賭けの行方 2 前編
風が吹いている。
木々の葉を揺らし、囁くように、暖かな風が纏わりつく。
もう間もなく冬が訪れる筈なのに、ジャンを包む風は、まるで薄いベールのように優しく暖かい。そんな夜の森を、銀色に輝く大きな満月が辺りを照らし出している。
今彼は夜闇に紛れてギアールの国境付近を馬で駆り、自軍の為の情報を集めていた。
間もなくアルバレアから聖乙女が消える。ほんの僅かな間だけれど、その期間を狙ってきっと戦は始まる。それも国の存亡に関わる程の大きな戦が。
ジャンは馬上から冷ややかに崖下の駐屯軍に目を走らせた。
アルバレアの北東部にあるアルファット山は、調度ギアールとの国境になっている。標高が一千ちょっとのその山は、冬になれば雪に覆われ、氷の要塞となり故国を守る筈だった。
その山の裾野に、ギアールの軍が無謀にも秘密裏に砦を築いていたのだ。
春の為の準備か、はたまた総攻撃をかける時用に兵糧を蓄えておくためなのかは判らない。
だが、もしこの山を冬に越えてアルバレアに攻め入ることができるのなら、北東部は王都からの援軍を待てずに壊滅するだろう。
「もし……越えられるのなら……」
眼下を一心不乱に見ていたジャンの背後に、突如巨大な獣の陰が月光を遮った。
「!!」
空気を切る力強い羽ばたき。竜のシルエットが横切り、自分の体を通り過ぎるのを見て、ジャンは身を硬くした。
(竜騎士!!)
巨大な蝙蝠のような翼、そして馬の二倍の高さがある丸い巨躯。
剣を通さぬその固い鱗に覆われた幻の獣が、今アルファット山の麓の陣に舞い降りた。
その背後には銀色の鎧を着た騎士がいた。ギアールでもたった四人しかいない筈の竜を駆る騎士……その内の一人がここにいる。
竜は飛べる。しかも鼻が利き、人と同じように知能も高い。見つかったらいくら風の申し子のジャンでも、今はたった一人である。空から追われれば、いかに聖騎士一の俊足を誇るジャンでも、逃げ切れずに竜の吐く炎で焼き殺される。
今は動けない。
ジャンは身を硬くし、息を飲み、気配を消した。
≪大丈夫よジャン………風が貴方を守るから………≫
彼の耳元を、優しい声が擽る。
「!!」
≪馬をゆっくりと動かしなさい。大丈夫………風が貴方の気配を消してくれているわ………急ぎなさい………≫
空耳ではないことを裏付けるかのように、彼の額飾りの端がふわりと風に舞う。
優しく、抱きしめるように暖かい春風が身に纏いつく。
昔良く自分を抱きしめてくれたような、そんな優しい抱擁を思い出させる風。
ジャンの胸がじわりと熱くなる。
「………ねえ、貴方は誰? 一体誰なの?………」
ここ暫らくの間、ずっと身に纏わりつくこの風に、ジャンはいつも助けられていた。
森に潜んでいた敵兵。急な嵐。ギアールに戻ろうとするスパイ。
最初は確かにいぶかしんでいた。でもどれもこれもがぴたりとジャンの有益に繋がった。そして、この風の声を聞けるのは自分一人。部下の誰もがこの風の気配を感じない。
≪行きなさい……この道を真っ直ぐ行きなさい……貴方の部隊を纏めて、直ぐに戻りなさい………≫
「……ねえ!! 貴方は誰? どうして僕を守ってくれるの?………」
≪ここは危険………今は危険……ここは冬になったら雪崩を起こして一気に潰せるから……今は引きなさい……戻りなさい…………お願いだから戻って………直ぐに戻って……≫
ジャンの声は、彼女の耳には届いていないのか………優しい金色の風は、延々とジャンの耳に警告を発しつづける。
立ち去りたくなかった。
危険を解決してしまうと、この風の声はピタリと止んでしまう。
もっと、この甘い風に包まれていたい。
もっとこのまま抱きしめてて貰いたい。
胸の奥が疼き、不覚にも瞼に熱いものが込み上げてくる。
「………姉さんなんでしょ?………ねえ、答えてよ!! 貴方は僕の死んでしまった姉さんなんでしょ……!!………」
死んでしまった金色の髪の女騎士。
義父が言うには、素晴らしく美しく強い女騎士だったと聞く。でもジャンには顔も想い出せない人だ。かつて幼かった彼が覚えているのは、腰まで波打っていた見事な金色の髪と、肉片も残さず風に裂かれ、空に昇った血しぶきの柱だけ。
だが、抱きしめられたあの暖かさは……体が覚えている。
あの暖かさに息詰まるような幸福感。愛しくて切なくて……永久に失われたのが哀しくて……。
≪………………愛してるわジャン……愛してるわ……ずっと……貴方を見守っているから……私……≫
