目覚めの刻限 1
「レオニス・クレベール、覚悟!!」
クラインの兵士らが、開け放たれた扉から、抜き身の剣を携え押し寄せてくる。
「近寄ったら嫌ぁですわ!!」
ディアーナは咄嗟に、両手を振り下ろして風を呼んだ。寝室の入り口で、小さな竜巻が兵をなぎ倒し、次々と気絶させていく。
「さあレオニス!! 今のうちですわ!!」
ディアーナは、背後に庇っていた花婿の腕を引っつかんだ。だが、彼は即座にディアーナの手を振り払う。
「お前はだれだ!!」
「え?」
彼、レオニスは驚愕し、血の気を失った顔で自分を眺めている。
ディアーナは、風にたなびき、舞っている自分の髪を眺めた。何時の間にか漆黒で真っ直ぐだったのに、ウェーブのかかったピンク色に変わっている。
(やばいですわぁぁぁ!!)
ディアーナはぺちぺち頬を叩いた。きっと顔も変わっている!!
レオニスはディアーナの両肩をがしっと掴み、がくがくにゆさぶり始めた。
「マリーレイン様は何処だ? 何処に隠したのだ!!」
「あううううう!! レオニス!! 今の状況がわかっているんですの!!」
敵は、仲間割れを好機とばかりに、次々気絶した仲間を踏みつけて迫って来ているというのに!!
「マリーレイン様!! ご無事ですか!!」
レオニスは、無謀にも、ディアーナをベットに残して飛び出した。
「危ない!!駄目ですの!!」
ディアーナの叫び声と同時に、兵士の長槍が、深々と彼の左肩を貫いた。
「風よ!! レオニスを守って、他を切り裂いてくださいな!!」
ディアーナの怒りの声に同調し、風が無数の刃となって、兵士らに襲い掛かる。煉瓦造りの床は、粉々に粉砕され、多数の兵士らを巻き込んで階下に落ちていった。
誰も居なくなった後、ディアーナはレオニスを抱き起こして、彼の肩から槍を引きぬいた。
血止めの呪文を唱え、風の力を助けに、レオニスの重い体を肩に担いだ。
(マリーレイン姫の部屋には……確か……)
衣装の部屋の奥に、抜け口があった筈。ディアーナは、うろ覚えの記憶を頼りに、ドレスを掻き分け、奥へと進む。
果たして、小さな鉄の扉があった。
ディアーナは、錆びついた鉄扉をこじ開け中に入った。淀んだかび臭い匂いが鼻についたが、この際贅沢は言っていられない。
「扉、縛ですの」
ディアーナが命じると、涼やかな金属音が鳴り、鉄扉に封印がしっかりとかかった。
開かない事を確認し、ディアーナは小指の爪ぐらいの、小さな光を召還した。
暗い石造りの通路に明かりが灯った。
先は真っ暗で、何も見えない。
(うっうっ……酷い湿気ですわ!!)
でも、もう後戻りはできない。レオニスを逃がす為、彼女はひたすら進むしかない。
何故こんなことになったのだろう?
自問自答しても、答えは解りきっている。
そう、全てはシオンが悪い。
「シオン〜帰ったら、覚えてらっしゃいですわぁ」
あの馬鹿竜!!
(誓って、青銀の鱗を毟り取ってさし上げますわ!!)
