銀の迷宮 2





≪大丈夫ですか!!………しっかりなさってください!!………≫


頭が痛い。耳鳴りもする。
アンジェはうろんげに瞼を開いた。
翳む目……自分に覆い被さり、泣きそうになって顔をくしゃくしゃに歪めているのは誰だろう? 揺さぶられているうちにぼやけていた視界の焦点が合ってきた。
自分の目の前にいたのは、見たことも無い緑と赤の長衣、生成りのマント、そして頭にはマントと同色の布をグルグルと巻いた兄達よりも年上の青年だった。
「天使様!! どうかしっかりなさって!!」
アンジェはその見知らぬ男に抱きかかえられていた。彼の衣装は、血と泥で薄汚れ、あちこちが剣で引き裂かれたような痕があった。
まるで、誰かに襲われたよう。
そう思ったアンジェは、自分自身の格好を見て驚いた。ラベンダー色の薄い下着姿で、しかも肩は大きくはだけられている。このレースは、オリヴィエとお揃いだっただけに、血と土色に汚れてしまったのが悲しかった。きっと、オリヴィエが嘆くだろう。
「あ……私……どうしてこんな………痛っ……!!」
口の端が痛かった。指で抑えると固まりかけた血が指にくっついてきた。
殴られたのだ。剣の柄で、見たことも無い男達に。
「あ……!!」
押し倒され、服を剥ぎ取られて、大地に押さえつけられて……兄達の名を呼び泣き叫んでも、嘲笑われ、頬を張り飛ばされ……そのことを思い出し、アンジェは体を隠すように身を縮こませた。
「………ふぅ……ひいっく………」
唇を噛み締めて嗚咽を堪えるが、涙腺は彼女の意思を裏切り涙が零れていく。
膝を抱えて丸まり、膝に目頭を押し当てると、そんな彼女の体にばさっと厚地のマントが掛けられた。
「あの……天使様……。申し訳ありませんが、先に傷口を清めさせてください……その、正直に申しまして……お顔……結構殴られてしまいまして……あ……その〜……腫れてますし、傷が悪化しそうで……その〜……」
「………ひいっく………んく……ひっく……」
そのとっぽい語り口調が、何故か安心できて、アンジェは言われるままに顔を上げた。
男はほっと安堵の息を吐き、自分の腰から水を入れた皮袋を取り出した。そして懐から清潔そうな白布を取り出しその水で浸した。
「染みますけれど、ほんの少しだけ我慢してくださいね」
布を宛がわれた瞬間、冷たさに混じり異様な匂いを感じた。
アンジェは直ぐに息を止め、その手を振り払った。
「あなた一体誰よ!!」
男はアンジェの変わりようにも怯まず、諭すように微笑んだ。
「私は、フェリシア公国の正神官、ルヴァと申します。私の仕える天界の神々様の名にかけまして、決してその使者であられる天使様に害をなす者ではありません」
警戒を解かずに身構えたままのアンジェに構わず、ルヴァは素早く彼女の頬を先程の白布で拭い、同じく腰に吊ったもう一つの皮袋から一掴みの草を取り出すと、アンジェの目の前で良く揉み、ぺたりと頬に貼り付けた。
先程の感じた匂いと全く同じ物だ。ぴりぴりと染みる。
臭い匂いに顔をしかめつつ、眠り薬ではないことに安堵すると、アンジェはようやく周囲を見回せる余裕ができた。
鬱蒼とした木々の根元に、十以上もかつて人間だった肉塊が転がっている。
こんなに大勢の男達に襲われかけたのだ。我ながら、良く無事でいられたと思う。
自分の両手も、自分からちょっと離れた場所に落ちている短剣も、乾いた血がこびりつき、固く強張っていた。
アンジェは大きくため息をついた。
「ねえ、どうして私を助けてくれたの? 何の得もないのにどうして?」
「……え?……おっしゃる意味がわかりませんが……」
その、覇気も無くのんきそのものの声に、アンジェの方が驚いてルヴァを見上げた。
彼は本当に首を傾げている。
