どしゃ降りの涙 9








生きている以上、誰だって悩むさ。恋に破れたり、願いを叶えるために努力しても、それが報われなかったり、突然最愛の家族と死に別れたり、裏切られたり、盗まれたり、失ったり、傷つけられたり――――――過去もきっと千差万別。

その時受け取った心の痛みだって、それぞれ受け取り方が違うだろう。

だから僕は、君に「大変だったね」「可哀想に」「頑張ったね」なんて、ありきたりの言葉は贈らない。
君の気持ちは判るなんて、そんなおこがましい僕の思い込みを押し付ける気はないから。

けれど、君同様に家族と別れた過去のせいで、僕も多大に心に傷を負った身だ。袋小路に追い詰められて時を止めた君に、未来を歩く切っ掛けを一つだけ指し示すことはできる。

――――――選ぶのは君だ――――――



☆☆



ベッドで膝を抱え、丸くなったアイリーンと、その傍らの椅子に腰掛けたセイランとの間に、今静かな時間が流れていた。

気を張って殻に閉じこもっていたアイリーンは、穏やかな表情でセイランの話に耳を傾け、セイランもまた…皮肉屋の仮面を取っ払い、素直に胸の内をさらけ出しているせいか、綺麗でいつもなら作り物めいて見える顔に、温かみのある表情が伺える。



「ねえアイリーン、君は天界が純粋で清らかな世界だと思うかい?」


アイリーンは、口元に微笑を浮かべつつも、ふるふると首を横に振った。
そんな彼女に、セイランも穏やかな微笑で答える。


「そう。魔族の大半は元天使だ。天使は簡単に墜天する、心がもろい種族だからね。天界は規律と規範でがんじがらめにしてようやく天使をまとめ上げている。決められた規則を破ればすぐに監視が付くし、密告は大いに奨励され、友人や親しい仲間でも、裏切りは日常茶飯事に行われている」


クラヴィス・ウリエル配下となったセイランだったが、父と決別して抜け殻となった自分をそっとしておいてくれる程、天界は彼に優しくなかった。

レヴィアスに執着していたセイランにとって、父親との再会が人生の全てだった。
その目的を果たし終え、父親を自分が見限り、過去と決別してしまった瞬間、彼は生きる目的を失った。
そんな単純な理由なのに、セイランに近づく奴らは口先だけのどうでも良い慰めを与えるふりをし、ことごとく傷口に塩をぬりこむようにレヴィアスを取り逃がした件を蒸し返し、本当に裏切る意志はないのかと、痛くない腹を探ってくる。


何もかもが煩かった。そっとしておいて欲しかった。
気が狂いそうだった。
いっそ発狂できたらどれだけ楽だっただろう。


彼に新たに与えられた仕事は、魔物に討たれた勇者の魂を、10日以内に担当天使が来るまでエミリア宮で預かったり、薬を適当に部下に調合させて、分けてくれと願う天使に配るという、今まで魔軍と命のやり取りをしていた身には簡単なものだった。
日々ぼーっと惚けながら、黙々と事務処理を行っていたが、そのうちこの宮殿に訪れる天使は、ほぼ確実に何度でも現れてセイランの手を煩わせることに気づいた。



――――馬鹿な天使はいとも簡単に、己の采配ミスで、何度も自分が選んだ勇者を殺す――――

(この、無能者ども!!)

段々と、そんな愚かな天使が目障りになってきた。


父に切られ《死》を実際に体験した自分だから知っている。四肢が動かず、血とともに体温が奪われ、気が遠くなり、自分自身が消えていくかのようなあの恐怖、セイラン自身ですら二度と経験したくないと思う。なのに天使は、己の采配ミスで殺してしまった勇者に、その怖さを克服して『また戦え』と軽々しく命じている。

天使は地上を見守るのが役目で、世界を救うのはその地に住む人間…勇者の役割、それが天界が決めた掟。
だからって『ここはお前の世界なのだから、救いたいのなら戦え』と、そう気軽に強いるのは、間違いだ。