ダリス王国は、大陸一巨大な港を有し、陸と海の貿易全てを牛耳っていた。
蒸し暑い夜、皇太子アルムレディンは、城の屋上でただ一人、王都の街並みを眺めていた。
煉瓦作りの街並みが、月明かりに照らされる。
白銀色に染まった建物の群れは、まるで累々と横たわる白骨に見える。
かつて栄えた街の面影など、もはや微塵も感じられない。軍船しかなくなった港からは、潮風に混じって、人の腐臭と、焼いた煙の匂いが漂ってくる。
全ては黒死病……ペストのせいだった。
この伝染病は、確たる治療法もなく、かかったら最後、十人中七人は亡くなる恐ろしい病だった。この猛威は、国王を始め、貴賎を問わず、勿論老若男女の区別なく襲いかかり、1週間でこの街を廃墟に変えた。
健康な者の殆どは、命惜しさにこの都から、とっくの昔に逃げ出していた。自分とて、どこで感染するかもわからず、正直今にでもこの街を去りたい程だった。けれど、父がもう直ぐ臨終するのだ。
次期国王として、父王の終油と告戒に立会い、遺言を聞く義務があった。
(父上……まだ、早すぎます……俺はまだ、十八です……)
突如、月が翳った。
アルムレディンは、無意識の内に空を仰ぎ見た。すると、先程まで月があった場所に、巨大な蛇の影が見えるではないか。
アルムレディンは目を疑い、次にふつふつと怒りが湧いてきた。
(こいつが……病を撒き散らしたのか!!)
「弓兵隊!! 出会え!! 出会え!!」
そこで彼ははっと気付いた。
ここは屋上……彼の声が聞こえた者は、遠く離れた城壁の見張りぐらいだろう。
弓兵が、彼の命令どおり、駆けつける頃には、とっくの昔に消え去っているかもしれない。
アルムレディンは、沸き立つ血に任せて、長槍をひっつかんだ。
「この俺が討ち取ってくれる!! いざ、立ち会え!!」
「我らは敵ではない!!」
夜の闇に、聞きなれない青年の声が響いた。
「私はクライン王国近衛騎士隊長……レオニス・クレベール!!」
雲が晴れ、銀色の月の光が影を露にした。異形の影は、青白く輝く白銀の竜だった。
その白竜の額には、一対の男女が乗っていた。
どちらも漆黒の髪を波打つに任せ、クライン王国の近衛の白い軍服を身に纏っている。
「我姫、マリーレイン様は、黒死病の治療に参られた。敵ではない!!」
男も丹精な顔をしていたが、女は信じられない程凛々しい美貌だった。長身の体に癖なく絡みつく黒髪は、腰まで伸び、大理石のようなすべらやかな肌に、石榴色の唇。その瞳は海のように深い青だ。
「あれが本当に『見かけ倒しの聖女』か?」
あまりにも有名な、クライン王国の恥。
今年十七歳になる王女は、白竜の幼体とともに王妃の腹から誕生した。マリーレインと名づけられた姫は、伝説の聖獣の加護を、生まれながらに持つのだ。クラインの民は勿論、大陸中が姫の奇跡を期待したものだ。
所が、姫も白竜も、生まれながらの虚弱体質で、飛ぶどころか城から一歩も外に出た事がなく、ましてや奇跡など、ただの一度とて示したこともない。
よって、アルムレディンが(本当に、できるのか?)と、いぶかしむのも、至極もっともな話だった。
白竜は、屋上に舞い降りた。
アルムレディンは、作法通りに一礼し、姫に手を貸そうと、腕を差し伸べた。
「私はアルムレディン・レイノルド・ダリス。この国の皇太子です」
姫の儚げな青い瞳が、穏やかに彼を見た。
「初めまして殿下。早速ですが、病の状況はいかがでしょうか? 患者を収納した施設はあるのですか?」
「王宮を始め、街の住民の七割が感染している。特に衛生設備の無い貧民街が九割やられてしまった。全ての神殿、公共施設は開放しているが、治療や医療に従事する者が、圧倒的に不足している。何しろ、健康な者は、感染を恐れて逃げてしまっているし、船も寄港を許してくれないから、医薬品の補充もままならない。後、我々にできることと言えば、エーべ神への神頼みぐらいだ」
「助力致します」
姫は、アルムレディンの手を支えに竜から滑り降りると、細い腰の帯びに刺し込んでいた短剣を、鞘から引きぬいた。
「レオニス、杯をここへ」
騎士は恭しく背の高い筒型のゴブレットを竜鱗にあてがった。
姫は、竜の胴に短剣を直角に突立てた。
どろりとした赤い血が、剣の柄を通って、レオニスの差し出したゴブレットに滴り落ちる。その血は見る見るうちに、杯を一杯に満たした。
「姫、その血をどうするのか?」
「竜の血は万能薬。水に薄め、病人に片っ端から与えてください。黒死病でも、体力があれば助かります」
姫はレオニスから、次のゴブレットを受け取った。
「重病人からね。急いで」
「はっ!!」
レオニスは、血で満ちたゴブレットを手に、直ぐに城内へと駆けていった。けれどアルムレディンは、いまだ動けずにいた。
確かに、竜の血は万能薬だ。伝承ではそう伝えられている。
けれど、マリーレインと白竜に関しては、全く信憑性がない。
そんな良いものがあるのならば、何故姫はずっと病弱だったのだ?