「………貴方は死んでからも……ずっと僕を守り続けてくれてるんだね……?」
ジャンはじわりと滲んできた涙を慌てて拳で拭った。
泣いちゃいけない。絶対に。
「姉様、もう僕のことを忘れて。神官様が言ってた。僕の心配ばっかりして、この世に留まり続けてたら……姉様は悪霊になっちゃうって。僕、そんなの嫌だから………」
笑顔を無理やり作り、ジャンは空にいると信じた姉の気配のする風を仰ぎ見た。
「姉様………判ったよ。戻るから……だから貴方も逝って………」
≪………愛しているわ………貴方が生きて笑ってくれるなら……私はもう何も要らない…………≫
「………」
≪……愛しているわ……ジャン……≫
耳を擽る優しい風の気配が、遥か後方に置き去りにされる。姉の腕を彷彿させる気配が途絶えた途端、冬が間近に迫った冷たい風がジャンの側を通り抜ける。
体が凍えそうに寒い。
ジャンは思わず自分の体を自分の両腕で抱きしめた。
孤独だった。
心の底から、この世で自分は一人ぼっちなのだと感じた。
「………でも、僕は大丈夫だよ………」
にっこりと無邪気で悲しい微笑みを顔に張り付かせ、彼はそっと、姉の吹き飛んだ血柱から奇跡的に残った、一握りの遺髪が織り込まれた額飾りの端を握り、そっと口付けた。
「………姉さん……いつかでいいから、僕の目の前に出てきてね……………」
謝りたかった。
そして彼女に「僕だって貴方を愛してる」って……伝えたい。
「僕は騎士団長を任せられるぐらい強くなった」と………。
もしあの時、自分が今ぐらい強かったのなら……姉様を遺骸も残らずに亡くすことはなかっただろう。
そして、自分はもっともっと強くなる。強くなってもう二度と大事なものを自分の目の前でむざむざと殺させやしない。
「姉さん……僕、誓うから……絶対にアルバレアを守ってみせるって………」
義父と義母のいる王都を、絶対に守る。
ジャンの身を冷たい風が吹き抜けていく。
彼は唇を引き結んだ。
竜騎士に気づかれる前に撤退せねば。
この身も部下の命も、全てジャンが握っている。
必ず、ただの一人も欠かさずに王都に戻るのだ。今後の戦いのため、今は一つ足りとも無駄に散らして良い命などないのだから。
≪………ァ……シャン!! いい加減にしないか!!………≫
遠くから、誰かが自分を呼んでいる。
アシャンは風に溶け込ませていた意識が、己の体に戻る気配を感じた。
だが、長い間肉体から離れていた為、なかなか頭が働かない。
ぼやける視界……目を必死で右手で擦れば、見慣れた美しい紫の双眸が、酷く剣呑な輝きをおび自分を見下ろしていた。
「………ロテール?…………と……あれ?」
彼だけではなかった。自分の肩を抱くロテールの後ろから、レオンとマハト、それに嵐雷騎士団の副団長まで、何故か皆険しい顔で自分を覗き込んでいる。
「アシャン!! 全く、お前は今何時だと思っている!! マリア様はとうとう俺が思いつめて、お前をこっそりと盗み出したんじゃないかと疑って大騒ぎになったんだぞ………俺が城でレモーラの外交官と歓談してた時、『アシャンを返せ』とレオンやマハトやジル殿に囲まれた時、どれだけ焦ったかお前に判るか?」
「…………」
アシャンはこてんと首を傾げた。
「………え…っと………どうしてそんなに大事になったの?………」
「………ほう? お前がそれを言うか?………」
「……!!……」
見ると、ロテールの目つきがかなり険しくなっていた。
「お前、ここ一月の間俺を徹底的に無視してくれただろ?」
当たり前だ。
「……ロテールが卑怯なことするから………きゃあ!!」
「今はお前と議論を楽しみたい気分じゃないんでな……さあアシャン、聖女宮に帰るぞ。マリア様からの小言の一つ二つは覚悟しておけ!!」
珍しく怒っているロテールに肩を思いっきり揺さぶられ、アシャンは長い術の後遺症で胸に吐き気が込み上げてきた。
そのまま口を抑えふるふると首を横に振る。
「……ちょっと……まだ駄目よ。まだ………ジャン………が……帰ってこない……私……精霊に…祈らなきゃ……」
「アシャン!!」
「とにかく離して……!! 私……祈るの……」
あの宮廷晩餐会の後、絶対に彼とは口を利かないと決めたことを忘れ、アシャンは必死でロテールの腕を引き剥がそうともがく。
あの子はまだ竜の攻撃圏内から、逃れきっていない……。
まだ目が離せない…というか、アシャンが離したくないのだ!!