いくら天使が直で異界に介入するのがタブーだとしても、所詮他人事だ。守護してきただけの天使では、勇者の死の恐怖などわからないだろう。

セイラン自身、レヴィアスの割られた肩の傷は、人工の皮膚で覆って隠している。
他人の目には見ることができなくても、自分は体に惨い魔傷がある事を知っている。
殺された痛みと恐怖、心に負った深い傷は、一生消えることはない。


「奇麗事を並べて勇者にしておきながら、天使はいとも簡単に勇者を守りきれずに殺す。
己の力不足を反省せず、勇者の魂を迎えに来た事で自分の采配ミスがチャラになると思っている、めでたい天使達だ。そんなたわけた奴らがとことこ迎えに来たからって、ただ彼ら勇者を引き渡したんじゃ、命がけで戦った勇者達が気の毒と思わないかい?」




だからセイランは勇者の魂の保管庫を、迷宮に作り変えた。
地獄を習って階層も9つに区切り、下の階に行けば行くほど、文字通りに自分自身の身が危険に晒され、殺されかねない勢いの恐怖を味わえるように、徹底的に趣向を凝らした。
「勇者たちの味わった何分の一でもいいから、身を切られる恐怖を味わえ!!」と、無音、凍土、業火等、化け物が平気で闊歩する世界を作り上げた。


魔物に殺されてしまった勇者の魂は、セイランのエミリア宮に送られる。彼はそれら魂を迷宮の階層に振り分けて、後は知らん振りを決め込んだ。

10日以内に迷宮から己の勇者の魂を探し当てねば、セイランの手により、勇者は本当に死者達が行くあの世に送られてしまう。
もし己の勇者を一人完全に失えば、天使達は自分が派遣された地で新たな勇者を見つけ、それらを育てねばならないのだ。その手間隙を考えれば、例え己の身が危険に晒されると判っていても、保管されている勇者の魂を迎えに迷宮に入るしかない。


10日以内に見つけねばならないという、時間の制限も天使を焦らせる要因だ。
時間の感覚も分からない世界で、何日もさ迷い歩けば、天使という清らかな仮面で取り繕っていた化けの皮も剥がれ、個人の持つ本性が浮き彫りになる。

≪なんで俺がこんな目に合わねばならない!!≫
≪セイランめ……馬鹿野郎!!≫
毒づくだけで、セイランを逆恨みする天使なら、まだ可愛げがある。

勇者の魂を探すのをさっさと諦め、迷宮を脱出したその足で、ジュリアスやクラヴィスの下に告げ口に行く天使もいた。
喪に服し、引きこもったクラヴィスは、そんな馬鹿達に傾ける耳は無かったが、正義の名の元に、規律を重んじるジュリアスは、その都度セイランに呼び出しをかけてきた。
使者を侮蔑と毒舌で一切反論できないほど徹底的にいたぶって、「用があるならあんたが来い」と、無視を決め込んだセイランには関係無い話だが。

だが、何よりも信じられなかったのは……自分自身が迷宮で迷ってしまい、出口を見つけられなくなった時、セイランに「助けてくれ〜!」と泣き喚いて救出を懇願する天使が続出した事だ。
セイランが作り出した迷宮は芸術品だ。複雑怪奇で一度入ったら、易々とは戻れない造りなのは認めよう。
だが、救済措置はしっかりと施してある。
己の守護する勇者の魂を見つければ、眠っていた勇者は目覚め、己の本来いる世界に戻るのだ。彼らはどんな階層に放り込まれても、目覚めれば自然に正確に迷宮の出口を把握できる。だから天使も、己が見つけた勇者と一緒に帰れば、迷わず抜け出ることができる筈だ。

それなのに……何が「助けてくれ」? 自分の力不足で勇者を殺しておきながら、自分だけ助けを求めるなんて。
己の不手際で死んでしまった勇者達は、迷宮の中で自分の守護天使が迎えが来るのを、信じて眠りながら待っているというのに。