「マリーレイン姫?」
アルムレディンは、マリーレインの脇腹から、うっすらと血が白の軍服を汚し始めていることに気付いた。
「その傷は?」
彼女は、彼を安心させるかのように、微笑を浮かべた。
「私と竜は、一心同体ですの」
ということは、竜が血を流し続ければ、姫も血を流し続けるということではないか?
「無茶だ!! 姫!! 血を全部の病人に飲ませれば、君のが無くなってしまう!!」
「殿下、心配は無用です。竜の体は巨体。血は大量にありますし、ちゃんと水で薄めております」
姫はアルムレディンにも、ゴブレットを二つ押しつけた。
「殿下、今は一刻も争います。お手をお貸し下さい。そして、人手をお寄越し下さい」
「ああ、直ぐに集めてくる!!」
アルムレディンは、踵を返して、階段を駆け下りた。
「手の空いている者は、直ぐに屋上へ行け!! 必ず何か杯の代わりになるような物を持参せよ!!」
駄目もとという気もあったことは否めなかった。
でも、命がけで救おうとする、彼女に対して、アルムレディンができるお礼は、手隙の人間を集めることぐらいだ。
アルムレディンの命令に従い、近衛兵は残っていた者を総動員して駆けつけてきた。
誰もが半信半疑だった。
だが、病人の口に、竜の血を垂らした水を含ませると、直ぐに高熱は引いた。そして、体に体力のある者から、次々と回復の兆しを見せた。
虚弱でも聖女である。
彼女は、初めて立派に人の役に立てることを証明した。
聖女でも、体の華奢な少女である。
「マリーレイン姫、少しは休め!!」
アルムレディンの心配は、当然だった。彼女は、血を配り終えた後は1週間以上、ろくに睡眠も取らずに病人の回りをくるくると看護と勇気づけに走り続けた。
「病が落ち着くまでは……それよりも殿下こそ、お休み下さい」
「俺が、女性に働かせてる横で、呑気に眠るような男に見えるか?」
「では、お互い頑張りましょう」
(強情な姫だ)
たおやかな外見なのに、どうして己の意志を持ち合わせている。こういう女性は好ましい。アルムレディンは微笑をもらした。
(マリーレイン……この恩は、いつか必ずお返しする)
「かっこいいですわぁ」
水鏡がぶれると、ディアーナはもたれていた青竜の胴から身を起こした。食い入るように見入っていた為、体の下敷きになっていた腕が、ぴりぴりと痺れた。
「勝手な奴らだろ? 今まで散々弱小国だの役立たずの姫だの罵ってたんだぜ」
「もう、どうしてシオンは、そう捻くれた事を言うですの?」
ディアーナは、ぺちんとシオンの背を叩いた。所が固い竜鱗に覆われた体は、例えディアーナが拳で殴りつけたとしても、彼女の手の方が痛むだけだ。
ディアーナは今、シオンの体が丸まって作った揺り篭の中にいた。彼自身は固くても、敷き詰められた綿の中にいるので、彼女自身はふわふわで暖かかった。
「もう、本当にうちの姫さんは、気が荒いぜ」
「ふふーんだ。シオンに似たんですのよ」
ディアーナは、白く輝くふわふわの綿から這い出て、シオンの大きな顔に顔に抱きついた。ディアーナが両手を精一杯広げても、ぜんぜん足りない。彼女の緩やかで長いピンクの髪が、竜の顔をくすぐる。
「ねえ、続きは? もっと見たいですわ」
途端、シオンは顔を顰めた。
「姫さん……俺、もう寝たいぜ……」
「嫌ぁ――ですの。シオンってば、いつも寝てばっかりいるんですもの。もう少し遊んで欲しいですわ。私…私…でないと……」
直ぐにうるりっと、涙がにじみ出てきた。
そう、ディアーナは寂しいと思えば、直ぐに泣くことができた。
ここは白霧の湖……シオンと自分しか存在しない世界。
