平井骸惚此中ニ有リ〜大江内令嬢斯ク語ル

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 御一新は昔話の種になり。
 大正の御代も過ぎ去って。
 大正天皇の崩御とて未だ記憶に新しい、昭和の三年。
 暖かなはぽかぽかと。
 舞い散る桜ははらはらと。
 小春うららかな日の続く、四月も終わりのことでございます。
 ここは日本ひのもとが中心、帝都・東京。
 陛下のおわす皇居からは、些か離れた住宅街。
 煉瓦の塀で、ぐるり囲んだ大きな敷地に見渡す限りの広い庭。
 それらを見下ろすのは、西洋館に日本家屋と、どちらも豪奢な建物で。
 誰が見たところで資産家のお住まい、大邸宅。
 それもそのはず、こちらのお屋敷、世に名だたる華族、大江内おおこうち伯爵様のお住まいでございまして。
 その大邸宅の、お庭をのろのろ歩く御仁が一人。
 年齢とし十代じゅうも半ばか、後半か。襯衣シャツに着物に袴を穿いて、足下の下駄はカラカラと。一見、屋敷に住まう書生風。ところが、肩掛け鞄に鳥打ち帽子、更には角縁眼鏡も付け加え、よく見りャ着物もおんぼろで。華族のお屋敷に住まう者としては、些か不釣り合いな格好かと。
 それもそのはず、こちらの御仁、大江内伯爵とは縁もゆかりもない青年で。
 東京・神田の出版社に勤める青年で。
 伊田将一いだしょういちという名の青年で。
 サテ、この伊田君。なぜに伯爵邸のお庭を闊歩しているのかと言えば、彼氏の従姉妹がこちらで働く女中だからでございまして。
 まあ、これも縁と言えば縁。ゆかりと言えばゆかりなのではございましょうが。
 その伊田君が向かう先。豪奢な建物からは些か離れた、こぢんまりとした二階建て。住み込みで働く方々の住む、お部屋でございまして。
「お邪魔しますよ」とばかりに一声かけて、手慣れた仕草で建物へ。靴脱いで、迷う素振りも見せずに廊下を進む伊田君でございます。
ある一部屋の前に立ち、扉の奥にかける声。
従姉ねえさん。入りますよぉッと」
 その声は、どこかやる気がなさそうと言うべきか、のらりくらりといった風。
 返事も待たずに扉を開けて、室内なかに入り込む伊田君で。
 そこにすかさず、飛びかかる声。
「あのねえ、将一君。こういう時は、せめて返事を待ってから入ってくるモンじゃないの?」
 不機嫌そうな口調なれど、声色には諦観と苦笑も入り交じり。
「おや。なんだ、元気そうじゃないですか。怪我したって言うから、心配して来てみれば、僕に文句を言えるようならまず安心ですね」
 伊田君の視線の行く先には、布団に横たわるご婦人が。こちらが伊田君の従姉妹さん。名を社祐美子やしろゆみこと申すご婦人で。
《怪我した》の言葉の通り、祐美子嬢の足には、確かに仰々しい包帯が。
「何が《まず安心》なんだか。どうせ、将一君は心配なんかしてなかったでしょうに」
「心外ですねえ。心配してましたよ、それなりには」
「それなり、ね。将一君の《それなり》じゃ高が知れてるわ」
「こう言っちゃあ難ですが、それは従姉さんが悪い」
「私!? 何だっていきなり私が非難されなきゃいけないのよ?」
「僕のこの温かい心が伝わらないのは、それはもう、受け取る側に問題があるとしか言い様がない。感受性の欠落というやつですね」
「よくもまあ、次から次へと自分の従姉妹を罵れるものね。しかも本人の目の前で」
「それはまあ、従姉さんですからね」
「……なんですって?」
 こちらの祐美子嬢、伊田君の伯母様のお嬢様。姓は違えど、確かに彼氏の従姉でございまして。年齢としは伊田君よりも五歳の年長、二十歳はたちを少々越したとこ。
