賭けの行方 2 後編
「もう、離してよ!!」
壁に背を押し付けられたアシャンは、顔を真っ赤にして怒っている。だが、ロテールとてここではいそうですかと手放す訳にはいかない。
マリア経由で仕入れた今回の偵察……ジャンの土産話を餌に、やっと彼女を自分の執務室に連れ帰ることに成功したのだ。例え自分に対する態度が、つんつんと刺々しいアシャンだったとしても、人払いをし、彼女と二人っきりで過ごした久々のお茶会はとても楽しかった。だがこのままジャンの話だけで彼女を帰したら、一体何の為にここまでお膳立てしたのか判らなくなる。
アシャンは風。捕まえたと安心していても、直ぐにするりと手から離れてしまう。
そして再び捕まえようと思っても、何処にふっとんでいったか見当も付かなくなる女なのだ。
ロテールはますますアシャンを抱きしめる腕に力を入れた。
「お前が聞き分けのないことを言うから!!」
「どうして私が桟敷で、貴方と一緒に芝居見物しなきゃならないの!!」
ここで問題になっている芝居とは、今回レモーラ公国の大使が親善のために引き連れてきた宮廷お抱えの劇団である。もともと、レモーラ公国の先代の大公妃は、現アルバレア国王の妹王女が嫁いでいたため非常に交流が盛んであった。だが、昨年の崩御に伴い今は交流が希薄になりかかっている。
ギアールとの戦を間近に控え、また嫁がせる王女も公女も両国に居ない今となっては、同盟の絆を強固にするためには一つでも多くの繋がりが必要である。
それが、酒関税の撤去などのある一部の民の特権を著しく損ねたりするものでなく、安上がりな文化の交流と題した馬鹿馬鹿しい茶番劇でもだ。
レモーラの劇を王都に集まっているアルバレアの貴族が一斉に観劇したとして、果たして何処まで両国の絆を深めるのに一役買うのかロテール自身ですら疑問だ。だが、今回の総責任者を任されている以上、ヴォルト家の面子がかかっているこの席に、ロテールの婚約者アシャンの同伴無しに望める筈もなかった。
「なぁ、頼むアシャン!! 今回はヴォルト家の対面とフランソワ達の心情も考えてくれ!!」
「嫌だって言ってるでしょ!! 桟敷で貴方と二人っきりでも嫌なのに、どうして私がレモーラの大使夫人を接待しなきゃならないの!!」
「お前は俺の婚約者だろう!!」
「今は聖乙女候補生よ!! ヴォルト家の嫁扱いは止めて頂戴!!」
アシャンの危惧は判る。
下手に外交に深入りし、ヴォルト家の為に彼女が動けば、貴族の社交界は彼女をこのままロテールの夫人として迎え入れてしまうだろう。
そうなれば、もし聖乙女になれなくても嵐雷騎士団に入隊するという……アシャンの野望は完全に潰えることになる。
だが、今の台詞でアシャンがロテールの所に嫁ぐのを嫌がっている事実をはっきりつきつけられる形になってしまった。
アシャンにベタ惚れのロテールが、逆切れしてもおかしくはない。
「ほう、ならアシャンはヴォルト家の嫁になれば、おとなしく俺の言うことを聞くっていうんだな?」
酷く掠れた声が、アシャンの頭の上に落ちる。
見ると、ロテールの紫色の瞳が、怪しい光をたたえてアシャンを冷たく見下ろしている。
「今直ぐお前から、候補生の資格を剥ぎ取ってやったっていいんだぜ?」
何時にもなく、異様な雰囲気を感じ、アシャンはこくりと息を飲んだ。
「あら、私貴方にそんな権限があったなんて、知らなかったわ?……っ痛ぅ……!!」
からかうような揶揄に、自分の体を抱きしめる、ロテールの腕が万力のように締め上げだす。びっくりして再び顔を上げると、自分を見下ろしているロテールの口元が邪に歪んでいた。
「……な……何よその笑いは……? 貴方何か企んでるでしょ?」
「お前は馬鹿だ。この俺を怒らせるなんてな? 聖乙女の必須条件は処女。お前が今直ぐ俺の物になれば、お前は自動的に候補生から脱落だ」
「!!」
「俺は確かにお前さんより年下かもしれないが、女の扱いには十分長けている。逃げられやしないぜ、アシャンティ!!」
咄嗟に呪文を紡ぐ暇も無く、ロテールはアシャンの顔に覆い被さって来た。
「………うう……!!」
彼の形良い唇が、ねっとりとアシャンの口を塞ぎ、体格の良い体が、アシャンの体を押しつぶす。壁に挟まれたアシャンの小柄な体では、もう身動きが全く取れない。
「ふぅ………ぅ………うう……」
呪を口ずさもうとしても無理。指で召喚印を刻もうにも、手が動かせない。
首を動かして口接を引き剥がそうとしても、手馴れたロテールは、アシャンに逃す隙一つ与えなかった。それどころか、彼の舌がアシャンの歯列をこじ開け、するりと侵入してアシャンの舌を絡めとる。
「う………ぅ……ぅぅぅぅ!!…」
ぞくぞくっと首筋が震えた。
こんなキスは嫌だ!! 息ができない!! 気持ち悪い!!
腕をメチャメチャ振り回したいのに、ロテールの腕と壁が邪魔し、やっぱり身動きが取れなかった。
そんな最中、ロテールの舌が蛇のように、アシャンの口腔内を好き放題に貪る。
酸欠を起こし、頭がガンガン痛くなっていく。
しかもロテールの右手が、アシャンの襟元にぴっとかかった。
「!!」
胸のリボンが解かれて床に捨てられる。襟のボタンがゆっくりと外され、徐々にはだけられる。胸元が露わになり、胸の谷間を覆う白いレースの下着にロテールの長い指が滑り込み、柔らかな膨らみに直に触れる。
「ぅぅ…………っ………うっうっ…………」
嫌々と首を振りたくても動かせない。
視界が段々とセピア色になり、ちかちかと火花が散りだす。
胸の蕾を軽く摘まれた途端、体が急にがくんと重くなった。
(……!!……)
足に力が入らない。意識も段々朦朧としてくる。ロテールが口を貪っているから息を吸えないのではない。鼻腔が機能しない。息苦しいのに何故か呼吸できない。
(どうして!?)
体が重い。腕が重い。頭が重い。
視界は赤を通り越して段々と黒くなっていく。ロテールの顔も前衛画家の点画を見ているように、人の形もわからない程ぼやけてきた。
意識が飛びそうだ。
だがそれは、甘い気絶とは違う。体の奥底から震え上がるような闇を感じる。
嫌だ。気持ち悪い。意識を手放したくない。
でも、こんな嫌な気配……何故か前に一度経験したような覚えがある……。
と、頭に横切った時、アシャンははっと思い出した。
(これ…この感覚……まさかまた……『死』?)
この肉体から魂だけが引き剥がされる。そう、あの時と同じ!!
神の操り人形じゃない!! と叫んで神を否定した時、アシャンの体を神達に奪われそうになった時と同じだ!!
このままじゃ死んじゃう!!
死んでしまう!!
どうして!!
アシャンの目からみるみるうちに涙が込み上げてきた。
「ぅ………ううっ………うっ………っっ……」
ぽろぽろと幾筋も雫が頬を伝って転がり落ちていく。
「ぅ……っく………うっうっ………えっ……」
えくえくっとしゃくりあげると、アシャンの口に新鮮な空気が飛び込んできた。
途端、ふっと遠のきかけた意識が現実に戻っていた。
見上げれば、ロテールの顔はちゃんとまともに見えるようになっており、彼はちゅっと音を立てて、アシャンの涙がつたい落ちた頬にキスをくれている。
「………強情な子猫ちゃん………。お前が俺を甘く見ると、最後にはどういう手段に出るか判ったか?………」
高圧的な口調だが、ロテールは幼子をあやすように、ぽしぽしとアシャンの髪をかき撫でてくれる。
だが、今のアシャンにはそれどころではない。今のは一体何だったのだろう?
