甘い悪夢




「リィ姉さま!!」

相乗りしていた者達は既に命つき大地に横たわり、横倒しになった馬車の車輪の奥に入り込んだ幼い弟は、地精の盾に守られたまま為す術も無くへたり込んで泣きじゃくっている。
そんな彼の元に、血塗られた長剣がしつこく振り落ちる。
地精は全力で守っていて攻撃に手は回らない。けれど四つの子供にとって、いくら魔法陣の中が安全だと言われていても、恐怖にかられれば保護者の側に行きたいと望むのも仕方ない。
地精の制止を振り切り、姉の方に逃げようともがく弟は、あと少しで魔法陣の外にはみ出る。陣の中にいれば絶対安全な聖域も、出たら最後……精霊達は術の呪縛から解かれ、四散してしまう。
「私はいい!! お前達……ジャンをあの場から絶対出すな!!」
リィは、自らの防護にと呼び寄せた風精を、横倒しになった馬車に向かわせる。命を受けた精霊達は、声を返せない代わりにか……彼女の長い金色の髪を一房風に絡め舞わせる。
だが見えない使役達に呼びかけるその一瞬の隙をつき、ギアールの脱走兵達の長剣が彼女を襲った。
「姉さまぁぁぁ!!」
ジャンの泣きじゃくる声に舌打ちし、リィは敵の巨躯を紙一重でかわし、左右の手に構えた二本のショートソードを振り上げる。
孤を描いた刃先から血の飛沫があがる。喉と腹をそれぞれ切られ、倒れ伏す男の後ろからも、次々と新たな兵が向かってくる。
「このアマもう許せねぇ!!」
二本の剣を駆使し、兵を屠れば屠るほど……敵はますます増していく。
(こんな所で!! 死ぬわけにはいかない……!!)
最初は旅行の辻馬車と侮り、金目のものを奪おうと襲ってきた脱走兵達だったが、若い貴族の女が乗っていたことに驚き……喜んだ。
もし、彼らが単に自分を皆で辱めて楽しみ、馬車を解放してくれるのなら女も剣は取らなかっただろう。だが、彼らは自分だけを残して残りは殺そうとした。
その中に彼女の……命よりも大事な弟………の、後継ぎまで……!!
(ジャンだけは……私のジャン・アンリだけは……守る!!)
だから彼女は剣を振るった。人を殺さないという戒律も破り、もはや満身創痍であったが、気力で剣を振い続けた。
血で、握っていた剣が滑った。
受け損ねた長剣が、彼女のショートソードを弾き、そのまま振り落ちる。
肉を断つ鈍い音……そして肩から脇腹に向かって走る火傷に似た熱さ……。

「うわぁぁぁぁぁ!! リィ姉さまぁぁぁ!!」

よろけた体を支えようと、両足を踏みしめた。
傷口から血が吹き出す。
(……まだ死ねない………)
左手のみとなった剣を構えるが……腕が震えて持ちあがらない。
そんな無防備となった自分の目の前で……兵の体が大きく傾ぐ。

(…………!!…………)

崩れ落ちる男の背後から、腰を屈め剣を振り下ろした騎士の姿が見えた。
薄黄色のマントにアルバレアの紋章が見える。茶色の髪をした年配の男は、無言のまま痛ましそうな目で自分を見た。
そんな目で見られなくても、自分の受けた傷が致命傷であることは判っていた。
憐憫とは違う後悔の苦渋を見て、リィは納得した。
確かに、もとはといえば……こいつら聖騎士達が、ギアールの残兵を取り逃がしたりしなければ……こんな……自分が戦う事も、そして幼いジャンを残して死ぬ事にはならなかった筈だ……。
彼が率いてきた騎士達が、次々とギアールの敗残兵を駆除していく。
ジャンの安全と彼の命が助かったことがわかり、リィはうっすらと微笑んだ。