 お互い兄弟のいない身の上からか、幼い頃より実の姉弟のように仲が良く、ご覧の通りに丁々発止とやりあう姿も、仲の良い証拠かと。
「それで? 一体、何だって怪我なんかしてんです?まあ、従姉さんのことですから、どんなヘマをやらかしてたって驚きゃしませんがね」
「あ、あのっ……!」
 肩を竦めながらの伊田君の問い。それに答えを返したのは、同じ室内にいながらも、それまで気配すら感じなかったもう一人の御仁。
 三つ編みお下げにセーラー服。その姿は、見紛う事なき女学生。年齢としの割には小さな体なれども、その顔の美しさと愛らしさは、思わず伊田君が息飲むほどで。
「わたし――わたしのせいなんですっ!」
 ところが愛らしいその顔が、今では悲壮と悔恨入り交じり、今にも泣き出しそうに歪められておりまして。
「大変、申し訳ありませんでした」
 その上、三つ指付いて深々頭を下げられては、なにやら、自分が悪いコトをしてしまったような気になってしまう伊田君で。
「いや。突然頭を下げられても、何が何やら……」
 思わず助けを求めて、チラリ視線を従姉妹に移し。
「あの、従姉さん? こちらはどなたで?」
 助けを求められた祐美子嬢。ところが彼女の方こそ助けが必要ではなかろうかと思えるほどに、オロオロと慌てふためいておりまして。
「ちょ……! や、やめて下さいよ、お嬢様。何もこんなのにまで頭を下げる必要はないんですから」
「こんなのとは非道い言い様ですねえ」
 言葉とは裏原に、気にした素振りもなくさらりと言ってのける伊田君ではありましたが。
「でも、お嬢様ってまさか……」
「こちらのお嬢様に決まってるでしょうが」
「こちら……? 大江内家こちら!?」
 伊田君を睨み付けつつ言い放つ祐美子嬢の言葉には、流石の彼氏も大きく目と口を開け広げ、唖然とした表情。
 尤も、それも無理ない話。まさか自分が伯爵令嬢に土下座される日が来ようとは、今の今まで思いも寄らなかったものでございます。
 そんな伊田君の様子をどう受け取ったものかお嬢様。一端、顔を上げると彼氏に向かい自己紹介。
 その姿は、流石に華族のご令嬢。品のあるお姿で。けれども、どこか親しみのあるとでも申しますか、飽く迄、折り目正しいその素振り、伯爵令嬢が下々の者に対する様子とも、思えぬものもございまして。
 伊田君にかける声も気安いもので。
「――祐美子さんの弟さんですね?」
「ああ、いえ。従弟なんですがね……」
「まあ、そうでしたか」
「ええ、まあ……」
 いまいち状況について行けずに唖然とした儘だった伊田君も、漸く落ち着きを取り戻してきたものか、鳥打ち帽子を脱ぎ去って。コホンと一つ咳払い。
「伊田将一です。えーっと……お目にかかれて光栄です――とか言うべきところですかね、やっぱり。僕の柄じゃあないんですが」
「ちょっと将一君。余計な一言はいいから」
 頭を掻きつつの伊田君のその台詞。直ぐさま祐美子嬢から駄目出しが出て。
「不出来な従姉妹がお世話になってますとでも言った方が良かったですか?」
 伊田君は淡々と言うか、飄々と。どうにも、物事に余り動じない御仁のようでございます。
「あのねえ」
 じとり半眼で睨み付ける祐美子嬢の視線にも、特に動じぬ伊田君で。
「それで、お嬢様のせいって、一体、どういう訳なんです?」
「じ、実は……」
 お嬢様は言い辛そうにしつつも怖ず怖ずと。
「今朝、お庭で鳥を見付けまして……」
「鳥?」
「はい、小鳥です。どうも巣から落ちてしまったみたいで、怪我をしてて。それで……」
 お嬢様のお話は半ばながら、何かを悟った伊田君は、《ははん》とばかりに、鼻から息を。
