「日本人論」について
長尾龍一
「日本人論」の発端に賀茂真淵がいる。彼は、欲望が淡白で、「ことあげ」せず、心の奥底の情緒をそのままに表現する万葉人の世界を日本人の原点と考え、十八世紀日本人もこの心を本質的には持ち続けているとした。また理屈っぽく形式主義的で家父長的な儒教道徳(ひいては武家倫理)を批判し、母性原理や恋愛の重視などを日本的なものとした(『国意考』(一七六五年?))。
柳田國男の「常民」は、祖先来々の習俗や儀礼を守り、山に山姥、川に河童がいて、狐や狸が人を欺すことを信ずる民衆で、「生活の合理化・脱呪術化」という資本主義の担い手(マクス・ウェーバー)の対極にある人間像である。狼は「大神(おおかみ)」即ち山の神であると信じられ、それが子を生んだことを知ると、里人は色々な食物を重箱に詰めて山に入り、狼の居るあたりに捧げたのである(『山の人生』(一九二五年))。柳田は、近代化の中で「常民」は不可抗的に滅びつつあると考え、その痕跡を発掘し、書き残そうと努めた。これが彼の「民俗学」である。ラフカディオ・ハーンの「日本的なるもの」への愛も、圧倒的な西洋文明の下で、まさに滅びつつあるものへの憐憫を基調としていた(『日本:一つの解釈』(一九〇五年))。
しかし「常民」は死せず、軍国主義日本、そして資本主義国日本にも生き残ったという解釈がある。和辻哲郎は、全体への随順、生命への淡白などの心性によって、倭建命などの古代的人間像と軍国日本の臣民を連続させようとした(『尊皇思想とその伝統』(一九四三年))。ルース・ベネディクトが、日本兵士の勇敢さを、内面性のない世間体と恥の意識から説明したのは、西洋人の傲慢に発する一方的解釈であろう(『菊と刀』一九四六年)。
戦後二十年ばかり、「前近代的日本の近代化」という啓蒙主義、その「近代化」の先に社会主義・共産主義社会の到来を見るマルクス主義の歴史発展段階説が支配したが、高度成長期の国民的アイデンティティ回復の過程で、三大ベストセラー(中根千枝『タテ社会の人間関係』(一九六七年)、山本七平『日本人とユダヤ人』(一九七〇年)、土居健郎『甘えの構造』(一九七一年))が登場した。人類学者中根は、「役割」が「場」に優先するカースト制度のインドとの対比で、「場」が「役割」に優先する日本社会を「タテ社会」と特色づけた。聖書学者山本と精神分析医土居は、「善意の通ずる社会」という日本社会の特質が、世界でむしろ例外的であることを示した。この三著は、「タテ社会」という共同体の中に、善意の通ずる「常民」の世界が生き続けている、という仕方で、真淵・柳田の日本人論を再生させ、年功序列・終身雇用制の集団主義的資本主義と関連づけ、その強さと脆さを指摘したものとも言えよう。ウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム』(一九九四年)は、この集団主義的日本企業とそれを権力的にサポートする官僚制の人間疎外を指摘しているが、このシステムには、「常民」の延長という面と、「常民」の抑圧者という面の両面があるようである。
日本的伝統といっても、縄文対弥生、南島系対「騎馬民族」系、神道対仏教、法華対浄土対禅、武家対百姓対町人と、異質なものの混淆で、一括して論ずることはできない(小熊英二『単一民族神話の起源』(一九九五年)、長尾「日本人の死生観」『古代中国思想ノート(新版)』参照)。柳田の「常民」は農民で、それが都会に出てきて、「第二のムラ」(神島二郎『近代日本の精神構造』(一九六一年))としての「タテ社会」の中に生きているということであろうか。しかし現在の都会人の大部分は都会に出てきた農民の二代目・三代目であり、九〇年代の激変によって「第二のムラ」も過去のものとなったようである。