夢から目覚めたばかりのようなアシャンだったが、勿論術を使いすぎて弱り果てた今の体では、ロテールの腕を跳ね除けるどころか口を利く元気もない。
ジャン自身がギアールの国境に偵察に行き、早二週間になる。それ以来、彼女は毎日暇を見つけては、この清らかな聖域……王都の聖神殿へ通い、結界を貼り、祭壇の前で跪いて祈るふりをして風の精霊に頼み、自分の精神をジャンの元へと運んでもらっていたのだ。
ギアールは今、アルバレア総攻撃に向けて戦闘態勢を整えつつある。
対するアルバレアは、聖乙女の力が失せつつある状態だ。今攻め込んでくれば、まだ消えかけたマリアの力が持つが、冬を越え春になる頃にはきっと、聖乙女のいない空白の期間が生まれるだろう。
それを狙い、ギアールは着々と軍の体制を整えている。
その為、偵察と情報収集が任務である嵐雷騎士団は、副官と少数の部隊を王都に残し、全員がギアールとアルバレアの国境付近を飛び交っていた。
もう何時戦争が勃発してもおかしくないこの時期に、彼の部隊は最前線で暗躍している。
赤炎も深緑も、後続の部隊が全くいない中でジャンの部隊だけが……。
「さあ、アシャン……行くぞ!!」
「嫌だってば!!」
ロテールがアシャンの腕を引っ掴み、立たそうと力を入れる。だが急に大声で叫んだ為、くらりと貧血で眩暈を起こし、彼女の足は力が入らずよろけて崩れ落ちる。
(風精………お願い!! あの子を守って!!)
アシャンは朦朧としながらも、手を必死で祭壇に伸ばした。
「………ジャン……………どうか…無事で……………」
彼女の手の平から、なけなしの精霊魔術が飛び立っていく。
だが、もはや体力の限界まで術を操っていたアシャンの身では、ほんとうに魔よけ代わりの気休め程度の聖風しか彼の元に送れない。
暗く沈みかけた意識の奥で、あの日、死に行く自分の目の前で、四つのジャンが泣き叫んで自分を呼ぶ声が脳裏に過ぎる。
まだ十四歳の少年なのに、彼は最前線で団長を務めている。
いくら引退した養父の職を引き継いだからといって、本当だったらまだ学校に通っているような少年が!!………自分が……アシャンが死にさえしなかったら、彼はたった八歳で聖騎士になり、命の危険が伴う戦場で働くこともなかっただろうに。
自分が彼の側にいることができたのなら、自分の持てる力の全てで彼を守ってあげられるのに。
「………ずっと……貴方の側にいたいのに………ジャン……」
祭壇で祈りつづけるように腕を組んだまま、アシャンは術の使いすぎから来る貧血で、ロテールの腕の中でくったりと崩れ落ちた。気を失った彼女の閉じられた眦から、一粒の涙が零れ落ちる。
「ったく!!」
ロテールは、そんなアシャンを三人の目から隠すように半ば強引に腕に抱き上げ、急いで神殿の祭壇前から連れ出してしまった。
だが……残された面々は……というと?
