銀の迷宮 4
「天使を寄越せ!!」
ルヴァが円月刃を振るうごとに、血飛沫が飛び動かなくなった肉の塊が次々と倒れる。
だが屠っても屠っても、その死体を乗り越えて次から次へと新手が押し寄せてくる。
「ルヴァ!! 降ろして!!」
アンジェは涙目で己のしがみついている男を見上げた。
「いいから、貴方は目を瞑っていなさい!!」
ルヴァはもう、アンジェの見知った学者風の温厚さなど微塵もなくなり、彼女の体を左手一本で抱き上げ、襲いかかる暴漢達を確実に屠り続けていた。
彼の太く汗ばんだ首に回した腕を伝い、彼の鼓動が伝わってくる。
喘ぐ息。踊る心臓の音。波打つ肩の肉。そして冷や汗。
きっと彼の肺は空気を欲し、痛みの伴ったシグナルを送っている筈だ。けれど悠長に休む暇などない。立ち止まれば最後、アンジェは捉えられてしまうのだから。
(……あとちょっとなのに……)
兄を見送った扉のある大樹は、今アンジェの目の前にそびえ立っていた。アンジェが走ってほんの三十歩程度の距離だ。けれども扉には凶悪そうな面構えの男達も屯していて、彼女達を阻むだけではあきたらず、そいつらは一斉にルヴァをしとめに襲い掛かってきたのだ。
「埒があきませんねぇ」
ルヴァは余裕などない癖に、アンジェを安心させるためだけに優しく囁く。力ずくでアンジェを掴み取ろうとしたいかにもむさ苦しい薄汚れた男を、血刃を下から上に薙ぎ払い、切り捨てた後、彼は呼吸を整える為に深く息を吸い込んだ。
真っ二つに割れた巨躯が、血を撒き散らしながら左右に分かれて大地に転がる。
その一瞬の間。
「あ〜……太陽神ジュリアスと月女神ロザリアの騎士として求む。悪しき者を阻む絶対の聖域を、今この場に与えたまえ……」
ルヴァの唱えた呪文に呼応し、彼の手に持つ湾曲した刃から血糊が吹っ飛び、刀身が眩く光った。
そのきらめく刀でルヴァが大地を刺すと、大地は彼とアンジェを包み込むような白い円を描き、空間に真っ白の光の柱をそびえ立たせた。
清らかな光の魔法。神を崇めて仕える者達だけが使用できるという神聖魔法だ。
その光は魔はおろか、邪な想念を抱く者の侵入をも防ぐという。
昔、兄達がアンジェに知識として教えてくれた通り、白い光の壁は野蛮な男達の繰り出す拳も剣も通しはしなかった。
「アンジェ!! しばらくここから出てはなりませんよ!!」
「え!?」
「私が道を開けます。ですから、合図したら扉まで突っ走りなさい。いいですね」
ルヴァはアンジェを腕から降ろして、ぽんっと軽く頭を撫でると、踵を返して聖域から飛び出してしまった。
「ちょっと!! ルヴァ!! 待って!!」
彼は柱に切りかかっていた男の喉を剣で薙ぎ払い、横から切りつけてくる刃を身をかがめてかいくぐり、前方を塞ぐ者の腹を一刀両断すると身を起こし、柱を背にして青白く光る円月刃を構え直した。
「馬鹿!! 何する気なの? 止めてってば!!」
アンジェは直ぐにルヴァの後に続こうとした。彼の好意は本当に嬉しいけれど、ここにいる賊らはルヴァがアンジェを手に入れたと勘違いしているのだ。
命が危ないのはルヴァだけである。だが、光の壁はアンジェだけを外に通してくれなかった。
アンジェはまたしても、大切な人が危ない目にあっても、見ているしかできない。
その悔しさに、目にじんわりと涙が溜まっていく。
「ルヴァ!! ここを開けて!! ルヴァ!! 無茶よ!!」
拳を丸めて何度も光の壁に打ちつけるが、頑丈な光はガラスのように冷たく固く、割れるどころかアンジェの手が痛んだだけだ。
ルヴァはアンジェに広い背中を見せながら、頭上から振り落ちる太い腕を剣の刃で切り落とした。右手の無くなった男が右腕を掴んで野太い声で吼える最中、彼は左手で腰のサッシュに差し込んであった小刀を引き抜き、男の喉に叩き込んだ。
「……ルヴァ?……」
淀みない動きで、ルヴァは次々と男達を屠る。アンジェとともに森を歩いていた時の、あのほえほえとした優しさが何処に消えてしまったのだろう?
