心と言語についての考察

澤山 晋太郎

 

 自分が心と言語について研究していたのは、大学院の博士課程一年の時に大学を休んでいた時であった。その時に自分は認知言語学や認知心理学、ルーマンの社会学やシステム論について勉強し、多くのことを理解したし、特に人間が言語をどのように使って考えているのかということを解明している。そのことについてこの本では書こうと思っている。実は人間の言語の使用方法には二通りしかない。集合論を使った考え方と因果関係を使った考え方である。しかし、なぜ二通りしかないのか自分は非常に考えていた。他にもあるのではないかともよく考えていた。しかしながら、それは自分と似たような研究をしていた福嶋隆史さんと出会ったことで大きく前進した。その福嶋さんは『「本当の国語力が」驚くほど伸びる本』という本を書いていて、自分も読んで五年ほど前に出会って議論したことがある。その本の中で福嶋さんは言語の使用方法には三つあると書いてあった。先ほど言った集合論を使った考え方と、因果関係を使った考え方と、もう一つは比較をする考え方である。しかし、比較を使った言語の使用方法は、余分ではないかということで意見が一致して、先ほど言った二個という議論に落ち着いた。では、なぜ二個かというと、演繹法と帰納法の二個である。そのことについては後から判明したことである。自分の研究では心と言うものはオートポイエーシスという第三世代システムであって、それは「ルーマンの社会学」や「自己言及性について」からの発想である。そして、言語も心のシステムを構築するために付随的に構造される第三世代システムのオートポイエーシスだと自分は理解した。それらのことをここで述べていこうと思う。

 まず、心あるが、人間はこの言葉をよく分かっていないのに使っている。つまり、心はまだ解明されていないし、そういうものをブラックボックスという。心は精神ともいえるし、脳ともいえる。しかし、心=精神=脳であるが、実はまだどれも解明されていない。このことに関してはグレゴリー・ベイトソンの「精神の生態学」にも書かれている。ちなみに、「精神の生態学」はベイトソンとその娘の会話形式で書かれており、哲学の入門書にはうってつけなのではないかと思っている。心の研究として心理学がある。特に科学的な心理学として、認知心理学という分野がある。また、心理学でも心理分析で使われるTA(交流分析)やNLP(神経言語プログラミング)はかなり科学的な心理学だと分かった。興味のある人はそのような本を読んでみてもらいたい。脳については脳神経科学で今現在解明中であるが、思考や感情をつかさどるセロトニンやドパミンの研究は遅れている。遅れているというよりは未だ未解明である。そのような物質は神経伝達物質と呼ばれる。これは脳の受容体に付着して、電気を流しやすくするために存在している。脳はニューロンという神経細胞からできており、そこに電流が流れることによって神経を働かせている。その電流を発生させる必要があり、そのためにナトリウムイオンやカリウムイオン、カルシウムイオンが用いられているのだが、それらのイオンをニューロンという神経伝達物質の中にイオンチャネルを通して入れやすくするためにセロトニンやドパミンという神経伝達物質が存在している。しかも、神経伝達物質には一次的に作用するものと、二次的に作用するものがある。セロトニンやドパミンは二次的に作用するものであり、その受容体を修飾型受容体という。ところで、伝達物質は受容体に入るのだが、受容体はアミノ酸の連鎖である。つまり、アミノ酸が糸状になっている。しかしながら、それはすべてのタンパク質について言える。タンパク質はアミノ酸の連鎖であるが、電気的な力によって特定な構造を構築するようになっている。受容体に関して言えば、ニューロン細胞を五回貫通するタイプの受容体と、七回貫通するタイプの受容体がある。セロトニンとドパミンの受容体は七回貫通型の受容体である。ドパミン受容体は心筋にも存在していて、感情は体で感じているのではないかとも言われている。例えば、恐怖を感じると脈拍が早くなるなどである。セロトニンはもっと多くの感情をつかさどっていると言われているのだが、心や脳に関して言えば、感情というものはほとんど解明されていない。

 心に関して言えば、第三世代システムと言える。まず、第一世代システムの安定性(スタビライザー)の機能が備わっている。つまり、心を安定に保とうとか、恐怖心を取り除こうというシステムである。次に、それは自己組織化を行う。つまり、雪の結晶のように、自分で自分の形を形作る。そして、心は自己言及性を持つようになる。すなわち、自分で自分のことを言えるようになる。このようなことを自己言及性という。また、必要のない記憶などを消すようになっている。人間の細胞はいらなくなった細胞が自ら死ぬようになっているのだが、そういうのをアポトーシスという。それと同じように、自らの一部を消したりするシステムのことをオートポイエーシスといい、それは第三世代システムと呼ばれている。つまり、心は第三世代システムになっている。