ロテールが、何か体の自由を奪う魔術でもしかけたのか? それならば、まだ救われる余地がある。
アシャンはえくえくと喉を鳴らしながら、一縷の望みをかけ、目の前にいるロテールを縋るように見た。そんな頼りなげなアシャンの顔に溜飲を下げたのか、ロテールはふっと微笑んだ。
「先日の晩餐会で、つまらない俺の嫉妬でお前から楽しみを奪ってしまったことは詫びる。だがもう一ヶ月以上だろ? そろそろ俺達も仲直りしようぜ。お前がジャンを愛しく思うのは仕方がない。そう思って俺は結構譲歩してきたつもりだ。だからアシャンもくだらない意地を張ってないで、ヴォルト家の対面を保つのに協力してくれ」
違う。
ロテールの言葉にも眼差しにも、呪文の残り香の波動は何一つ感じられない。
だとしたら、今自分の意識が飛びかけたのは、アシャン自身に問題がある。
何故急に、死んだ時と同じように意識が飛びかけたのだ?
ロテールとキスしたから?
いや違う。彼とキスなら、この頃頻繁に交わしている。こんなに嫌な感覚になどなったことなどない。
となると、考えられるのはやっぱり……ロテールが、自分を抱こうとしたから?
どくんっと、アシャンの心臓が大きく跳ね上がった。
全身からどっと冷や汗も噴出してくる。
「アシャン?」
体がガクガクと小刻みに震えだす。自分を抱きしめる両手に力を込めても、アシャンの体の震えは全然止まってくれない。
当たり前だ。死にかけたのだから!!
「ふ……えっく………ひぃっく………えっ………」
「おいアシャン?」
怖かった。
ロテールが怖い。
彼に抱かれたら、多分自分は死ぬ。簡単に死ぬ。あっさりと死ぬ。
そして、ロテールは自分で吐露したように、その気になれば、いつでもアシャンを好きに抱けるのだ。
アシャンの意思などそっちのけで。
ヴォルト家の対面を保つために……自分の意に従わせるために。
それを証拠に今、アシャンがロテールの腕に絡め取られた時、自分の体なのに自分の意のままにできなかったではないか。
本当に抱かれるかと思った。
本当にこのまま、押し倒されるかと思った。
これで判った。男に抱かれたらきっと、アシャンは精霊の加護を失う。
今、ロテールに裸に剥かれてたら、きっと無力なただの女のように為すままに抱かれていた。
アシャンは精霊の加護を得ていたから、大陸に眠る神々達が蘇らせてくれたのに。
その力を失えば、生き返った意味も無くなるから―――――!!
ぞくっと背筋が冷たくなった。
精霊の操れない自分では、神との約束は果たせられない。
約束を破ったアシャンを、神がこのまま生かしてくれる訳が無い。
ロテールに抱かれたら――――――死ぬ。
また、ジャンを残して………死ぬ?
もう二度とあの子を守れなくなる?
「……嫌……」
アシャンの体はがくがくに震えてきた。
「アシャン、どうした? そんなに怖かったのか?」
ひょいとロテールが呑気にアシャンの顔を覗き込む。
怖かったか?だと。
当たり前だ!!
またジャンを残して死んでたかもしれないと思うと、恐ろしくて怖くて、胸がぎゅうっとしめつけられるぐらい哀しくて。
彼女の双眸から、どっと涙が溢れてきた。
「ふう……う……うわぁぁぁぁぁん!!」
「あ…アシャン!!」
弾けるように泣きだしたアシャンを見て、ロテールが大慌てで抱きしめてきた。
「脅しすぎた!! すまん!! もう何もしない!! 約束するから泣き止んでくれアシャン!!」
「うわぁぁぁんあんあん……!! うわぁぁぁんあんあん………!!」
「アシャンティ様!! どうなさったんですか!!」
ロテールとアシャンの二人っきりの茶会を邪魔しないように……と、人払いされて隣室に控えていた第一隊長アリシアや彼女の部下達が飛び込んできた。
「ロテール様、まさかアシャンティ様に不埒な真似など………まあ!!」
ロテールが、アシャンの体にマントをかける猶予もなかった。彼の腕の中で淫らに胸元をはだけられたまま、身も世もなく泣きじゃくるアシャンティの姿を見つけた途端、アリシア達はおのおのの腰に携帯していた長剣を引き抜いた。
「この獣!! よくも聖乙女候補生を手込になど!!」
「うわ!! まて!! からかっただけだ!! 俺はまだ手を出していない!!」
「嘘おっしゃい!!」
「本当だ〜!! 本当にキスしかしてないぃぃぃぃ!!」
アシャンと引き剥がされたロテールは、アリシアを含めた部下の繰り出す長剣をかいくぐり、必死で弁解を叫んだが、日頃のアシャンを執拗に追いかけている行いの悪さが災いして、勿論誰一人として団長の言い訳を信じる奴はいない。
「アシャンも何か言ってくれ!!」
そんな風にロテールが叫んだ時、アシャンはアリシアの腕の中に抱きしめられていた。
その女らしい丸みを帯びた胸の温もりから、心臓の鼓動がとくんとくんと鳴る。生きている証の音色を聞き、ホッとしたアシャンはまたどっと涙を流した。
「怖かった……怖かったの……私、怖かった……もう死んじゃうかと思ったの………!!」
そう呟きがくがくに震えるアシャンの純粋な恐怖の言葉に、燐光騎士団員達の殺気は嫌でも高まった。
「違うだろアシャン!! うわぁ!!」
己の団長だというのに、ロテールを追い詰める剣の冴えはますます鋭くなる。
そんな騒動に発展しているとは知らず、アシャンはアリシアの体にしがみ付いてますます泣きじゃくった。
その頃、アシャンが騎卿宮にいることを知らないジャンは……というと。
ジャンは王宮の庭園のベンチに、頭を抱えなが腰を降ろしていた。
憂鬱だった。
今から聖女宮に行って、アシャンに詫びを言わねばならない。
詫びは別に構わないが、一ヶ月もほって置かれたアシャンが、どのぐらい自分に対して怒っているのかが怖い。そして、噂の渦中にいるジャンとアシャンが、今から二人っきりで話すことにより、世間が今日のことをどんな噂にして流すのかを考えるとぞっとする。
(ホントに、今直ぐギアール本土に偵察に行けって言われた方がマシだよ〜!!)
聖女宮は、ただでさえ女ばかりの宮殿だ。
聖乙女候補生の二人はもとより、女官も侍女も、噂好きな奴らばかりである。
今日アシャンと行うやりとりが、どんなふうに脚色がつき、ロテールの耳に入るのかと思うと、ジャンの聖女宮に向かう足取りは重くなって当然だった。
つくづく自分が王都から離れていた三週間が恨めしくなる。
(アシャンティ・リィスが、僕を好きだって……? 止めてよ〜……そんな恐ろしいデマどっから出たんだよ〜!!)
ジャンが王都にいたら誓ってもいい。情報収集部隊の団長の意地にかけ、ロテールの耳に入る前に噂の出所諸共瞬殺していた。
(……もしかすると、僕に恨みを持つ者の作為かもしれない……)
今のロテールを動かすにはアシャンティを渦中に置くのが一番早い。そして彼と仲違いさせるには、アシャンティの浮気を囁くのが最も効果的だ。
ロテールとジャンが真っ向から衝突した場合、倒れるのは間違いなくジャンである。
国王の信任も厚く、伯爵でありながらアルバレアの三公爵と張り合える政治的権力を持ち、私財で燐光騎士団を起こせる程の財力と武力を持つロテールに、果たして誰が勝てるのだ? 国王その人か王子ぐらいのものだ。
普段のロテールなら、世間の噂に踊らされることなどまずないが、彼はアシャンが絡めば究極の馬鹿になる。それは今までの嫌がらせで、身を持って証明された。
(となると……仕掛けてきたのは誰なんだろう……?)