「……遅い……」
ほっとした途端、喉に生暖かい物がこみ上げてきた。
リィは口を覆って身を二つに折る。錆びた味……血が口から溢れてきた。
「……姉さまぁぁぁ!!……」
ジャンが必死になって魔法陣から出ようともがいている気配がするが、リィの命令を受けた風精は四才の小さな体など、易々と陣に押し込め続ける。
リィは口に溜まった血を吐き、一呼吸つくと……自分の目前にいる年配の男を真っ直ぐ見た。
「詫びはいらない。代わりにあの子を……ジャン・アンリをどうか……安全な場所へ……」
逆に男は目を剥いた。
死んでいく女が、自分に哀願ではなく命じるように頼みごとをするのが信じられなかったとみえる。
そんな素朴な反応を見たリィは、逆に彼ならジャンを託しても大丈夫だろうと確信した。
ずっと精進潔斎を重ね、聖に仕え続けていた身である。自分の直感は人の数倍は働く。この人物は信頼に足る人物だ。後ろめたく思ってくれているから、余計に幼子を憐れんでくれるだろう。
「……家宝だ……売って養育費に……」
リィは手に持っていたショートソードを手放した。
ちりちりと肌に棘が刺さるような感覚が襲っていた。
出血死が間近に迫り、リィが精霊達を呪に繋ぎ縛っていた力が綻びかけているのだ。風精達が暴走すれば、一番安全な筈の魔法陣の中が、一瞬にしてかまいたちの棲家になる。
(……………)
最早リィの残り少ない力と時間では、聖達に穏便に帰ってもらうのも無理である。
リィは口に溜まった血を地面に吐き出した。
「姉さま!!」
幼い弟の涙混じりの声………泣き虫だが、明るくて優しい子……彼の成長だけが……自分の生甲斐になる筈だった。
唯一の跡取り………にとって、彼だけが救いとなる………。
こんな異国で……只一人残さねばならないなんて……!!

「……ごめん……」

リィは最後の呪を唱えた。
「来い……お前達との契約を解く……」

ジャンの回りと自分の回りに屯っていた風が、凶器となってリィに襲いかかった。
彼女は逃げなかった。それどころか一つも取りこぼさないといわんばかりに、両手を広げて受けとめた。
風精達は、暴走に身を委ねたまま、大きな渦を巻き、彼女の体をバラバラに切り裂く。
(……私は死んでも見守っているから……)

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!! 姉さまぁぁぁぁ!!」

体が、血と肉片だけになり吹き飛ぶ瞬間、彼女は頭上に自分の血肉で染まった風の血柱を見た。



それが……最期の記憶だった……。
そして……それが思い出せる全てのものだった……。

確かに死んだ筈だった。
自分は跡形もなく消し飛んだ筈だった。
なのに……。


「アシャンティ!!」
「お嬢様!!」
ハッと目覚めた瞬間、彼女は、体を強張らせた。
自分を覗きこむ見知らぬ者達の目……なのに彼らの殆どは涙ぐむか、喜びに飛びつかんばかりに笑みを浮かべている。
「もう駄目かと思ったわ!! もう、目覚めないかもって……!!」
長い黒髪の少女が、泣きじゃくりながら抱え込むように抱きしめる。
「こら、イザベル!! 母上を差し置いて!!」
たしなめる赤毛の青年も、太い腕で潤んだ若草色の目を拭っている。
黒髪の少女に代わり、今度は栗色の髪の婦人が自分に縋りついてくる。
「アシャン……アシャン……良かった……」
「お前は本当に……じゃじゃ馬にも程がある!!」
その婦人の後ろに立っていた、身形のまともな初老の男が、厳しい顔を作りながらも涙ぐんでいる。
「……アシャン……?」
そう呟き、リィは呆然とした。
この幼稚な声は一体誰のものだ?
自分は今年二十四になったばかりだというのに……まるで、年端もいかない子供のように……。
「……私は……?」
一体誰だ……と、問いかけて口を噤む。そんな彼女を見て、イザベルが涙を拭いながら言う。
「古井戸に落ちたのよ。それで一昼夜行方不明になってて……凍死しかけたの。本当に、一時は心臓だって止まったんだから!!」
「イザベル……そんな難しいこと言ったって、アシャンにはわからないよ」
嫌、判る。
しかし……判らないと決めつけられるなど。
心臓が、早鐘を鳴らしだし、頭に鈍い痛みをひきりなしに与え出した。こめかみに手を押し当てようと腕を上げた時、リィは自分の指を見てぞっとした。
手が小さいのだ。
本当に子供のように!!
「鏡をみせて!!」
リィは腕を伸ばした。けれどつもりなだけで、実際は重すぎて伸ばしきる事もできなかったのだ。
(私は一体どうしたのだ? 今、私の身には何が起こっている!!)
身を起こす事もできない。寝返りとて難しい。
「……鏡……鏡を見せて!!」
しつこく手を伸ばそうともがき続けていると、青年が小さな手鏡を渡してくれた。
覗き込むと……果たしてそこに映っていたのは幼女だった。
肩まで伸びた赤毛…そして若草色の瞳……。
信じられないというような呆然とした表情を浮かべている。
(……違う……)
「私じゃない……私の顔じゃない!!」
「アシャン?」
「私は、こんな顔じゃない!! 私は……違うんだ」
「アシャンティ?」
「私はアシャンティではない!!」
「じゃあ、誰だと言うんだ!!」
「私は……!?」
と、叫びかけて、リィは気づいた。
何も思い出せない。
頭の中に、もやがかかったように酷くぼやけていて……。
「私は……誰だ……?」
リィ……記号のような呼び名……。これが妙齢の騎士の名であるわけがない。
本名も解らない。自分が何をしていてどうして戦っていたのかも忘れている。
名前……自分の顔は……それに、あの地は何処に……?
自分が弟を置き去りにして死んだ……あの地は一体何処に!!
「……あ……ああ…………解らない!!」
自分の掠れた声が響いて聞こえる程……部屋の中は既に静まり返っていた。
皆、何か奇異なことが起こったのだと気づき、血の気を失っている。
その皆が不安げに見下ろす中で、リィは自らの頭を両手で抱え込んだ。
震えが止まらない。