だからセイランは、そんな風に懇願する天使達を無視した挙句、守護する勇者の魂を、即座にコチトを模した最下層に移し変えた。
そんな身勝手な天使を信じ、今後もこき使われる勇者達の方が気の毒だ。
薄情な馬鹿の管理下に置かれ、何度も『死』という辛い目に合わせるよりは、魂を安全な使者の世界に旅立たせた方がましだ。


そんなある日、【彼女】は来た。


どだだだだだだだだと、けたたましくセイランの執務室のドアがノックされ、彼の了承も得ないうちに、バタンと荒々しく扉が開く。


「す、すいません!! インフォスという世界から、シーヴァスっていう勇者の魂がこっちにきている筈なんですけれど!!」


少女はぱたぱたと小さな翼をはためかせ、セイランに体当たりしそうな勢いで飛んできた。
日の光を編み上げたような肩までの金髪は、ゆるくウェーヴがかかってふわふわと揺れ、彼を見上げる零れ落ちそうなぐらい大きな翡翠色の瞳は、既に涙に潤んでいる。

既に黒いウワサが天界に蔓延しているセイランの執務室に、臆すことなく飛び込んできた可憐な少女に驚いたセイランだったが、インフォスに派遣されたアンジェという名前に聞き覚えがあった。

(………そうか、この娘が例の『クラヴィス・ウリエル』の息女か……)


幼年学校の卒業を間近に控え、『貴方は優秀だから』とディア・ガブリエルに騙されて、勇者の守護などという物騒なお役目を与えられた間抜けな幼い少女の噂は、情報通のチャーリーから聞いている。
自分を庇い目の前で妻に死なれ、かつて天使軍の猛将クラヴィス・ウリエルは抜け殻となってしまった。ジュリアスは自分の友で、己と並ぶ彼の戦力を惜しんだ。できれば軍に復帰させたいと望み、姑息にも、クラヴィスの愛娘を無茶な任務に大抜擢したのだ。
自主的にクラヴィスがアンジェの任務に力を貸せば、働いた前例になる。
となれば、後はいつものようになし崩しに口先で畳み掛ければいい。
そんなあざといきっかけを作る為に、巻き込まれたこの少女も立派な被害者である。


「セイランさま、シーヴァスは……? 私のシーヴァスは何処にいるんです?」


ポロポロと大粒の涙をこぼし、泣き崩れたいのを堪えている少女は、セイランの目から見ても、あきらかに人が良く、騙されやすそうだ。
本来ならそのまま上の学校に進むか、ルヴァの管理する天界の図書館の司書見習、ジュリアスの白薔薇園の管理見習、ディア・ガブリエルの女官等、心穏やかな職種が向いているだろう。

ちくっとセイランの良心が痛んだが、彼が決めたエミリア宮の規律に例外はない。
入宮した者の名が刻まれる名簿を手に取り、ページを捲ると……シーヴァスの魂はつい5分前に迷宮の最上階に入っていた。


「………いいかい君、絶対シーヴァスっていう奴の魂は、迷宮の扉を潜った所の階層にいるから、変な階段を見つけても下に降りちゃ駄目だからね……」
「はい、ありがとうございます!!」


アンジェは涙目でコクコク頷くと、セイランが指し示した壁にある扉に、体当たりする勢いで飛び込んでいった。
1階層目は、せいぜい鬼や屍や骨だけの化け物が、うろうろ闊歩する程度の地獄だ。剣を多少使える天使なら、怪物達に、齧られたり叩かれたりされずに、目的のものを見つけることができると思うが……。


(…………あの子、剣持ってたっけ?………)


セイランの額に、嫌な汗が一筋流れ落ちた。セイランの観察力に優れた目が捕らえた所、彼女は確か手ぶらだった気がする。クラヴィスの娘なら、ジャハナに落とされた罪人の魂のあしらい方に熟知し、魔物を退ける魔法ぐらい取得しているかも……と、思い込もうとしたが、あのほえほえした娘には虚しい期待だと勘が告げている。
彼の不安を裏切らず、アンジェの≪みぎゃあああああああ!!≫という悲鳴がエミリア宮に響き渡ったのは、その直後だった。

セイランは額を押さえた。


(………この子は絶対常連になりそうだ………)