シオンと今浮かんでいる湖面は、彼が命じれば、人界の映像を運んできてくれる。ディアーナにとっては、将来自分が生まれる世界だ。この覗き見は、あまり喜ばしくないと知っていても、いつも二人きりの寂しい世界では、ディアーナにとって、たった一つの楽しみだった。
「ねえ、シオン……私達は、マリーレイン姫の次世代の、聖竜と聖女になるんですのね。私、一日も早く生まれたいですわ」
「四大エレメントの魔術が、全部暗唱できるようになったらな」
「う……完璧ですわ」
「嘘つけ。姫さんが完璧なのは、火と風の攻撃呪文だけじゃね―か」
「あうううううううう」
聖女の必須条件は魔法である。けれど、彼女は水と土系の魔術が壊滅的に苦手だった。
「聖女はさ、水や大地の癒し魔法を重宝するんだぜ」
「うううう、で、でもですわ、マリーレインは全然魔術を使ってないじゃないですの?」
「彼女は虚弱だからな。使えねぇだけだ」
「なら、私もいりませんわ」
「アホ。お前さん、マリーレインとは別の意味で役立たずと呼ばれたいか? 俺は自分が痛い思いするのは嫌だからな。白竜みたく、献血なんざ、絶対やらねぇぜ」
ディアーナは渋々頷いた。
「わかりましたですわ。いつかちゃんと克服しますわ」
シオンの目が、にへらっと笑った。
「はいはい、期待してるぜ。俺も甘ぇーな」
シオンが一つ息を吐くと、視界を遮っていた霧が、みるみる晴れていった。シオンの巨大な体の下にある湖面がさざなみ、無数の映像を手繰り寄せる。
ディアーナはわくわくと揺り篭から身を乗りだし、霧の湖面を覗いた。
教会の鐘が、賑々しく鳴り響いている。
今、クラインの王都はお祭り騒ぎだった。
「うわ!! 結婚式ですわ!!」
「そうだな……さっきのから、丁度2ヶ月後ってことかな」
石造りの王都が、花吹雪で埋まり、神殿には祝いを叫ぶ民衆達で溢れかえっていた。
王弟兼大司祭のカイナス直々に、聖王女マリーレイン・エル・サークリッドと近衛騎士隊長レオニス・クレベールの婚礼が、華々しく執り行われていた。
やせ細ったカイナスが、民へのお披露目の為に、二人をバルコニーに導いた。彼女らが姿を表した瞬間、観衆の歓声は、一気に高まった。
ダリス王国の黒死病を救って以来、マリーレインはようやく、民の誇れる王女になったのだ。
レオニスは感激で涙ぐみ、太い腕でそっと目を拭った。
この姫に仕えて十七年。よもやこんな、民に歓呼で迎えられる日が来るとは。
「この世に生を受けて三十年。今日ほど生きていて良かったと思ったことはございません。姫、本当に私で良かったのですか?」
「父陛下のご命令です」
美貌の王女は、淑やかに、でも哀しげに微笑んだ。
「ダリス王国の新王……あの、王位簒奪者からの求婚を穏便に断るには、私に、婿を取らせるのが一番ですもの」
「姫……申し訳ございません」
レオニスは、己の思慮の足りなさを悔やんだ。
今日、この婚礼に至るまでの道程中、両国は、ともに掛替えの無い王子を失っていた。
まずダリス……王都を襲った黒死病から、必死で民を守るために留まっていたアルムレディンには軍隊など何も準備できる筈もなかった。反乱を起こした王弟軍は、瀕死の王都をあっさり攻め落とし、国王を殺害、そして逃亡した王子に父殺しの汚名を着せ、自分は兄を救おうとしてきたのだとぬけぬけと発表した挙句、王子に懸賞金までかけてしまった。
そして、この恥知らずの国王は、自分の正妃にマリーレインを望んできたのだ。
力で強引に国を乗っ取ったのだ。しばらくは貴族らの箍も緩み、内乱や暗殺の危機が起こるだろう。だが、自分の傍に、竜憑きの王女がいれば?
