心の鍵 2





「こら、どこへ行く?」
「ひゃううう!!」
もぞもぞと動くアンジェは、背後からしっかり腰を捕まえられた。

目覚まし時計は朝の6時5分前。ついでにフォレスト星に彼らが降りてから一週間目のこと。
新婚でも普通、朝食は大抵女性側が早起きして作るものだろう。アンジェもそう思っていた。
けれど、セイランは違った。

朝、アンジェが折角セットした目覚ましが鳴る前にさっさと起き、ご丁寧にスイッチを消し、彼女をベッドですこやかに眠らせたまま残して朝食を作りに行ってしまうのだ。
そして、仕度が整うとその日の気分に合わせて、体が暖まるカフェオレやミルクティーやココアを片手に、キスと一緒にアンジェを起こしてくれる。
これでは新妻の面目も丸つぶれだ。
もしアンジェの実家、リモージュ家の母が生きていたら……、夫に朝食を作らせて、くかくか眠っている専業主婦な我が子など、きっとビシバシしばき倒されていただろう。

だから、なんとかセイランよりも早く起きようと頑張ってみたのだが、やはり音に敏感な芸術家を出し抜くことはできなかった。
じたばたもがいても彼の腕は外せない。
そしてくるりと体をひっくり返されたアンジェは固まった。
自分をじぃぃぃぃっと見下ろす寝起きのセイランの目は凶悪だった。
「私、奥さん。奥さんなの。だから朝ごはんぐらいは作りたいな〜〜って」
「そんな心配必要ないね」
彼はアンジェの両頬をむずっと引っ掴み、ぷにぷにぷにぷに引っ張り出す。
「あひあひ、いひゃいいい」
「懲りたら、僕より先にベッドから降りない」
最後にむにょんと大きく引っ張られ、ぺちんと両頬を軽く挟まれた。
「僕は目が覚めた時、君が横にいないと取り残されたようで嫌なんだ。だから約束して。僕より先に絶対起きない。もし、どうしてもという時は、メモを残していくって」
「ううう」
「約束して」
涙目で見上げると、セイランの綺麗な顔がじっと自分を覗き込んでいて、アンジェは思わず見惚れてしまった。
だからぼーっとした頭のまま、何も考えずにこくこく頷いてしまったのだ。

それ以来、アンジェは安心して朝寝坊をし、セイランも彼女を溺愛して甘やかしてくれた。
だから、こんな約束も毎日当たり前のようにねぼすけな生活しているうちに忘れてしまったのだ。

そして、忘れた彼女は禁忌をおかす。
セイランの心に巣食う闇、それを封印した扉の鍵を、知らずにあけてしまう。
彼が滅多に口にしない、彼の≪お願い≫を破ることにより。


☆ ☆☆



≪快挙だわ―――――!!≫


アンジェは心の中で祝砲を挙げた。
なんせ拉致同然にエリューシオンを離れてから、初めてセイランよりも早起きしたのだ。
嫌、この場合起きたというより、仮眠をとっただけで、あまり寝てないといった方が正しいのだが。

だが、やり遂げた満足に眠さもふっとぶ。アンジェはえっへんと誇らしげにふんぞり返った。
趣味のいい手作りのテーブルは、セイランのイメージに合わせて白、青、緑のテーブルクロスを敷き、早咲きの水仙で綺麗に飾り付けてみた。
甘い香りの強い花だが、凛としたイメージがセイランにとても合うと思う。
お皿は逆にポップ調で纏めてみた。カラフルなパステル色の大皿を集め、食パンを星やハートなど、クッキーの型抜きでくりぬいてハムやチーズを挟み込み、元気よくお皿に盛り付けた。チキンを一口サイズに切り分けて塩コショウした後にグリルし、アスパラとサラダ菜と和えて大きなガラスの器に盛り付ける。
ガラスの遊び心満載の捻じ曲がった背の高いグラスには、それぞれおいしい水と絞りたてのオレンジジュースをそそぎ、氷を浮かべる。
バースデーケーキは手作りにしたかったけれど、とても間に合わないので、通販で取り寄せた三時のお茶用の真空パックのシフォンケーキを切り分け、真っ白な大皿にミントの葉と絞った生クリームを沿え、最後にお皿の白い部分に≪Happy Birthday ♪≫と書いてみた。
ありあわせでも、簡単なパーティーが開けるぐらいの出来栄えである。

これで昨日の埋め合わせをするのだ。
一日遅れのバースデーになってしまったが、何もしないでしらばっくれるより、手遅れでもやった方がマシだと思う、この前向きさがアンジェだった。