 その心を構築するために言語も備わっている。まず、第一世代システムの心を安定化させようとするために言語を習得する。これは幼児が母親との会話をすることからも自明である。次に、言語を大量に取得すると、それは自分の考えを自ら形作る。これは雪の結晶が自らの形を形作るのと同じである。その次に、不必要な言語を消したりして、オートポイエーシスという第三世代システムに進化する。この心と言語の第三世代システムは相互に関係しあっている。そして、自己というものはそのようにして形作られるようになっている。ただ、今、自己という言葉を使ったが、これもブラックボックスである。このように、人間は通常はまだ解明されていないものについて語ることが多い。このように、心や言語もルーマンのいう社会と同じように、システムだと主張したい。特に心がシステムであるとは、河本英夫の「オートポイエーシスー第三世代システム」にも書いてあるが、言語も第三世代システムのオートポイエーシスと自分は主張したい。

 次に人間には言語の使用方法は二つしかないことを言いたい。これは論理で演繹法と帰納法の二つしか存在しないことも裏付けであるし、言語野(左脳にある言語をつかさどる脳の部位、ウィルニッケ野とブローカ野が存在している)。この言語野であるが、戦争に行って脳のどちらかの部位が破壊されると言語活動に障害が生じることが分かっている。例えばウィルニッケ野を破壊されたら、言語を理解すること、発音、文法に障害を生じる。また、ブローカ野を破壊された場合は、ウィルニッケ野を破壊された時とは別の文法障碍が起こる。そのような失語症の研究は今まで盛んであった。この言語野が二つあるというのも、人間が言語の使用方法として二つあることの裏付けになっていると思う。ちなみに、脳の進化であるが、これは脊椎から脳は誕生している。まず、脊椎動物がカンブリア紀に登場して、その上部が脳として進化してきた。これは人間が単細胞の受精卵から人間に進化するときも同じで、まず脊椎が作られて、その後で脳が構築されるようになっている。ちなみに、この人間の発達は太古の生物の進化の過程の名残とも言われている。

 では、もう少し詳しく、人間がどうやって言葉を使用しているのか見ていこう。例えば人間は哺乳類という集合の中に入っている。哺乳類の中にはほかに馬や牛や豚などがいる。それなのでつぎのように書くことができる。

{人間、馬、牛、豚、…}⊂哺乳類

この集合の関係によって、「人間は哺乳類である」と言うことができる。ここで、人間に対して、哺乳類は上位の集合である。また、

{哺乳類、爬虫類、両生類、魚類、鳥類}⊂動物

となっている。ここで、集合論の基礎である

ABBCならばACが言えるので、

「人間は動物である」ということができる。

また、動物や植物は生物なので、

{動物、植物、単細胞生物、原子生物}⊂生物

になっている。なので、「人間は生物である」とも言うことができる。では生物は無機物とともに物という集合を作っているので、「人間は物」ともいえる。しかし、人間は物というのには人によっては抵抗があるであろう。

また、大きな集合である「物」という集合には色々な部分集合が含まれている。「壊れやすいもの」や「やわらかいもの」、「明るいもの」、「暗いもの」などである。これらの集合は重なり合ったものを持っている場合もある。つまり、「やわらかいもの」で「明るいもの」というものは存在している。例えば、赤いピンポン玉などはその例である。このようにABという集合によって新たな言語が構築されることも多い。このように、人間は集合論を使って言語を使用していて、それは論理による演繹法に依存している。ちなみに、ここではあくまでも自然言語について述べている。自然言語とは人間がもともと自然に作り出した言語である。その対極にあるものが数学という言語である。実は数学は言語とはあまり思われていないが、あれは論理的な言語である。

 次に、帰納法を使った言語の使用例を見てみる。

「私が皿を投げたので割れた」という言葉を考えてみてほしい。

これは、今までの集合論を使った考え方ではなくて、因果関係で考えている。しかも、皿を投げたら割れるというのは今までがそうであったから、次もそうなるという帰納的に導かれた結論である。もっと言えば、経験則である。私はこのようにして、人間には集合論を使った言語の使用方法と、因果関係を使った言語の使用方法の二通りしかないことを主張する。もっと、言語を比較して使っているという主張もあるであろうが、それも結局のところ演繹法と帰納法に分割されると思っている。