例え、見掛け倒しで戦力にならずとも、反逆を起こそうとする輩は減る。
それに、あの『竜の奇跡』だ。全ての病を癒す神秘、あれを別の国に渡すのは惜しい。それに、彼女が正妃となれば、民の心も掌握しやすくなる。
それに、ダリスは大陸一の強国。ちっぽけなクライン王国など、一捻りで滅ぼすことができる。よって、姫への求婚など、脅しに近い命令だった。
これには、クライン王国の国王が逆切れを起こし、こう使者に怒鳴り返したのだ。
「セイリオスは、我息子にあらず。マリーレインは、我が国唯一の後継ぎである!!」と。
本当に、愚かな行為だった。
国王が頭を冷やすため、たった十数える間の忍耐を怠ったせいで、クライン王国も、皇太子を廃嫡せねばならない状況に追いやられてしまったのだ。
今、セイリオスは何処かの離宮に幽閉されている。
彼の幽閉を解くためだけに、マリーレインは今日の婚儀に望んだのだ。
レオニスは爵位も持たない貴族。例え、彼女と結婚したとしても、生涯国王になることは、ありえない。
「レオニス……ごめんなさい。私の守役だった為に、気の毒だったと思っております。貴方は……私の母を……」
「いいえ!!」
レオニスはマリーレインの唇に、指を押し当てた。
こんな気の毒な姫を、これ以上悲しませてはならない。確かに、互いに愛情はないが、レオニスは己が成長を守ってきた姫を大切に思っていた。
いつも病の床にありながら、臣下を気遣い、穏やかな笑みを忘れずにいた。一度も不自由な体を呪ったことも愚痴をこぼしたこともない。唯一の我侭が、あのダリス遠征である。
あのか弱かった姫が……毅然として竜を駆ったのだ。
あの雄姿……レオニスは誇りに思った。
「私は、貴方の傍近くにいられるのであれば、何であろうと構いません。愛してますよ姫。私の忠誠は、生涯貴方だけの物」
そして、レオニスはマリーレインを抱き寄せた。
「姫、ご無礼つかまつります!!」
レオニスは、姫の唇に己のを重ねた。
マリーレインは、咄嗟の出来事に、驚愕し、身を硬直させている。
歓声は、最高潮に達した。
教会の鐘はますます鳴り響き、民は手に手にもった花々を、二人めがけて撒き散らし、祝福し続けた。
ディアーナは、うっとりと目を細めた。
美男美女の結婚式は、見ていてとても麗しい。
「そして、二人はいつまでも幸せに暮らしたのですわ。めでたしめでたしですわね」
「残念だったな姫」
「きゃ―――ですわ!! シオンったら、何をなさるの!!」
シオンはぱっくりとディアーナの頭を甘噛みしたのだ。彼女の顔は、一瞬でシオンのよだれでべたべたになった。
「うっうっ……酷いですわぁ」
「さあお姫―――さん、何でだと思う?」
シオンのいつもの謎かけが始まった。
下手な答えを返したら最後、またぱっくりと噛まれてしまう。ディアーナは身を正して真剣に湖水を眺めた。これも大切な聖女修行なのだ。
王位に近い者は、物事を表面通りに受け取ってはならない。もし、自分が誤った判断を下し、采配をミスしたら、そのまま国の存亡に関わるかもしれない。時事を分析し、裏側に隠された物も、正確に読み取らなければならない。
「まず、ダリスの新王ですわ」
「ふーん、で?」
「あの男はきっと、クラインのような小国が、ご自分の求婚を断ってくるなどとは夢にも思っていなかったのでしょ。そうでなければ命令なんてしませんわ。しんも、マリーレイン姫のお相手が、爵位もない下級貴族なのですから、余計プライドが傷ついて、今後、もっともっと嫌がらせを仕掛けてきそうですわ」