≪姉さま〜!!≫
(ジャン!!)

澄んだ高い声………茶色の髪に金色の目を持つ可愛い子……リィを見つける度に駆けよって抱きついて来た……あの子は一体どうしてしまったのだ!!

「……夢でも見たのよ……」
知らない腕が優しく自分を抱く。
「……判らない……」
この人達など会ったこともない。大体、自分達を狙うならともかく、優しい手を差し伸べてくれる人など、今まで居なかった。
「……ジャンは……?」
「アシャン?」
「ジャンは……どこ?……私の弟は……どこ?」
「……私が生んだのは、ノトスとアシャンだけよ……」
「……ノトス……?」
「そう、俺達は二人っきりの兄妹だぞ」
赤毛の青年の言葉に、イザベルは軽く彼の掌を叩いた。
「あら、私だってアシャンの義姉なんですからね。ノトスのお嫁さんよ」
「アシャン、弟なんていないのよ……それは貴方の夢なんだから」

涙が出た。


あの小さな愛らしい弟がいない?
そう考えただけで、心が張り裂けそうに痛んだ。
(嘘だ)
ジャンがいないなんて嘘だ。あの小さな手が、自分に抱きついてくれないなんて、ある筈がない!!
目が熱かった。
と思ったら、涙が零れてきた。
子供は涙腺が脆いというが……自分が人前で泣くなんて信じられない!!
「アシャン……どうしたの? 何処か痛む?」
「お嬢様に暖めた蜂蜜水でもお持ちしましょう」
「いいえクロード……リンゴを摩り下ろしてきたほうが」
「お義母様も城代も厨房になんて行かないでください!!私が貰ってきます!!」
「イザベラ!! お前も奥方だろう……おい!!」
労わる瞳……そのどれもが自分に対して優しい。
俯き、静かに泣く自分に対し、夢で見た弟が現実にいると勘違いしたアシャンを宥めようと気を配ってくれている。
ここには敵がいない。張り詰めた命の危険を何一つ感じない。

(ジャン……ジャン……貴方は今……何処にいるの……!!)
あの戦火の中に置き去りにしてきてしまった。
情に厚そうな人に託したけれど、もしあの部隊に戦を仕掛けられたら……あの小さな子は!!


泣きながらまた眠り、起きた時…………また1週間たっていた。
そして、リィは自分が七歳の少女になっていると知った。
アルバレア北部、マルソーの領主リィスの娘アシャンティ……その耳慣れぬ名が、自分の新たな名前となった。
いくら「私は死んだ人間なのだ!!」と主張しても、誰も真剣に取り合ってくれなかった。当たり前だ。
自分は『ジャン』と『リィ』の名とジャンの容姿以外の何一つを思い出せなかった。
勿論、アシャンティの記憶七年分もない。
マルソーの生活習慣も全く知らないから皆が過ごしている日常生活にも支障をきたす。
周囲はそんな自分に目頭を抑え、『やはり、死にかけたから・・・記憶を忘れてしまったのだろう』と同情を惜しまなかった。
善良な人々な優しく労わられるごとに、戦火の中で苦労している弟を思い、ちりちりと、自責の見えない棘が自分に突き刺さる。

≪私ばかりが平和な生活に、ぬくぬくしている訳にはいかない≫
≪早くジャンを探しに行かなければ≫
≪彼が死んでしまう!!≫

だが、凍死から生還したばかりの七歳児に何ができるのだろう?
動かない体に苛立ち、ベットから起きられない生活に腹を立て、また泣く。
容態は一進一退を繰り返し、一月たってもリィは自分で歩く事もままならぬ日々を送っていた。
悔しくて悲しくて……そして自分自身が情けなくて!!
どん底だった。


