陰険な卵
その扉は、サクリアの障壁が施され、本来なら何人たりともは入るのを許さない……、筈だった。
アリオスは銀の髪を煩わしげにかき上げると、彼にとっては稚拙な、だが万民にとっては侵入不可能な女王補佐官の障壁を、魔導の空間移動で易々越えた。
聖獣のためにだけしつらえてある部屋に勝手に入れば、中は春の陽だまりのような暖かな光に満ちている。
この八畳ほどの室内の中央に、彼の愛しい天使はいた。
今彼女は自分の身を超える巨大な卵に、体全体で覆いかぶさり、目を瞑ってまどろんでいる。
その卵は聖獣アルフォンシアが入っている。次の段階へと成長するため、彼は殻の中に戻ったのだ。
そして、アリオスの大切な女は、聖なる獣を育むために、サクリアを注いでいるのだ。
この、彼女の身を削って出来上がった光の揺り籠の中で。
「おい、アンジェリーク。こんな所でうたた寝してねーで、ベッドでゆっくりと休め」
「ん……、でも、アルフォンシアが心配だから」
彼女はちょっと身じろぎしたが、そのまままた瞼を閉じて、うとうととまどろみだす。
一度生まれた聖獣が、再び卵に戻るなど、この宇宙始まって以来、初めてのケースだ。
文献も過去の歴史も当てにならない。
だからアンジェリークがアルフォンシアの身を案じ、彼の無事が判るまでこの場所から離れたがらないのは理解できる。だが、アリオスにとって、何より大切なのは彼女だから。
アリオスは、小さな彼女の体を抱き寄せるため腰を抱くが、彼女はそれでも自分がはり付いているものから剥がれない。
「なぁ。お前はそうやって、自分の持っている物、全部与えちまうんじゃねーのか?」
『休め』と言ったって、彼女は断固聞き入れないだろう。
だが、聖獣が卵化に戻ってしまったため、たった一人の力で新たな宇宙の育成だけでも重労働なのに、卵にも力を注いで育てるなんて無謀すぎだ。
アリオスは、女王を優しく揺さぶると、懐から水晶玉を取り出した。
「ったく。おい、これを使えよ」
それは一見、クラヴィスの机に飾られているものと同じぐらいの大きさで、強いて違いをあげるとすると、中は水面のように透明ではなく炎のような光が揺らめいている。
アンジェリークは今まで寝ぼけていたのが嘘のように目を瞠り、彼が差し出す宝玉を、大切に両手で受け取ると、静かに目線の高さまで玉を持ち上げた。
紛れもなく、万物の育成を促す命の煌めきだと気づいたようだ。
「ねぇアリオス、どうしたのこれ? 女王陛下のサクリアじゃない!!」
アリオスはクッと喉を鳴らした。
「おいおい、お前も女王だろ」
アンジェリークは疑わしげに、ジロリと目を眇めた。
「アリオス…、貴方ってば、また陛下のこと、騙してないわよね」
「してねーよ」
「誓える? ロザリア様に聞いていい?」
「止めろって。余計なことするんじゃねー」
途端、彼女の眉がピクリと跳ね上がった。
「もう、やっぱりまた、あの方の信じやすさを利用したのね!!」
安定している宇宙だから、たった一匹の聖獣の卵の口を少し祭る程度のサクリアを掠め取って何が悪い? それにあの大らかなぼけぼけ女王なら、アンジェリークの今の現状を知れば、きっとジュリアスやロザリアの懇願を振り切っても、全霊かけて協力を申し出るだろう。
それをこの馬鹿が『他の宇宙のことで、お手を煩わせるわけにはいかない』などと、変な遠慮をするから結局、過労死直前だ。
真面目で頑張り屋で意地っ張りなのは美徳であるが、こいつはもう少し、人に甘えることを覚えていい。
などと余分ことを言えば、疲労でピリついている彼女と喧嘩になるのは目に見えていたので、アリオスはシラを切りとおすことにした。
「違うって言ってるだろうが。全く、俺って信用ねーのな。これはれっきとした対価交換。神鳥宇宙で女王に頼まれた内密の仕事を遂行したそのお礼。聞きたきゃ聞け。だが質問はロザリアとジュリアスのいねー所にしておいてやれよ。でないと、あのほえほえ女王も立場がねーだろ」
「もう。陛下のことを『ほえほえ』だなんて、失礼でしょ」
「うるせぇなぁ。お前、寝てた時の方が可愛いかったぞ」
疲れ果て疲労の色濃い顔のくせに、くってかかってくる彼女が可愛いくて、アリオスはたまらず彼女の頬を擦り、唇に軽くキスをした。