考えても判らない。
実はそれだけジャンは人から恨みを買う理由があったのだ。
嵐雷騎士団は聖乙女の目となり耳となって情報を収集するのが仕事の要だが、表ざたにならないもう一つの任務がある。それは、聖乙女の指示に従い、情報を操作し敵を攪乱したり、民意を煽ることだ。
よく『噂は人を殺す』と言うが、それがどんな風に人を破滅に導くか、ジャンは身を持って知っている。
例えば半年前……ジャンはマリアの命令でとある貴族の西部の領地に派遣された。そこの領主は芥子の花を密かに栽培し、アヘンという麻薬に精製した後、『秘密の妙薬』として高額に売りさばいていたのだが、王都からかなり離れた領地にいる為、黒い噂ばかりでなかなか証拠が掴めなかった。
そこで、ジャンはマリアの命令を受け、噂話をばら撒いてきたのだ。
嵐雷騎士二個小隊を領民にやつし、各酒場に派遣。そこで酔っ払いどもの耳にこう囁かせた。
『うちのご領主様は王室に対して謀反を企んでいたらしい。何でも恐ろしい毒を『妙薬』と言って騙し、王室のとある方を殺そうとしたことが発覚した』と。
『今度、赤炎騎士団が領主様を討伐するため派遣されてくるそうだ』
『赤炎は炎の気性そのものの部隊だから、逆らう者は皆殺しになるぞ。うちの領主様は城に立てこもって徹底抗戦の構えだし……俺達も道づれになるのか? 俺の家族は何処に避難させたらいい?』
そして同時期、何も知らされていないレオンが、やはりマリアに西部広域の哨戒任務を命じられ、一個大隊……千人余りの騎士をひき連れて来たとしたら?
領主は、証拠が揃わなかっただけで、もともと黒い噂がついて回っていた者だ。
領民達は『やはり噂は本当のことだったのか!!』と、勝手に信じ込んだ。
≪なんでお前の為に、俺達が貴様の巻き添えを食らわなければならないんだよ!!≫
そう嵐雷騎士団が煽り、城へのルートを示してやるだけでよかった。民は蜂起し、領主は結局パニックを起こし暴徒と化した家臣や領民の手にかかって死んだ。
レオンはたまたまその領地を通りがかっただけなのに、平伏する家臣に領主の首を託され絶句したが、その混乱の最中にジャン達は撤退した。
その後の処理を手がけたレオンが、何も知らずに王都に戻ってきた時、そこの領主の家族も巻き添えを食って撲殺されたと話してくれた。子供までがジャンが流させた噂のせいで殺されたのだ。けれどジャンは、『僕が手を下した訳ではないから』と、心で割り切る術を、義父からきっちりと学んでいる。
ある意味嵐雷騎士団は、五つの騎士団の中で一番陰湿な部隊だろう。
だから、ジャンの率いる嵐雷騎士団は敵が多い。レオンやカイン等の主力部隊が光だとすれば、嵐雷は彼らの影だ。
だが、誰かがやらなければならないのだ。
自分達の収集した情報が味方の軍を守る。
自分達の操作した噂話のおかげで、味方は戦いを回避できる可能性もある。
軍隊は奇麗事だけでは勝てない。
そして、戦いは勝たなければ意味がない。
聖騎士団が負ければ、アルバレアに待っているのは死。そして残された国民の辿る道は、ギアールの奴隷か属国の冷遇だ。
例え人から恨まれたとしても、ジャンがこの国を守りたいと思う意志が最優先だから。
そんな情報を操る達人……嵐雷騎士団の団長ジャンだからこそ、己に襲い掛かった酷い噂の処理に本当に弱り果てていたのだ。
(どうしよう〜……きっとこの噂……ロテールの耳にも入っているよな〜……。あああああ……僕もう、彼に言いがかりつけられるのやだよ〜……)
ジャンは血の気を失いながら、先程レオンから聞かされた噂を頭の中で反芻しつづけた。
≪いいかジャン!! アシャンはな……お前のことが好きなんだぞ!!≫
とんでもないデマだ!!
あのモンスターだらけで有名なルフットの森に張ったテントの中で、アシャンとロテールはノンキにも作戦会議と銘打って、ラブラブにキスしていちゃついていたではないか。
自分はこの目ではっきりと現場を見ている。
そんなアシャンが、何故自分が好きなのだ? 大体、ジャンは王都にずっと居なかった。ジャンの何処にアシャンの浮気の片棒を担ぐことができるのだ!!
(ロテール……きっと今頃発狂しているよね……)
あのロテールが、にっくき恋敵に仕立て上げられたジャンの話を冷静に聞いてくれるのかと問えば、ジャンは自信を持って否と答えられるだろう。
彼はアシャンが絡むと正気を失う。
この前のポーカーだってそうだ。
『おい、お前。今から俺が宮廷作法をみっちりと仕込んでやる。俺のアシャンを晩餐会にエスコートしていくんだから、絶対に恥をかかすんじゃないぞ。あの子は将来、ヴォルト伯夫人になる娘なんだからな』
そう言って一通り宮廷の決まり事をおさらいした後、男の嗜みだからと騙されてカード・ゲームをやる羽目になったのだ。
だが普通、まっとうな聖騎士で貴族ともあろう男が、同僚で十四の初心者から100ギザインも負かすか!!
外交官もこなす優秀な騎士団長も、恋に狂えばただの男である。
嫌……有能な男だからこそ、やり口がますます陰険になってくる。
そんなロテールの耳に、あの噂が届けば最後、彼が嫉妬に狂い、どうジャンに嫌がらせを仕掛けてくるのか考えるだけでも憂鬱だ。なのに今からその誤解を煽るように、自分はアシャンに謝罪に行かねばならないのだ。
(アシャンか………。彼女も悪い子じゃないんだけれど………)
だが、彼女のことを考えると胃がむかむかする。
優しくていい子だとは思うけれど、ジャンはアシャンが苦手だ。というか、ジャンが一方的にアシャンを嫌っている。
彼女と関われば、もれなく陰険ロテールの手酷い嫌がらせというおまけがついてくるのだ。そんな面倒が待っていると判っていて、アシャンに好印象など残ろう筈もない。
【ヴォルト家に身分違いで嫁ぐから、『元聖乙女候補生』の肩書きが欲しくて籍を置く最低女】
酷い言い草だが、実はこれがアシャンに対する王都の風評である。
特に彼女は将来、爵位もない地方領主の娘の分際で『ヴォルト伯夫人』という究極の玉の輿に乗ることが決まっている。王都にいる殆どの女性から恨みや妬みを買っている彼女は、結局何をしても悪い噂を流される。
例えば夏、海で泳げば『体を見せびらかして、また男を誘っているわ』と言われ、孤児院に遊びに行けば『偽善者』と呼ばれた。休日にロテールとデートすれば『やっぱり名前だけ欲しくて候補生していたのね』と言われ、休日を潰して学習に励めば『何当てつけてるのかしら? 未来のヴォルト伯夫人が』とやはり陰口を叩かれる。
朴訥なレオンは、最初からそんなアシャンに同情的だった。
アシャンも鬱屈した時があると、武芸が得意な彼女はレオンを誘って、武興殿で剣を振り回していたそうだから、レオンはアシャンに対する世間の評価に対し、真剣に腹を立てている。
実直な彼は、一度本気で自分の愛弟子…アシャンのことについて、ロテールに意見したが『お前に関係ない。でしゃばるな』の一言に切れて殴り合いの喧嘩となり、騎卿宮の一部を破壊してマリアから小言をたっぷり貰ったことがあった。
結果、彼は未だにロテールとの敵対関係が取れていない。
でも、今回はあのマハトが真っ向からジャンを諌めてきた。レオンがアシャンに肩入れするのは判るが、異国人で常に敵を作らぬよう心がけているあの誰にでも優しい彼がである。そして、今ジャンが誰よりも頼りにしている嵐雷騎士団副団長のジルまでが、アシャンに深く同情している。
≪行ってアシャンティ様から許しが貰えるまで、戻ってくるなぁぁぁぁ!!≫
≪お前……、今ここで死ぬのとアシャンに詫び入れるのとどっちがいい?≫
≪彼女の許しが得られるまで、絶対に騎卿宮に帰って来ることはなりません≫
ジル、レオン、マハトの罵声や冷ややかな声が脳裏を過ぎる。
ジャンは深く溜息をついた。
そんなこと、何故三人に言われなきゃならない? また変に誤解され、ロテールとアシャンの噂の渦中に加わるなんて冗談じゃない。
結局三人は、ジャンの窮状を何一つ理解していない。
アシャンよりもジャンとの方が付き合いが長い筈なのに……!!