「確か、アシャンはロテールが「俺の許婚者に手を出すな!!」とジャンを殴り飛ばすまではずっと、ジャンと一番仲良しでしたよね?………」
気絶するまでジャンを想い、彼の無事を祈り涙を流す。
あれでは確かに許婚者であるロテールの立つ瀬はない。だがロテールを気の毒だと思う反面、アシャンはやっぱり家のためにヴォルト家に嫁ぐのであり、本当はジャンを愛していたのか……と、ここにいた三人が誤解するのも仕方が無かった訳で―――――
この思い込みという名前の時限爆弾は、一週間後に何も知らず、のほほんと偵察から帰途した当人……ジャン・アンリの頭上で破裂することになったのだ。
☆☆
「ジャン様!! 貴方という人は!!」
(ひぃぃぃぃ!!)
ジルの絶叫を咄嗟に耳を塞いで凌いだら、そのまま足蹴が飛んできた。
尻を蹴られ、顔から地べたに突っ伏すと、無慈悲な副官はジャンの襟首を無骨な腕で手繰り寄せ、がくがくに揺さぶった。
「よりにもよって、あの道楽伯爵と賭けポーカーなどをやり大負けするとは!! それだけでも貴方を浅はかだとお諌めせねばならないのに、その負け代金の代わりにアシャンティ嬢のエスコート権を、本人の承諾ナシに売り飛ばしていたなど!! よくもそんな酷いことを!! 貴方は一体何を考えているのですか!!」
(誰だよバラした奴は!!)
きっと、ファナ達聖乙女候補か陰険ロテールのどちらかがぽろりと話のタネにし、噂となって巡り巡ってジルの耳に入ったのだろう。
ジルは真面目だ。ジャンが彼に内緒でお金を賭け大負けしたことにショックを受け、激怒しているのだろう。でも、言い訳させてもらえばジャンだって被害者だ。
「だって100ギザインって凄い金額だったんだもん!! 僕、今そんな蓄え手元に無いし。義父さんに預けてある分を崩せば良かったって言うの? 義父さんや義母さんに賭け事で大金をすりましたと心配させて? でもロテールはアシャンの婚約者なんだし、ロテールも自分の家の面子がかかっているからって……エスコート権を俺に差し出せって凄く容赦なくって……僕だってロテールに嵌められた口だよ!!」
ばしーんといい音を立てて、ジャンのほっぺたは張り飛ばされた。
「…………」
痛い。けれど何よりも驚いたのは、そのまま顔を真っ赤にしたジルが、全身をふるふる震わせて、太い腕でぐしっと自分の涙を拭ったことだ。
「……なんと情けないことを……。私が諭したかったのはお金や貴方が騙されたうんぬんではなく、アシャンティ様の傷心の事だ。ジャン様がこんな女性の心の痛みに気づけない男だとは………こんな非道な男に育てた覚えなどなかったのに……」
あんまりな言われようだと思ったが、反撃はできない。
ジルは義父ジェラールの腹心の部下だ。ジャンにとっても騎士団では彼はもう一人の義父と思い、彼を慕い信頼している。
そんな彼が男泣きに泣いているなんて。彼に言われなくても自分もちょっとはアシャンに悪いことしたな〜と思っていたのも事実であるが、ジルがここまで激吼し、両目から滝のように涙を流しているのを見れば、ますます罪悪感が増す。自分が何故かとてつもなくアシャンに非道なことをしたような気になってくるから不思議なものだ。
「ジル……泣かないでよジル……ねぇ……」
ぽしぽしと大きな広い背中を撫で擦ると、ジルはますます泣きじゃくった。
「……ジェラール様が私を信頼してジャン様をお預け下さったというのに……私が精一杯お尽くししてお育てしたのに、どうしてこんな人の気持ちも判らぬ者に育ってしまったのだ〜〜……」
「僕ってそんなに……酷い奴なの?」
ついつい口から愚痴が出てしまったが、それに対する返事はジルの怪しい睨みだった。
「…………」
彼は思いつめた目をしてじゃき〜ん!! と小刀を抜き放った。
「うわ!! ストップ!! ジル!! それ、危ないって!!」
「止めてくださるな!! この上は潔く喉を突き、死んでジェラール様にお詫びするぅぅぅ!!」
「こらこら!! もう判ったから!!」
ジャンは慌ててジルの腕を抑えて止めた。
「ジルの言う通り、僕は勝手にアシャンの約束を反故にした最低男だ。それでいいだろ?」
