古希記念パーティー(2008.7.26)にて

 

久し振り懐かしい顔ぶれですが、まだ皆さん十年前と余り変わられませんね。しかしこういう会は、僕にももちろんですが、皆さん方相互も懐かしいでしょう。葬式で、そうでなければ会えないような人々を集めることで、死者が生者に貢献するように、こういう会も老人の若者に対する一種の貢献かも知れません。皆様と一緒に、この会を企画された重田園江さんらに感謝しましょう。

この間の711日、本郷のある会で若い人たちに話をする機会があり、こんな話をしました。

この間の火曜日(78)、明治大学大学院の講義中、学生が文章中の「米国」という字を「アメリカ」と読むのを聞いて、私は「『米国を撃滅し』などという東条英機のラジオ演説を聞いて育った私などには、『米国』を『アメリカ』と読む発想はありませんね」と言いました。また一昨日(79)かつての日大二部の学生たち(社会人で30~40代です)が遊びに来ましたが、夕食中その一人が、「先生の『ポポ・イタリアーノ』の話を75歳の父にしたけど覚えていませんでした」と言いました。その話というのは、大略次のようなものです。

私の子供のころの戦争中、ラジオで時々ムッソリーニの演説があり、それは最初とおしまいの部分にムッソリーニの声が流れるが、中間は通訳の声です。その最後の部分でムッソリーニが「ポポ・イタリアーノ」と言うので、大人たちは(父の周辺の大人たちは九州人が多かったので)「ポポちゃ何じゃいのう」などと話し合っていました。それから随分経って私もイタリア語がほんの少し分かるようになった頃、ふとあの「ポポ」は「ポポロ」ではないか、と思いつきました。popolo Italiano、つまりItalian peopleのことではないかと。

まあ、こんなことを覚えている人間も、私と同年輩の人間の定年退職とともに、大学から姿を消しますね。

私が学生の頃、堀豊彦先生という戦前台北帝大の教授で定年間際だった方の政治学の講義を聴きましたが、堀先生は講義中こんな思いで話をなさいました。

上杉慎吉教授の講義で、先生が「天皇は国家、国家は天皇、一にして分かつべからず」と話された時、一学生が手を挙げ「天皇が外国旅行されたら国家が旅行したことになるのでありますか」と質問しました。上杉先生は、「無礼者、出て行け」と言って学生を教室から追い出されました。その学生は尾高朝雄君でした」と。

僕らからすると上杉慎吉など遠い遠い昔の人なのですが、その講義を聴講した人が眼の前におられたのです。こういう他愛ないエピソードは、定年間際の老人の昔話を通じて後の世代に承継されるものなのですね。

戦争中のラジオに関しては、私は「敵性音楽はいかんということだと思うけど、ドイツ音楽とイタリア音楽だけがよく放送されました。午後一時からの家庭番組のテーマ音楽はボッケリーニのミニュエットで、子供のうちからこのメロディーはおなじみですね。シューベルトの軍隊行進曲も随分聞かされました」というような話をすることがあります。ところが先日(718)の日経新聞の夕刊で、作曲家の林光氏が次のような思い出を書いています。

やがて戦局は急速に転換しはじめ、共同戦線を張っていたはずのイタリアがまず脱落、つづいてドイツも沈没。ついこのあいだまで敵国アメリカやイギリスの音楽は演奏禁止だなんていっていたのが、いまや一転、イタリア音楽やドイツ音楽も自粛。

そこで浮上したのがロシアでした。不倶戴天の敵共産主義国のはずが、なに不可侵条約の相手だからいいんだと、とんだご都合主義のおかげで、それまでのやや遠慮がちから一転して堂々とラジオから流れる「悲愴」や「展覧会の絵」にみんなおおよろこび。いまでも「シェヘラザード」を聞くとお汁粉の味を思い出す。

 

今日の会は、本当は皆さんたちの親睦会で、僕はダシにされたという面もあるのでしょうから、長話は慎みますが、最近ひどく興奮したことと、今一生懸命考えていることとを話させて戴いて、近況報告としたいと存じます。

興奮したことというのは、625日のJapan Timesの記事です。皆さん紀元前8世紀の詩人ホメロスの叙事詩、『イリアス』と『オデュッセイア』のことはご存知でしょうが、ギリシャ軍がトロイを征服した帰り、船が嵐に襲われて、イタケー王オデュッセウスは長い間地中海を漂流し、色んな島で女性に誘惑されたり、冥土でアキレウスの霊に会ったり、冒険を重ねます。