ちりちりと、胸が焦げる。
目頭が熱くなり、喉がぴりぴりと痛くなる。
アンジェという重荷を降ろし、解き放たれた彼は、強く頼もしかった。
独特の湾曲した剣を振るい、血煙を上げる彼の広い背。それにアンジェにとって誰よりも何よりも大切な二人の人の面影が重なる。
短い赤毛の頼もしい人。
長い金髪に、いくつもの宝石の飾りをつけた艶やかな人。
(………兄さま達…………)
きっと今も、アンジェの知らない世界の戦場で、ルヴァのように見知らぬ誰かを屠っているのだろう。
無力なアンジェを護るために。
アンジェ一人を、護るために。
何も加護をあげられないアンジェを護るために。
アンジェはえくえくしゃくりあげた。
「止めて……もう止めてよ………ルヴァ!!」
光の壁を無我夢中で打ちつけると、指がぱきりと変な音を立てて痛くなる。
鼻を啜りながらアンジェは叫んだ。
「ルヴァ!! 出してくれなくていいからここに来てよ!! 今日か明日には兄さま達が帰ってくるんだもん!! 魔方陣の中で待ってようよ!! ね!! アンジェの為に戦わないで!! 死んじゃ嫌ぁぁぁ!!」
「……生憎、そんなに長くは持たない呪文なんです………」
屠りながら、ルヴァは優しく諭すように言う。
アンジェに気をつかって微笑む彼は、もう密かに次の呪文を唱えていたらしい。体をちょっと傾けたため見えた左の手の平には燐光の塊が宿っている。
「アンジェ。そろそろ走っていただきますよ。いいですね」
そう小さく囁いた後、ルヴァは唇を舌で湿らせた。
「太陽神ジュリアスの下僕が望む。光球よ!! 阻むもの達を薙ぎ払え!!」
ルヴァの左手から、光の塊が解き放たれた。
白い閃光のあまりの眩さに、アンジェは目を瞑る。
だが、賊達は……。
≪ぐぎゃあぁぁぁぁ!!≫
獣のような咆哮を撒き散らしながら、身を折り潰れた目を覆って大地に転がり身悶えている。涙も止まり、目を擦り、視界が再び見えるようになったアンジェは、自分を護っていた光の柱の防御陣が跡形もなく消えうせていることに気がついた。
ルヴァも肩で息をしながら、剣を杖代わりに大地に突き刺し、背を丸めて気だるげに膝をついている。
「ルヴァ……大丈夫?」
アンジェは駆け寄り、ルヴァの肩に手を乗せたが、その手は軽くぴしゃりと叩かれてしまった。
「私に構わず今すぐ行きなさい!! 時間がないのですよ!!」
「はい!!」
滅多に怒らない人が険しい顔をすれば怖い。
ルヴァの睨みと怒声に背を押され、アンジェは条件反射で突っ走った。
ルヴァの放った光球は金色の扉まで伸び、賊を打ち倒して道を作っていた。
アンジェは倒れている男達に引っかかって転ばぬよう、足元をしっかりと見て道を選び踏みしめていた。だが中にもすばしっこく身を伏せ、難を逃れた者もいたのだろう。
倒れているかつての仲間を平気で踏みつけて、数人の男達がアンジェに向かって素手で襲い掛かってきた。
アンジェを護っていた騎士ルヴァと別れたことを好機と思い、またちびちゃい彼女を傷つけるのを嫌ってのことだろう。腹の立つことに、誰もが簡単にアンジェが手に落ちると思い込んでいる。
「大魔道師の妹を嘗めんじゃないわよ!!」
アンジェは胸元のペンダントを引き千切ると右手に持ち空を薙ぎ払った。
蒼白く輝く刀身が伸び、右から手を伸ばした男の喉を切る。
剣のずしりと重い質感。その刀が狩った生暖かな血。
人の命を楽に奪える武器の出現に、アンジェを侮っていた男達は、手に手に自らの武具を取り出し身構えた。
アンジェはぺろりと下唇を嘗めると、今や彼女の手にシックリなじんでいる魔法剣の柄を両手で握り締めた。
狙われ追い掛け回され逃げつづけた幼年期。兄達の手を少しでも煩わしたくなくて、オスカーとオリヴィエに泣いて強請って剣技を学んだ。
勿論二人の兄には全く適わないけれど、普通の人程度なら、一対一の勝負で負けるとは思わない。
(もう、この前のように囲まれたりなんかしない!!)
