拍手御礼SS

『雨降って地固まるというけれど、時には土砂崩れだって起きるよね』



「…今、なんて言った?」
「はぁ?あれだけ大きな声でいったのに聞こえなかったの?ひょっとして、衛宮って耳遠い?」

 相も変わらずの憎まれ口が、消毒薬の匂いの染みついた、狭い室内を満たす。
 それにしても失礼な話である。
 これでも、女、衛宮志保、齢17まで生きてきて、耳が遠いと言われたのは初めて。
 ならば、先ほどの発言が聞き取れなかったのは、オレのキュウトな耳のせいではなく、発言者の、主にその発言内容のせいなわけで。

「…ぷりーずりぴーと、わんすもあ…」
「ふぅ…。今度は聞き逃さないでくれよ、何度も言うのは、僕だって恥ずかしいんだから」

 包帯でぐるぐるになって、病院特有の白っぽい寝間着を着て、白いシーツにくるまれて、白いベッドに腰掛けた、しろしろワカメ人間が、何故かその頬を心持ち赤く染めながら溜息を吐いた。
 でも、身体は、ビックリするくらいにコチコチで。
 声だって、実は、少しだけ震えていたんだ。


「僕と付き合ってくれ、衛宮。そう言ったんだ」


 ああ、なるほど。
 そういえば、さっきもそう言ってたわ。

「…下の売店まで行くの?」
「…自分の言ってること、本気で信じてる?」

「…それって、ひょっとして…」
「ひょっとしなくても、男と女のお付き合いってこと」

「…だれと、だれが?」
「僕、間桐慎二と、君、衛宮志保が」

「…いつから、いつまで?」
「出来れば、一生」

「…なんのため?」
「二人の幸せのため」

 

 

 こ

 

 

 こここ、こいつ

 

 

 あああ、あれだけのことをやっておいて

 

 

 オレに、あんなことや、こんなことや、そんなことまでさせておいて

 

 

 さいごは、ドイツのにくりょうりやもびっくりの、でっかいにくのかたまりになって、それをとおさかにたすけられて、ひとつきもいしきふめいで

 

 

 ―――さんざん、さんざん、ひとにしんぱいかけておいて

 

 

 ちぃっっっっとも、こりていやしねえぇぇぇ!

 

 

「しんじ、おまえ―――!」
「おい、衛宮、ここ病院だよ?」
「っ―――!」

 慌てて、口をつぐむ。
 しかし、よく考えれば、ここは天下無敵の特別個室、防音完備で、部屋の中に簡易キッチンまで付いてるっていう、そこのけ平民金持ちが通るな部屋だったわけで。
 目の前の、してやったりという男の顔が、無性にむかついた。

「…おい、慎二。お前、自分のやったこと、わかってんのか?」
「…ああ。一応は、ね」
「一応だと!?てめえ、桜に、自分の妹に、今まで何をやってきたか―――!」

 怒りに、身が震える。
 そうだ。

『…先輩、助けてください―――』

 こいつは、桜を、自分の妹を慰み物にしてきたんだ。
 最低だ。
 最低の、男として最低の最悪の最下層の、屑野郎だ。
 屑野郎、なのに。
 オレは、なんで、そんなやつの、お見舞いになんて、来てるんだろう?

「…桜には、謝ったよ」
「それだけで!それだけで、済むと思ってるのか、てめえ!」

 パジャマの襟首を、思いっきりねじ上げてやる。
 びり、と、繊維の千切れる音が、した。

「思ってなんかいないさ。でも、今の僕に出来るのはそれだけだったんだ。だから、それをした。それだけだよ」

 そう言って、窓の外の、少し離れた公園に咲く、綻び始めた桜の花を見つめる、そいつの横顔は。
 どこか、硝子を思わせるほど、透明で、壊れやすく見えた。
 それは、一月前の、追い詰められた獣みたいなぎりぎりの視線ではなくて、最初にこいつ出会った薄暗い教室の、嫌みったらしくて、でも憎みきれない、三枚目役者の顔で。
 絞り上げた襟を、離しながら。

 ああ、慎二が、帰ってきた、と。
 オレは、少しだけ、嬉しくなってしまった。

「…それに、それにそれにそれに!お前、自分が、オレに何したか、まさか忘れたとは言わさねえぞ!」
「…あれ?僕、衛宮に何か、したかい?」


 ―――や、ややや、やっぱりこいつはぁー!


「あの日!結界の発動した学校の中で!みんなを人質に取りながら!オレに、こ、このオレに、一体何させたよ、お前!?」

 土下座しろだのストリップしろだの胸を揉ませろだのキスをさせろだの、あ、あれを咥えろだの!
 あんた男としてそれはどうよ、っていう要求の数々、しかもほとんど実行済み!
 あんときゃあ、本気で泣いたんだからな!

