菅野喜八郎先生追悼
昨年菅野先生がお亡くなりになったと聞いたとき、ふと学生時代、浅沼稲次郎社会党委員長が暗殺されたときのことを思い出しました。その追悼会で参列者たちが「同志は倒れぬ」という歌を歌っているのがテレビに出たのですが、「正義に燃ゆるたたかいに、雄々しき君は倒れぬ。血に汚れたる敵の手に、君はたたかい倒れぬ。プロレタリアの旗のため、プロレタリアの旗のため。踏みにじられし民衆に、命を君は捧げぬ」とかいうのです。菅野先生はご存知のようにこういうヒロイズムとは無関係な方ですが、一生自己流を貫き通した「雄々しき君」であったと思います。
最近友人知己の不幸に接する機会が多くなり、「学者の死」ということを色々考えて見ています。カール・ポパーが世界は「物の世界」(世界一)、「心の世界」(世界二)、「観念の世界」(世界三)に分け、観念の世界も独自の存在性と生命をもっていると言いましたが、学者が死ねば世界一と世界二は消えてなくなるけれども世界三はそのまま存在しています。我々は菅野先生のご著書のページをめくれば、先生の思考の世界に入り込むことができます。担い手の死によってその頭脳による観念の発展は止まりますが、他の人間の頭脳がそれを発展させることができる。普通の人でも死後ある程度世界三は残るでしょうが、物書きの死には独特のところがあると思います。
そこで菅野先生の作り出された観念的世界・世界三ですが、それが僕のそれと瓜二つというくらい似ているところがあるのです。先生はケルゼン研究から出発され、論敵のシュミットも研究して見たが、結局肌が合わず、ケルゼンに戻ったと仰っておられました。また研究を突き詰められて、「国権の限界問題」という問題領域に取り組まれて、ホッブズの研究をされました。また日本国憲法護教論のいかがわしいドグマ、「八月革命説」を批判し、憲法学界のアウトサイダーとして生涯を送られましたが、私の思想歴もそれとそっくりなのです。しかも気がついてみれば、日本で本格的なケルゼン研究者は菅野先生と私と二人きりになっており、文字通り「同志は倒れぬ」という感慨があります。
しかし菅野先生と私とは、当たり前のことですが、個性が非常に違っていて、ケルゼンについてもシュミットについてもホッブズについてもアプローチが違って、僕のホッブズ論を菅野先生が批判され、反論するとまた批判されるという事態が生じたのです。論点は、笑い話では「一方のタネ本はウォレンダー、他方はシュトラウスで、出店の争いだ」と言っておりましたが、先生から見ると、私は「思想史的展望」という外在的図式を持ち込んで原典に根拠のない主張をしている、というものでした。しかし今でもホッブズの自然法規範のリストの中で、生命防衛権は絶対的なもので、契約の拘束力に優先するという私の解釈は正しいと思っておりますが、私は二度目のご批判には反論しませんでした。
私が論争から「降りた」理由は、死刑囚は看守を殺してもよいというホッブズの抵抗権について、これを社会契約の拘束力に対する例外規定(阻却事由)と解する先生の契約第一主義と、僕の生命権第一主義の対立が水かけ論になる可能性が強かったこともありますが、別の理由もあるのです。というのはその頃、菅野先生は、僕に東大定年後日大に来ないかというお話を持ってこられて、更に「君と僕とは十歳違い、すれ違いになるのだが、一年早く来て同僚生活を送らないか」と仰って下さったのです。それで一九九八年日大に移ったのですが、実は私はケルゼンとシュミットに関する文献は大体自費で買っていたのに、ホッブズについては研究費で買ったものが大部分で、それを離れるともうホッブズについて本格的なものが書けなくなったという事情があったのです。それでもいつかは「反撃」しようと思って少しずつ文献を集めたりしていたのですが、そこで訃報に接したということで、残念に思っています。あれから十年、僕の日大定年ももうすぐで、その後に仙台にお邪魔して少し議論を詰めようと思っていたのですが。
ケルゼン、シュミット、ホッブズ以外で僕が菅野先生から受けた学恩というと、ちょうど僕の日大移転の話が進んでいた頃、私は「文学における法」という本の準備をしていました。日本の作家では、漱石と鴎外、松本清張と司馬遼太郎の四人を扱ったのですが、僕は漱石と清張は非常に好きで、他の二人はそれほどでもありませんでした。ところが菅野先生は鴎外と司馬の広く深い独書家で、僕の知らないことを随分色々お教え下さいました。最も有難たかったご教示を一つだけご紹介しますと、私は弟と兄嫁の恋という文学的主題にその頃関心をもっていて、「漱石自身にもそれがあって、『行人』などに反映している、そう考えて見ると、ハムレットの母親と叔父のクローディアスの恋にも純情可憐なところがあるんじゃないか」という話をしたところ、菅野先生は「そうなんだ。志賀直哉の『クローディアスの日記』がそれを扱っているんだ」とお教え下さいました。それで僕の本にその短編について触れさせて戴きました。
菅野先生の側から僕との関係がどのようなものであったか、これは分りませんが、恐らく先生の最後の学問的なお仕事が、『シュミット著作集』に再録させて戴いた「政治的なものの概念」の翻訳のチェックで、先生は随分丁寧に読み直されて、手を加えられました。旧訳は「政治の概念」という題だったのですが、今回の改訳で先生は「政治的なものの概念」と直され、あとがきでそのことを説明しておられます。しかし私は依然として「政治の概念」の方がいいという考えで、「解説」などではそれで押し通しています。亡くなる直前に本が出て出版社から先生のところに届いたと思いますが、その点についてお叱りを受けるかなと思って待っていたところ、届いたのは訃報でした。
最初「同志は倒れぬ」と言いましたが、菅野先生は学問上の同志でもありましたが、恩師でもあり友人でもあり、伊藤博文の死に際して山縣有朋が詠んだ「語り合ひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」という歌を思い出しています。「今より後の世をいかにせむ」とは、「ライヴァルが死んでこれからは勝手にやるぞ」という宣言だという解釈もあるようですが、僕が勝手にやれることといえば、せいぜいホッブズ解釈について、生命権優位説を性懲りもなく主張する、という程度のことでしょう。