横から切りつけられてきた刃をかいくぐり、アンジェは左の手の平で男の手首を掴まえた。反動つけて下に引っ張ると、男は前のめりに倒れる。その首に剣を横に薙ぐ。
喉を切り裂かれ、絶命した男の長剣を左手で奪い、アンジェは一瞬身を屈める。
すると、アンジェが向かってくるとばかり思い、飛び掛ろうと身を屈めていた二人の男達のテンポが狂った。
足をばたつかせて勇み足を踏んだ二人の足元に、すかさず擦り寄ったアンジェは通り抜けざまに足の筋を切り裂いた。
二人が足を抱えて大地に倒れもがく頃には、アンジェは再び扉に向かって駆け出していた。
予想外に強いアンジェに戸惑っているのか、邪魔者達は今、手出しを控えてくれる。
アンジェはほっと深く息をつくと、顔を上げ、己の目指す金の扉を見た。
「ああっ!! うっそぉ!!」
全身がぞくぞくと総毛立つ。
金色の扉は、なんと淡く光りながら地面を擦り、ゆっくりと開き始めているではないか!!
(ううう!! ど〜しよ!! お兄達が帰ってきちゃうぅぅ!!)
嫌、それ以前にこの男達だ。アンジェのせいで呼び寄せられた者達を元の世界に返さねばならないのに、二人の兄達がこの扉に外界の道を繋げてしまったのだ。
二人がこっちに向かってきているのに、この森から男達を排出すればどうなるか?
行くもの来るものと、上手く別次元の道になれば良いが、もししくじったら兄の元にならず者を送り込むことになる。
それだけじゃない。
下手すれば二人の兄も賊の誰かの住処に飛ばされ、この森に戻れなくなるかもしれない。
アンジェの全身からどっと血が落ちた。
人間は絶望的な想像を思い浮かべると、貧血を起こすと本で読んだことがあったが、アンジェはこの感覚がそうに違いないと思った。
(あああああ!! わたしってば馬鹿!! ほのぼの現実を逃避している場合じゃないのにぃぃぃぃ!!)
兄達の繋げた道に混じらないように、別の道を繋げることができるだろうか?
はっきり言って、アンジェにはそんな高等な魔法は使えない。
また涙がじんわり滲んできた。
けれど泣いている場合じゃない。冷静に考えるのだ。何か方法がある筈だ。
アンジェはぷるぷると首を横に振った。
そんな狼狽した隙をつかれた。
「……!!……」
鞭がしなり、空を切る耳障りな音に身を強張らす。
瞬間、アンジェの右足首に激痛が走った。
「あうううううう!!」
アンジェの右横から襲ってきた蔓は、そのまま彼女の両足を絡めて巻きつき、彼女の体の自由を奪う。軽く足を払われるように、ちょっと蔓を引っ張られただけで、アンジェは無様にも頭から木の根に落ちて転がった。
「やった!! 天使を捕らえたぞ!!」
歓喜の怒声と同時に、熊ほどある巨躯の男がアンジェの髪をひっつかんだ。
「い……痛い!!」
うさぎの耳を掴むような感覚で、顔を上げさせられ、アンジェは嫌悪と痛みに顔を歪めた。
「このガキ……手こずらせやがって!!」
大男が嬉しそうに意気揚揚とアンジェを抱き上げる。そして荷物のように肩に担ごうとした時だった。
「……ぎゃあああああああ!!……」
男の太い腕は、付け根から無くなった。
しぶく血と一緒に腕につかまれたままのアンジェは、引力に従い大地に向かって落ちた。顔から地べたに激突する筈だったアンジェは、来るべき衝撃に備え、きつく目を瞑る。
だが、彼女の背後から、誰かが腰を掴んでくれた。
「……え……あれ?……」
「……間に合って良かった……」
荒い息で深く息を吐き、いつもと想像もつかない程怖い目をしたルヴァは、ほんのちょっとだけ微笑むと、すぐにアンジェの体を横抱きにして、彼女の体から蔓を剥ぎ取ってくれた。
「あ…ありがとうルヴァ」
「護りますから、貴方は扉で皆を帰しなさい!!」
ルヴァは切り裂いた蔓とアンジェを大地に降ろすと、直ぐに背を向け、剣を振りかざして駆け寄ってきた男の胸を円月剣で刺し貫いた。血泡を吐き、くたばった男の腹を右足で蹴る。そして剣を引き抜きざま真横の男の首を刎ね飛ばす。
「…………」
ルヴァは強かった。アンジェよりも遥かに強い。
「……アンジェ!! さっさとお行きなさい!! 貴方に何かがあったら兄君達が心配するでしょ!!」
「はいい!!」
低く鋭い声で命じられ、アンジェは扉に向かっての最後の十歩を駆け抜けた。
ルヴァの言う通り、こんな惨状を兄達に見せたらどんなに驚き怒るだろう?