☆☆


セイランが危惧した通り、アンジェはでたらめに勇者を死なせた。

いくら彼女が天界の被害者だとしても、セイランは無能な者には容赦がない。
同じ勇者を死なせる度、天使へのペナルティで、その魂は自動的に、どんどん迷宮の下層へと入宮する仕組みになっている。
迷宮も6階層も超えれば、アンジェのようなか弱い娘では、勇者の魂を発見するどころではなく、自分の身を守るのに精一杯だろう。
迷宮を長時間さ迷えば、そのうち精神を壊して、廃人になる可能性もある。






≪うぇ〜〜ん……アーシェ、レイヴどこぉ…………!!≫
≪ひぃぃいぎゃぁぁぁぁ〜〜〜〜!!≫



セイランは頭に被っていた枕を壁に叩きつけると、転がっていたベッドから身を起こし、忌々しげに頭を掻き毟った。
アンジェが迷宮に入宮して、既に9日と22時間が経過している。
後2時間以内に二人の魂を見つけることができなければ、セイランはエミリア宮の主として、約束どおりアンジェが守護する二人の勇者の魂を、霊界の門まで送らねばならない。


(……どうしようか……、あいつめ……)


エミリア宮に響き渡る彼女の泣き声は、間近に迫った時間切れの為か、段々狂気じみてきている。
いつものように、迷宮丸ごと結界を張ってしまえば静かになるのだが、そんな事をすれば、アンジェの様子が判らなくなる。
セイランは寝巻き代わりに着ていた長衣に、腰帯を巻き、短銃を差し込む。

もう一度、アンジェに迷宮を出ろと促しても、彼女は絶対に首を縦には振るまい。
ならば魂を放置した階層を、6階から難度の低い1階に変えようかと悩む。
だが、アンジェの勇者達二人は、もう六度も死を体験している。
彼女自身のことは、親の都合で実力の伴わない部署に配属された気の毒な子だと思うけれど、それと勇者の都合は関係無い。
今アンジェが彼らを見つけても、彼女はまた勇者を殺すだろう。


(勇者達の幸せを思うなら……このまま本当に死なせてあげるのが一番かもしれない。でも………、彼女は絶対悔やむ)




金色の髪をふわふわと揺らしたアンジェリーク、一体どういう育ち方をしたのか知らないが、彼女程純粋で単純馬鹿な天使はいない。

セイランが悪意でかき集めた化け物コレクション………ミノタウロスやラミアに追いかけまわされても、崖から転落しても、狂鳥に襲われようが、業火に炙られて火傷しようが、凍土でずぶぬれになり寒さに震えようが、9日間何一つ食料を見つけられず、ひもじくて、雪を溶かした水しか口に入れることができなくても、彼女はこの迷宮を造ったセイランを呪わなかった。

恐ろしくて悲しくて、声が枯れるまで泣いても、勇者の魂を探したいと望み、彼女はどれだけセイランが『帰れ』と促しても、涙で顔をぐしゃぐしゃにしつつも、きっぱりと首を横に振り、彼の手を拒み続けた。


だが、意志があっても実力が伴わなければ意味はない。
セイランは深くため息をつき、目を閉じた。
彼女に集中すると、彼女の思念がセイランに流れ込んでくる。


≪ごめんなさい≫と。
≪私のせいでごめんなさい≫
≪絶対見つけてあげるから、待ってて!!≫


「……無理だよ、君には……」



刻は、無情に流れていき、セイランの予想通り、アンジェは何もできないまま時間切れとなった。



☆☆


過去に何度も霊界の門へ勇者の魂を送り出したが、今日程後ろめたい気持ちで仕事するのは初めてだ。彼女はきっと…身も世もなく泣いてしまう。だが、約束は約束だ。

セイランは管理人の職務を果たすべく、杓丈を手に迷宮の六層目に舞い降りると、真っ暗な空間に、一度だけ杓丈を大きく弧を描いて振るった。
セイラン付の妖精が、復活を告げるラッパを高らかに吹き鳴らした。
空間を賑やかな音が浸透した途端、六回層目の深い森の奥に、大きな光が二つ輝く。
眠っていたレイヴとアーシェの魂が目覚めたのだ。


