雨に似ている 後編
(うそだろ?)
喉がカラカラに乾き、ひりつくように痛い。
心臓が早鐘のように鼓動を打ち、視界もぼやけて見える。
吹っ飛んだ思考を除々に戻せば、眼前にあるのは信じがたい現実で、誰よりも頼りにしていた父が、笑ってイザークに最愛の女を殺せと命じている。
「父上、アスハが身代金を払えば?」
我ながらぞっとする程声が掠れる。落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせるが、鼓動はいよいよ激しく打ちつけ、喉が締め付けられて思うように呼吸すらできない。
口を動かそうにも引きつって開かず、上手く言葉が紡げない。
「……見せしめのために殺さずとも、俺が今からオーブに行って、キラの代価を貰ってくる。だから……だから俺に時間をくれ!! この女を殺す必要はない!!」
『ロゴス』の命令は絶対。狙われたら最後、どうあがいたとて助からない。
だがそれも、依頼があればこその話。
イザークはムウに縋り付いた。
「お願いです!! 『ロゴス』が提示した額の五倍は貰ってくると約束します!! だからキラを殺すのは待ってくれ……お願いだから!!」
イザークの必死の懇願にも、無慈悲な暗殺者は微動だにしない。
「父上!! こいつは『ロゴス』が八ヶ月も養っていたのです。このまま殺したら、それこそ大損でしょう!!」
ムウは凍てついた眼差しでジロリとイザークを見下ろした。
「また上層部の命令に逆らうのなら、お前達の命運もここまでだな」
「……うぁ……」
ニコルのうめき声に振り返れば、クルーゼが腕に捕らえたニコルの首筋に、ナイフの刃を宛がっている。
少しでも身じろぎすれば動脈を切られるだろう。もっとも、五体満足な時ならいざ知らず、毒物による高熱で朦朧とした彼では、とても楽師の長にあがらえる筈もない。
「クルーゼ叔父上、無体なことは止めてください!! 父上も!! 何か方法がある筈だ。キラが助かる方法が絶対に……」
「イザーク、お前は勘違いしている。王女を殺すのは身代金が入らなかったからじゃない、『依頼』があったからだ」
「…父上!!」
「開戦回避の政略結婚なんざ、人質の王女が手元に届かなければ意味はない。ぶっちゃけギルバート・デュランダル王はアスハを侵略したくて仕方ないし、サハク一族のロンドはアスハ家を追い落とすために同盟破棄を望んだ。『ロゴス』はギルバートとロンドから、各々十万ギゼルでこの仕事を請け負った」
「………そんな………」
イザークは絶望で目の前が暗くなった。
もうキラは何をしても助からない。組織で依頼を受けた以上、イザークが手を下さなくても誰かが必ずキラを殺す。
だから『ロゴス』は世間に恐れられているのだ。
仕事を完全に遂行することにより、『ロゴス』は信用を勝ち得、顧客も依頼するのに大量の金貨を積む。だから命令違反は許されない。暗殺ギルドの威信を傷つけるのなら、死を持って贖わされる。
「それなら……どうして俺達とキラを半年も一緒に暮らさせたんだ?」
情が移る前なら楽に彼女を殺せた。
けれど今は殺したくない。殺せる訳がない。
イザークが愛しているキラを殺せるはずがない!!
ムウは冷ややかに、クルーゼに向かって微笑んだ。
「兄貴の言う通り。ホント良い教材だったな」
「―――――――――――!!」
イザークは自分の耳を疑った。とても実父の言葉とは思えなかった。
縋るように見上げれば、やはりムウは仮面のように無表情で、自分を見下ろしている。
「イザーク、お前は技術的には申し分ないが情に脆すぎる。ニコルのように一度懐に入れたものは、どんなに足手まといになろうと大事にして守るだろうが。そんな弱さは必要ない。
暗殺業を生業とするものに、情けはいらねー。
依頼を受けたからには、親であろうと友であろうと、お前はその手で殺すんだ。でないと、死ぬのはお前だ」
「そんな……俺はそんなの嫌だ!!」
「ほら、さっさとその女を殺せよ」
イザークはキラを背に庇い、激しく首を左右に振った。
「俺は彼女を愛してる!! 殺すなら俺も一緒に殺せ!!」
イザークは、きつくムウを睨みつけた。
「どうせもう俺は母の復讐を終えた!! キラが……この女がいない世界に俺だけ生きてたって仕方がない!!