その時にようやく、アリオスは彼女の肌がしっとりと汗ばんでいることに気がついたのだ。
「おい、お前。熱があるんじゃねーか?」
「……ううん、気のせいよ、きっと」
視線をあさっての方向に彷徨わせ始めた彼女から、勝手に茶色の前髪をかき分けて額に手を当てれば、やはりいつもより体温が高い。
女王は病気にかかる訳がない。明らかに過労だ。
「俺にまで意地を張ってどうする? とにかく、寝室でゆっくり休め」
彼女はかたくなに卵にしがみつくと、ふるふる首を横に振った。
「でも、アルフォンシアが。私がそばについていてあげないと、不安がるもん」
「俺の言うことが聞けないのなら、今ここで、気絶するまで犯すぞ」
途端、アンジェリークはパッと卵から手を離し、大人しくアリオスの腕に顔を埋めた。
(おい、それは俺と気持ちいいことしたくねーっていう、暗黙の意志表示かよ〜)
アリオスは、怒っていいのか呆れていいのかわからないまま、細い体をますます強く抱きしめると、神鳥宇宙から掠め取ってきた水晶玉を、アンジェリークの代わりに卵の前に置いた。
水晶玉の中にある炎がすべて消えるまで、彼女がここから離れていても、問題は起こらない筈だ。
たとえ僅かしか持たなくても、その間、重責のアンジェリークには、貴重な休みが保障される。
「アルフォンシア。ごめんね、ちょっと休んでくるね」
気の強い彼女だが、聖獣の卵を見る目は非常に愛しげで優しい。
だが、彼女の甘やかな声への返答は、耳障りな唸り声だった。空気を振動させた重い響きが、アリオスとアンジェを襲い、抵抗を示す。
「やっぱり、一人ぼっちにすると不安なんだね」
「け、甘えてるだけじゃねーか。ほっとけよ」
「アリオス」
じと目でにらまれても譲れない。
なんせ、アルフォンシアが卵に戻ってから、ずっとアンジェリークを独占され、一人寝が続くアリオスの恨みは深い。
自分とアルフォンシアは、もともと、互いがアンジェリークを束縛したがるため、非常に仲が悪かったが、今回のことでその溝はバッチリ深まった。
「そう言えば、レイチェルがこの前騒いでいた石版の件だかな、神鳥宇宙の協力で、候補者の第一次選定が行われたらしいぜ。とりあえず年頃の女がいる全高校にサクリア適性テストを強行して、素質のある奴募ったら、100人だとよ」
「……エトワールが、いるのかしら?」
7月22日。
王立研究院総本部のビルが会場だ。
石版の精霊を呼び出すことができたものが、エトワールだ。
どんな女がなるかは知らないが、いて欲しかった。
アンジェリークが疲れ果て、壊れてしまわないうちに、切実に。
「今回の選出分にいなけりゃ、また探せばいい。お前はアルフォンシアと俺のことだけ考えてればいいんだ」
「何よ、『俺』って」
「ハッ。お前が恋人の機嫌や顔色を伺わずにいられない、しおらしいタマだったら良かったんだがな」
「ふふ。私がそんな風になったら、アリオスが退屈しちゃうでしょ」
アンジェリークはくすくす喉を鳴らして笑った。
やっと、数日ぶりに笑ってくれた。
それが嬉しい。
アリオスも、喉を鳴らして笑うと、彼女を寝室に連れ帰ろうと抱き上げた。
その時だった。
卵が眩く光り、アリオスの体に電流が走る。
「ちっ!!」
「きゃ!!」
アンジェリークを行かせまいとするアルフォンシアだ。
体が変わっていくのが不安で、彼の恋人を独占しようとする幼稚な意志に、アリオスはアンジェリークに向けた眼差しとあきらかに違う侮蔑を聖獣に投げかける。
「てめぇ、殺すぞ」
腹立ちまぎれに卵を思い切り蹴れば、女王のサクリアで防護されている殻に異変が起こった。
ピシィと、乾いた音を立てて、卵に大きく亀裂が入る。
「げっ」
「何するの、馬鹿!!」
恋人の平手が、硬直するアリオスの頬に決まる。
アンジェリークはアリオスの腕から逃れ、再び卵に全身で抱きついた。
そして、幼子をあやすように「アルフォンシア、痛かったよね。ああ、もう大丈夫だからね。私がずっとついているから!!」などと、優しく囁いている。
(こいつ、獣の分際で、捨て身できやがったなぁぁぁぁぁ!!)