「他は?」
ディアーナは頭を抱えた。
難しい政治の話は苦手だった。
「あうううう、無いですわ」
「噛むぞ」
「嫌ですわ!!」
ディアーナはじわっと涙を浮かべてシオンを睨んだ。
「シオン、意地悪ばかりしていないで、私にヒントを下さいな!!」
「しょうがねぇな……じゃ、カイナスはどうだ?」
やせ細った大司教……彼は確か、王弟でもあった。
「彼の立場、このシチュエーション……考えてみろ」
「……カイナスは、マリーレインがいなくなれば、王様になれるのですわ」
「それだけか?」
シオンはあぐっと口を開ける。
「あううっ!! 気…気が弱そうですから、ダリスに恨まれるより、姫を正妃に差し出し、媚売って、安寧にやり過ごそうと思うかもしれませんわぁ!!」
「よしよし、姫さん。及第点をやるよ」
シオンは満足げにぺろりんっとディアーナの頬を舐めた。彼女は結局べたべたになった。
「あうううぅ……水浴びがしたいですわぁ」
「後でさせてやるよ」
シオンは再び霧を吹き飛ばした。
湖面には、ダリス王国の大軍が、夜陰に乗じて王都を目指しているのがはっきりと見えた。
逆にクラインの城では、祝賀に振舞われた酒や飲み物に、薬が忍ばせてあり、近衛騎士らも兵士も民衆も、次々と眠りに落ちていった。
婚儀の招待客らも眠っていた。だが、ダリスからの使者だけがしっかりとした足取りで広間を抜け、彼の護衛についてきた騎士団が、クラインの神官らの手引きにより、王城への侵入を開始する。
「シオン、これは一体どういうことですの!!」
「王弟のクーデターだ。カイナスはダリス軍の協力で、国王を殺し、マリーレイン姫と白竜を引き渡すつもりだ」
シオンの言うとおり、兵らはまっしぐらに国王のいる広間と、マリーレイン姫の新床に向かっていた。国王は玉座で酔いつぶれており、レオニスとマリーレインも何やら話込んでいて、全く気付いていない。
「酷いですわ!! シオン、何とか教えてさしあげることはできないの!!」
「じゃあ、姫さんがマリーレインだったら、どう動く?」
こんな時に、まだ学習させるつもりか!!
ディアーナは叫んだ。
「私だったら、当然クーデターを止めますわ!!……きゃう!!」
ディアーナは、身を乗り出しすぎて、つるりっと手を滑らせた。湖水に落ちるその間際、彼女ははしっこく、青竜の鱗に爪を立てたのだが……。
「きゃう!!」
無情にも、シオンはディアーナの背を、己の鼻先で突き飛ばした。彼女は派手に頭から湖水に落ちた。
「酷いですわ!!……こほっこほっ!!」
湖面に顔は出せたものの、シオンの体は大きすぎ、彼が少し沈んでくれなければ、ディアーナは自力で這い上がることができなかった。シオンはもう、動く気配もない。
「水浴びしたいって言ったのは、姫さんだろ?」
「シ〜オ〜ン――――!! もう、完全に怒りましたわ!! 謝ったって、絶対に絶対に許しませんことよ!!」
「ほぉ、俺に喧嘩売るって言うの? 姫さん度胸あるぜ」
途端、水底から、軽い負荷がかかってくるのを感じた。見下ろせば、湖底から、小さな渦が巻き起こっている。
ディアーナはこくりと唾を飲み込んだ。
「シ、シオン。私を一体どうするつもりなの?」
「さっきお前、言ったよな? 望み通りクーデターを止めにいって来い。ああ俺って、なんて親切な男だろう」
(なんですって!!)
しまった!! シオンの計略にひっかかったのだ!!