他方留守のイタケーでは、奥方のペネロペイアが、「もう亭主は死んだに決まっている、早く我々の誰かと再婚しなさい」と迫る求婚者たちのハラスメントに必死で抵抗して日々を送っています。そして遂にオデュッセウスは変装して帰国し、求婚者たちを徹底的にやっつけて、奥方と感激の対面をするのですが、その求婚者たちをやっつけた日が、紀元前1178年4月16日だということが判明したというのです。

魔女やら冥土やら、漠然たる夢物語の話から、突如として416日という日まで特定されて、「ほんまかいな」と首をかしげざるを得ませんが、マニャスコという古典学者とバイクージスという天文学者の協力で、その日が日蝕であったこと(『オデュッセイア』XXIII邦訳下巻p.291)、当然新月であったこと(XIV, p.42)、その6日前に金星が早朝出ていたこと(XIII,p.15)29日前に「すばる」や牛飼い座が夕方同時に見えたこと(V,上巻p.141)33日前に水星が夜明けに現れたこと(V,p131)などの記述から見て、まさしくこの日以外にあり得ないというのです。

『イリアス』や『オデュッセイア』の記述については、ホメロス創作説と伝承承継説が対立しており、僕は後者の熱烈な支持者で、具体的日時まで示されたことで、叙事詩はトロヤ戦争後間もない時期に史実に即して歌われたものだという説に有利ではないか、と感じられます。あの後しばらく、僕に会った人は誰も、このことの講釈を聞かされました。

 

今一生懸命考えていることというのは、パルメニデスが「無いものは無い、即ち『無』は存在しないから空間はあり得ず、『有』は隙間なくぎっしり詰まっているはずだ」と言ったのですが、それとともに「『有』は球形だ」とも言っています。しかし球形なら球の表面からそとは「無」のはずで、「無」は存在しないはずですから、この世界は「有」が四方八方無限にぎっしり詰まった状態だということになるでしょう。

ゴルギアスがこれについて、こういう無限の「有」のある「場」という問題を提出し、「『場』は『有』より大きくないはずだ。大きければその差は空間になり、空間は存在しないはずだから。そうするとこの無限の『場』は存在し得ないのではないか」と言っています。これが彼の有名な「なにものも存在しない」ことの論証なのですが、デモクリトスは「世界はアトムと空間から成り立っており」、この「空間」(to kenon)は「無」(me on)だと言っています。

僕は「空間ははたして『無』だろうか。光や電磁波などを伝える属性をもったある種の『有』なのではないか」とか、「無限の場は存在し得ない」というゴルギアスの説にはどういう論拠があるのか(彼はその論拠を示していません)、など色々考えているところです。

パルメニデスの説からは「運動は存在しない(ぎっしり詰まったものは動きようがない)」という結論が出てくるのですが、その弟子のゼノンは師匠の説の傍証として、物が動いてどこかに到達しようとすれば、まず事前にその中点を通らざるを得ず、中点に行くには更にその中点を通らなければならなくて、「無限の中点を通ることは不可能だから、運動は存在しない」と唱えました(厳密にはゼノンの言っていることはちょっと違うのですが、大目に見て下さい)。無限の中点を通ることが可能なのか不可能なのか、前から考えているのですがどうもよくわからない。

しかしここで「現に運動は存在し、お前の心臓も動いているじゃないか」などと言おうものなら、「哲学的議論に経験的事実を持ち出すなんて何て下賎な奴だ。ルール違反だよ」と一言のもとに却下される訳で、日本で縄文時代と弥生時代が並行していた時期とかいう紀元前500年頃に、こんなルールの下で議論していた人たちがいたなんて、古代ギリシャ人って不思議な人々ですねえ。

5/1/2010

最近改めて考えているのは、Big Bang以前の宇宙はParmenidesの「一者」のようなものではないか、ということです。陽子や中性子が生れたのがBig Bang以後のことだから、それ以前は本当にぎっしり物が詰まった状態ではないか。しかも空間の大きさと物質の大きさが等しいとかいうから、Gorgiasの問題への解答にもなっている。Parmenidesの「一者」は永遠不可変ですが、どういう訳か、その中にある種のひずみが生じ、大爆発が起った、と。

最近も物理学者の間で、dark energyというものが宇宙の大きな部分を占めていて、空間は無ではないのではないか、という説があるそうです。よく分からないけれども、Parmenidesと関わると思いますね。

それにしても、Big Bang以前には物質と反物質が共存していて、その大部分は接触して消滅したとかいうんだそうですけど、今の宇宙はそうやって残った切れっぱしだとすると、文字通り想像を絶しますね。