セイランは、二つの魂を縛り付けた制約を解くため、彼らの元に舞い降りると、杓丈を大地に二回打ち、彼らを大地から解き放った。
同時に杓丈上部の幾多の鈴が、シャラシャラ繊細な音を立てて鳴り、空に青白い魔方陣が浮かび上がる。
迷宮を抜ける簡易出口だ。
普通勇者の魂は、そこから霊界へ旅立つ。

「さあ、君達の生はこれで終わった。今後は死の恐怖に怯えることもなく、天界の死者の花園で、ゆっくりと過ごすがいい……、行け」

蒼い鎧を着た騎士・・・レイヴと、真っ白のドレスに王冠代わりのサークレットを額に巻いた王女…アーシェは、揃って怪訝気に顔を顰めた。


≪誰よアンタ?≫
≪俺はお前など待っていない。アンジェはどうした?≫

「君達は死んだ。だから霊界に行けと言っている」


≪嫌よ≫
≪俺もゴメンだ。俺にはまだやることがある≫
≪あたしだってそうよ。あんなおぼけなアンジェ残して、くたばれますかって≫

「……あのね、僕は君達の意見なんて、聞いちゃいないんだけれど……」

セイランは忌々しげに、もう一度杓丈を大地に打った。
名前も覚えていないセイラン付きの妖精達が、慌てて駆けつけてきて、アーシェとレイヴの腕をそれぞれ取る。

≪触らないでよ。冗談じゃないわ!!≫
≪切るぞ!!≫

だが、いくら妖精達が出発を促しても、魂は飛びもせずにその辺の樹木に自らしがみついたり、大剣を抜き放って威嚇したりして、全く動こうとしない。


「おいお前達、何をぐずぐずしている?」

≪とーぜんじゃない!! 誰が死ぬと判っててのこのこ行く?≫
≪同感!!≫

自分に堂々と逆らうチャレンジャーは好ましいが、嫌な仕事はとっとと片付けるに限る。
セイランは問答無用で二人を透明で丸い宝玉の中に封じ込めると、空に作った魔方陣に向かって、勢いよくぶん投げた。
一度弾みがつけば、魂は決められた起動に乗り加速する。光が一直線に飛翔するのを、セイランは黙って見つめた。
だが。


「逝っちゃヤダ〜〜!!」

ぱたぱたと不揃いな羽音を立てながら、魂の進路を遮った者がいた。
セイランが目を見張り、咄嗟に叫ぶ。


「あぶない!!」
「きゃううううううう!!」


全身で二人の魂の飛翔を阻んだアンジェは、宝玉を抱きしめたまま、墜落した。
ダンッと、何かがひしゃげるような鈍い音も、無気味にセイランの耳に届く。

「アンジェ!! この馬鹿!!」


セイランは舌打ちし、直ぐに翼をはためかせ、彼女の落ちた方に向かって飛んだ。

(何て無茶なことを!! 馬鹿だと思っていたが、ここまでとは!!)

暴走した馬車の前に、体一つで飛び出して止めたようなものだ。
セイランの目に、魂の飛翔を遮ったその衝撃に、カミソリで全身引き裂かれたような、痛々しい傷を負い、血まみれになって転がっている少女の姿が焼きつく。
だが、怪我を負って横たわっていても、小さくて華奢な手はしっかりと割れた宝玉から飛び出したアーシェとレイヴの手首を掴み、離すまいと握り締めていた。

≪アンジェ!!アンジェ!!≫
≪アンジェ〜〜!!≫

守護天使の異変に、蒼い鎧を着た騎士レイヴと、白いドレスをまとった王女アーシェの二人も、先を争ってアンジェの小さな体に手を伸ばし、抱きしめようと手を伸ばす。


≪死んじゃやだ、やだよアンジェ〜〜!!≫
≪アンジェ!! おい、しっかりしろ!!≫


馴れ馴れしい二人に、目の前が赤くなった。
「貴様ら、どけ!!」
杓丈で二人の勇者を容赦なく払い除け、セイランは血まみれのアンジェの体を抱き起こすと、手のひらに集めた治癒の光を、たっぷりと少女の傷口に注ぎ込んだ。