「………やっぱり、僕には姉さんだけなんだね………」
ジャンは溜息を一つつき、額に巻かれた飾り紐の端を手に取ると、くゆくゆ弄んだ。
あの、遠征中に何度も感じた暖かな春の陽だまりのような気配は、当然のことながら安全な王都では一切感じない。
「姉さん。僕の側にいてくれるのなら、ちょっと出てきてよ」
願っても、ジャンの体を初冬の冷たい風が吹き抜けていく。
確かにそう言って、ほいほい出てきてくれるようなお化けなら、苦労はない。
寂しかった。
あの暖かな風に包まれたい。
「ねぇ、姉さん……。姉さんもやっぱり、僕のことを人でなしだと思う?」
そう風に問うてみても、やはり答がある筈もなく。
ジャンは溜息ついて、のろのろとベンチに降ろしていた腰を上げた。
嫌なことはさっさと済ますに限るけれど、今日の問題は出方を間違えたらえらい騒ぎになる恐れがある。慎重に対処せねばならない。
特に、これ以上ロテールに誤解され、敵視されるのは避けたかった。
そしてアシャンにも……。
「………」
彼女のことを考えるだけで、胃がむかついてくる。
振り回されている自分自身にもむかついてくる。
本当は、ジャン自身も晩餐会前にアシャンにきちんと謝ろうと思っていたのだ。
けれど、彼女に何と言って詫びたらいいか判らなかったかったし、それに何よりも晩餐会のあのアシャンの態度を見ていたら!!
≪今度の晩餐会……どうか、私をエスコートしてください……!!≫
ルフットの森から王都に帰還した翌日の午後、アシャンは顔を真っ赤にして、体もぷるぷると震わせながら上擦った声を必死に絞り出して自分に願い出てきた。
そんな彼女を見て、ジャンは正直胸が痛くなった。
そんな風に怯えてしまうのが判る程、ジャンはアシャンにだけに辛く当たってきたと、はっきりと自覚していたのだから。
☆☆
最初、ジャンがアシャンと会った時は、聖乙女試験開始の式典の時だった。
(誰だろう?)
ずいぶん熱心な視線を感じると思い、気づかないふりして目線を辿ってみたら、アシャンの新緑の瞳とぶつかった。
知り合いかな〜…と思っても、ジャンにはまったくその子に見覚えがなかった。仕事柄、人の顔を一発で覚えられるように訓練を積んだジャンである。彼に覚えがないのなら、本当に初対面の筈だ。
(どうしてあの子は僕ばかり見つめるの?)
判らなかった。それに式典の真っ最中だったから。
問い詰めることもできずにほっておいたら、結局最後まで彼女は自分だけを見つめていた。
自意識過剰かな? と思っていたら、鈍いレオンにまで『なあ、あの子お前の知り合いか? ずっと式の間、お前ばかり見ていたじゃないか?』と言われ、やっぱり自分の勘違いじゃない……と知って、それから凄く彼女の目線が気になった。
だって、アシャンはその後もずっと自分を見ていたのだから。王宮の中庭を通り抜ける時、マリア様に呼ばれて廊下をすれ違う時など、いつもアシャンの視線を感じた。
『きっと、お前に気があるんじゃないか?』
レオンにそう言われ、『まさかぁ〜』と笑いながらも、内心はドキドキだった。
恋なんてしたこと無かったし、見知った人に想われるなんて経験も無かったし。
『ジャン様〜!! 今日はチョコレート・クッキー焼いてみたんです♪ 召し上がってください〜♪』
その茶色のクッキーの形は、大小様々な犬だったり。
アシャンは本当に自分だけに優しいと思っていたから。ジャンは年上の女性に優しくされるのが好きだったし、アシャンは凄くジャンの好みの女性だったから。
彼女はジャンの軍服の裾の綻びとかを目ざとく見つけ、繕ってくれたり、ジャン自身が気づかない発熱を、通りすがりに『顔赤いですけれど、どうしました?』と見つけて、その後は問答無用でジャンの私室に運び込み、アシャン自らが徹夜で看病してくれたり……と、出会って僅かとは思えない程、尋常でない好意を向けられたから。
そんなふうに彼女に尽くされれば、ジャンだって十四歳といえども立派な男だ。もしアシャンが自分を本当に好きだったら……なんて、想像も膨らませ、凄く嬉しかったし照れくさかったりもした。
だからロテールに、『アシャンは俺の婚約者だ!! 坊やの分際で人の女にちょっかいかけるな。俺を敵に回して死にたくなければ肝に銘じておけ!!』と、散々張り飛ばされた時は本当にショックだった。
≪嘘だ……アシャンがロテールの恋人なんて……嘘だ!!≫
信じられなかった。
だって、彼女は自分と二人っきりで遊びに行く時でも、一度だってロテールと婚約しているというそぶりを見せたことがなかった。
だが、あの口数の少ないカインがはっきりとこう言ったのだ。
『アシャンはこの試験に呼び出される前から、ロテールとの婚約が成立していた。俺がアシャンを迎えに行ったからな。事実だ』
ジャンはこの時、心底アシャンに騙されたという恨みで心を一杯にしてしまったのだ。
☆☆
今思えば、子供の逆恨みだ。
勝手に期待して、胸躍らせて……でもそれが勘違いだと知って、人を誤解させるような態度を取った彼女に八つ当たりをした。
それからは、彼女と会うごとにずいぶん皮肉も言った。
そんな風に自分がトゲトゲと悪態つく度に、アシャンは辛そうに顔を歪めた。時には若草色の瞳に涙を一杯溜め、ぽろぽろと泣きじゃくったりもした。
それでも、彼女はずっと自分に優しかった。なんとか自分と打ち解けようと、ジャンがいくら無視しても、ずっと話し掛け続けてきた。
誕生日には『ジャン様が何処でも寛げますように〜♪』と、大きな手作りのクッションを貰った。プレゼントだと目立たないように、嵐雷騎士団を象徴する黄色の布地に紋章まで刺繍されていた。
それは今も執務室のソファーに転がっている。疲れて少し休みたい時に、とても重宝する代物だ。
魔獣になった狼に引っかかれた自分の頬を、包み込んでくれたアシャンの手。
狼の血で真っ赤に染まり、ジャンはその血の匂いでむせ返りそうになった程だ。
彼女は、自分の手が汚れていることにも気づかず、ただジャンの頬の傷を心配していた。ジャンしか見えていなかった。
そして、彼女に操れる法術では最高の、ミスティ・レインを唱えてくれた。
一人で何十匹も魔獣を屠ったその後で。彼女が一番疲れている筈なのに。
ジャンの怪我を癒し終えた後……彼女は『……良かった……』と言って、ジャンにしがみつき、泣きじゃくていた。
彼女は本当に、ジャンを心配してくれた。
なのに自分は勝手に彼女に恨みを抱き、ずっと悪態をついていたというのに!!
過去を反芻すると、何処をどうとっても彼女は自分に優しかったと思う。
素直に申し訳ないなと自責した。
今でも時折ジャンを誤解させるような態度を取るアシャンは、酷く罪造りな女性だと思うけれど、それが彼女の性格なら仕方がない。
それに、今まで散々彼女を苛めてきたのに、めげずにジャンと仲良くなりたいと近づいてきたアシャンだ。ここで冷たく拒絶しても、へこたれずに何度もアタックを仕掛けてくるに決まってる。
あのルフットの森への哨戒任務の時、彼女が真面目に聖乙女試験を受けていると判ったから、王都に戻った時、仲直りを受け入れた。
晩餐会のエスコート役を頼まれた時、ジャンはこっくりと頷いたのもそのためだ。
≪僕で良かったら、いいよ≫
途端、アシャンの顔はぱっと輝いた。
≪ホントにいいんですね!! ジャン様が本当に私のエスコートをしてくださるんですね!! 嬉しいです!! もう、夢見たい!!≫
≪アシャンってば。本当に大袈裟なんだから≫
業と明るくこつんと頭を小突くと、アシャンは今にも泣きじゃくりそうな程……本当に幸せそうに笑った。
ジャンその時、真実胸が痛んだ。
そんな風に彼女が喜ぶ程、自分ジャンは、アシャンティの心を痛めつけてきたんだと、自覚してしまったから。
その時の彼女には、ジャンの気まぐれだとしか思われていないみたいだ。それも今までの自分の彼女への態度を省みてみれば仕方がない。
確かに先日の哨戒任務が無かったら、ジャンはアシャンのことを今でも≪肩書き欲しさに聖乙女候補生をしている女≫と思い、徹底的に見下していただろう。
カインやジャンが必死で面倒みていても、冗談かと思うぐらい彼女の魔術と法術は成長の兆し一つ見えなかったから。
そのジャンのアシャンに対する印象を覆す程、彼女の剣技は群を抜いていた!!