例え剣で思いっきり切りつけても、サクリアのバリアで守られている卵は平気なはずだ。
なのに、蹴りを一つくれた程度でヒビ割れるなんて、明らかにアルフォンシアの自傷行為だ。
アリオスの胸に、憎悪と怒りが燃え上がった。
アルフォンシアが、親代わりのアンジェを必要としているのは判る。
だが、アリオスにとって、何よりも大切なのはアンジェリークだ。
愛しい女。
生涯でただ一人の女。
彼女のおかげで、自分は復讐の妄執から解き放たれた。
そして、この身はもう、彼女だけのもの。
彼女も自分だけのものにしたいと願っているが、アンジェリークが望むから、アルフォンシアを容認してやっていたというのに!!
ゆらりと、魔導の粒子が拳に集まっていく。
どうせアルフォンシアは卵から出られない。だったらこのまま、次元を捻じ曲げて、どっかの空間に封じてしまおうとしたその時だった。
ガッ!!
延髄に殴られたような衝撃が襲った。
こめかみを押さえて振り返れば、青色の聖獣が短い足で仁王立ちし、ギッと自分を睨み付けている。
「てめぇ!! ルーティス、馬鹿野郎!!」
「馬鹿なのはあんたよ。何、勝手に入ってんの!! おまけに、アルを虐めて!!」
続けて、アリオスの苦手な口やかましい女が、この部屋に入ってきた。
「はぁ? なんだそりゃ」
「しらばっくれんじゃないわよ。あんた今、アルの卵を蹴ったでしょ。割れたらどう責任取るつもりなの!!」
女王補佐官レイチェルは、菫色の目を眇め、腰に手を当ててロッドをアリオスに突きつけた。
アリオスは内心舌打ちした。
アルフォンシアは、ルーティスと意志が通じている。
そして、ルーティスはレイチェルと通じている。
卵から出られない陰険聖獣は、自分の半身に救援を求めたのだ。
「割れようが、くたばろうが、自業自得だろーがよぉ」
「なんですってぇぇぇ!!」
「うるせぇ、いくぞ、アンジェリーク!!」
「嫌よ、馬鹿、離せ〜!!」
レイチェルが振りかざす補佐官のロッドを避け、じたばた暴れる恋人の体を奪取するのは至難の業だった。
肩に担ぎ上げて、ダッシュで廊下に駆け出せば、恋人の容赦ない膝蹴りと拳がアリオスの肩に決まる。
「衛兵!! あの馬鹿男から、陛下を取り戻して!!」
「待て!! レイチェル、俺は!!」
ただ、恋人をきちんとしたベッドで寝かしてやりたかっただけなのに。
だが、過去散々女王を聖地から連れ出して遊びほうけていた彼に、『信頼』『信用』の二文字はない。
どかどかと、近衛隊の靴音がどんどん近づいてくる。
「アンジェリーク、アンジェリーク!! 今助けてあげるからね!!」
「嫌ぁぁぁぁ、アルフォンシアぁぁぁぁぁぁ!! アリオス、離して!!」
「陛下を返せぇぇぇぇ!!」
「うるせぇ、てめーらどけ!!」
アリオスの苦難は続く。
Fin.
04.09.17
今回のゲームの欠点は、ミカル的にはこの二つ。
コレットちゃんの出番が全く無かったこと。
アリオスが、よりによってエンジュと駆け落ちしたエンディングがあったこと。
だから居ない所で頑張っているんだということを、強調してみました。
次回は石版〜ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
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