「嫌がる幼子に対し、大人が数に物を言ってよってたかって襲い掛かるなど恥ずべき行為です。天罰が当たって当たり前。人として絶対に許せません。ましてやそれが天使様。神々への冒涜です。それに私はたとえ貴方が天使様でなくても、きっと助けに行きました。損得など関係ありません。私の主義です。当然のことなんです。ですから、あ……なんていうのか……その〜……お気になさらずに……」
くどくどと回りくどい。
だが、その真摯な眼差しに面食らう。
そして天使天使と連呼される度に、アンジェの小さな胸は、更に縮こまった。
「ルヴァ……私の名前はアンジェなの。天使じゃないの……」
ルヴァは更に首を傾げた。
「……天使様の名前がアンジェ……ですか……そのままじゃないですか……」
「言わないでよ!! もう!!」
大好きな兄達だけれど、こういうときは二人の名づけセンスを疑いたくなる。
まだしぶとく訝しむルヴァに、アンジェは軽く顎をしゃくった。
「ルヴァも早く扉をくぐって自分の世界に帰ってね。ああはなりたくないでしょ?」
木の根元に横たわっていた死体は、服もろとも見る見るうちに泥と土に変わっていった。またその土塊を、低いつむじ風が包み込み、跡形も残さずに浚って行く。
「うひゃぁぁぁ!!」
「森が木々の養分にするの。ここには何にも獣がいないから」
ルヴァは真っ青になって、こわごわと一番近くの桜の大樹を見上げた。
太い幹にあおあおと茂る葉に混じり、銀色の小さな実があちらこちらで微かに光る。彼は微動だにしなくなったが、膝を折って大地についていた手は小刻みに震えていた。
無理も無い……と、アンジェは思った。
この森は、アンジェの兄達を雇ったセイランがつくった世界だ。森は主の性格同様、許可もなく入り込んだ者に対して、一切の容赦がない。
「……あの〜……天使様〜……」
「………天使じゃないもん。アンジェだもん……天使って呼ばれるの、アンジェは一番嫌い」
気持ち頬を膨らませて言うと、ルヴァは少し困った顔をして、やがてこくりと頷いた。
「では、アンジェ様」
「『様』も嫌い。呼び捨てでないと、口利かない」
「…………」
ルヴァはがっくりと肩を落とした。
「ではアンジェ……私は一体どうやって帰ればいいのですか?」
「え?」
唖然と見上げると、ルヴァはアンジェでもわかるぐらい情けないほど不安げだった。
「どうって……潜って来た扉をもう一度くぐり直せばいいだけじゃない」
ルヴァは腕を組み、眉間に皺を寄せた。
「あ〜……何処でしたかねぇ……ううん………」
そのうち彼はうろうろと歩き始めた。座り込んでいるアンジェの前を、行ったり来たりと延々と繰り返している。
「…………」
何時までたっても終わりそうも無い。どうやら彼は、時間を掛けてじっくりと悩むのが好きなタイプらしい。
アンジェはマントをかき合わせてしっかりと体を包むと、とととっとルヴァの元に近づき、つんつんと彼の服をつついた。
「でもルヴァって、扉から来たんだよね?」
アンジェがちょっこり見上げると、ルヴァは「うひぁ!!」とびっくりしてしりもちをついてしまった。
「……………」
しばし見つめ合う。
「……………」
しつこく見つめ合う。
そして、ルヴァはポンッと、拳を鳴らした。
「ああああ……天使様でしたか……急に話し掛けられてしまったので、びっくりしましたよ」
(……嘘つき……)
と、頭に過ぎったが、アンジェはぐっと飲み込んだ。ルヴァは考えるのに忙しくて、絶対アンジェの存在を忘れていたと思うのだけれど、世の中には若いのに『けんぼうしょう』という、直ぐに忘れてしまう病気にかかる人がいるとヴィエ兄が言っていたではないか。
(可哀想に……この人もオスカー兄様と同じなんだ……)
