目覚めの刻限 4
ディアーナの母、マリーレインは伯爵家の令嬢だった。
彼女はとても信仰心が厚かった。早死にした親の遺産を全て使って、この王都に初めて施療院を作ったばかりでなく、自らも女神エーべの使徒になることを請願し、純潔を保つシスターとなった。そして彼女は、身分の分け隔て無く、必死で王都の傷病人の為に働く毎日を過ごしていた。
しかし、人間の努力には限界がある。
彼女は不治の病に苦しむ人々に心を痛め、エーべ神に奇跡を求めてひたすら祈り続けた。
シオンは、神に反逆した咎で処刑された神竜だった。
≪天界へ戻りたくば、己の犯した分だけ善行を積むがよい!!≫
(ふざけんなよおっさん!!)
そう天使から伝言を貰っても、彼には肉体が無かった。現世で働く為にはどうしても必要だ。そして、神獣の体を育めるのは、清らかで信心深い乙女のみ。
双方の利害が一致した。
「俺がこの世界に生まれるまでは三年半かかる。俺を胎内に宿しているうちは、マリーレインは俺の聖なる力を好きに使っていい。民を存分に癒すんだぜ」
「三年半だけですか?」
うるるっと見上げられ、シオンは戸惑った。
正直、マリーレインはかなり彼のタイプの女性だった。健気に施療院を切り盛りし、一途に病人の看護に励み、でも愛らしくて………保護欲をそそるというか、俺が守ってやらなきゃ騙されるんじゃないか!! そう思わせるような雰囲気を持った女だった。
「しゃーねぇな。俺を産んだらあんたは俺の母親ってことになるんだな。いいさ、守ってやるよ。子が親を守るのは当然だからな」
「ありがとうシオン!!」
そして二人は契約を交わした。
シオンの魂は、マリーレインの胎内へと入り込んだのだ。
「俺にその後の記憶はねえ。だがな、結婚しねぇ筈のマリーレインが第二王妃になり、出産と同時に死んじまった事実。俺がディアーナの体に憑依しちまった事を考えれば、おおよその見当はつくさ」
ディアーナにも解った。きっと、国王に力づくで奪われたのだ。
「人でなしですわ」
ディアーナは戦慄した。
神獣を身篭っていながら汚されたなんて。
人間は百しか生きないが、竜は一万年以上生きる。
ましてや、シオンは神竜だった。
竜の魂と人の魂では、生命力の大きさが全く違う。
それなのに、同時に胎内に宿してしまうなんて!!
国王の愚行のせいで、マリーレインは産熟で死に、二つの命も腹の中で混ざり合った。シオンの重い魂は子供の体に縛され、ディアーナはシオンに取り憑かれたために意識を失い、現世に産まれた竜の体は、魂が無く、操り人形のような抜け殻となった。
そんな無理な体だったから、マリーレインと名づけられた王女も、竜も、満足に動けなかったのだ。
「俺はマリーレインと約を交わしたろ。『子が、親を守るのは当たり前だ』ってな。俺がディアーナの体に封じ込まれたせいで、マリーレインはくたばっちまったのに、父子の縁は残っちまった。
全く大した呪縛だぜ。
俺は生まれながらにして、王の命令に逆らえなくなっちまったんだからな。
『マリーレイン姫』は役立たずの王女じゃねえ。
この俺様が、地脈を読み、金山、銀山、紅玉、この国に眠る全ての富貴を奴に教えてやったんだ。困窮していた財政は潤ったし、他にも『彼女』はひたすら国王の望む通りに叡智を使った筈。
それでもクラインは弱小国のままだった。奴はとんでもねえ愚王だったよ!!」
シオンは忌々しげに吐き捨てた。
神竜の加護を受け取る権利の無い奴が、欲しいままにシオンを使ってきた。
神竜に命ずる権利のない奴が、父の呪いで扱き使っていた。
彼がどんなに悔しい思いをしてきたのか、ディアーナの想像に固くない。
でも……。
でも――――――!!