「良い訳ありません!! 私の言いたい話は、これからです!!」
不気味に目を輝かせながら、ジルは再びジャンの胸倉を引っ掴んできた。
「では、ジャン様にお尋ねします。ちゃんと約束を反故になさったその後……貴方はアシャンティ様にはきちんと埋め合わせをなさいましたか?」
ジャンはぎくっと身を強張らせた。
そんな彼を睨みながらジルの目が再び剣呑な光を帯びる。
「アシャンティ様に謝りにはいかれましたか?」
ジャンは上目遣いとなり、恐る恐るふるふると首を横に振る。
「ならばお詫び状とか、贈り物とかは?」
「…………」
またまたふるふると首を横に振る。ジルの目は、ますます無気味な光が宿っていく。
ジャンは嵐の前の静けさを感じた。ほっぺに冷たい汗がたらたらと流れていく。
「……ジャン様? 宮廷晩餐会が終わり、今日で何日がたったとお思いですか?……」
静かだが、怒りを無理やり押し殺すくぐもった声が怖い。
「……だってね、僕忙しかったんだもん。ジルだって知ってるよね!! あの夜、アシャンだって結構楽しそうにロテールの横に寄り添ってたじゃない!! だから僕……もういいかな……って。僕は直ぐに辺境へ一部隊を引き連れて偵察に出発したし……それに帰って来たらもう一週間たっているし……一度謝り損ねると気まずいだろ? アシャンは毎日すっごくけわしい顔してロテール睨んでるし……それに……それに……なんとなく………アシャンって苦手だし……」
ジルの握り締められた拳が襲い掛かってきた。
(うわぁ!!)
咄嗟に避けたが、次々と太い拳が殴りかかってくる。
「この大馬鹿者がぁ!!そんなので、一月以上もほったらかしにする理由になるかぁぁぁ!! 貴様はなんという情けない男だ!! 今直ぐ謝罪に行け!! 行ってアシャンティ様から許しが貰えるまで、戻ってくるなぁぁぁぁ!!」
「ジル!! ちょっと……ジル!! うわぁ!!」
ジャンは突き飛ばされて廊下に転がり出た。彼の背後の扉がバターン……と、音を立てて閉じられる。
「ちょっとジル!! 待ってよ!! ねぇ、今日はまだ僕執務が終わってないよ………ねえ!!」
ドアノブを引張っても、鍵がしっかりと掛けられており、どう足掻いても開いてくれない。信じられなかった。
この自分が……嵐雷騎士団団長が、自分の執務室から締め出されたのだ。
「ジャン……何時帰ってきた?……あ〜あどうした? 何をやってるんだ?」
背後からくしゃりと髪をかき撫でられる。振り返れば、ジャンの兄貴分を自負している、赤炎騎士団団長が首を傾げて見下ろしていた。
「ここ、お前の執務室だよな? なんでジル殿に締め出しを食らったんだ?……あ〜あ、ほっぺも真っ赤だぞ。ジル殿に殴られたのか?」
「……レオン………僕ってやっぱり『人でなし』かなぁ?………」
「はぁ? 俺の目にはちゃんと人間に見えるけれど」
「……………」
ジャンはぱしっとレオンの大きな手の平を振り払った。
「……もういい。僕マハトに相談してくる……」
「ちょ……ちょっと待て!! これは冗談だ!! ジャン!!」
くるりと踵を返して深緑騎士団団長室に向かうジャンの後から、レオンが慌てて追いかけてきてくれる。
本当に面倒見のいい人である。
ジャンはレオンとマハトが大好きだった。自分は八歳の頃から騎士団に所属していたため、周りは年上ばかりで同い年の親友どころか学友にも恵まれなかった。
だから二人の親友づきあいはジャンにとっては憧れで……自分にもそういった心の友が欲しいと思っていたから。
………そして、そんな面倒見の良いレオンと、物知りなマハトに、ジャンはマハトが入れてくれた美味しいお茶に舌鼓をうちながら、ジルとのやりとりを包み隠さず全て話した。
勿論、あのロテールに騙された賭け事の一件も。
「ねえ、僕ってそんなに『人でなし』かな〜?」
その返答はジャンが期待していた『そんなことはないよ』という暖かな言葉ではなかった。
☆☆☆
「馬鹿野郎!! お前それでも男か!! アシャンに謝れ!! 今直ぐ謝れ!! 俺がついていってやるから土下座して謝りにいけぇぇぇぇ!!」
(ひぃぃぃぃぃぃ!!)