愛しているんだ、キラを!! 生涯ただ一人の女だって思った女だ。
父上だって母上を愛した筈だ!! なら俺の気持ちが解るだろ!!
愛しい女を、殺せる筈ないだろうが!!」
ムウはうっすらと微笑みを浮かべた。
「俺は確かにお前の母を愛していた。足手まといになるまではな」
それは非常に美しく、イザークが見たこともない程酷薄で残忍な微笑だった。
「イザーク。マイウスのなぁ、前領主を殺したのは……俺だよ」
(な……何―――――!!)
≪………ムウ………もう一度、貴方に……会いたかった………≫
断末魔の痙攣が襲い、くったりと動かなくなる。虫けらのように母は見知らぬ兵士に射殺され、その亡骸すら埋葬できなかった。
自分は何もできなかった。それが悔しくて。
母を殺し、自分達を虫けらのごとく扱った者達へ、復讐するために生きてきた。そのためだけに、人を殺して生き長らえてきた。
≪もう一度………会いたかった……≫
≪……ムウ……≫
本当の仇が目の前にいたなんて!!
母を殺し、故郷を焼いた元凶が!!
こいつが全ての元凶だったのだ!!
「母上……は……最期まで、貴様を望み、信じきっていたのに……!!」
かみ締めた奥歯が砕け、錆びた鉄みたいな血の味が、口一杯に広がっていく。飲み込めば、気持ち悪さに胸がむかつき吐き気をもよおした。
今はもう、こいつと血のつながりがあることすら汚らわしい。気持ち悪さに胸がむかつく。
握り締めた左手は、とっくの昔に爪が皮膚を食い破っている。
体が熱い。今にも爆発しそうだ。
イザークは腰帯からナイフを引き抜くと、ムウに向かって踊りかかった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
だがムウはマントの裾を払うと、流れるように音も無く長剣を引き抜き、ニコルの首に剣先を当てた。
「ここで二人とも死ぬか?」
彼の首は何時の間にか皮一枚だけ切り裂かれていた。その切り口からうっすらと血が滲み、まるで緋色の紐を巻かれているように見える。その絞首を思わせる切り傷を見て、イザークの振り上げられた刃が止まった。
(……勝てない……)
実力が違いすぎる。
このままではニコルも自分も死ぬ。
何もできぬまま、何一つ母の仇も取れず恨みも晴らせぬまま?
怒りで全身が燃え滾るように震えが止まらない。
「ち…くしょうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……!!」
(……俺は一体なんのために……生きてきたんだ!!)
「さあどうするイザーク? 任務を果たすか? ここで死ぬか?」
ムウの剣の先が、無慈悲にもニコルの首に少し埋まる。
彼が手首を少し動かせば、ニコルの喉は切り落とされるだろ。
「やめろ!! やめてくれ!! やめてくれ……!!」
(悪夢なら覚めてくれ……、頼むから……!!)
カタンと、木のドアが閉まる音が耳に届く。イザークが後ろを振り返ると、背後にいた筈のキラが消えていた。
(馬鹿!! 外には狼が……!!)
だが、直ぐに石の階段を駆け上がる音が響く。
身投げする気だ。
そう頭に過った瞬間、イザークは我を忘れて駆け出した。そんな彼の耳に、ムウの無情な怒声が届く。
「標的の自害は認めない。お前が仕損じればこのままニコルを殺す!!」
「ちくしょう――――――――――――!!」
昇り慣れた階段が、まるで死刑台に続いているように思える。
イザークは嗚咽を堪えて歯を食いしばった。
左手を背に回し、腰帯からナイフを引き抜く。
今からキラを殺すのだ。彼の初めて愛した女を……この手で!!