「どうしてですのシオン?」
ディアーナはよろけるようにシオンに縋りついた。
「どうして父様に、私のことを知らせてくださらなかったの?」
自分がいることを。
マリーレインの中に、ディアーナがいることを。どんな愚王でもディアーナにとっては父親だ。
「あの白霧の世界に……シオンはどうして私を隠したの? どうしてずっと隔離していたの!!」
シオンは痛ましげにディアーナを見下ろした。
「姫さん……俺は本当に知らなかったんだ。俺は自分がずっと王女だって……マリーレイン姫だと思い込んでいたんだ」
「嘘ですわ!! シオンが私を育ててくれたんですのよ!! あの湖に浮かんで、色んな世界を見せてくれたわ。魔術だって教えてくれましたわ。
十七まで育てておいて、自覚がない筈ないですわ!!」
「あの世界に、時はあったか?」
「!!」
ディアーナは息を止めた。
白霧の世界には、確かに時の概念は無かった。
寝て、起きて、食べて、学んで、寝て……昼夜は一切無く、シオンが『お前は今日から十二だ!!』といえば、その時からディアーナは十二になった。
シオンの言葉が全てを決めた。
「あの湖面の世界はな、俺の心……精神世界だ。お前の魂は小さかったから、俺の心の中に入り込んじまって、封じられちまって、眠りこけてたんだ」
「……なら、いつ私のことに気付いたのですの?……」
「……正確にはな、ダリスで黒死病が流行ってるって知らせが耳に舞い込んできた時かな……。女官どもが『母君のマリーレイン様が存命でいらっしゃれば、きっと救いに行かれたでしょう』とか『あんな恥ずかしい姫なら、死んでいてくれた方が良かった』とか、随分聞こえよがしにくっちゃべってくれててよ、すっげー腹立って、「何で私には何の力も無いの!!」って、悲劇のヒロインぶっこいてたら、ぽこっと俺が竜だったって思い出した」
「………」
ディアーナは、痛む頭を抱えながら、このねじくれた現実を正しく理解しようと頭をフル回転させた。
ダリスに行く前に、シオンは自分が神竜だって解っていたのなら、どうしてレオニスと婚儀を挙げる必要があったのか?わざとダリスを挑発するような真似して。
「……まさか、シオン……」
思い当たった途端、手がわなわなと震えてきた。
冷静になろうとしているのに、やり場の無い怒りが押し寄せてくる。
「……私の父様を殺したのね………」
「…………」
シオンは、小さく吐息をこぼし、軽く頷いた。
「どうしてですの!! 答えなさいシオン!!」
「当たり前だ!! あいつは俺とマリーレインの約束を捻じ曲げた張本人だ!! 唯でさえ万死に値するのに、父親の呪縛で俺を縛ってたんだぜ。俺じゃ殺せねぇ……だったら誰かに殺らせるしかねぇだろ!!」
「最低ですわ!!」
ディアーナは、手を振り上げた。だが、彼女の手首は難なくシオンに引っつかまれた。
ディアーナは、そのままシオンに抱きすくめられた。
広い胸に顔を押し当てられる。ぱたぱたと手を動かしても、彼の力は強くてびくともしない。
「それにな、あいつが死んでくれたから、お前だってこの現実の世界に帰ってこれたんだぜ。お前はただでさえ十七年を棒にふっちまってるんだ。これ以上、俺がお前の人生を奪うなんて、絶対に嫌だったんだ!!」
「私に魔力を仕込んだのは!!」
「仕方ねぇだろ……『マリーレイン姫』が『役立たずの聖女』として生きちまったからな。だから俺が分離しても、それなりの尊敬を得られるように、魔力を仕込んだ」
「私は、母様の代わりではありませんわ!!」
「解ってる。解ってるから」
「シオンは解ってませんわ」
「解ってるって……誰がお前を育てたと思ってるんだ?」
「………」
ぐすっぐすっと鼻を鳴らすと、シオンが頬に軽くキスをくれた。
「拗ねるな。仕方ねぇのは解るだろ?」
ディアーナはこくんと頷いた。
父親が欲を出さなければ……シオンは神獣としてこの世に生まれ、マリーレインは聖女として生き続け、この国はきっと良い方向に発展させることができただろう。
けれど母がもし聖女のままでいたら、ディアーナは生まれなかった。
彼女は存在しなかった。
本当に仕方が無い。でも、皆で幸せになる道は無かったのだろうか?
模索する時間は、永久に失われてしまった。
「あの……、もう、時間が無いのだが……」
カイナスがおずおずと窓を指差した。見ると、ダリス王国の紋章をかたどった軍旗が、赤々とした光に照らされて、夜闇に浮かび上がっている。
(赤?)