「ごめんごめん、だって、衛宮のこと、本気で好きだったんだ」
「す、すすす、好きな女の子に無理矢理ちんこ咥えさせるな―――!」
「あ、看護婦さん、検温済みの体温計、そこ置いときましたから」


 ―――――――――。


「…え、こいつですか?これ、僕の彼女」


 ――――――。


「…いやいや、恥ずかしがってるだけですよ。はははっ」


 ―――。


「ああ、すみません、お茶も入れといてくれますか?もう、ほとんど無くなっちゃって」


 ―。

 


「…もう行っちゃったよ。いつまで固まってんのさ?」
「…誰のせいだ、誰の!」

 思いっきり、睨みつけてやる。
 ああ、もう、何か泣けてきた。
 何で被害者のオレが、加害者のこいつの前で泣かなくちゃいけないのよ?
 絶対に、金輪際、二度とこいつのお見舞いなんて来るもんかコンチキショウ!

「もう帰る!二度と来るか、こんなとこ!」
「ああ、別に良いよ。どうせ、明後日退院だし」
「お前は一生ここにいろ!」
「衛宮!」

 涙で滲んだ視界と共に、足音荒く病室を飛び出そうとした、その時。
 声が、したんだ。
 弱々しくて、不安げで、まるで自分がした悪戯を母親に告げる、少年のような。
 そんな、声が、した。

「…僕は、まだ聞いてないぞ」
「…何を…?」
「さっきの告白の返事だ!これでも、自分から女の子に告白するのは、初めてなんだからな!振るなら振るで、ちゃんと返事をしろよ!」 

 振り返る。
 
 開け放たれた、窓。
 冷たく、でもどこか暖かい、風。
 波打つようにはためく、白いカーテン。
 花の、香り。
 煌めく、春の陽光。
 その、真ん中に。
 慎二が、いた。
 敵でもなく、味方でもなく、魔術回路のない魔道の跡継ぎでもなく、仮初めのマスターでもなく。
 ただ、慎二がいた。

「…嘘だ。お前、遠坂に、付き合ってくれって、つきまとっていたじゃあないか」
「…あれは、只の意地だった。遠坂と、本物の魔術師の遠坂と付き合って、僕に依存させて、屈服させれば、それはたいそう愉快なんじゃあないかって、そう思ったんだ」
「…最低」

 そいつは、オレを、見ていた。
 視線は、逸らさずに。
 オレを、オレだけを、見つめて。

「…あれだけのことしておいて、オレがオーケーすると思ってるのかよ、本気で」
「駄目なら駄目で、ばっさりいってくれ」
「…ばっさりいったら、諦めるのかよ、お前」
「さぁ?僕、結構粘着質だぜ?」

 何かを振り切るように、向き直り。
 でも、縋るような視線を、背中に感じていたんだ。
 きっと、そのせいだ。
 自分でも驚くくらいに、声が擦れていたのは。

「…やっぱりだめかぁ…」
「…オレ、もと、おとこだぞ」
「…えっ?」

 もう一度、振り返り。

「オレ、もと男だぞ!」
「…ああ、知ってるよ、そんなこと。でも、衛宮がいいんだ」
「お前、気持ち悪い、化け物みたいだって、笑ったじゃないか!」
「好きな女の子には、意地悪したくなるんだよ、男って」

 小学生か、お前はと。
 当然の感想を、飲み込んで。
 精一杯に、睨みつけて。
 でも、少しだけ、鼻声で。

「…どんだけオレが傷ついたか、辛かったか、お前、分かるのかよ!」
「…ごめん」
「それに、お前に、友達だと信じてたお前に、あんなことさせられて…。本当に、本当に、オレ、辛かったんだ…」
「…ごめんなさい」

 ベッドの上で土下座する男、病室の扉の前で泣き崩れる女。
 それは、修羅場にも似た、しかし間の抜けた光景だったと思う。
 どちらが、それを自覚したのだろうか。
 多分、女の肩を誰かが抱きしめてくれていたから、女じゃない方だったんだろうな。



「…帰るよ」
「…ああ」

 ゆっくりと、立ち上がる。
 そいつは、少しだけ名残惜しそうに、オレの肩を離した。

「…悪かったね、衛宮」

「………」

「…多分、もう、衛宮の前には、姿は見せないよ。卒業したら、この街からも出て行く。二度と、帰ってこない。約束だ」

 ドアノブに、手を伸ばす。
 ゆっくりと握ったそれは、金属特有の冷たさをもって、肌を貫いた。
 そのまま。
 ドアを、目の前にしたまま。

「…慎二」
「…なに?まだ、僕に何か言うこと、あるの?」

「…オレ、お前のこと、信じることが出来ない」
「…はっ、何を今更。そんなの、僕だって―――」

 信じることが、できないよ、と。
 君は、微笑った。
 そんな、君だから。
 そんなに、弱い、君だから。

「…桜にだって、いつか手をあげるんじゃないかって、思ってる」
「―――!…とことん信用、失ったもんだね。これでも女の子には優しいって評判なんだけど」
「釣った魚には餌をあげないタイプだろ、お前は」
「ははっ、よく分かってるじゃないか、その通り!」

 余所余所しく、軽々しい、笑い声。
 そう、自分の存在さえ、軽んじるような、笑い声。
 だから、君は、相応しいんじゃあないかと、思う。
 自分の存在すら抱えられない君の前なら、私も、重たすぎる荷物を放り投げることが、出来るかも知れないなって。
 そんな、夢を見た。