守護竜は守り手の善なる願いは聞き届けられる。
渦は彼女を包み込み、水底へと強力に引っ張り出した。
「わぷっ!!」
ディアーナは、しこたま水を飲んだ。頭がガンガン早鐘を打ち、シオンの声が耳にこだまする。
≪早く生まれ変わりたいんだろ? 神さんができたら考慮にいれてやるってさ……頑張れよ〜……≫
(シオン〜……覚えてらっしゃい!!)
水の水圧に負け、ディアーナの意識は遠くなった。
(何か……息苦しいですわね……)
口に柔らかくてねっとりとした物がへばりついている。また、シオンが悪戯して、口に桃でも突っ込んだろうか?
下手に噛むと辛かったりする。そしてきゃあ!!と飛び起きた自分を見て、散々小馬鹿にするのだ。
「俺の姫さんは、本当に食い意地がはってんだから!!」とか、なんとか言っちゃって……。
(その手に何度もひっかかる私ではわりませんわ)
ディアーナは、手で取ろうと動かすが、逆にしっかりと手首を掴まれてしまう。
……掴む??……
シオンに手はない!!
ディアーナはぱちっと目を開いた。綺麗なレオニスの顔が目の前にある。
しかも、もしかして自分は……彼とキスしてる――――!!
(きゃあ−ですわぁ!! どうしてなの!!)
ディアーナは首を思いっきり反らして唇を外した。なのにレオニスの両手ががしっと彼女の両頬を掴んだ。
「姫、どうか怖がらないで下さい。優しくすると誓いますから」
(待って!! 待って!! 待って!!)
「愛しております。私の姫……」
レオニスの唇が、またディアーナに覆い被さった。おまけにレオニスの手が、夜着の裾から滑り込んでくる。
もう、今度こそ冗談じゃない!!
ディアーナは、レオニスの腕を夜着の上から押さえ、嫌々と首を振り、手足をぱたつかせた。けれど、彼女の手首は、すぐにレオニスに力強く握り締められ、足首も彼の膝で押さえつけられてしまった。
「駄目ですよ、姫……貴方は私の妻なのですから」
艶めいたバリトンがまるで呪詛だ。ディアーナは、やっと、自分が誰に憑依しているのかしっかりと悟った。マリーレイン姫だ。
(中身は別人なんですわぁ!!)
これが初キスなんて!! しかもこのままではぱっくり美味しく食べられてしまう。
ディアーナは涙目になり、ふるふると首を横にふるが、レオニスは両目を閉じてディアーナの襟首に唇を這わせていて、まったくこっちに気づいてくれない!!
(こんなこと……嫌ですわぁ!! シオンシオンシオン!!……こんなことをしてる場合じゃないのに……そうよ!!)
「レオニス!! 離してくださいな!! クーデターですのよ!!」
「姫?」
クーデターの言葉に、レオニスの青い目が開いた。
ディアーナはたたみかけるように叫んだ。
「クーデターが起こるのですわ!! 早く王様を救わなくてはなりませんの!!」
「……姫…?」
「なにをぼーっとしているのです!! 急ぐと言っているでしょう!!」
ディアーナはねレオニスの腕を引っつかんだ。その時だった。
「レオニス・クレベール、覚悟!!」
武装した兵が、抜き身の剣を手に手に、一斉に襲い掛かってきた。レオニスは丸腰だった。
ディアーナは、咄嗟にレオニスを背に庇い、風を召喚した。
どうして、こんなことになったのだろう?
問いかけても、シオンは何も答えを返してくれない。
(もう!! 試験ならば、ちゃんと見張ってなさいの!!)
ディアーナは、シオンに対する怒りを全て風に託し、乱入者に遠慮なく叩きつけた。
成り行きといえど、レオニスを見捨てるわけにも行かず、ディアーナは必死だったのだ。
なのにこの男ときたら……!!
(丸腰の癖に、武器持った男達の前に飛び出すなんて―――――、いくら忠義者でも限度がありますわ!!)
01.03.21
めぐ様のリクエスト通り、最初で最後のファンタ・パロディです。
ミカルもかなり気に入ってる話です。これは後、打ち込むだけなので、そんなにお待たせしません。
ミカルが、月猫とのパソ争奪戦に勝てるよう、お祈りください。
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