ディアーナは、目を凝らした。
「何て事ですの!! 燃えているじゃないですの!!」
軍旗を照らし出した灯りは、空に舞う火の粉だった。ダリスの旗の群れは、街に火をかけながら城門目指して一気に駆けぬけてくる。
夏の乾季が災いし、火はみるみる燃え広がっていく。
このままでは無血開城だ。どうすればいい?
「シオン!! 今すぐ竜になってください!!」
兵の殆どが薬を盛られて転がっている今、まともに戦える軍隊などない。
彼らを足止めできるものは、もう竜しかいない!!
シオンは両手を広げて首を竦めた。
「また、息絶え絶えの病人になるのか?」
「え? 病人ですの?」
「そ」
彼は面倒くさそうに、長い髪をかき上げた。
「俺はな、お前に憑依した形でこの世に生まれてきたんだぜ。竜体が欲しけりゃ、もう一度俺が乗っ取るしかねぇだろ。但し、白竜はダリスの例の件で今だ血を抜きすぎちまってばててるからな。飛べるかどうか、わかんねぇぞ」
ということは……。
「例え竜体になったとしても、瀕死の竜と、役立たずの姫ってことですの!!」
「そう」
シオンは、決まり悪げに頷いた。
「俺は守護した者の願い通りにしか動けねぇからな。ディアーナ、お前が決めてくれ」
「って、意味が無いですわ!! どうするんですの!!」
外の軍勢は、もう肉眼で人を確認できるまで押し寄せている。
今、戦える兵らをかき集めたって、ものの数秒で犬死だ。そんな真似、とてもさせられない!!
「ディアーナ、逃げるか? 俺と姫さんだけなら、楽勝だぜ」
「真顔で冗談は言わないで下さいな!!」
「王女!! まさかこの、無防備な状況で、この城を見捨てるつもりではないだろうな?」
カイナスは蒼白で、その顔は蝋人形のようだった。
「『マリーレイン姫』には、白竜とともに嫁いでいただかなくては、ダリスが納まりませぬ」
やせ細った顔が青白いと、ますます不気味に見える。
こいつが借りた兵の代価はマリーレインだ。破ればどうなるか……まず、命がない。
「それに、元はと言えば、最初に竜殿が私を利用なさったのですぞ。呪縛から逃れた代価を請求したとて、罰は当たりますまい……ぎゃ!!」
レオニスとセイリオスが、カイナスに向かって一斉に手に抜き身の剣を振り上げた。
「この恥知らずが……己の欲の為、主君をその手にかけておきながら……よくもぬけぬけと!!」
「王家に生を受けた身でありながら、自国に他国の軍を引き込んだ売国奴が!!」
「ひ……ひい〜!!」
彼ははしこく、二人の剣を紙一重でかわすと、脱兎の勢いでディアーナの背後に回り込んだ。
「竜様!! 早くご契約を!!」
ディアーナはどんっとカイナスに背中を押された。彼女は嫌悪で全身に冷や汗が浮かんだ。
「一刻を争うのですぞ!! 戸惑っている場合ではない!!」
「うるせえ!! 決めるのはお前じゃねぇ!! すっこんでろ!!」
「国のためなのだ!!」
カイナスは、がしっとディアーナの両肩を引っつかんだ。
彼の顔は、興奮で赤くなり、恐怖で引きつっている。
「『マリーレイン姫』さえ嫁げば、大国ダリスは我が国の同盟国ではないか!! 例え竜と聖女がこの国から失われようと、ダリスが我が国を守ってくれる!! 戦は回避され、多くの命が助かるのだ!!」
(…………)
口調は崇高だが、裏を返せばどうせ使い道のない張りぼての竜。欲しがるのなら、高く売りつけようという感じだ。
「貴様、愚かにも程がある!!」
セイリオスは叫び、つかつかとカイナスに詰め寄った。
「いくら王位が欲しかったからといって、自国の軍を避け、他国の軍を引き込む馬鹿が何処にいる? 現ダリス王は、王都が黒死病で瀕死の状態だった時、そのどさくさに紛れ、王位を簒奪した男だそ!! そんな男が無防備な国に大軍を送り、王位簒奪の力を貸した見返りに、瀕死の竜憑きの姫一人で納得し、黙って帰ってくれると本当に信じているのか!!