例えば、オスカーがお城の綺麗な侍女のお姉さんと仲良くなり一晩楽しくお話したとする。でも後日オスカーがそのお姉さんに会ってもすっかりと忘れてしまっている。それと一緒。女の人が泣いて『私を騙したのね!!』となじっても、病気なのだから仕方が無いのだとヴィエは苦笑いして言っていた。
「ルヴァは、扉が何処にあるか忘れちゃったんだね」
ルヴァはこくこく頷いた。
「ええ。もうずいぶんと昔のことですし。どの道も同じに見えますね♪」
(……そりゃここは森だし……)
アンジェは頭痛がしておでこに手を当てた。
(ずいぶん昔と彼は言ったけれど……)
ちらりと桜の木に巻きついているぶどうの蔓に目を走らせる。
銀色の葡萄がきらきらと淡い光を放ち実っている。これがあるということは、まだ三十日と立っていない筈………。
「ねえルヴァ。ここに来て、何日迷ったの?」
「………………」
すまなさそうに微笑まれ、アンジェの疲労がずっしり増した。どうやら彼はとんでもなく方向音痴らしい。
「あ〜……アンジェはどちらに行かれる予定だったのですか?」
とっても嫌な予感がしたが、アンジェは何故だか嘘がつけなかった。
「えっと……その……金の扉に〜……」
「おや♪」
ルヴァはとっても嬉しそうにうんうんと頷いた。
「どのような御用事で?」
「……(兄達にバレる前に)この森に……紛れ込んだ人達を帰しに〜〜〜」
「では、私もボディーガードとして、是非ご一緒しましょう♪」
(ああやっぱりぃ!!)
アンジェは力一杯首を横に振りまくった。
「駄目っ!! 駄目ったら駄目駄目駄目駄目!! 絶対駄目!! アンジェの巻き沿い食いたいの? 襲われちゃうよ!!」
「何故? どなたに?」
口調は穏やかだし、口元もにっこりと笑みを作っていたが、ルヴァの糸目が何故か吊り上がっている。
「さっき襲われていたのは……貴方が女の方だから…というだけでは無かったってことてすか?」
「…………」
何時の間にか、ルヴァは自分を逃がすまじ……と、左手をひっ捕まえているし。アンジェの背中には冷や汗がダラダラと流れていく。
「アンジェ。貴方は何故襲われていたんですか?」
「う……ううううう……」
口をぎゅっと引き結ぶ。空いている右手が無意識のうちに後ろに回り、背中に生えていた役立たずに触れていた。
ふわふわとした柔らかな羽毛。そして固い骨。返り血を大量に浴びても、大地に押し倒されても、真っ白のまま染み一つない翼。綺麗だけれど、それだけの飾り物。
「貴方が、天使様だからですか?」
「違うもん!! 天使なんかじゃないもん!!」
ルヴァの優しい声の問いに、アンジェはヒステリックに叫んだ。その途端、ぽろりと涙が一粒零れてきた。
「ふ……くぅぅ……」
ルヴァとは会ったばかりだというのに、何故か甘えたくなってしまう。
泣きじゃくりだしたアンジェの頭を、予想通りにルヴァの優しい手がぽしぽしと撫でる。
あやすように、宥めるように……そして話の続きを促すように。
アンジェはルヴァの胸に抱きついて、えくえくっとしゃくりあげた。
「アンジェは空も飛べないの。兄さま達みたいに魔法一つ使えない。お料理も下手だし掃除も苦手だし、お歌も下手だし、何にも奇跡を起こせない。でも……でもね、なのに皆がアンジェを欲しがるの……」
自分の国に連れ帰り、自分だけの幸運を強請ろうとする者。高く売ろうとする者。己の栄華のため、権力者に献上しようと思っている者。さっきの者達のように、えっちいことをして、人間の女の人と何処が違うか試してみようとするもの……等々。
幸か不幸か『捕らえる』というという点だけは一致している。
「ルヴァ。きっとね、一人の方が安全に行けると思うの」
「判りました。やはり私はご一緒することにします」
「ルヴァ!! ちゃんとアンジェの話を聞いてたの!!」