「お前おい、僕がわかるか!!」


治癒をしながらアンジェをがくがく揺さぶると、彼女は薄っすらと目をあけ、ぼんやりとセイランを眺めた。

「セイランさま……、アーシェとレイヴは……無事? 私、間に合った?……」
「ああ無事だ。今、人界に戻った」

セイランの言葉どおり、セイラン付きの妖精に導かれ、邪魔な二人の魂が下界に向かって旅立っていく。
アンジェの翡翠色の瞳から、じわりと涙が染み出し、両頬に勢い良く滑り落ちた。

「よかっ……た……」

アンジェはうれしそうにほっこり笑い、そのまま安心したのか気絶した。


10日も彷徨い、やつれて頬の肉がそげた顔をそっと撫でる。
セイランの心に、何故か熱いものが込み上げてきた。


―――――どうしてこんなものが存在するんだ?―――――
―――――どうして、こんな娘が存在するんだ?―――――


勇者を見つけるのが間に合わずに、今後の苦労を思ってわが身の不幸を泣く天使はいた。偽善的に「ごめんなさい」と、嬉しそうに泣く奴もいた。けれど……、身を挺して、魂の飛翔を阻止した天使は初めてだ。


「………馬鹿なんだから………」



この娘なら信じられるかもしれない。
この娘なら、傍にいても裏切られないかもしれない。


セイランは、大切な存在となった小さな天使を、そっと自分のマントで包み、両手で抱き上げた。


「……僕だけを見ろ……」



☆☆


「アンジェがいなかったら、僕はとっくの昔に仕事放棄して失踪していたかもね」

そして反逆者の子供だからと墜天使扱いとなり、本当に天界から追放されていたかもしれない。
でも今は、親友のゼフェルがいて、愛しい天使がいる。

「僕はもう孤独じゃない。相変わらず周囲の風当たりはきつくて喧しいけど、僕は今幸せだよ」
「ふ〜ん」


アイリーンの瑠璃色の目が、何だか妙に剣呑となっている。

「でさ、あんたは結局あたしに惚気話をしたかったの?」
「いいや、僕の身の上話にかこつけて、君の背中を一回押してやろうと思ってさ」

しれっと無表情のまま、セイランはベッド隅の小さな造り付けの棚に置かれた、家族四人が笑っている、小さな肖像画を手に取った。
この、アイリーンを真ん中にして、それぞれの肩を抱いているのが彼女の姉と義兄だろう。

「だから、今度は君の番だ」
「え?」

まっすぐな瞳で、セイランはアイリーンの瞳を射る。


「勇者になりな、アイリーン。世界中を旅して、お前を置いていった義兄に会って、どうして自分を置いていったのか聞いて、自分の心に踏ん切りつけて来い」


彼女の幼い瞳が驚愕に見開かれ、やがてガタガタと全身を小刻みに震わせる。


「できないよ・・・」
「できるさ。僕にできて君にできないはずはない。君は嫌になるほど僕に似ている。意地っ張りで自分から殻に篭って、つんつんしてて……、でも自分が納得できなければ、他人の説得なんて無意味なそよ風で、孤独が嫌いで……」
「孤独じゃないもん、ヴェスタがいるもん!!」

「でも、本当は君……大好きな義理の兄と一緒に旅に出たかったんだろ? 子供でも、旅がどんなに辛くても、そいつと離れるよりはマシだったんじゃない? 足手まといだと思われたかもなんて思って一人ここで我慢して残って………本当は義兄に切り捨てられたんじゃないかって悲しんで……そんな想いは全部僕も体験してきたからさ、なんとなくそう思ったけれど?」