「さぁ、セイランを起こしに行きましょvv」

浮かれていそいそと真っ白のレースエプロンを脱ぎ、椅子にかけようとして振り向く。途端、アンジェはどたっとこけた。
「もうぅぅぅ!!」
彼女は、脱げて吹っ飛んでしまったモコモコのウサギスリッパの右片方を睨みつけた。
冬場、木製のこの冷たい床に、ぬくぬくするこの動物の顔つきスリッパはとても可愛くて重宝するのだが、ウサギの顔にはみにょーんとのびてる長い耳がある。ドジなアンジェは毎回それを踏みつけてはすっ転ぶのだ。
セイランに言わせると、彼の美意識にそぐわず、かつ危険極まりないこの雑貨は、直ぐに「捨てろ」とゴミ箱に放りこまれた代物だが、可愛いもの好きで庶民なアンジェは、特に自分が気に入って買ったものだからこそ、最後まで使いたい派だ。新品同様でかつ、もこもこで可愛いウサギちゃんを、多少使い勝手が悪いからと言って捨てるなど、勿体無くてとてもできなかったのだ。

(あぶないのは耳だけだし、いっそ三角に切って白猫ちゃん風にしようかな?)

そう右側を両手で持ち、まじまじと可愛い顔を眺めていた時だった。

「アンジェ!!」

物凄い怒声と同時に、パジャマを着たセイランが、上着も羽織らず素足で階段を駆け下りてきた。
アンジェの顔からすぅっと血の気が引いた。
きっと、さっき自分がすっ転んだ音で目が覚めてしまったのだ。だとしたら、このウサギの運命は一目瞭然、風前の灯火である。

(捨てられる!!)

アンジェは咄嗟にウサギを背中に隠した。
だが、間抜けにも左足はしっかりとスリッパを履いている。
ヤバイと気づいた時には既に遅く、彼女の目の前で仁王立ちしたセイランは、やはりというか当然というか、物凄い目で自分を睨みつけてくる。

アンジェはふるふると首を横に振った。

「違うの、このウサギは違うのよ、転んだのは私のせいで、このスリッパが悪いんじゃなくて……」
「何をしてた?」

彼の、底冷えするような冷たい声に、アンジェの背筋がびくんと震えた。

「着替えて、何処に行くつもりだった?」
「え?」
「僕を置いて、何処にいくつもりだったと聞いているんだよ?」

(えええええええ!!)

うっすらと笑う彼の顔、美しい絹糸のような前髪の下にある双眸は、既に正気ではなかった。ここで下手なことを言ったら最後、直ぐに撃ち殺されそうな殺意を感じ、自然アンジェのお尻も無意識のうちに後ずさる。

「お、落ち着いてセイラン。わ、私は…ただ、朝ごはん作ってただけ。それだけ!!」

見て見てと、夢中でアンジェは腕をばたつかせ、セッティングしたテーブルを指差した。

「だって昨日、何にもセイランのことをお祝いしてあげなかったから、私、ただ、今日一日遅れちゃったけれど、た、誕生日、やり…直そうと思って!!」

震える喉に渇を入れ、必死に声を絞り出す。
怖かった。今目の前にいるセイランが、どう動くか予想もつかないから更に怖い。


「誰がそんなことを頼んだ?」
「や、やらないよりはやった方がマシだもん」
「君の自己満足のためにだね」
「そんな!!」
「君の罪悪感をぬぐってやるために、どうして僕が付き合う義理がある? そんなことより一体どういうつもりだアンジェ。僕に黙って先に起きるなんてさ、言ったはずだよね。僕をベッドに一人残すなって。どうしてもという時は、メモを置いていけって」

アンジェはきょとんと首をかしげた。
いきなりこの人は何を言い出したのかという感じだ。
だって普通、誰が思う?
いつも朝食を作ってもらっちゃっているから、今朝は頑張って早起きし、彼の喜ぶ顔が見たくて頑張ったのに、この仕打ち。
彼がマジで怒っている理由が、彼を残してベッドからいなくなった、そんなことなのだ。
芸術家は思考回路が人とは違うというけれど、彼は確かにアンジェの理解の範疇をぶっちぎりで超えている。


「……し、…知らないもんそんなの、私……」

「………そう………いうのか、君は……?」

ゆらゆらと彼の姿がぼやけて見えるのは、恐怖のあまり、アンジェの目じりに涙が溜まっていたからか。
いいや、目の前にいるセイランも、今ガタガタに全身を震わせている。

焦点の合わない双眸を見開き、自分の震える両手を見下ろして、自分の感情を殺そうとしている。
尋常ではない。
嫌、昨夜から既に彼はナーバスになっていた。彼の様子がおかしいことは、家に火をつけかねないと感じたあの時、アンジェも気がついていた筈だったのに。