「レオン!! 落ち着きなさい!! レオン!!」
何で彼に話す気になったんだろう?……と、ジャン自身が己を呪う程、レオンはジルよりも更に激しく怒り狂い、彼の頭を殴り飛ばした。
マハトが慌ててレオンをはがいじめにして止めてくれなかったら、ソファーの足元に倒れ伏したジャンは、逃げ場もないまま彼に頭をゲシゲシに蹴られていただろう。
レオンに手加減はない。あの体格の良い体で力一杯蹴られれば、きっと華奢なジャンでは顔が判らなくなるまで腫れた筈。
「賭け事で100ギザイン負けたのは、確かに熱くなって我を忘れたジャンの失態です。でも、ロテールがどれだけアシャンティに執着しているかは、レオンもご存知でしょう? ジャンはロテールに嵌められたのです」
「それでも一月だぞ!! 彼女の承諾無しにエスコート権をロテールに売り払っておきながら、こいつは全くアシャンに謝罪一つしてなかったんだぞ!! お前だって見ただろ!! あの時のアシャンの状態を!!」
「………あの時って???…何かあったの?……」
ジャンは、冷静に話ができそうなマハトの顔を見上げた。
だが彼もまたいつも優しく笑みを絶やさない穏やかな顔を一変させていた。ジャンを見下ろす顔は酷く険しい。
「それは私の口からは申し上げられません。ですがジャン……私は経験上、世間での立場を慮って、けっして口には出せなく飲み込む言葉もあるということを知っております。もし貴方が私に助言を求めるというのなら、私の言えることは一つです。
貴方はアシャンティとの約束を身勝手な理由で反故にした。彼女に期待させて裏切ったのなら、罪滅ぼしという軽い気持ちでもかまわない。彼女に優しくしてあげなさい。彼女は聖乙女試験が終われば直ぐにヴォルト伯夫人となり、彼の領地に連れて行かれるか、もしくは館に閉じこめられロテールが同伴でないと外出もままならなくなる身です。彼女の未来はもう決まっている。どうせ貴方もロテールを敵に回して彼女の気持ちを受け止めようとする意志もない筈。なら、せめて彼女の心や期待を裏切ることだけはしないで下さい。
彼女が哀れです。とても気の毒だと思います」
マハトはかつて、学生時代にいつも一緒にいた女性の親友が……レオンに恋心を抱いたまま、告白一つできずに家が決めた結婚の為、泣く泣く聖騎士になる夢も、鈍いレオンに恋心を告げることも諦めて、去っていくのを黙って見送ったという過去がある。
そしていま彼は、アシャンはその親友と同じ轍を踏んでいると思い込んでいる。
しかも、ジャンはかつてのレオンと同じく……年若な為彼女の恋心に全く気づいていないというところまで一緒ならば、余計にアシャンに同情したくもなるものである。
だが珍しくマハトに厳しく言われても………ジャンにはやっぱりさっぱり訳が判らなかった。
(マハトが言っているのって、やっぱり自分所の部族の事だよね。王宮内で目立ったことをすると、反逆の意志ありと勝手に罪をでっち上げられて処分されるかも……って。異国人で、昔はアルバレアと戦っていた部族だって言ったって、今では立派に部族ごとアルバレアに併合されているのっていうのに、本当に貴族達は煩いから………。でも、それが何で僕に関係あるんだろう?)
だからマハトは柔和で、決して敵を作らないように心に激情を隠し、決して表情には出さない。
ならアシャンを彼に当てはめてみれば……リィス家は爵位も無い北部の一領主にしか過ぎない。そんな一族がアルバレア有数の貴族、ヴォルト伯と婚姻関係を結べるのなら、そりゃ一族諸手を上げてアシャンを嫁がせるだろう。
でもアシャンが聖乙女になりたくて嫁ぐのを嫌がっているのは事実だ。
ジャン自身の頭の中で、アシャンは実力のない候補生から武術がずば抜けて長けている候補生に格上げされたが、それでもやっぱり魔術と法術がからっきし駄目な以上、彼女が聖乙女の選考に通るとは思えない。
となると、本当に彼女に残された時間は……今が十一月だから、早くて半年。
家に縛られる生活が待っている彼女だから、それまで優しくしてあげろとマハトは言っているらしい。
でもジャンに言わせて貰えば。
「アシャンはロテールにあれだけ熱愛されてるんだもん。半年後には何不自由ないヴォルト伯夫人になれるんだし、僕はそんな彼女の何処が不幸なのかと思うんだけど?」
痛ましそうな目で、レオンが自分を見る。
「……とうしたの?……」
「……ジャン……お前、本当に何も判ってないんだな!!」
「はあ?」
そんなとぼけた応対に、何故だかレオンの頭に血が上ってしまった。
「うわぁ!! レオンってば止めてよ!!」
ジャンはまたもや自分に振り上げられた腕をかいくぐって逃げねばならなかった。
「この馬鹿!! 鈍感な俺でもわかるってのに……お前と言う奴は!!」
「レオン!! 止しなさい!! 貴方が言うことではありません!!」
マハトが再びレオンの口を塞ごうと飛び掛っていったが、レオンは頭を振ってマハトの腕をかわしているし。
「なんなの一体!!」
「いいかジャン!! アシャンはな……お前のことが好きなんだぞ!!」
「……はぁぁぁぁぁ? なんなのそのデマは? 冗談じゃない!! 嫌だよあの二人、怖いもん。僕絶対もう係わり合いになりたくない!!……誰が流した嘘かは知らないけれど、100%在り得ないからね……うわぁぁぁ!!