彼女はもともと武術と知識と作法は舌を巻くほど優れていたが、魔獣と化した狼を屠ったあの動き!! あの豪雨の中、彼女は泣きながらもあっという間に総数四十二頭を一人で仕留めたのだ。
彼女はきっと、苦手な二教科を捨て、そのかわりに徹底的に武技を磨いたのだ。
人知れず、多分死に物狂いで努力をして……。
そんな彼女を知ろうともせず、ジャンは彼女に対して勝手な憤りを抱いていた。
申し訳なく感じた。でも、今まで冷たくしてきたアシャンに謝るのなんて、気恥ずかしく思っていた。それなのに、彼女の方から晩餐会のエスコートを申し込んで、許すきっかけをくれたのだ。
≪ジャン様!! 私嬉しいです!! 幸せです!!≫
アシャンの泣きそうな笑顔は、本当にジャンの胸が締め付けられるほど幸せそうだったから。
今まで、自分が彼女に対してしていたあからさまな拒絶、それにどんなに彼女が傷ついていたのかを彷彿させた。
OKして良かったって本当に思った。
今までの罪滅ぼしも兼ねて、精一杯彼女に優しくしようと思い、ジャンは執務の合間を縫って教科書を捲くり、必死で宮廷作法を一から覚えなおしたつもりだ。
なのに、たまたま執務室に入ってきたロテールの口車に乗り、大人の嗜みだからと騙されて、ポーカー・ゲームを教わり、瞬く間に100ギザインも負けてしまった。自分を育ててくれた養父母への感謝の送金と、孤児院の子供達が楽しみにしているお菓子代はどうしても必要だったから、ロテールに言われるままに譲渡書を書くしかなかった。
あんなに『嬉しい』と、喜んでくれていたのに。泣きそうなほどはしゃいでくれたのに。
だから、ジャンは謝りに行けなかったのだ。アシャンに何と言って詫びればいいか、判らなかったから。
凄く申し訳ないと思いながらずるずると日にちだけが過ぎていき……瞬く間に晩餐会の日が来て――――
その日のアシャンはとても綺麗だった。
高く結い上げた髪。細く白い首には、品の良い三連のパールのチョーカーが絡みつき、大人びたマーメード・ラインの薄い桃色の綺麗なドレスを身に纏った彼女は……もう、びっくりするぐらい大人びてて。
でも、彼女は当たり前だがジャンと目をあわせようとはしなかったし、ロテールに淑やかに談笑を交わし、仲睦まじく寄り添い、まるで生まれながらの貴婦人のように、堂々と国王や三公爵相手に会話を楽しんでいた。
だからジャンは、余計に居たたまれなくなった。
確かにエスコートの約束を先に破ったのは自分だ。
けれど、今アシャンは何事もなかったように、自然にロテールのエスコートを受け、招待客の中で楽しげに笑っているではないか!!
自分がOKしたとき、あんなにも嬉しそうにはしゃいでいた、あの姿は一体なんだったのかと聞いてみたい。ジャンが自分との約束破った事を、怒って彼に問い詰めに来るぐらいならまだ可愛げもある。落ち込んでいたならば、ジャンも罪悪感で申し訳ないと思っただろう。けれどアシャンは笑っているのだ!! ジャンを罠に嵌めたロテールの隣で!!
(一体あんた達は何なんだよ!! また僕の心を弄んで!!)
凄く腹が立った。
アシャンに申し訳ないなんて気持ちなど、その時一瞬で吹き飛んでしまった。
嫌、どうして自分が謝らねばならないのだ……と、逆に意固地に思ってしまった程だ。
彼ら二人と一緒のテーブルにつき、食事するのも気分悪かったから、ジャンは見回りに行きたい所がある…と、マリア様に申し出て、中座して王宮から飛び出したのだ。
そしてその夜の内に、偵察部隊を引き連れて王都を出発した。
結局、そのままとうとう一月。アシャンとは一度も話もしていない。
自分の中では、とっくに終わった問題だったのに、なのに、何故今頃になって≪謝罪に行け!!≫が出てくるのだ?
一月も間が開いて。
しかも、あのアシャンが怒っている。
彼女の達者な剣技で、自分はぶちのめされるかもしれない。そうしたら、聖女宮のおしゃべり雀達は、ジャンとアシャンのやり取りを、どのように脚色して王都に広めてくれるだろう?
きっとまたロテールの嫌がらせも増すだろう。
雪だるま式に膨れ上がっていく不幸を思うと、ジャンの胃がキリキリと痛くなってくる。
気がつけば、時計台が四時を知らせる鐘を高らかに響かせていた。
ジャンは深く息を吐くと、重い鋤を引く牛になったかのようにのっそりと体を起こした。聖女宮にいかないと執務室に戻れない。
憂鬱に、とぼとぼ歩くジャンの目の前に、日の光の元ではピンク色に見える独特の金赤の長い髪がふわりと横切った。
(……え!!……)
アシャン?
ジャンは慌てて木の陰にしゃがみこんで隠れた。
そして恐る恐る茂みから目を覗かせる。
聖女宮に続く小道を足早に歩いているのは紛れもなくアシャンだった。
彼女が来た方向を辿れば、騎卿宮に続く小道が見える。多分学習帰りなのだろう。アシャンは両手でノートと教科書を抱え持っていた。
だが、何故か彼女の様子がおかしい。
若草色の瞳は虚ろで足元もよろよろ蛇行しておぼつかない。
だが、ジャンが何よりもびっくりしたのは、げっそりとやつれた彼女の頬だ。
先月までの顔を思いだすまでもない。彼女のふっくらとした頬の肉がすっかりと削ぎ落ちてしまっている。
尋常なやつれ方ではなかった。
何か危険な魔術を開発している魔道師達の姿を彷彿させるような激痩せの仕方だ。
(アシャン、なんか特訓でもしてたのかな? まさかまた法宛の塔に篭ってたとか……。あ、それでレオンもマハトも僕がアシャンを売ったせいだと勘違いして、僕に謝りに行けって言ったの?)
とにかく、今ここで会えたのなら、聖女宮まで行かなくても済む。
幸い、ここは人通りも少ないし♪
ジャンは、アシャンの後を追いかけようとして隠れた木陰から身を起こした。
そんな時だった。
「アシャンティ・リィス……覚悟!!」
(え?)
突如野太い奇声を発し、薄汚れたマントをはためかせた変な男達が、ジャンのいた茂みとは反対の方向から、剣を片手にアシャンめがけて飛び掛っていく。
その数五人!! しかし、アシャンは手ぶらだ。
(助けなきゃ……!!)
ジャンは慌てて腰を弄り、携帯していた二本の小刀を抜いた。そして彼は、地を蹴って茂みを飛び越えようと、身を一瞬屈めた。
だが。
「ぎゃああああああああ!!」
緑のマントの不審な男達は、長剣を振りかぶった体制のままアシャンに殴り飛ばされ、地べたにドゥッと音を立てて転がった。
「!!」
ジャンは信じられなかった。五人の賊が一瞬で打ち倒されたのだ。
(今の……アシャンってば、一体何をやったの!!)
ジャンが焦るのも当たり前だ。彼はアシャンが精霊使いだということを知らない。
常人には風の精霊は目に見ることはできない。
(殴ったんだよね? でも、拳振り上げたっけ? でなかったら魔法かな? でも、術の波動なんて何も感じなかったよ?!)