「あんた、やっぱり嫌な奴」

不貞腐れて膝を抱える彼女に、セイランは容赦なく爆笑して彼女の髪をぽしぽし撫でた。


「アイリーン、勇者になりなよ。そうしたら、天使や妖精と一緒に世界中を歩きまわれる。生きてて住む世界が同じなら、きっと義兄に会えるさ。たとえもうそいつが死んでいて会えなくなっていたとしても、こんなところで、止まった時間を生きるぐらいなら行動しろ。 義兄みつけて、その時もそいつと一緒に行きたいって思ったのなら、無理にでもくっついていけ。義兄が君を連れて行くかどうかを決めるんじゃなくて、君が選ぶんだ。待つよりよっぽどいいだろ?」


むすっと膨れていたけれど、セイランがぽしぽし彼女の頭を撫で続ければ、やがて真っ赤になってそっぽを向く。



「あんたは父親と決裂したんでしょ? それでよかったの?」
「ああ」
「寂しくない? 後悔は?」
「ないよ。自分の心に整理がついたから。それに、過去と決別できたから未来を得た。今僕には父よりも執着している恋人がいる。僕の命よりも愛しくて、僕をきっと命がけで愛してくれる人がね。大体、自分の守護した勇者の死出の旅を、体張って止めるような無茶な天使だよ。恋人なら一体何してくれるか………判るだろ?」


「ああ、さっきの天使。あんたよっぽど自慢したいらしいのね。また惚気ちゃってさ」

と、口では皮肉をいいつつも、目は興味でキラキラと輝いている。
内心はきっと『いいなぁ』という前向きな気持ちになったのだろう。


「ねぇ、どんな天使?」
「金のふわふわの髪は春の陽だまりで、柔らかい肌は染み一つ無いすべらやかなミルク色、外見通りの純真な心を持つ、すべてが愛しい、僕の最高の恋人さ」
「うわっ、すっごい恥ずかしい。あんた言ってて照れない? 怖いもの見たさで見たい気もするけれど…細工画かなんかないの?」

「君をしょっちゅうスカウトに来てた、おチビの天使のことだよ」

途端、アイリーンの目が点になる。そして、セイランを再び不信そうにじろりと睨み、じりじりと後ずさりを始める。

「あんたって実はロリコン?」
「言ったな?」

お仕置きだと、口を両手でへむっと引っ張ってやる。
「あでででで!!」
親しい家族がやるようなじゃれあいに、アイリーンは痛がってる割には笑い転げる。

「アンジェは人で言うと17歳ぐらいの娘だよ。今は事情があって、力を使い果たしてしまってね。力をあまり使わなくて済むように、体の負担が少ない幼児の身体に戻っているんだ」
「へえ」
アイリーンは興味を魅かれた様子だ。
「じゃあ、これからはあんたもあの子と一緒に、勇者の守護とかやるの?」
「いいや、僕には天界で別の仕事がある。さっきも言ったように、エミリア宮で、死んでしまった勇者の魂を保管して、連れ戻しに来た天使に勇者を返す役目をしてる」

「ふ〜ん…いい仕事ねって言いたい所だけれど、他の人は何か含みがあるみたいね」
セイランはじろりと開け放たれていたドアに視線を走らせた。途端、ヴィクトールやオリヴィエ等、聞き耳立てていた面々が、わらわらと視界から消えた。

「否定はしない」
全く、この子はやはり、あきれるほど自分に似ている。


「勇者やってあげていいよ。その代わり、私をしっかりと守ってもらうし、義兄を探すのにも協力してもらう。ギブ・アンド・テイク、わかった?」
「ああ」
にやりと人の悪い笑みを浮かべる少女は、やっぱり気が強くて笑える。

「判った。じゃ、君専属の妖精は……」

誰にしようかと振りかえった途端、いつの間に復帰した、赤毛の狼が手を挙げている。
「俺!俺がこのいたいげなお嬢ちゃんを一人前の女に〜」
「このケダモノ!!」
すぱーんと良い音をたて、オリヴィエのチョップが彼の脳髄にとぶ。