銀の森なら絶対安全だと安心したからアンジェを残して戦に赴いているのに、変な男達に狙われ追い掛け回されている姿を見せたらどうなるか? きっと発狂してルヴァ諸共皆殺しにしてしまう!!
アンジェ自身とて、おしり百叩きぐらいで済めば良いが、最悪家の中閉じ込めの刑に処せられるかもしれない。兄達が帰ってくるまでの数日をずっと、狭い家で鬱々過ごすなんて、考えただけでぞっとする。
(うっうっうっ……お兄達……怖いよぉぉ)
ルヴァが背後をしっかりと護っていてくれたおかげか、今度はアンジェも簡単に扉に辿り着けた。
(ごめん!! お兄達!!)
開きかけた扉は白く凄烈に輝きを増していたが、アンジェは意を決して力ずくで扉を閉めた。バタリと音を立てて閉まった途端、扉から燐光が一筋残さず消えてしまった。これで完璧に道の出口が閉ざされたのだ。
きっと二人は今、この道から遮断されてどこかの次元に閉じ込められてしまっただろう。
普通の魔術師ならば、出られずにそのまま餓死だ。けれど、アンジェは兄達を信じている。二人は伝説になるぐらい素晴らしい魔道師達なのだから、少々の島流しでも直ぐに道を作って、この扉に向かってくれるだろう。
もし帰って来れなくても、その時はアンジェがセイランにお願いすればいいのである。
アンジェは唇を舌で湿らせ息を整えた。
「扉よ扉よ扉さん。アンジェの願いを叶えておくれ」
ふざけた言い回しだが、これはセイランがアンジェの為に作ってくれた呪文である。効果はこの扉の前に限り抜群だ。
アンジェの言葉に反応して、従順な扉は黄金色の燐光を灯し、再び淡く輝き始める。
「この森に彷徨い込んだ者達を………元の世界に………」
扉がアンジェの意思を察し、自然と媒介となり、他世界に続く道を幾筋も広げていく。
戻して……と言いかけて、アンジェは口を噤んでしまった。
言霊は呪文であり命令なのだ。アンジェが『戻せ』と言った途端、術は発動し、森に迷い込んだ者達全てがこの森から弾き飛ばされる。
だが、皆を帰すように望めば、ルヴァも直ぐに消えてしまうのだ。
アンジェの目の前から、ルヴァが居なくなる。
もう二度と会えない人なのに……。
――――嫌だ―――――
ルヴァと別れを惜しむ時間もないなんて。
生まれて初めてできた、人間の友達なのに。
(……そんなのは嫌だ……)
開きかけた口を閉じ、扉に押し当てる拳をぎゅっと握り締める。
「うあ……うぐぐ……」
くぐもったルヴァの声に驚き、アンジェは振り返った。
ルヴァは背を逸らせて身を強張らせている。体全部を震わせ、右手に持つ剣が彼の手から滑り落ち、固い音を立てて地面に落ちる。
「ルヴァ!!」
切られてはいない。だが、敵を目の前にして無防備に得物を手放せば!!
「危ない!!」
そうアンジェが叫んだその時だった。
ルヴァの真横に駆け寄った男が、振り上げた太刀を勢い良く下ろした。
彼女の目の前で、ルヴァの体から血煙が上がる。しぶいた血が大地とその草地と木の根を赤く染め替える中で、ルヴァの体は大きく前のめりに傾いだ。
そんなルヴァの露わになった首めがけて、別の男の大剣が勢い良く振り落ちる。
「止めてぇぇぇぇ!!」
アンジェは無我夢中で腕を伸ばした。
02.03.06
やっとアンジェを抱っこして戦うルヴァ様が書けました♪
でも、何度書き直しても良い言葉回しが浮かばない( ̄〜 ̄;)??
素晴らしいイラストに、ほんの少しでもてくてくと歩み寄れたら嬉しいのですが。
次回はルヴァの背中に抱きつくアンジェです♪
大団円(嘘つけ)目指して頑張ります♪
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