そんな気配はなかった。何度反芻しても、ジャンの目にはアシャンはただ振り返っただけにしか見えなかった。
だが、五人の男達は、本当に地面に倒れ伏している。
めいめいが、腹を抱えて蠢いている。ということは、やっぱりアシャンは腹を殴ったか蹴ったのだ。
(……一体どんな体術? 確か彼女の兄君は、歴代の聖騎士団長でもすば抜けて戦闘能力の高かったけれど……)
だからジャンは、アシャンは一体どんな体術を会得しているのだろう?……と、無理やり自分自身を納得させた。そう思わなくては説明がつかなかったのだ。
そして、ジャンが見ていることを知らないアシャンは、痛む腹を抱えて悶絶している男達のうち、その中で一番偉そうな男の顔に、容赦なく蹴りを浴びせだした。惨いもので瞬く間に男の歯は折れ、鼻血は吹き、顔面は真っ赤になる。
そんな息絶え絶えにした男の黒髪を、アシャンはぐいっと鷲掴みにして引張り起こし、彼の首筋に男が持っていた長剣をぴたりと宛がった。
「ふう〜ん。その顔の彫りの深さから言って、貴方達はギアールの人のようね? たった五人でリィス家のアシャンに挑んでくるなんて、私も嘗められたものだわ。お前達の他に、何人王宮に忍び込んでいるの? 狙いは誰? マリア様? それともファナ? ミュイール? さっさと吐かないと、知らないわよ?」
「う……うぐぐ………」
「あら? 冗談だと思ってるの? いいこと。今私は滅茶苦茶機嫌が悪いんですからね!!」
答えるものかと頑張っている男に、アシャンは抉るように男の鳩尾を膝で蹴り上げた。
途端反動で、男の首筋に宛がっていた刃……頚動脈付近の肉がすぱっと切れる。
「うわぁぁ!!」
血が飛沫を上げ飛び散るが、アシャンはくすくす笑いながら、拳で軽く傷口を触れた。
彼女の手の平が撫で擦った途端、水の精霊達が体液を操り、男の出血を食い止める。
「言っとくけれど、私がいる以上、舌噛んだ程度じゃ死ねないわよ? 逆に……そうねぇ……こんな芸当はいかが?」
アシャンはくるりと剣の柄を握りなおすと、男を大地に突き飛ばし、その背、その腰、その両手に剣を次々に突き刺して串刺しにした。
「ぎゃあああああああ!!」
「た……隊長!!」
身悶えしていた四人の男達が、悲痛な叫び声を上げる。
だが、水の精霊が体液を操り、男の出血を食い止めている為、大地に標本のように磔られた男は、血も流さずに叫びつづけていた。
アシャンは賊から取り上げた五本の剣のうち、最後の一本を手にし、うすら寒い微笑みを浮かべ、自分が串刺した男の顔を足で上向かせる。
「誰でも良いわ。吐きなさい」
「貴様……!! 死ね!!」
新たな七人が決死の表情で茂みから飛び出し、剣を振り上げてアシャンに襲い掛かってくる。だが、アシャンはうろたえることもなく、軽く右手の剣を振った。
「うわっ!!」
彼女の振り下ろす長剣から風が起こる。
その凄まじい剣圧は、その衝撃で男達が横倒しに吹っ飛ぶ程だった。
更にアシャンは立て続けに、まるで素振りするかのように剣を軽く振り下ろした。彼女の剣が振り落ちる度、生まれる風の衝撃が、大地に爪を立てつつ真っ直ぐにギアールの間者に襲い掛かる。
それはカマイタチに似ていた。
男達はアシャンの繰り出した風の刃に切り裂かれ、瞬く間にズタボロの赤い雑巾にされた。無残にも大地に転がった十一の体は、もうぴくりとも動かない。
(あわわわわわわわわわ!!)
圧倒的な武力を見せ付けられ、茂みに隠れていたジャンの思考は完全にショートしていた。
今日の彼女に比べたら、あのルフットの森での彼女など、まだ可愛い少女に見える。
アシャンに足で顔を上げさせられていた男は、痛みと恐ろしさに震えながら一瞬で己の部下を肉の塊に変えたアシャンを見上げていた。
アシャンもまた、その男を寒々しい目で見下ろしていた。
「お前……今ここで情報を吐くのと、私に両手両足を切り落とされてから聖騎士に引き渡されるのとどっちを選ぶ? 残りの人生を芋虫になって過ごしたいというのなら、私は全然構わないわよ。だって……お前は死ねないんだもん。ほら」
彼女の言葉と同時に、男の右手首が裂かれ血が飛沫く。
だが、血飛沫が飛んだのは一瞬だけ。直ぐに血は止まり、新たな痛みが増しただけ。
「ひ……ひぃぃぃ……!!」
ギアールの刺客は、もう涙目になって怯えている。
(あわわわわわわわわ!!)
彼女を止めなければ!!
捕虜の尋問は聖騎士の仕事だ!! 単なる候補生のアシャンには、そんな権利はない!!
ジャンは飛び出してあの男を庇わねばならないのに、彼の意思に反して両足が大地に縫い付けられたように動かない。
(……嘘!!)
ジャンは血の気を失った。もがいてもどうしても目線が茂みよりも上に行かない。
こんなこと、初めてだ。
この自分が、怯えて立ち竦むなど。
この、幾多の死線を潜り抜けてきたジャンが、見知っている候補生に対して畏怖に怯えているなんて。
彼女がこんなに強かったなんて。こんな恐ろしい女だったなんて。
騙されていた。
彼女のどこができの悪い聖乙女候補生だ?
(アシャンってば、今まで、一体どんな猫を被っていたんだよ〜!!)
「アシャン!! 無事か――――――!!」
「あら、ロテール」
怒声を上げ、何故か制服が傷だらけのロテールが駆けつけてくるが、アシャンは男を締め上げる手を緩めも隠しもしなかった。
「アシャン!! その血!!」
彼は蒼白になって血まみれのアシャンの両手を引っ掴むと、彼女の全身をくまなく調べまくった。
顔、首、肩、胸の膨らみから腰、尻……足……と。普通の少女なら痴漢と叫び声を上げているところだろうが、アシャンは構わずにロテールの好きにさせている。
「……怪我一つしてないわよ。もう、私を誰だと思っているの?……」
ちょっと困ったような顔で呟くアシャンだが、それに対するロテールの反応も凄かった。
「良かった!! お前が無事でよかった……!!」
そう一声叫んで彼女を抱きしめると、そのまま彼女を噛み締めるように抱きしめた。
その息もつけぬ抱擁。そして、返り血で汚れたアシャンの顔に、ロテールのキスがくまなく振り落ちる。
アシャンは困ったような、呆れたような面持ちで、しばらくロテールの好きにさせていたが、やがてめきっとロテールの顔を手の平で押しのけた。
「さ、さっさとこの人を、近衛に引渡しに行きましょうよ」
串刺しにしていた剣を四本引き抜き、アシャンは最後に男の首に手刀を叩き込んだ。
がっくりと気絶した男にとって、これは慈悲になるかどうかはわからないが、その様を黙って見ているロテールが、アシャンの異様な武力をとっくの昔に知っていたことは楽に見て取れる。
ジャンは気配を気取られぬよう、ますます息を殺して二人を見た。
そして、ジャンが物陰から見ていることなど全く気づいていない二人は……というと……。
「じゃ、いきましょっか?」
「………ちょっと待てアシャン。お前が血だらけじゃ皆が心配するだろ?………」
ロテールは、直ぐに自分の上着を脱ぎ、ふぁさっとアシャンの背に被せた。
大きな聖騎士の上着の中に埋もれたアシャンは、立てた襟に顔の半分も隠れてしまう。
そして彼女は可愛く上目でロテールを見上げながら、くんと匂いを嗅いだ。
「汗くさい。いつもの香水の匂いが消えてる」
「煩い。それだけ必死で走ってきたんだ」
ぽすっと、ロテールの大きな手の平が、アシャンの髪を軽く撫でた。
「ねぇ、どうしてロテールがここに居るの?」
途端、ロテールの顔がむっすり引きつった。
「お前を追いかけてきたに決まってるだろ? よくも俺を見捨てて帰ったな」
「ロテールが私を驚かすからじゃない」
「お前があんまりにも聞き分けがないからだろ」
「うん。ごめんね。我侭で」
「…………」
珍しく素直なアシャンに、逆上しかけたロテールの気分が収まった。
「…………けれど正直お前があんなに泣くなんて思わなかったぞ………」
「だって、貴方が怖かったんだもん」
「………アシャン?………」