あの軍が到達すれば、貴様が王位に就いても、クラインはダリス王国の属国となり、いずれは併合されるに決まっているだろう!!
貴様はダリスに我が国を売ったのだ。
もはや、あのダリスの大軍に、立ち向かう術などない!!
その汚らわしい手で、私の妹に触れるな!!」
彼は剣の柄で、荒々しく腕を払い除け、ディアーナを背に庇った。
カイナスは、わなわなと震えている。そんな彼を無視し、セイリオスは、ディアーナに穏やかに微笑みかけた。
「国の未来が決まってしまった今、君がダリス王に嫁いでも嫁がなくてもなんら変わらないのだ。例え血のつながりはないとは言え、私は『マリーレイン』の兄だった男だ。君にはせめて人並みの幸せを得て欲しい」
「……お兄様……血が繋がらないって?」
「私は、最初の王妃様が死産なさった時、身代わりにどこからか連れてこられた赤子だったから……私自身、出自が解らないのだ」
彼はぽしぽしとディアーナの頭を軽く撫でてくれた。
「竜殿……と呼ぶのも、変な気がするが、どうか私の妹を連れて逃げていって欲しい。君達が人の社会に不慣れでも心配はいらない。このアルムレディン殿がしばらく匿ってくださるという」
セイリオスはアルムレディンを手で示し、くすりと微笑した。
「彼らは逃げること、身を隠すことに長けている。なんせ、ずっとダリス軍から今まで逃げおおせているのだからね」
「おい、一応褒め言葉としてうけとっておくがな」
アルムレディンもにやりと笑った。やがて来る別れを察知し、わざと気分を湿っぽくしないように気を配っているような感じだった。
「レオニス、お前もこの子を守ってやってくれ」
「殿下は、いかがなさるのですか?」
「私は、廃嫡になっても、この国の王子と崇めてもらった身だ。民を見捨てては行けない。これでクラインの王家は滅ぶが、この国の民は生き残り、ダリスに併合される。ダリスに下手に逆らわせず民を纏め、今後の生活を少しでもましなものにできるよう、交渉する者は必要だ。それはこの男にはできない。私の勤めだ」
その勤めが終わる頃に、待っているのは死だけだ。現ダリス王は、己の邪魔をする者を生かしてはおかないだろう。
「……ならば、私も……殿下にお供致したく思います……」
「お前は『マリーレイン姫』の婿だろう? 妹を守ってくれ。彼女は、お前が愛した、マリーレイン王妃の忘れ形見なんだぞ」
「…………」
レオニスは言葉に詰まり……やがて静かに頭を垂れた。
セイリオスは、再び剣を構えた。
「祈りの言葉をどうぞ。大司祭様」
「ひぃぃぃぃぃぃ!!」
カイナスはへなへなと床にしゃがみ込んだ。
「姫、どうぞこちらへ」
レオニスが、残酷な処刑をみせまいと、ディアーナの背を押す。
ディアーナの目頭は熱くなった。堪えても堪えても、涙が後から後から零れてくる。
守りたい。
この人を守りたい。
セイリオスを……兄を死なせたくない。
守るには、自分が……また、白霧の世界に戻るしかない。それに嫁いだとしても、クラインが滅ぼされない保証もない。
「時間が欲しい……ですわ……」
ぽたぽたと、雫が大理石の床に落ちる。
ディアーナは、顔を両手で覆い、俯いたまましゃくりあげた。
それに今……街が燃えているのだ。ディアーナが逃げ出したら……マリーレインがいなければ、ダリスの軍は、きっと王都を燃やし尽くしてしまう。
ずるずると彼女は床にへたり込んだ。足に力が入らず、もう立てない。
「姫、お気を確かに……時間がありません」
レオニスが、立たせようと腕をかしてくれるが、彼女は首を振って拒絶した。
何処にも選択権などないのだ。
運命が捻じ曲げられた時から、既に、ディアーナが生きる場所はなかったのだ。
「私は行けません………えっ……えっく……民を見捨てていくなんて………できませんわ………」
01.03.23
佳境♪佳境♪
いよいよ次でラストです♪
だいぶ書きなおしたからすっかり時間くっちゃって……ああ、すっかりレオニスとアルムレディンの影が薄くなってしまった。
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