「ああ、そのまま。動かないで下さいね」
彼はほえほえと微笑み、アンジェですら忘れていた彼女の切れた唇の端を指でなぞった。
「ああ……やっぱり、流れてしまいましたねぇ」
彼はアンジェの涙で流れてしまった薬草の汁の代わりに、懐から取り出した胡桃を割り、中の軟膏を塗りたくった。
「……ううう……」
薬を塗った所に風が当たるとひんやりする。
身を竦めたアンジェの目の前で、ルヴァはやはり懐から白い布の切れ端を取り出し、手際良く引き裂いて包帯を作った。
彼はそのままアンジェの傷を締め付けないように、丁寧に傷口を覆って巻き出した。
「心配してくださってありがとうございます。ですが私はこれでも神殿騎士も兼任しております。いくら自分の身が危険と言われましても、婦女子を見捨てて逃げるなんて私の信条に反しますよ。それに、私の帰り道も扉なんですよね。
……協力します。ね……」
決して押し付けるのでもなく、優しく諭すように微笑まれる。
胸が痛い。
アンジェはだんだんと居たたまれなくなってきた。
彼の優しい顔が見られず、アンジェはまた俯いた。
「神官って、罪犯した人の懺悔を聴いてくれるんだよね……」
「……ええ……まあ、そういう職務もありますが……」
「アンジェがやったの」
「…………え?………」
「扉をこじ開けたのってアンジェなの。どうしても森の外に出たかったの」
かたかたと震えながら、必死で声を絞り出す。
「外の世界に出たかったの。でも出られなくて……代わりに変な人は一杯来ちゃって……で、アンジェね、逃げちゃったの。
ルヴァがこんな世界に引きずり込まれちゃったのってアンジェのせいなの。だから、アンジェが皆に襲われるのだって、自業自得なのよ………」
ごめんなさい……と、蚊の鳴くような声で呟くと、ルヴァの大きくて暖かな手が、ぽしぽしとアンジェの髪を撫でてくれた。
「お気遣いは無用ですよ。アンジェ……私は、一度交わした約束は違えませんから。
それにね、アンジェ。人間は間違える生き物なんですよ。悪気があってやったわけではないのなら、一杯反省して、それから自分のできる範囲で責任を取る。
少なくとも貴方は自分の失敗から目を逸らそうとはしなかった。そして、扉に行って彷徨いこんだ皆を帰そうと思っているのでしょ?
私は貴方を手伝いますよ。私が手伝いたいんです。
その小さな体で一生懸命努力しようとしている貴方を手伝いたいんです」
ルヴァの優しい囁きに、アンジェの鼻がつんっと痛くなる。
彼はそのまま、アンジェがはおっていたマントをに穴を開けると、彼女の両手を外にだし、腰できゅっと布を巻いた。オリヴィエが見たら『ああああ!! 上質なラシャ織がぁぁ!!』と目を剥いて怒るかもしれない。でも心がとってもこもっている。
また泣けてきそうになり、アンジェはくっと息を止めて耐えた。
「さあ、血の匂いは悪しき者達を呼び寄せるといいますからねぇ。早くこの場から立ち去りましょう」
そう言って、ルヴァはアンジェに優しく手を差し伸べてくれた。
(……ルヴァ……)
アンジェは慌てて目を拭い、素直に彼の手に掴まった。
「ありがとう。でも、本当にごめんね」
「お気になさらずに。気遣いは無用だと申し上げましたでしょう?」
彼の静かな微笑みに、アンジェの小さな胸は更に痛んだ。

(……本当に本当にごめんね……)
 
アンジェはルヴァに手を引かれて歩きながら、心の中で何度も謝った。

02.01.30



はい。ルヴァ様とアンジェの出会編です♪
次回はやっと円月刀を振るうルヴァ様が来ます(うっとり)
みんな蜜柑さんの絵が悪いのよ〜♪

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