「……本当に……怖かったんだから……」
俯き、ロテールの上着のたてた襟に、顔の半分どころか目まですっぽりと隠したアシャンは、ぽすっとロテールの大きな背中に顔を埋めた。
「おい、アシャン……。お前また泣いているのか?」
ロテールが、身じろぎしてアシャンの方に顔を向かせようとする。
けれど、アシャンは顔を埋めたまま、きゅっとロテールの背中に抱きついた。アシャンを抱きしめたくても両手が使えず、ロテールは所在なげに指をわきわきと躍らせている。
そんな可愛い仕草が好きだ。
アシャンはくすっと小さく笑った。
「何だ? お前、何がおかしいんだ?」
「貴方がとっても愛しかったから。ああ、やっぱり本当に私、貴方が好きなんだなって」
途端、ロテールの頬に朱が走った。
「………こら、何を急に俺をからかって………」
「私、ロテールが好き。本当に好き。でも、全てが終わるまではもう、冗談でも私を襲わないで」
「………アシャン………」
「私、聖乙女になりたいの。この戦を、絶対に私の手で終わらせたい。それに貴方だけを戦地に行かせてのうのうと王都で待つのは嫌なの。貴方や聖騎士の皆とともに、私が戦場を駆けたいの。だから、この力を失うわけにはいかない。処女でなくなれば、魔力も失うから。絶対に嫌なの。
全てが終わったら、貴方に私を全部あげるから。私、今まで生きていて、ロテールだけしか、抱いて欲しいって思ったことないもん。貴方といつまでもともに未来を歩きたいと思っている。許される限り、貴方と幸せになりたいと思っている。貴方を幸せにしたいと思っている。愛してるわ。私、ロテールを愛してる。だから……どうか待って……」
――――待たせた挙句、死体に戻ってしまうかもしれないけれど――――
アシャンは唇を噛み締めた。
生きたかった。
戦が終わって役割をまっとうできたら、この人とともに家庭を作りたい。
この優しい人と未来を歩みたい。
幸せになりたい。
幸せにしたい。
ずっと、年老いるまで、この人の傍らで生きていたい。
神にも精霊にも制約にも縛られず、一人の女として命をまっとうしたい。
ぽろりと……零れだした涙の雫が、ロテールの背中のシャツに吸い込まれて消える。
彼の背中は温かかった。
その温もりに頬を寄せ、アシャンは溢れてくる涙が止められずに瞼を閉じた。
ロテールは、暫らく自分の手をわきわき……っと動かし、所在なげに両手をぱたつかせていたが、アシャンの涙が尽きぬと知ると、やがて大きく一つため息をついた。
「泣くな。お前に泣かれると、俺の気が狂いそうになる。判ったから。ギアールとの戦争が終結するまで、もう二度とお前を艶事で脅かさないから」
「ごめんなさい」
「謝るな。お前は絶対嘘がつけないからな。本当にお前が愛してくれていることも、今日の俺を怖がったってことは、十分俺も判ったから」
ロテールは自分の腰に回ったアシャンの腕を捕らえると、ゆっくりと外し、くしゃくしゃっとアシャンの髪をかき撫でた。
「お前が愛しいよ。今直ぐ抱きたくてたまらなくなっちまったぐらいにな」
「……ほんとごめんなさい……」
「謝るなって言ったろ。まったく。その憎い口を閉じさせるぞ」
ぴんっと鼻を弾き、目を瞑ったアシャンの唇に、軽く重ねるだけのキスをしたロテールは、くすっと苦笑した。
「俺の子猫ちゃんは、本当に手こずらせてくれるぜ。こんなに可愛い女なのに、この破壊力はどうだ」
ロテールはにやりと笑って、顎をしゃくった。
大地に横たわる、無残に切り裂かれた刺客達。
「どうするんだアシャン? この死体……十一もあるじゃないか」
「『ありがとうロテール様。助けてくれて!!』ってことでお願い♪ 日曜日にデートするから♪」
「……それは、俺と一緒に桟敷で接待してくれると解釈していいんだな?……」
「それは嫌。あくまでデートは昼間だけ。そのかわり、そうだ。私の手作りブランチもつけちゃう。騎卿宮の厨房さんに、隅っこ使わせてくれってお願いしておいてね♪」
「アシャン〜〜〜!!」
「それとこっちも何とかして欲しいの」
アシャンは、足元で気絶している男を指指した。
「私、法術は苦手なの。ロテールは止血できる?」
「お前、本当はこの俺を見くびっているんじゃないのか?」
所詮惚れた弱みなのかもしれない。
ロテールはとほほな気分でアシャンに串刺された男の体を治療すると、嫌そうにその男を背に担いだ。
「なるべく人目につかないように、真っ直ぐ部屋に帰れよ」
「は〜い♪ ありがとうロテール♪ 服は洗って返すから♪」
アシャンは可愛く手をパタパタ振ると、本当にロテールを置いて走り去っていった。
ロテールは、アシャンの姿が見えなくなってから、己の肩に担いだ男の顔をじろりと覗き込んだ。
「全く……あいつは最後の詰めが甘い。全滅覚悟で王宮に特攻かけてきた奴が、大事な情報なんて握っているものか。まぁ、そういう抜けてる所が可愛いんだが……目撃者は始末しておくに限る」
ロテールは大仰に溜息をつき、自分の肩に担いだ男の首をナイフで突いた。
アシャンの術の利いていない首筋から、普通どおりに血飛沫が飛び散る。返り血を盛大に被って仕度を整えたロテールは、血を流し、絶命した男の体を再び大地に投げ捨て、騎卿宮に向かう小道を戻っていった。
部下に死体の始末を頼み、マリアに侵入者有りの報告をする為に。
(……うわわわわわわっ!!……)
ずっと気配を殺して木陰に隠れていたジャンは、気が抜けてへなへなと地面に尻餅をついた。
体の震えが止まらなかった。
怖かった。
アシャンも!! 今のロテールも怖い!!
今見たアシャンに勝てるとは思えない。ジャンはもし彼女相手に戦えと言われたのなら、ジャンは三個中隊三百人を準備したうえ徹底的に包囲するだろう。それでも尋常じゃない被害が出ることは必須。
そしてロテール……捕虜を勝手に殺すなど、明らかな軍律違反だ。
彼があの男を勝手に始末したのは、単にアシャンのためである。
あの凄まじい武力を秘密にしておくために……アシャンがどんな術を隠し持っているのかまだ判別はつかないが、何かとてつもない魔力を隠していそうな気がする。
なのにロテールは、誰にも秘密にしている。
聖乙女に忠誠を誓う聖騎士が、アシャンの為に軍律を犯し、恐らくマリアにすら報告を怠っている。
それは騎士団長にあるまじき行為。
糾弾するにはもってこいの攻撃材料になるが……。
(……殺される!!……)
ぶるるるるっと、ジャンは首を横に振った。
茂みから身を起こし周囲を見回すと、大地のいたるところに死体が転がっている。
その哀れな姿に、自分の近い未来を想像できてしまい、ジャンはゾクッと身を震わせた。
(全く……誰が僕を好きだって!!)
剣持ったギアールの……恐らく優秀な使い手を瞬時に撃破できる者。
そんな恐ろしい女が一体この世の何処にいる!!
でも、ロテールは酔狂にもそんなアシャンラブなのだ。
そしてアシャンだってロテールにラブだ。
他人の入る余地なんかない。ジャンは喜んでこの二人を祝福する……というか、係わり合いになりたくない!! アシャンに惚れられるなんて恐ろしすぎる。冗談じゃない!!
噂が人を楽に殺せるのを、身を持って体験しているジャンである。
ロテールのいらぬ嫉妬をこれ以上掻き立てて、誤解で目の仇にされ抹殺されるなんて、死んでも死にきれない!!
(そう。アシャンが僕を好きだなんて変な噂が広まるから、僕がロテールに嫌がらせをされるんだ。僕がアシャンと彼の仲に割り込むことなんか絶対ないって……ロテールにわからせればいいんだ……!!)
ジャンはぴしゃりと自分の頬を叩いて正気を取り戻すと、ダッシュで城門に向かって走り出した。
まずは花。それとチョコレート。
小道具を揃えてから、気分を落ち着けてアシャンに会おう。
策を張り巡らせろ。
嵐雷騎士団長を拝命して、もう一年以上になるんだ。
情報操作はお手の物の筈。
二人の恋愛に巻き込まれず、ロテールに誤解されず、自分が安心して毎日を過ごせる未来の為に……!!
