは非民主主義的で形而上学的体系を好むのは偶然ではあるまい」、と。シドニー・フック(Sidney Hook, "The Philosophcal Presupposition of Democracy," Ethics, LII (1942), pp.275-296)は、その論文「民主制の哲学的前提」において、「存在や生成の理論と倫理学・政治学の特定の理論との間に必然的・論理的結びつきはない。もう少し正確に言えば、形而上学の体系が倫理学・政治学の体系を規定するということは証明できないと思う」(p.284)「しかしある時代の社会的運動とその形而上学的教説との間に明確な歴史的結びつきがあることは枚挙に遑のないほどの事例が示している。更に、観念論的形而上学の諸体系は、その文化の中で果たす半公権的役割の故に、経験論的・唯物論的形而上学体系よりも、反民主的社会運動を推進するために援用されてきたことは、歴史的事実であると主張するに吝かでない」(pp.283-284)。「経験論があらゆる事実的・価値的主張を経験によってテストしようとする哲学的態度の総称であっるとすれば、それは反民主的社会より民主的社会に適合的である。なぜならその態度は、道徳的価値や社会制度の基礎をなす利害関係を白日のもとに曝すからである」と言っている(p.280)。フックは形而上学を存在と生成の理論であるとし、それを「観念論的」なものと「経験的・唯物論的」なものとに分類し、観念論的形而上学は超自然的・宗教的真理に対する信仰と手を携えている、と言う(cf.p.280)。私は「形而上学」という言葉を後者の意味のみに用いるのだが。ともあれ私も、民主制と経験的相対主義との間、専制支配と形而上学的絶対主義との間に「論理必然的な」結びつきがあるとは主張していない。両政治体系と両哲学体系との間の関係は、「気が合う」(congenia)と性格づけるのが適当であろう。ただフックは、「観念論的」形而上学と専制支配、経験論と民主制の結びつきを指摘するのみで、それと密接に関連する哲学的絶対主義と哲学的相対主義の対比という問題に立ち入っていない。私にはこの対比こそ重要に思えるのだが。