赤い靴




『神鳥が守る宇宙の257代目の女王』、それが今の自分の肩書きだ。
アンジェの唯一の友人ロザリアですら、自分を名ではなく『陛下』と敬称で呼び、プライベートな時間ですら親しく呼び捨てる事も許されない。
それがこの聖地の、嫌、王宮の古くからの慣習だった。
だがそんな雁字搦めのしきたりを、たった一人だけ無視し笑い飛ばしたツワモノがいる。

≪馬鹿も休み休みに言ったら? 君、恋人を尊称で呼ぶ男が好みなのかい?≫

拳銃を握る癖に、自分の頬に触れる指はしなやかで美しく、甘いキスで唇を封じ、とどめに軽く愛しげに頭を拳で小突く。マゾではないが、優しいだけで決して終わらぬ天邪鬼な彼の性格がとても嬉しい。

今、自分を只人と扱ってくれるのは、宇宙広しといえども彼だけだ。温かい腕の中にすっぽりと抱きしめられると、女王の重圧や責務を全て忘れることができた。


だがそんな彼は単なる人間、いくら宇宙に名が広く知られる高名な画家でも、下界と時の流れが異なる聖地に長期間住まう事は許されなかった。
ここは自分やロザリアの他に、守護聖という宇宙を支えるサクリアを保持する9人の神の代理人達も闊歩する地だ。悪意あるものに害されれば最後、宇宙の均衡は崩れて最悪世界が消滅するかもしれないとあれば、自分達11人を守る為、下界と聖地を隔てる結界がいかに強固に張り巡らされているかは推測できよう。

いかに破天荒なセイランとて、結界の障壁を越えられぬ限り、アンジェが閉じ込められている王宮に忍んで来る事はできない。




(……どうか来て……)




アンジェは誰も居なくなった女王の間でずっと、玉座に腰を降ろしたまま、指を絡めて祈り続けた。

執務が終わって閑散とした広間は寒々しく、細長い飾り窓から見える山の稜線から丸い大きな月が顔を覗かせている。
企て(くわだて)は夜闇に紛れてやるものだが、今夜の空は煌々と明く、アンジェは嬉しかった。
なぜなら、光は『希望』の象徴だから。

『彼』に来て欲しいと願ったのは自分自身。
もし来なかったら、アンジェだって彼のことを諦められたかもしれない。

けれど。

明かり一つ灯していない広間に突如、月明かりとは違う仄かな光が浮かび上がる。
彼女が息を呑んで見おろした緋色の絨毯の中央に、陽炎のように生まれ揺らいだ輝きは、やがてゆうるりと一人の青年を形作った。
月光の輝きに負けない、彼の銀色に輝く綺麗な髪がさらりと揺れた。

「……アリオス……、来てくれたのね……」

紡いだ己の声が歓喜に震えている。彼こそが自分の最後の希望だった。
アリオスは冷たい眼差しで、玉座へ続く5段下の階下からアンジェを見上げている。


「一度『体』に入ったら死ぬまで戻れない。判っているんだろうな?」


玉座に向かい静かに歩を進める彼に、いつも飄々とした余裕はない。不機嫌そうに眉間に皺寄せ、アンジェを睨む双眸はまるで凍てついた氷のようだ。彼を知らぬ人間ならば、殺伐とした眼光に、恐怖で立ちすくんでしまうだろう。

そんな態度は、日頃から言葉少ない彼の『今ならまだ引き返せるぜ』という最後の忠告だ。
でも、アンジェとて幸福そうな笑みを崩さない。


「ええ」


こっくり頷くと、途端アリオスの眉間の皺が更に深くなった。


「気楽に言うんじゃねぇよ。お前は体験しことねぇから知らねーだろうが、死ぬのは痛いぜ。苦しいし辛い」
「それでも、私はセイランと共に過ごせる時間が少なくなっていく方が怖い」

断言する言葉に一切揺るぎがあろう筈ない。なぜなら彼女は焦っていた。
アンジェが女王の特権を駆使し、聖地と下界との時間の流れの差を広げないよう頑張ったにもかかわらず、アルカディアでセイランと再会した時、19歳で別れた恋人は22歳で現れた。
自分は未だに17歳のままなのに、このままぐずぐずしていたら、彼はどんどん1人で年老いてしまう。


「私、もうこれ以上彼と一緒に過ごす時間を無くすのは嫌」


女王の恋は禁忌。
至高の座に着く者は、守護聖達のサクリアを宇宙に分配し、均衡を保つのが役目である。
その感情は宇宙と連結しており、恋に引きずられ心を千々に乱れさせれば、宇宙の均衡も乱れ、万一の場合には崩壊を引き起こしてしまうからというのが理由だ。だが、アンジェは候補生時代からその理屈が理解できなかった。