「つまり、その小鳥をお嬢様が巣に帰してやろうとしたところに従姉さんが来て、《自分がやる》と言ったわけですね?」
 半ば確信を持ちつつ訊ねる伊田君。
 それに対して、こくり頷くお嬢様。一方、祐美子嬢は苦虫を噛みつぶしたかのような顔付きで。
「ところが、調子に乗って慣れないことなんぞをしたもんだから、木の上から落ちて、足を挫いた、と。――どうせ、そんなとこなんでしょう?」
 祐美子嬢に対して、呆れ返った視線を向ける伊田君で。
 祐美子嬢は渋面の儘。けれども、図星でもあるのか、口に出しては何とも言わず。
 お嬢様はと言えば、「申し訳ありません」とばかりに再び深々頭を下げて。そんなお嬢様に、思わず苦笑を浮かべてしまう伊田君でございまして。
「よして下さいよ。結局、従姉さんが間抜けだったってだけの話じゃあないですか」
「それはその通りだから、反論の余地もないんだけどね、将一君――」
 祐美子嬢は渋面を引きつらせつつ。
「もう少し、思い遣りとかそういうものはないのかしら?」
「なくはないですがね。しかしまあ、どう取り繕っても、従姉さんが間抜けであることに変わりはありませんからね。この際、はっきり言ってあげるのも思い遣りってヤツでしょう」
「多少は言葉を取り繕って、病床にある従姉妹を元気づける思い遣りってのもあると思うのだけど?」
「それは僕向きじゃあないですねえ」
「少しは努力してみようとかは思わないわけ?」
「出来んものは、出来ん!」
 伊田君はふんぞり返って一言で。そんな彼氏の様子には慣れているものか祐美子嬢、諦めたかのように頭を掻いて、ふうと大きく溜息一つ。
 そんな中、伊田君の顔を盗み見るかのようなお嬢様。ちらりちらりと向けては逸らし。
「あの? 僕の顔に何かついてでもいますか?」
 それに気付いた伊田君が、訝しげに訊ねてはみるものの。
「あ。いえ……その、何でもないんです。ごめんなさい」
 お嬢様の口からは弁明じみた言葉が出るのみでございまして。
「はあ……」
 とばかりに、伊田君の口からも生返事。とは申しても、居心地が悪いと言うか、尻の座りが悪いような感覚は収まりようもなく。何せ、彼氏に視線を向けるのは、伯爵様のご令嬢。その上、伊田君が見たこともないほどの美貌の持ち主となれば、流石の彼氏とて、平常心でいるのは難しいことのようで。
 もぞもぞごそごそ落ち着きもなく。
 そんな伊田君の様子を見るに、遂に意を決した――のかどうかは定かではございませんが、怖ず怖ずとお嬢様が口を開いたのでございます。
「……あの。伊田さんは、学生さんですか?」
「え? あ、いいえ。学業は去年終わらせましたよ」
「では、今は何をなさっておいでですか?」
「《なさって》なんて大層なものじゃぁないですけどね。神田の出版社の方で働いてます。『月輪堂がちりんどう』ってとこですが」
「大仰な名前の割にはちっちゃい会社なんですよ」
 機会を見計らってでもいたかのように、祐美子嬢が茶々を入れはするものの、当のお嬢様にはその言葉が聞こえていたのかも怪しいトコで。
 と言うのも、お嬢様。元より大きな瞳を更に大きく見開いて、顔一面に表すのは驚きの表情で。
「が、月輪堂……?」
「ええ。僕はそこで雑誌の……ま、記者みたいなことをしてます」
「雑誌って……まさか、『變態犯罪へんたいはんざい』ですか!?」
 勢い込んでお嬢様が口にしたその言葉。それに対してぽかんとした表情を浮かべる伊田君で。どうやら祐美子嬢もご同様。二人そろってどちらからともなく異口同音。
「「へ、へんたい……?」」
 その反問に、今し方ご自分の口からどのような言葉が出たのか漸くお気づきになったかのようなお嬢様。途端に頬を朱に染めて。俯き体を縮こまらせて。