「……あいつらだけは嫌……」
「判ってる」

ボソッと低めの声で呟くアイリーンは、本気だ。勿論セイランだって、最後に話を壊す程馬鹿ではない。

「セイラン、この子は私が付きますわ」
「……ロザリア?……」

彼女はアンジェの親友だ。できれば勇者付きにせず、ずっとアンジェの傍にいて欲しい。

「勿論、私はアンジェが一番。でも、この子を無事に義兄に引き会わせるまでは、保護者として世話する者も必要ですわ。私は留守が多いけれど、絶対あんたを一人ぼっちにしないことだけは約束するわ」
「何よ、あんただってまだ17ぐらいの子供じゃない」
勝気な少女同士だ。だがロザリアは、アイリーンの皮肉を無視して、すっと手を天にかざした。

「ばあや!! ばあや!!」
「はい、ここに」

たちまち、恰幅のいい齢60を超えている老妖精が舞い降りた。

「ばあや、今から私がこの子の面倒を見る事になったから」
「まあ、お世話し甲斐のあるお嬢様ですね」
「……この子何様?……、ばあやって一体?」

戸惑うアイリーンに、セイランは苦笑を洩らす。

「ロザリアは、妖精の女王……リュミエール・ティタニアの後継者だ。つまり、妖精界のプリンセスってこと」
「俺だって、妖精界のプリンス……げほっ!!」
「いいからあんたは黙れ!!」

ペンギンにベシッと回し蹴りを食らい、再び床に沈んだオスカーは、そのままヴィエペンギンに足を捕まれ、部屋から摘み出された。

「じゃ、ばあや。私はまだ仕事が残っているから行くけれど、この子には規則正しい生活をお願い」
「はい、ちゃんと朝もしっかりお起こしして、食べさせますのでご安心を」
「ゲゲ!!」

明らかに昼夜逆転しているアイリーンにとって、この瞬間ばあやは天敵となった。

そのまま問答無用で寝ろ!! と、ベッドに押し込められたアイリーンを残し、ゼフェルのバイクは次の地を目指して旅立った。


★ ☆

「う、うにゅゅ……、なんでー!!」


ポーションの睡眠効果が切れ、目覚めたアンジェは、辺りがもう真っ暗になっているのを見つけて一気に青ざめた。

セイランの置手紙に素早く目を走らせれば、皆が来てくれたことにびっくりしつつ、薬を飲んで更に寝てろと書かれており、俺様な思考に感心する。
だが、勇者になってくれと、候補者にお願いするのはアンジェの仕事だ。
そんな地道な任務を、誇り高いセイランや高位の父クラヴィスに肩代わりさせるなんてとんでもないし、親の七光りと自分が陰口叩かれるのはいいけれど、父や恋人が馬鹿にされたり、オリヴィエが窮地に立たされるのはゴメンだ。

アンジェは直ぐに、ウサギの着ぐるみ寝巻きを脱ぎ捨て、身支度を整えた。
端末を引き寄せて勇者候補の所在地を探る。

「きゃあうううう!!」

調べてアンジェは真っ青になった。
何故なら、勇者候補を示していた黄色の光のうち、4つが赤い光に……、つまりアンジェの勇者を承諾したと告げていたのだから。

(セセセセ……セイランったら、一体何やったの〜〜〜!!)

彼が綺麗な顔に似合わず、ちょっとキツイ性格なのは判っている。
そうとう無茶で強引なお願いをしたのかもしれない。
それに残っている勇者候補は3人だけ。
しかも、そのうちの一人……ロクスを現すマークは赤く点滅しており、彼らが交渉を開始したことを伺わせる。

「駄目なの!! 私の仕事なんだもん!! ロクスの所に行かなきゃ!!」


アンジェは雄々しく立ち上がると、エクレシア教国目指し、翼をぱたぱたはためかせて飛んだ。
だが、彼女は究極の方向音痴だ。オリヴィエという道標がいない今、願った場所にまともに行ける筈がなかった。




06.06.24




長い〜Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン けれど、これ以上セイランの過去話を延ばしたくなかったので、無理やりまとめてしまいました( ̄― ̄)θ☆( ++) 

天然ボケなアンジェ、やっと起きたよ(メデタイ♪)
ラストまで後3話、ラストスパートですvv


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