一瞬の躊躇いも迷いも無い正直な叫びに、レオンとマハトの腰から、じゃきぃぃぃんと鞘から長剣が引き抜かれる。
「お前……、今ここで死ぬのとアシャンに詫び入れるのとどっちがいい?」
ドスの利いたレオンの声が恐ろしい。
だが無言で剣をつきつけてくる長身のマハトも怖い。
二人の表情は、ジルよりも怖い戦闘態勢と同じ状態に突入していた。
(ひぃぃぃぃぃぃ!! なんでぇぇぇぇ!!)
騎士団長が二人がかりで切り付けてくれば、いかに身軽なジャンといえど、刃をかわせる筈もない。
「……ね……二人とも……仲間で争うなんて……止めようよねぇ………!!」
「では、ジャン。貴方はまだ私達の仲間でありたいと思う訳ですか?」
ジャンは慌ててこくこくと首を縦に振った。
マハトはいつも温厚な分、怒ると本当に怖いのだ。
「では、今直ぐアシャンティにしっかりと謝罪してきなさい。彼女の許しが得られるまで、絶対に騎卿宮に帰って来ることはなりません」
(許し……って、二人までここまで言うのなら、アシャンってばすっごく怒ってるんだ〜!!)
あの、暴風雨の最中、二本の剣を駆使して飛び回っていた彼女の姿がはっきりと目に焼きついている。
四十数匹のモンスターを目の前にしても、彼女は一切回りを取り囲んでいた嵐雷騎士達の力を当てにしなかった。それどころか群れの中に単騎で突っ込んでいった。
彼女が軽やかに腕を振り下ろすごとに、血しぶきをあげ魔に犯された狼の首が飛ぶ。
できの悪い候補生だと侮っていただけに、あの凄まじい剣さばきには正に衝撃を受けたのだ。
あんな真似、この聖騎士一の俊足を誇っているジャンにだってできはしない。
剣技だけをとってみれば、アシャンティは紛れもなく、自分よりも遥かに殺しの技に長けている。
そのアシャンが……自分に対してカンカンに怒っているなんて。
たしかに、一ヶ月も約束を反故にしたままほったらかしにされれば、怒り狂ったって不思議ではない。
(……どうしよう……僕、アシャンに殺されるかも………)
ジャンは蒼白になった。
お子様なジャンには、レオンやマハトが理解して欲しいと望んだことは全然伝わっていなかったのだ。
02.07.06
(* ̄∇ ̄*)エヘヘ〜。前回のロテ様を喜んでくださったのに味をしめ、今度はジャン様編を突発で送りつけてしまいました。
これもまた蜜柑さまのトップ絵に使われた涼やかなジャン様のイラストに萌え萌えしてできた創作です。あの上向き加減の眼差し、風にたなびく髪。もう、凄く可愛くて可愛くて……以下エンドレス♪♪
やっぱり蜜柑さんの描かれるジャン様は素敵〜♪ (勿論レオン様もロテ様も素敵ですが、ミカルはジャン様が一番愛しいので別格)彼はやっぱり風が良く似合います♪
例のごとくまた一話で終わらなかったですが、後編は近日中にお送りしま〜す♪
06.05.17 再UP。この頃書いてた話が一番好きかも( ̄― ̄)θ☆( ++)
NEXT
アルバレアの部屋に戻る
ホームに戻る