「ご、ごめんなさい。はしたないことを……」
「いや。別に構やしませんがね。僕がいるのは『譚綴たんてい犯罪』ってところです」
「たんてい……。たんていと言うと、探偵さんの《たんてい》ですか?」
「皆さんそう思われるようですが、違います。《はなし》を《つづる》と書いて『譚綴』です。まあ、勝手に作った造語らしいですが。だから、そっちの『探偵』にも掛けてるんだと思いますよ」
「含蓄のある素敵なお名前ですね」
 そう仰ったお嬢様のお言葉は、社交辞令であることに疑いはなく。けれども、余りに屈託のない笑顔と共に言われたものですから、ついぞ照れ臭く、またその笑顔に見惚れてもしまう伊田君でございまして。
「ちょ、丁度、最新号が手元にありますんで、よろしければどうぞ」
 照れ隠しとばかりに、肩掛け鞄をごそごそ漁る伊田君で。中より取り出す一冊の本。
「わあ。ありがとうございます」
「ちょっと、将一君。そんな雑誌、お嬢様にお見せするものじゃないでしょう」
「そんな雑誌とは非道い。従姉さんはろくに見たこともないじゃないですか」
「見なくたって大体分かるわよ。どうせ、三文エログロ雑誌なんでしょうが」
 祐美子嬢のお言葉に、嬉しそうに雑誌を受け取ったお嬢様の動きがぴくりと停止。
「えろ……ぐろ……なんですか?」
 顔をふにゃりと歪めるお嬢様。
 上目遣いで伊田君を眺めては、口から出る言葉にも怯えが交じり。
「い、いやですねえ。こんなろくにものも知らない従姉妹の言うことを真に受けないで下さいよ」
「ほほう。じゃあ、それはエロもグロもまったくない品行方正な雑誌なわけね?」
 じろりと半眼、祐美子嬢。
「なに言ってんですか。今時、そんな雑誌が売れるわけないでしょうが」
 伊田君は、ふぅと溜息、呆れ顔。
「やっぱり、エログロなんじゃないの」
「こっちも商売ですからね、売れるためには流行を追うのも仕方がないことです。しかし、如何に色情的、猟奇的に脚色されてあろうとも、その奥に潜む、真実を報道しようという我々の意気込みを感じ取ってもらいたいものですねぇ」
「よく言うわね。所詮、まだ見習いのくせして」
 この祐美子嬢の一言には、流石の伊田君も些か《カチン》とくるものがあったようでございまして。眉を跳ね上げ、語気荒げ。
「聞き捨てなりませんね。僕だってちゃんと記事を書いてますよ。それに、言わせてもらえば、僕は過剰表現を控えて、エロもグロも必要以上には入れてません。どこに出したって恥ずかしくない、立派な事件記事だと思いますがね」
「あら、そう。そいつは失敬」
 ムキになる伊田君をあしらうように、サラリと一言、祐美子嬢。なかなかどうして、こちらの御仁も負けてはおられぬようで。
 一方、お嬢様はと言えば、手にした『譚綴犯罪』とにらめっこ。《猟奇》の《異常》の《極悪》のと、おどろおどろしい文字の並ぶ、表紙を前に固まって。
「うぅー」とか「みゅー」とか、重苦しくも可愛らしい唸り声。
 それを見るに、ついつい苦笑の漏れてしまう伊田君で。
「あの、お嬢様? 何も無理して見て頂くこともないんですが」
「え? あ。い、いえっ」
 言葉を受けてお嬢様。顔を真っ赤に染め上げて。慌てふためき、雑誌を胸にかき抱き。
「ちゃ、ちゃんと読ませて頂きます。本当に。ほ、ホントですっ」
「はあ……。そこまで力一杯宣言してもらわなくても疑ったりしませんが」
「あ。そ、そうですね……」
 己の慌てっぷりを恥じ入ったものか、耳まで赤くして俯きながらも小声で漏らすお嬢様でございました。


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