倉田卓次『裁判官の戦後史』『続裁判官の戦後史』

   「裁判官も人間である」ことは、一応我々も知っているが、どういう人間かは、余り知らない。それは「偉すぎる」からでもあるが、裁判官は職業柄あまり外部者と付き合わないから、彼らを友人知己に持つ機会がほとんどないことにもよる。倉田元判事の回想は、このような裁判官たちの生活や内面を、率直かつ具体的に語っており、裁判官も我々とあまり(少ししか)違わない人間であることを理解させてくれる。

   長野地裁飯田支部判事補時代、パチンコをしたら、上司に、「あそこは贈物故買の場所で前科者がうようよしている」と注意される(続36頁)。麻雀仲間の警察署長が汚職容疑で逮捕され、上司に「付き合いが広すぎるのも」と言われて麻雀を断つ(続47頁)。中学同級会の後、ブルーフィルム(ポルノ映画)「鑑賞会」に誘われたが、「万日警察の手入れでもあったら」と断る(続128頁)。

   裁判官は、このように(酒は相当飲むにせよ)聖人君子風の生活を送りつつ、犯罪・紛争など世間の底辺、人間の醜い面に日頃接している。著者の、舌を巻くばかりの鋭い人間観察は、数十人の人物描写を通じて示され、先輩同僚への的確で時に厳しい人物評価は圧巻である。これは中学時代にぐれた体験や酒の上の過ちなど、正直な自己告白の反面である。

   ハーグに田中耕太郎国際司法裁判所判事を訪れた際、「催促してはいけない、くしゃみもいけない、せきばらいも動物的だ、言われるまでソファーに坐るな、女が来たら立つことを忘れるな」などと注意され、「田中さんはヨーロッパ人に混じっての良い子ぶりの適応意識が少し過剰だった」と評している。著者に待遇への不満をいろいろ述べたこと(続197頁)なども、大法学者の知られざる側面であろう。

   判決起案、内部派閥、人事異動、それに住宅の苦労などの思い出も具体的で、昭和32年頃、本村善太郎最高裁判事の後任問題の際、松川事件が第三小法廷に係属中で、交渉を受けた人々が次々に辞退した、などという話もある(続96頁)。裁判官たちは何といっても文化人で、変名で推理小説の翻訳をしたり、鈴木忠一判事のように、アララギ派歌人として有名な人もある(正343頁)。

   しかし、著者のような人が裁判官の典型かどうか。著者の父君は「雑貨だの木材だの雑多な品目を扱う商事会社」の経営者で、その死後著者は債務の整理に奔走した。著者のこの「町人的背景」が、親しみやすい(余り謹厳でない〉印象と関わりがあるだろう。明治以来、日本の司法部は圧倒的に武家文化の影響下にあったのだから。最後に本書は民訴法を初めとする法学・法実務の生きた教材という面でも極めて有益であることを付け加えたい。(『法学セミナー』1994年6月号)