キラは、螺旋階段の中腹にある、アーチ型の窓にたどり着くと、窓枠に腰を下ろしてイザークを見下ろしてきた。
息が上がって胸を上下に弾ませているが、彼を見下ろす顔はいつもと同じ。優しい慈しむような穏やかな微笑みを浮かべていた。
ムウの声が聞こえていたのだ。だから彼女は、イザークの刃を受けるために待っている。
堪らなかった。
抜き身のナイフを持つ左手が震えてくる。
「どうして……貴様は呪わないんだ……?」
一歩一歩足を動かすごとに、彼女と自分の距離が縮まっていく。もう足が鉛のように重い。
「こんな運命を……貴様の結婚する筈だった男の兄を、アスハの血を、……貴様を殺すこの俺をどうして罵倒しない?」
罵って欲しかった。恐怖で怯えて欲しかった。怒って卑怯者と泣き叫んで罵倒して欲しかった。そんな醜さを見せ付けてくれたのなら、まだ楽にキラを殺せた。
「俺は…まだ死ねない……あいつを……ムウを殺すまで……だから……」
後数歩で彼女の側に近寄れるのに、足が凍りついて動けない。
キラは、そんなイザークに微笑み続けながら、頭の後ろに両手を回し、彼女がいつも首に架けていた金鳥の護符を外した。
「これね、僕の大切なアス……、親友で兄弟のようにして育った人に別れの時に貰ったものなんだ。修道院を出るとき、『キラは絶対に幸せになれ』って」
彼女は一度手の平にのせ、そっと唇を落とした。
「イザークにあげるよ。大切にしてね」
彼女はにこっと微笑み、護符を手放した。
それはきっと、緩やかな放物線をかいて、イザークの元へと向かう筈だった。だが、彼女の震える指先が、力加減を狂わせたのだろう。
「!!」
護符は天井高く上がり、イザークが一歩前に歩いたら受け取れる場所に落ちてきた。
護符はずっと彼女の心を支えてきた物。
イザークは思わず駆け寄り、石畳に落ちる前に、ナイフを持つ左手でしっかりと受け止めた。
「………君は生きて………」
柔らかなキラの声に、イザークは顔を上げた。瞬間、彼の視界は赤い霧で染まった。
「キラァァァァァァァ!! あうっ!!」
イザークは咄嗟に右手を伸ばした。だが、怪我を負った肩が動かず、今一歩手が伸びない。
彼女の体が窓の外に落ちる。イザークの手は間に合わなかった。
彼女の身体は、血飛沫を撒き散らしながら、花弁のように緑の大地に吸い込まれていく。
やがて、鈍い音が響き彼女は永遠に時を止める。
大地に仰向けになって抱かれた彼女の白い喉にはナイフが突き立てられていた。
「!!」
イザークの握っていたナイフが、手から滑り落ちた。
あの見覚えのある柄……彼女の命を奪ったナイフは、間違いなくイザークの物だ。
(……何故だ?……)
彼には、何が起こっているのか解らなかった。
心臓が痛い。喉がひりついてカラカラだ。
窓枠に手を乗せ、身を乗り出した時、イザークの靴が何か固いものを踏みしめた。
「!!」
ナイフの鞘だった。イザークのナイフの鞘だ。
狼の毛皮をなめすため、キラに貸した、彼のナイフだった。
彼女は、最初からこうするつもりで………。
「………何故だ………」
仰向けに横たわる彼女の顔は穏やかだった。
全ての仕事を成し遂げたかと言うように、満足げに微笑んでいる。
イザークの苦しみを少しは取り除けたと。
自分を手にかけるのを躊躇っていた彼に対する、彼女の最期の自己犠牲だ。
「こんな愛情……理解できない……こんな……」
(貴様は、何故こんなに……俺を愛せる?)
「…キラ……、キラぁ………」
どうしてお前が死ななきゃならなかった?
お前が一体何したって言うんだ?
キラ……キラキラキラキラ……キラ……
「………ふぅぐぅ………」
イザークは窓枠を握り締めて膝をついた。堪えても堪えても涙があふれてくる。
視界が霞み、キラの亡骸がぼやけて見える。
それはちょうど、彼女が愛した霧雨につつまれているかのように……
Fin
駆け足でアップしたから、書き足りない(号泣)
今から手直しです( ̄― ̄)θ☆( ++)
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