☆☆☆
ばたばたばた…。
ぱたぱたぱたぱたぱた……。
ぱたぱたぱたぱたぱた……。
ばたばたばたばたばたばたばたばだばた……。
「煩いわよアシャン!!」
隣室のファナが目を吊り上げて怒っているが、そんな小言も今のアシャンには、小鳥のさえずりにしか聞こえない。
鏡を何度も覗き込み、入念にお化粧の乱れのチェックを繰り返す。
そしてドレスの裾を何度も叩き、皺どころかレースの襞一本の乱れも作らぬように努力を繰り返す。
なんと、今日アシャンはジャンとデートなのだ!! しかも、ジャンがプレゼントしてくれたドレスを着て、彼と一緒にレモーラから来た劇団の芝居を見物に行く。
(ごめんねロテール〜♪)
彼には本当に悪いなと思ったが、幸せだった。
もう、天にも上る気持ちといっても過言ではない。
ギアールの刺客に襲撃された日の夕方、ジャンは真っ青な顔で白バラの大きな花束と、チョコレート・ボンボンの菓子箱を抱えてアシャンの部屋を訪れた。彼はいつになくかたかた震え、前回の晩餐会の謝罪と一月も音沙汰なかった詫びを入れてくれたが、アシャンはジャンの事情をしっかり把握していたから、凄く申し訳ない気持ちになってしまった。
「ジャン様。そんなにお気をつかってくださらなくてもいいんですよ。ジャン様はお忙しくていらっしゃいますし、それにちゃんと私を気にかけてくださったじゃないですか」
ロテールの策謀。その後のジャンの激務は風にのって己が目で見ていたから、彼が自分を気にして血の気を失うほど恐縮してくれたのかと思うと、もう幸せすぎて気が遠くなるほど嬉しかった。
「お詫びに、今度の日曜日に遊びにいかない?」
アシャンは勿論こくこくと頷いた。ロテールに昼ご飯を作ってあげる約束など、ころっと忘れて。
「じゃあ、後日ドレスを届けさせるから。とっても楽しみにしているよ」
ジャンは引きつった笑みを浮かべると、そそくさと帰ってしまったけれど、二日後美しい紫のレースを散りばめた白色のドレスと観劇のチケットが届いた。その時アシャンはジャンとのデートが、ロテールが散々自分を誘っていたのと同じ催し物だということに気づいたのだ。
≪ごめんね、ロテール!!≫
直ぐにロテールには謝りに行ったけれど、彼はヴォルト伯としての仕事が忙しくて、王宮に詰めっぱなしと知り、仕方が無く詫び状をしたためてきた。
一応ロテールの対面を気にし、アシャンは髪を真っ赤に染めたが、ジャンとのデートを止めようという気はさらさらない。
なんといっても、ジャンがプレゼントしてくれたドレスを着ていくのだ!!
凛々しく着飾った彼にエスコートして貰って!!
「アシャンティ様!! お迎えがいらっしゃってますよ!!」
「はぁぁぁぁぁぁぁい♪♪♪」
待ち遠しかった女官の呼び声に、アシャン自身も歌うように返す。
アシャンはレースの歪みをもう一度鏡でチェックを入れると、ダッシュで玄関に飛び出した。
「やぁ、アシャン」
「ジャン様〜♪♪♪」
夢にまで見たジャンが、聖騎士の礼装に身を包み、にっこりと微笑みながら自分に手を差し伸べてくれる。
赤子だった彼の凛々しい立ち居姿に、アシャンは思わず涙ぐみそうになった。
「じゃ、行こうか?」
「はい♪♪」
ジャンの手に、自分の小さな手の平を乗せる。じぃ〜んと感動の興奮が、彼女の全身を包み込んだ。
幸せだった。
本当に幸せだった。
彼は軽やかな足取りで、聖女宮の扉前に停められた馬車に進んだ。ジャンの歩調に合わせ、アシャンも寄り添って進む。
(生き返って良かった……♪)
そんな風に、しみじみと自分の幸せを噛み締めていたその時だった。
「はい。ロテール♪ この誤解を振りまく子悪魔をしっかり捕まえてて」
(え!!)
顔を上げたアシャンの目に、馬車の扉影から顔を覆ったロテールの姿が飛び込んできた。
「言っとくけど、僕はアシャンとはなんでもないし、君とアシャンとの仲を割り込もうとする気も全く無いから。変な噂が出回るのは、ロテールがしっかりとアシャンを捕まえていないのが原因だと思うんだ。今後も僕はアシャンと絶対二人っきりで出かけることは一切ありえないことを、ここにロテールに誓うよ。アシャンも、いくら僕とあまり仲が良くないからといって、婚約者を差し置いてこっそりデートしようなんて駄目だからね。僕は二人の仲を応援する。じゃ、僕今から仕事でマリア様の警護に行くからまたね。二人とも末永くお幸せに♪」
そう言って、ジャンはアシャンを馬車に押しこみ、無情にもバタリと扉を閉めてしまった。
「はい、御者さん……出していいよ♪」
そしてアシャンの着席も確認せず、馬車は勢い良く進みだしたから……。
「あぶないアシャン!!」
突っ立ったまま呆けていたアシャンは、ロテールの腕に仰向けに抱きとめられた。
血の気を失い白磁のようになったアシャンの両頬に、涙が一筋流れ落ちる。
「………ジャン…………」
「……ア……アシャン。今回は俺のせいじゃないからな……俺だって今ジャンに『アシャンのことで大事な話があるから』って……呼び出された口だから……」
ふるふると肩が震えるアシャンを、ぽんぽん……と、ロテールの大きな手が撫でる。
だが、そんなロテールの手を、アシャンはぱしっと振り払った。
「………二人で二度と出かけないって………う……ひぃっく………ロテールが、ジャンに嫌がらせばっかりするから………」
ぎっと、若草色の瞳が睨めつけてくる。
その殺気にロテールの全身は泡立った。
「アシャン……落ち着け………アシャン………!!」
「………ロテールの……馬鹿ぁぁぁぁぁ!!………」
「俺に八つ当たりするなぁぁぁぁ……うわぁぁぁぁ!!…」
馬車は風の悪戯……カマイタチの襲撃に合い大破したとか。
そんな自然の凶事に見舞われた、気の毒な未来のヴォルト伯夫妻の欠席は、噂好きの社交界に新たなネタを与えた。そしてロテールが、最愛の女性アシャンを庇って風の餌食となり全治二週間の怪我を負ったという噂は、ジャン配下の嵐雷騎士団の情報操作の賜物で、王都のロテールに憧れる全ての女性達に妄想の種を植えつけたという。
☆☆
馬を駆り、ギアールの国境付近に向かう彼の体を、暖かな風が吹いていく。金色の春の陽だまりのような優しい風が。
ジャンはくゆくゆと風に舞う額飾りを目に停め、にっこりと微笑んだ。
(姉さん……今日も僕の側にいてくれるんだね………)
その風に守られて今日もジャンは馬を駆る。
その小さな体に己の騎士団の団員全ての命を背負って。
二度と、彼にとって大切な者を奪われぬ為に。
Fin
02.07.17
(* ̄∇ ̄*)
( ̄ ̄□ ̄ ̄;)!
~(°°;))``。。オロオロッ。。’’((;°°)~
…という道のりを辿った、ジャン様サイドのお話でした〜。
ミカルアシャンは最初から怪物設定だったから良かったのですが、気がついてみればジャン様もロテールも、何故か皆性格が怖い〜!!
何故? あの蜜柑さんのイラスト……爽やかなジャン様は何処にぃぃぃぃ!!
グスグス (><。)。。
こんな奴らと戦わねばならないギアールの皆様のご冥福を祈りつつ、膨大な長さになりましたこと、お詫びいたしますm(__)m
返品、苦情は平にご容赦を〜!!
。。。タッタッタッタッタッタタタタタタタ (;― ―)ノノ ニゲロ〜
06.05.17
懐かしいな〜と思いつつ、ちょこっと誤字脱字を訂正してのUPです。
アルバレアの乙女…、中世騎士物が大好きなミカルにとって、当時アンジェリークよりも嵌った唯一のゲームでした。
アンジェ…楽園シリーズの暗殺者オスカー達一行様は、このアシャン達と一緒に大陸の謎を解くために奔走するんですよ。そんな長編のストックが、手書きファイル5冊…3000ページあります←オイ
いつか書けたらいいな〜♪
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