『田舎にいきなさい』
『父』はある日、自分を抱き起こし、膝の上にのせて言った。
「『領主の娘は頭がおかしい』……そんなふうにうわさする者もいるのだ。勿論父さまはここの領地の一番偉い人だから……マルソーの街ではアシャンを守ってやれるが……だが、いつまでも父様がお前を守ってやれるわけではないから」
子供にわかるように、敢えて優しい言葉を選び、強面の父は、精一杯の笑みをつくって語りつづける。
「アシャンは可愛い。私の一人娘だ……。だから、空気のもっとおいしくて、アシャンを傷つけるような者の少ない田舎で、子供らしくのびのびと過ごし、元気になにってきて欲しいのだ。
皆のことを忘れてしまったのは、確かに不安で苦しいことだろう。
だが、お前に忘れられたみんなも、寂しがっていることに気づいて欲しい。
でも、皆は変わらずにお前に微笑みかけてくれるだろう? それはどんなお前でも愛しているのだ。
だからお前も……いつまでも『夢遊び』に心奪われておらずに、お前を愛している人達に、笑いかけられるようになっておくれ……」
(……領主……)

『狂人』という噂がたったのだ。
それは将来、アシャンティの嫁ぎ先を決める上で大変な障害となる。
「母もお前と一緒に行く。それからイザベルも……ノトスと二週間後にお前の所に行くから……寂しくはないぞ。雪ウサギも沢山住んでいる……私も行ってあげられればよかったのだがな……」
そう辛そうに言う領主の顔には、もともと深かった苦渋の皺が、更に深く刻まれていた。怖い外見とは裏腹に、家族想いのこの初老の男にとって、四十になってから授かった一人娘は、また特別な思い入れがあるのだろう。
自分が、年の離れた弟……ジャンを想うように……。

だから、リィは口を噤むことにした。
ただでさえ自分は、この優しい家族から、かけがえのない天使……アシャンティの魂を奪ったのだ。これ以上、この家族を傷つけることはできなかった。
リィではなく、アシャンとして生きる……。
いつか弟を探しに行く日までは、この仮の家族を大事にしようと。


リィはマルソーの最東……アルファット山の裾野に行くことになった。
病気療養の為、その出立は内々の者にしか知られないよう配慮されていて、見送りも随従も必要最低限の人員しかいない小規模なものだった。
母アネットと同じ馬車に乗り、ゆっくりと山に向かう。
その間、リィはずっと馬車の窓から外を見ていた。
マルソーのうっすらと雪化粧の施された街並みを、珍しそうに眺めるふりをして、彼女はずっと機会を伺っていた。

試してみたいことがあったのだ。



木造の街並みの終点……郊外に行く道に差し掛かった時、彼女は小声で呟いた。
「風よ……来い……」と。

ぐんっと、体全体に荷物を押し付けられたような負荷がかかる。
ちりちりと肌の産毛がささくれ立ち、目の中に火花が飛び散った。
「アシャン……具合が悪いの?」

アネットが、傍に寄ろうと腰を浮かした時、大きく馬車が傾いだ。
「きゃあ!!」
横殴りの突風が、馬車の横を直撃したのだ。
そして、コントロールの利かない風精が、未熟な術者に牙をむいた。
「アシャン!!」
馬車の扉を切り裂き、暴れる風がかまいたちとなって彼女を襲う。
衣服と皮膚が切り刻まれる……そんな数多の衝撃の振動を体中に感じながら、リィは涙を流した。

(夢じゃなかった)

自分の言霊に、ちゃんと聖が反応してくれる。
精霊使い……これは魔術じゃない。生まれながらに備わった力でもない。
厳しい訓練を積み、聖に選ばれ契約を交わした人間にしか使えない技。しかも古魔法の一つとして、秘められた術。
そして、そんな知識を持っていること自体が・・・アシャンティでありえない証明だ。

(……私はリィだ……やっぱりリィなんだ……)

あの記憶は夢ではない……ならば何処かでジャンも生きている筈……。
「アシャン!!」
転がった母は、身を起こすとすぐに自分を抱きしめてくれた。リィの体から吹き出る血が、アネットの長衣を汚していく。けれど彼女は汚れるにまかせ、蒼白となって体を抱きしめている。
「早く!! 馬車を城に戻して!!」 
傷も調べもせずに、彼女はただ、泣くリィを抱きしめつづけた。

そんなふうに心配されればされるほど、リィは切なくて泣けてきた。
あの幼い弟には、果たして自分のように優しい腕が与えられるような場所にいるのだろうか?

平和な地。優しい領民。
暖かい家族。


甘い悪夢は目覚めない。


01.10.15


立ち枯れが終ってから……と思って、キープしておいた長編のプロローグです。
(メール故障で本片手に修理三昧の日々でしたので……更新また滞っちゃったので、今回放出です)

次から十七歳のアシャンになります。
ロテさまはその次に登場かな?

年上アシャンに翻弄される、哀れなロテ様をお楽しみいただく予定です♪

アルバレアの部屋にもどる

ホームに戻る