populismという言葉が否定的概念として用いられるようになったのは比較的最近のことではないかと思われる。
(A) 例えば私の手許にある辞典Roger Scruton, A Dictionary of Political Thought, 1982.を見ると、populismの項目はまずロシアのNarodnikの英訳であるpopulistの解説から始まる。彼等は「あらゆる政治問題を民衆の意志に訴えることによって解決しようとした人々」であるとされ、彼等は民衆の本能の中に政治の指針があると考えた、とする。続いて米国のPopulist Party(1891年創立)に言及し、小企業と自足的農業の伝統を政府の力を借りて擁護しようとする運動だ、と解説する。Funk & Wagnell New Encyclpaedia, 1971のPopulismの項目も、「米国中西部で19世紀に展開された農民・労働者の運動」という出だしで、もっぱらそれを解説している。もう少し遡って米国政治思想史の古典Richard Hofstadter, American Political Tradition, 1948.なども、populismをもっぱら米国19世紀末のpopulist movementの意味に使っている。これらは、elite支配的な現実に対して、「草の根」の民衆に帰れという運動であり、運動者たち自身が自らをpopulistと名乗っている。
(B) それに対して現在populismという言葉がどのように用いられているのか、不勉強でよく知らないのだが、安直な方法として各国のWikipediaを瞥見して見ることにする。
まず(A)との相違は、(A)が運動者たち自身が自称する立場であるのに対し、以下のように用いられるpopulismという言葉は、論評者が否定的に論評するに当って用いる性格づけであるところにある。 ドイツ語版を見ると、それは「責任をもってそんなことが言えるのか、現実にそれが可能かというような観点はおおかた無視して、民衆の本能に訴え、単純な解決を唱道する」政治手法だと言っている。オランダ語版は、「これはイデオロギーというより政治的スタイルだ」と性格づけ、特に中南米の独裁政権をその事例として挙げている。フランス語版は、populismはエリートを批判し、民衆を拠点とするというが、実際には民意を化体したカリスマ的指導者に追随し、その組織する政党を基盤とする言論ないし潮流だという。イタリア語版は、イタリアのファシズム、ドイツのナチス、アルジェンチンのペロン、それに第三世界の独裁などをpopulismの例として挙げている。しかしこれらの項目はなお漫然としていて、学問的定義とは到底言えない。政治手法だったり、スタイルだったり、言論だったり、潮流だったり、どのカテゴリーに属するかもバラバラで、概念要素と偶有性の区別も不明確、例えばカリスマ的支配者の存在は概念要素なのか否かも明確でない。オランダ語版も「政治学者たちもちゃんとした定義に到達していない」と言っている。
不勉強の筆者が最近の文献における議論を踏まえて論ずる能力がないのはもちろんで、以下はもっとおおざっぱな見地から、democracyとpopulismとよばれる概念との関係を考察してみたい。
democracyがLincolnのいうthe government by the peopleであるならば、それがpopulism(populus主義=people主義)であるのは当然である。それなのにどうしてdemocracyの他にpopulismという概念が登場するのか。democracyのpeopleと別のpeopleが存在するのか。あるいはpeopleは同じだが、権力とpeopleの関わり方が違うのか。
そうなると思いだされるのは、Weimar期にはfascismを支持し、Nazi期にはNazisを支持したCarl Schmittの秘密投票論である。彼によれば政治とは敵味方集団の存立を賭けた実存的対立であり、政治的決定は公的決定である。人前で公然と言えないような心の中の意見を秘密投票を通じて足し算して、公的な決定などできるはずがない。みんなの見ている前で「戦う」意志を表明した者だけが、戦場で実際に戦うのである。古くは和戦の決定は武装した兵士たちによる「歓呼」(Akklamation)によって決定された。皆の前で大声で歓呼した人間は、戦場でこそこそ逃げる訳にいかない。政治的決定においては、声の大きな人間の方が、小さな人間より集団にとって頼りになる。こそこそと人に隠して投票した者の意見など、公的決定には無意味な私的意見に過ぎない。 政治は窮極的には集団間の殺し合いだから、政治的決定が荒っぽくないはずがない。集会で立場をはっきりさせず、ぐずぐずしている者など殴り倒されたりもするだろう。そんなことを恐れる臆病者の意見などは、集団間の実存的闘争の場においては邪魔になるだけだ、と。
Schmittの議論は、分り易くいえばこういうことであるろう。秘密投票制下でのdemocracyにおける民衆は、心の中に秘めた「真意」の担い手であり、populismにおける民衆は大衆集会における歓呼者である。興奮していきり立った群衆の前で言っても仕方がないが、熟考した冷静な意見は、Schmittらの侮蔑的性格付けにも拘らず、勇み肌のお兄さんたちの歓呼よりは、leaderの側から言えば、冷静な説得の方がアジ演説より、長期的には正当性をもつのではないか、というようなことがいえるとすれば、それがpopulismに対するnegativeな性格づけに連なるのであろう。
更に、アジ演説者が、煽られる群衆と同一水準の愚者であることもあるが、Mark Antonyのような民衆の侮蔑者であることの方がずっと多いだろう。その場合には、populismとは名ばかりで、実際は権力者の権力意志の道具だということになる。
本稿は、筒井清忠『近衛文麿』書評から派生したもので、大正democracyを中国侵略軍国主義のpopulismが滅ぼした、ということの概念整理を試みたものである。