「マンション」語源学
ある日本のプロ野球チームが、高い契約金を払って、アメリカの選手を招いたのだが、その選手は、来てしばらくして、契約を破棄して帰ってしまった。その理由の一つに、「マンションを用意するというから来てみたら、小さなコンドミニウムに入れられて欺された」ということがあったという。
アメリカでマンションといえば、広い敷地の中の二階ないし三階建て、部屋が十数室もある豪邸である。アメリカ英語の辞典にはa large and impressive house, typically that of a wealthy person or family[金持ちの住む大きく立派な家]などとある。日本で「マンション」と言っているものは、アメリカでは一戸建ての家を持てない人の住む集合住宅で、それから抜け出してやっと中産階級といった感じであろう。アメリカから帰国して「マンション」に住んでいる人たちの中には、「自分の住んでいる2DKの小空間を『マンション』だなんて恥ずかしくてとてもいえない。それなのに『ワンルーム・マンション』などという形容矛盾を平気で口にしている人たちの気が知れない」などと言っている者もいる。
しかし私は、そんなことは何ら恥ずかしいことではないと思っている。家をステータス・シンボルとする意識が「ブルジョワ的」だとか、そういうお説教じみたことは別としても、「マンション」という単語をよく調べてみると、もともとそんな豪邸という意味ではないのである。
まず研究社のNED(New English-Japanese
Dictionary)を引いてみると、確かに「豪邸」「荘園領主の邸宅」という意味もあるが、三番目に「«英»アパート(block of flats)★しばしば…Mansionとしてアパートの名に用いる」とあり、blockの項目を引いてみると、「«英»(多くの住居・商店などに仕切られた)一棟のビルディング:a block of flatsアパート一棟」とあって、まあ○○マンションという名の日本の集合住宅などとほとんど違わない。この集合住宅を「マンション」とよぶことを恥ずかしがる人たちは、いささかイギリス英語の教養に欠けているのではないかと心配になる。
また彼らの中に、「マンションを買うというから、建物全部を買うのかと思ったら、その中のちっちゃな一区画を買うんじゃないか。そういうのは『集合住宅の一区画を買う』というふうに正確に言ってほしいな」などと言っている人もいる。しかしそうとも限らない。
話はキリストの最後の晩餐の場面に遡る。過越祭の前、イエスは自分の最期が近づいたことを悟り、弟子たちと晩餐を開き、ユダの裏切りを予言し、ユダが去った後、大体次のような問答がある。
イエス:今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちはわたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。
ペテロ:主よ、どこへ行かれるのですか?(Domine, quo vadis?) [シェーンケヴィッチ『クォ・ヴァディス』の典拠である]
イエス:わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。In my Father’s house are many mansions.
ちょっと奇妙な引用の仕方だが、最初のイエスの言葉はヨハネ伝7;33・4、ペテロのは同13;36、ラテン語はヴルガータ[ヒエロニムス訳ラテン語聖書]、英語の部分はキング・ジェームズ版である。
問題はこの英語の部分なのだが、「我が父の家の中に多数のマンションがある」とはどういう意味か?普通に考えれば、ここでの家の中の「マンション」とは、部屋とか、幾部屋かで構成された一区画という意味でしかありえない。まさしく今日本で「マンションを買う」という時のマンションの意味ではあるまいか。Oxford English Dictionaryにも、中世英語の用語法として、a
separate dwelling place, lodging or apartment in a large house or enclosure[大きな家や囲い地の中の独立した住居・部屋]という意味が挙げられており、ヨハネ伝英訳の用語法に対応している。
だがこの英文聖書のキング・ジェームズ版は、基本的にヴルガータのラテン語訳に依拠しており、この箇所もIn domo patris mei mansiones multae sunt.というラテン文に由来している。そこでラテン語のmansio(mansionesの単数形)の意味が問題となる。mansioはmaneo[留まる]という動詞の名詞形で、そこから「住居」「家」という意味と、「滞在所」「旅籠」という意味とが生れた。ところがイタリア語では、前者はabitacoloないしcasaとよばれ、mansioneは主として後者の意味に用いられるようになった。アルフレッド・ホアーの標準的な伊英辞典でも、mansioneにはpilgrim’s hostel[巡礼の旅籠]などという訳が附されている。旅人が泊まるのは通常、大きな建物の中の一間であろう。
フランス語では、ラテン語のmansioはmaisonとmansionに分離し、前者が「家」、後者が「旅籠」と別の言葉になってしまった。maisonは豪邸でも何でもない普通の家であり、「マンション」という言葉が豪邸という意味をもっているのは英語だけである。こういう意味をもつようになったのは、荘園の多くの建物のうち、地主の住む館をmansionとよぶようになってからのことであるらしい。
現在日本で、「マンションは一生住む所ではない。『音がなるからおとなりだ』というように、隣人との関係も気疲れするし、住んで何年か経つと、外観が薄汚くなるばかりでなく、壁の中を通っている水道管や下水管が老朽化して水漏れしたり、壁に亀裂が入ったり、だんだん住環境が悪くなっていく」と言われるが、語源的に見ると、マンションとは、もともと一時滞在する仮の宿の意味をもっていたのである。
ところで、新約聖書の原文は、コイネーとよばれるギリシャ語の方言で書かれているから、この箇所の解釈にとって最も重要なのがこの原文であることは言うまでもない。この箇所の原文εν
τη οικια του πατρος μου μοναι πολλαι εισιν.[発音記号・気音記号はここでは再生不能]のοικιαは「家」を意味し、μοναι[μονηの複数形]が英語版のmansionsに当る。古代ギリシャ語とラテン語は近い言語で、mansioがmaneo[留まる]の名詞形であるのと同様、このμονηはμενω[留まる]の名詞形である。即ちμονηはmansioに対応する「滞在所」という意味で、リデル・スコットの希英辞典は、まさしく聖書のこの箇所を例示しつつ、μονηにapartmentという訳語を附している。神は使徒たちをアパートに住まわせたのだ!あのプロ野球チームが大リーガーにそうしたのと同様に。
要するに、私の言いたいことは、現在日本の「マンション」の用語法が、語源学的に見て最も正しいもので、「もともと民間の業者が公共アパートと異なる高級感を出す目的で名づけたもの」(『日本大百科事典』小学館)かどうかはともかく、「私はワンルーム・マンションに住んでいます」[I live in a one-room mansion.]などとアメリカ人の前で胸を張って言っても、少しも恥ずかしくないどころか、むしろ立派なことだいうことである。
(『法学に遊ぶ』(日本評論社)1992年)