「…誰かが、監視してないと駄目だな」

「えっ?」

「お前が桜に手をあげそうになったら、それをぶん殴って止める誰かが、お前の傍で監視してないと、駄目だよな」
「…ああ、きっと、そうだ。うん、衛宮の言うとおり!」

 もう一度だけ、振り返る。
 きっと、これが三度目で、仏の顔も三度まで。
 それとも、二度あることは三度ある、もしくは三度目の正直だろうか。

 私は、頬を歪めながら。
 作り物の顔に、精一杯、作り物の笑顔を浮かべながら。
 彼は、微笑っていた。
 発条仕掛けの人形だって、必死に微笑うんだと、必死で私に証明しながら。

「おい、何笑ってるんだよ!」
「いやいや、僕はちっとも笑ってないよ?笑ってなんかいるもんか!」

「勘違いするなよ!オレは、お前と付き合うとかじゃあなくて、ただ桜が心配だから…!」

「ああ、最初のデートはどこがいいかな?定番通り遊園地?それともヴェルデ辺りをぶらつく?ああ、花見もいいなぁ!それに、夏になったら海だ!衛宮の水着姿、楽しみだなぁ!何せ、僕のためだけの水着なんだから!

「っっっっっっっ!」

 あまりに嬉しそうな、彼が。
 とてもとても、嬉しくて。
 涙が、一粒、零れて。
 でも、頬の辺りで、止まって。
 
 ああ、私は、今、笑ってるんだと。
 そう、自覚した。

「もう、帰る!」

 それを隠すために、扉を開けて、今度こそ本当に帰ろうとした、私の足は。

「衛宮!」

 慎二の、どうやらオレの恋人になってしまった、心底、小悪党な男の声に縛り付けられて。

 ああ、なんて可哀想なオレ。いい女は、駄目な男に引っかかる物なのだ。
 振り返る。ごめんなさい、仏様。
 突然、目の前で描かれる、放物線。
 茫然と立つオレ目掛けて飛んできた、赤くて、小さな塊は。
 多分、オレが持ってきた、お見舞い用の、ぴかぴかに磨かれた林檎だった。
 慌ててそれを、ナイスキャッチ。

「それ、お前が持ってきたんだから、お前が剥いていくのが筋じゃないの?」
「…それくらい、看護婦さんに頼めよ」

「看護婦さんは忙しいし、桜も今日は来れないし、僕はこんな庶民の仕事はしたことがないから慣れないことをして怪我をしてしまうかも知れない。手を怪我したら、色々と大変だ。その間、責任を取って、あんなことからこんなことまで衛宮が面倒を見てくれるのかな、だったら自分でやるけど」

 …今のこいつなら、本気で自傷しかねない。
 で、オレに対して、どんな要求を突き付けてくるか、知れたものではないのだ。
 だから、これも仕方なく、である。
 例え、それをオレが望んでいたとしても、仕方なくには違いない。

「…分かったよ、今日は暇だし、もう少しだけ付き合ってやる」
「当然だろ。なんたって自分の恋人が入院してるんだから、その看護をするのは恋人の義務だ」

「…憶えてろよ。もしオレが入院したときは、骨の髄までしゃぶり尽くしてやるからな」
「あれ?衛宮は、僕が君の恋人だって、認めるんだ?」

 ごちん、と、目の前の男の包帯を巻いた頭を、包丁の柄で殴ってやった。
 わりと本気に近い力を込めてやったにも関わらず、その男は何故か笑っていた。
 こいつは、もしかしたらマゾッ気があるのかも知れない。ならばオレ好みに調教してやるのも面白いかなと思い、そんなことをしたら逆に自分が酷い目に遭うような気もして。
 そんな、どうでもいいことを考えていたら、携帯が、ポケットの中で振動していた。
 そういえば今日は遠坂と一緒に買い物に行く約束をしていたんだ、などと、彼女のこと忘れたふりをしていた、薄情な自分に嘘を吐く。
 どうしようかと一瞬思案したが、とりあえず、自分がしたいことをすることにした。

「衛宮、何ごそごそしてるの?」
「いや、ここ病院だろ?なら、携帯の電源は切っておかないと」

 切ってなかったのかよそれくらい基本中の基本のマナーだろ、などと、気持ちよさそうに私を詰る声を、完全に無視してやる。
 後が恐いけど、たまにはこんな冒険もいいだろう。
 大きな窓から、空を見上げる。
 どこまでも澄み切った、深い深い蒼は、少し気の早い、次の季節の到来を予感させる。
 夏、海。
 ならば、水着を用意しておかないと。
 それに、この、同年代の女の子と比べて、どうにも慎ましすぎる胸も、こいつにとってはオレをからかう絶好のネタに違いないから。

 ―――バストアップ体操でも、始めようかなあ。

 私の口から、如何せん春には似つかわしくない、ひどく憂鬱な溜息が漏れ出した。

 

 後書き
 
 ツンデレな志保ちゃんを書こうとして失敗。これじゃあ、TSじゃなくて別人ですね。反省。