「自分自身すら幸せにできない人間が、ましてや自分が一番愛する人を不幸にして、どうして万民の幸せを願えるの?」
「さあな、俺にもわからん」

アリオスの顔から僅かに険しさが消えた。
かつて恋人を叔父に奪われて復讐鬼となったこの青年は、恨みと憎しみの激情で皇帝の座を望み、数多の命を屠ったが、一人の少女と出会い、真実の愛を得て権力を求める虚しさを知った。今では無名の1剣士として、見返りなく激務な恋人を支えている。


「私は、私の大好きな人達に幸せになって欲しいから、今まで必死で宇宙を支えてきた。この宇宙はようやく安定期に入ったわ。『私の意識』が数十年聖地を不在になったって、『女王の身体』が聖地で生きている限り、宇宙にサクリアはつつがなく流れる筈。なら、いつか近い未来に死に別れる『彼』を優先して何が悪いの? せめて許されるギリギリまで共に在り、彼と幸せになりたいって願って何が悪いの?」
「別に悪くないぜ。まあ、お前の宇宙を乱した原因は俺も噛んでいるしな」

アンジェはちょっこりと小首を傾げた。
アリオスは何故かバツが悪そうに視線をずらしている。

「そう言えば、貴方が侵略してこの宇宙を乱したんだっけ?」
「……気づけよ……」
「てへ♪」
「……しょうがねえ女、鳥頭かよ……」

鳥は3歩歩けば全て忘れるという。失礼な物の言い方に、流石のアンジェも、ほっぺをハムスターの頬袋のように膨らませた。
アリオスは呆れ混じりに吐息を零したが、次第に喉を震わせて笑いだす。

「まあ、あんたの突拍子もない発想に免じて、『赤い靴』やるよ。お前には、うちの女王が大層世話になっているし」


今までとは明らかに違う優しい声音に、アンジェは驚いて顔を上げた。
だが赤い靴?

「………え? 私が欲しいのは身体なんだけど……? 靴なんか貰ったって役に立たないし。あ、それとももしかして魔導の媒介か何かに使うの? 怨念を込めておけって言うのなら、私張りきって履くわ♪……」

てへっと首を傾げると、アリオスは呆れたようにため息をつき、面白くなさげに己の銀髪を掻き毟った。

「ちっ。なんだよあいつめ。結構ポピュラーな童話だって騙しやがって…」

彼が『あいつ』呼ばわりするのは、アンジェの知る限り、たった一人の少女しか思い浮かばない。


「あ、『赤い靴』の童話なら、すっごく有名。うん、その話なら、私知ってる♪ だから コレット苛めちゃ駄目なのよ!!」


『赤い靴』とは、一度履いたら死ぬまで脱げず、とうとう踊り狂って息絶えた女のお話。この宇宙では誰もが知っている子供向けの物語だ。
アンジェが裏返った声であわあわ喚くと、アリオスは一瞬だけきょとんと彼女を見下ろし、弾けたように腹を抱えて笑い出した。



「ったく、女王達は揃いも揃って、ホントガキ臭い変わり者だぜ」
「……うううう、せめて純真無垢と言って……」
「だからほっとけない。全く、お前も美人の補佐官に、あんまり世話焼かすんじゃねーぜ」
「え?」
「魔導で体を作ってやるよ。お前の望みどおり、セイランとの恋を貫いてくるといい」
「ええええ!!」

見上げれば、彼は「仕方ねぇ女王どもだなぁ」と小声で呟き、背ける顔には照れが浮かんでいる。
かつて悲しい恋に殉じた彼は、アンジェの切ない恋心を理解してくれたのだ。

「ありがとうアリオス!!」


彼は変わった。
もう、昔の誰も信じない影を帯びた嶮しい顔は何処にも無い。


(だって『赤い靴』って、てへ♪)

アリオスが童話にちなんだ例え話をするなんて、今までなら考えられないし、自分から好んで読むなんてとても思えない。となると……、きっとコレットが口にした話を引用したのだろう。

知らない内に、恋人に感化されているのは彼も同じ。

(そういう貴方も、靴を履いてしまったのね)


赤い靴
一度履いたら死ぬまで脱げない
この身が破滅するまで


赤い靴
愛しい人が死ぬまで離れない

そんな一生に一度の恋を
私達は得た――――――








07.02.25


アニメの☆があまりに酷いので、思わず書き直してしまいました。
来週はセイランが出てくるみたいだけど、予告のイヤリングに寒気がした。止めてくれ、リモ子が大事にしている鈴蘭のイヤリングに被る!!
主役が好きになれないアニメなんて初めてかも(涙)




エトワールの部屋に戻る

ホームに戻る