 次に、人間はそれらの論理だけでなくイメージを使って考えているといいたい。というか、自然言語の根底にあるものはイメージである。このようなことを初めに言ったのはソシュールであり、ソシュールの「一般言語学講義」を参考にされたい。前は丸山圭三郎の参考書を一緒に読むしか読解方法はなかったのだが、「一般言語学講義」の第三版が出版されてからは随分とわかりやすくなったとは聞いている。ちなみに、自分が持っているのは第二版である。これらのイメージの根底にはイメージスキーマというものが存在している。これはジョージ・レイコフの「認知意味論」やTalmyの「Toward a cognitive semantics I,II」に書いてある。それによると、inには容器のイメージがあって、その容器に入っているのか外にあるのかでinoutという言葉の意味が発生してくるというものであった。Onとは何かの上に乗っているイメージで、overとは何かの上を飛んでいるイメージであった。ちなみに、ソシュール言語学では、シンフィニアンとシンフィニエという言語の二面性が語られていて、その中でシンフィニエがイメージということであった。ちなみに、レイコフはメタファーの研究で有名である。例えば、和訳の「認知意味論」の英語タイトルは「woman, fire, and dangerous things」になっている。つまり、女性は情熱的で火のようだとも言えるし、火は危険なものとも言える。ここから、女性は危険という発想が登場してくる。この女性は危険という発想であるがどうやらほとんどの世界で共通らしい。日本神話でもイザナミが厄災をもたらしているわけであるし、ギリシア神話で登場するパンドラの箱も有名である。実はパンドラとは女性で、パンドラという女性の神が明けてはいけないとされていたツボを開けてしまったために世界に厄災が降りかかるようになったという神話である。箱とされているのだが、実際にはツボである。北欧神話でも巨人と神の混血のロキが巨人の女性と結婚することによって、ラグナロクの戦いが起こり、世界が終ってしまうという、神々のたそがれがある。

 では、なぜ自分がこのような自然言語を研究しようとしたのかというと、もともとは集合論の基本的な定理にあった。集合論の定義を英語で書くと、

Definition: If a is in A, we write as a A. And we call a as an element and A as a set.

となっている。これで本当に集合を定義したことになるのか非常に疑問に思うところであった。Inが∈という記号に置き換わっているだけだから、トートロジーになっているのではないかと思ったりした。ちなみに、inをウェブスターの英英辞典で調べると、inside of somethingなどと書いてあって、insideを引くと、inがまた英単語で入っている。実は実際にこれはinが自然言語であるために、集合は完全には論理的に定義されていない。そして、この集合論こそ数学の基礎中の基礎なので、数学と言うものは完全に論理的に定義されているものではないことが分かる。ただ、自分は理論物理学者なので、数学を全否定したりしない。例えば、これによって、何が言えるのかというと、人間が亜高速で移動するロケットを作って、その中に論理的に書かれた数学書を入れて、その数学書をたまたま全くの他言語を話す宇宙人が拾った場合に、その宇宙人にはその数学書は読解不可能であることを言っている。もしくはそのようなことが上記の説明によって証明された。

 このようにして、自分の心と言語における考察は終わりにしておく。自分は東京工業大学の理工学研究科基礎物理学専攻を修士課程二年の時に半年間くらい病気になって休んでいる。精神病であったが当時はなかなか理解されずに非常に大変な思いをしている。そのために、自分は修士課程で三年までいることになった。ただ、この研究をしたのは博士課程一年の四月から十二月くらいまでである。その後で、曲がった時空の場の量子論の研究をして、三か月でブラックホールの問題を解き、次の年の六月くらいにphysical review Dに論文を投稿してさらに来年の一月にアクセプトされ、二月くらいに雑誌に掲載されている。その言語学研究のために前期の半分の必修の単位を落とし(単位といってもコロキウムの出席点だけである)博士課程を半年間留年している。大学は慶應でそちらはストレートで受かり、ストレートで卒業したので、自分は大学から大学院を卒業するまで十年半かかった。ただし、博士課程三年以降は過程博士になるためにただ時間をつぶしていたようなところがある。一人で沖縄に旅行しに行くなど優雅な生活を送っていた。ただ、一人で沖縄旅行に行くのはかなりハードルが高かった。

 

著者紹介

澤山 晋太郎

2001年慶應義塾大学理工学部物理学科卒

2007年東京工業大学理工学研究科基礎物理学専攻卒 博士(理学)

専門は相対論

その他に、哲学や言語学の研究もある。

現在は澤山物理塾という私塾を経営している。

後は電子書籍を書いている。