畠山君と戦後民主主義

長尾龍一

Es ist ein Kreuz mit Lennox.  Er kann nicht vergessen.[レノックスには困ったものだ。忘れられないんだよ]

  軍用犬レノックスの恋犬が地雷に触れて死に、レノックスはいつまでもその死の場所をうろうろして、兵士たちの哀れを誘っている、というような話で、大学二年の時のドイツ語の教材である。畠山君はこれが好きで、卒業後随分経っても、この冒頭の一節を口ずさんで懐かしがった。私たちの世代は、終戦時幼児であった戦末派とはいえ、こういうものに共感するだけの戦争体験をもっていた。

 小熊英二氏の話題の著書『民主と愛国』は、丸山眞男など戦後民主主義の旗手たちを、戦時体験にこだわり続けた人々として描き出しているが、学生時代の畠山君は、彼等の強い影響下にあった。二年生の時にクラスで編集したクラス雑誌に彼は「歴史学の価値――歴史は生きているか」という文章を寄せ、大略次のように論じている。

  和歌森太郎は、人が歴史を読む動機として、「進歩派」「人生派」「娯楽派」の三種を挙げているが、人生派の教訓史観は「過去の諸条件を捨象した、実践を伴わぬセンチメンタリズム」に他ならず、娯楽派は「流行歌でも聞くようなつもり」で歴史をひもとくもので、問題にならない。結局「社会の向上を目指す」「進歩派」のみが妥当な歴史観である。

現代において至上目的は「民主主義の完成」であり、岸内閣下の現状において、歴史に学ぶところがあるとすれば、戦前の日本において「前ファシズム的なものからファシズムへ移行する力学」(丸山)を解明し、過去を法則的に捉えてそれを現代に適用する視角である。

   古代史や中世史は、もはや現代に繰り返されることはないから、現代においては死んでいる。それに対し、ファシズムは未だ再現する可能性があるが故に、第二次大戦史は研究する価値がある。大学で講じられている歴史学の多くは、死んだ学問をしているのではないか、という憂いの念を禁じえない。

丸山らが反安保闘争などに情熱を傾けたのは、岸内閣の中にファシズム復活の可能性を見たからで、「学究派」の畠山君も時にはデモに参加していた。篠原一教授のワイマール史講義は、「自由への道」を求めて闘った社会民主党などが、やがて反動派に敗北していく過程を善玉悪玉主義的に描くものであったが、隣りに坐っていた彼が「自由への道」というところに、der Weg zur Freiheitと独訳を付して、嬉しそうにノートを見せてくれたことがある。彼はドイツ語が得意で、また好きだった。大蔵省に就職した後も、色々ドイツ関係の仕事をしたと聞いている。

彼が大蔵省に入って後、二、三年後のことかと思うが、一緒に食事をした時、「窓の下をデモが通ると、俺はこんなことをしていいのかと思うことがある」と述懐したのを覚えている。それからお互い別世界で忙しくなって、時々クラス会で顔を合わせるくらいであったが、その間彼は主計局の防衛担当から、審査対象の防衛庁に移り、要職を歴任した後、次官として生涯を閉じた。

その間彼の内面に何が起っていたか、知る由もないのだが、最近断片的に色々なことを思い出してみて、存外彼は、防衛官僚という「役割人間」として生きながらも、若き日の思想を保ち続けたのではないか、と感じている。

クラス会で彼はこんなことを言った。

「日本は絶対に戦争をしないよ。防衛庁長官は池田行彦だし、次官は誰々、□□局長は俺、□□局長は誰々、みんな大蔵出身だからな。大蔵官僚は予算を削ることしか頭にないんだから、戦争のようなカネのかかることをするはずがないよ」

これを私は、主計官時代の査定の姿勢を反映するものとして聞いた。池田も、クラスは違うが、我々の同級生である。私が「中国が台湾に軍事力を行使したら日本はどうするのか」と尋ねたところ、「何にもしないよ。できる訳ないじゃないか」と言下に答えた。彼の最後の大きな仕事が、日本の核武装を否定する報告書をまとめたことだというのも、象徴的である。

保守党タカ派政治家や制服組の、戦後平和主義批判に日々接しながら、彼の脳裏には、若き日に心酔した日本軍国主義批判者たちの言説が去来していたのではあるまいか。