「セイラン、あの…」
「もういい!! もうほっといてくれ!! 君だっていつかは僕を捨てるんだろ。そうさ、こんな簡単な約束一つ守れない君なんか、信用した僕が馬鹿だった。他人に期待したって無駄なんだ。誰もが僕を捨てる。マルガレーテだって僕をあっさり捨てた。こんなに愛してるのに、愛してたのに!!」


セイランの怒声に、アンジェは身を固くした。
当然だろう。彼の口から女の名前がはっきりと飛び出したのだから。ましてや今「愛している」って確かに言い切った。
彼の心に女の影があることは、前々から気づいていた。
彼がこんな複雑怪奇な性格に捻じ曲がったのだって、きっとその人の影響だ。
セイランがいまだ忘れられない人がいる、彼が己の性格を変えるほど恋して欲した人がいる。
悔しくて惨めで悲しかった。
いくら能天気なアンジェにだって、プライドもある。
自分の見たこともない、彼を捨てた女と比べられ、ましてや同列に扱われるれるなんて、冗談ではなかった。

「だからって、私とマルガレーテさんとかいう人と一緒になんかしないでよ。ちょっとセイランとの約束を忘れたぐらいで、どうして私が貴方を捨てることになるの!! 私はちゃんとセイランが好き、大好きなんだから!!」

彼女の絶叫は届いてなかった。
セイランは相変わらず自分の世界に篭っていて、自分の震える両手を見下ろして佇んでいる。
自分を見て欲しい。自分だけを見て欲しい。
彼を捨てたマルガレーテとかいう女なんか、今すぐすっぱり忘れて欲しかった。
アンジェは立ち上がると、彼の両腕をむずっとひっつかんで引っ張った。

「私はアンジェよ。アンジェリーク・リモージュなのよ。私はセイランを愛するって教会で誓ったでしょ。だから、私の気持ちをセイランの都合で決め付けないで」

目の焦点があっていない彼を、何度も何度もゆさゆさ揺さぶった。
今ここで彼を引き止められなかったら、彼がもっと壊れる気がする。
アンジェは鈍いし、セイランから見ればきっと、愚かで鈍い部類の人間になるだろう。でも、純粋で子供だから勘だけはいい。
勘だけで宇宙の女王になった自負もある、その自分の天然の勘が、今セイランを手放すなと警告している。

アンジェは必死だった。
でも、その必死さは心を閉ざしたものに、届く筈もなく。


セイランは無言でぴしゃりとアンジェをはらいのけると、二階へ続く吹き抜けの階段を上がり始めた。
彼が目指すのは、きっと宇宙船アンジェリーク号の鍵。
この家にはバスとトイレ以外に扉はない。一人になれる空間がない。
心を落ち着かせようと一人になれる場所に行きたい気持ちは解るけれど、今の状態の彼に家出されたら最後だ。それこそアンジェには彼を探す手立てがない。


「セイラン、落ち着いて…落ち着こうよ、ねぇ、セイラン!!」

アンジェはがくがくする膝に渇を入れ、頑張って立ち上がると、慌てて彼を追いかけた。
右片方は裸足、左片方はスリッパのままで。
ただでさえ平地で転べる彼女が、ここでやらない筈がなかった。



「セイラン、待って……、きゃあああああうううううううう!!」



階段の中央、見事に右足でウサギの耳を踏みつけた彼女は、足が上がらずに仰向けにひっくり返った。
彼女の叫び声に驚いたのか、振り向いたセイランの顔が驚愕で歪む。


頭に最初の衝撃を受けた後、彼女の視界はブラックアウトした。
だが、幸いにも耳に「アンジェー!!」と残るセイランの悲痛な声に、もう狂気は何処にも無かった。


06.02.17



本来なら、ここまでが一話目だったんですよね〜。なんという暗さ。タタタタッッ≡≡≡≡≡ウリャθ ̄∇ ̄)θ☆スパパーン (ノ゚听)ノハウッ!
さて、序章が終わりました。次からはリモ子、青髭の館へご招待です(マテ)

セイランの過去、これを書かないとエトワールも続きが書けない。(セイランが海賊船と戦う時の、主要オリジナルキャラが一名、この話で来ますんで)
では、今から病院へ出頭してきます。強制入院だけは勘弁して欲しいです(号泣)

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