アナザーで会いましょう


8.魔物に変わる日








日が赤の光を撒き散らし、地平線の彼方に沈む夕刻―――――――

シェル街を朱に染める西日の中、漆黒の長い髪をたなびくに任せ、黒衣の少年が3階建ての建物の屋上から、睨むようにグレゴリー・カフェを見おろしていた。

彼はすっと手の平を前方へ垂直に突き出した。途端、ちりりと熱い痛みが彼の指を焼く。

「ちっ……、あの金髪ボケ女が……」

今日も結界が、店をすっぽり覆って張り巡らされている。
普通の人間ならわからないが、人外の化け物に分類される自分には手出しできないもの。力づくでここを破ろうとすれば最後、桁違いな光の輝きに襲われ、瞬時に己は消滅してしまう。
ほえほえとした少女の分際で、ずいぶん高度な術を使いこなしてくれるものだ。
お蔭でいつまでたっても彼女を取り戻せない。

(……アンネ・ローズ……、お前は俺のものだ……)

少年は指で輪をかき、口に突っ込み鳴らした。
彼が指笛で甲高い音をたてれば、淀んだ目の大男が1人、建物の暗がりから蠢いて現れる。
魔性に操られた者全てを弾くのなら、薬で染め替えただけの人間なら結界を越えられる。あまり離れると自分の命令を聞かなくなるが、例え理性が戻っても、今度は麻薬欲しさに少年の命令を忠実に果たすだろう。
彼女がこの結界から一歩でも外に出ればいい。
そうすれば自分は、ようやく彼女に触れられる。

「行け」

少年の命令に、男はゆるゆると結界の中に侵入した。



☆彡



グレゴリー・カフェは朝8時からオープンし、夕方17時を持ってパブに代わり、明け方5時まで営業している。
内装もとことん拘るハイネである。
切り替え時間になると同時に、まるで舞台のように、テーブルクロス、植木鉢、花瓶、キャンドルやライトなどのオブジェや布、そして巨大なぶどう酒の酒樽まで倉庫から持ち出してレイアウトを施す。しかも勝負はたったの5分間。
まるで万華鏡のような作業は文字通り、昼間の部と夜の部の店員総動員で大賑わいとなるイベントだ。


「店長〜〜!! アイスにかけるラズベリージャムが切れてます!! キウイとブルーベリーとマーマレードも終わり、イチゴジャムも後微量です」
「新入りぃぃぃ、俺はハ・イ・ネだっつーの!! 店でもプライベートでも、二度と肩書きで呼ぶんじゃねー。俺には立派な名前がある!!」
「イエッサー、それで、今夜のジャムはどうします?」
「甘味はアンジェ、フルーツはマーゴットさんに聞け。在庫あるだろ?」
「あう、ハイネ。ごめぇぇぇぇん!!」

厨房の入り口で、肩に掛かる金髪ほわほわな髪を後ろで一つに括り、首をぶんぶん横に振りたくり、アンジェが大きく両腕を高く上げてばってんを作る。
「全品作り置き終了なの〜〜!! 今から煮込んで冷やす錬成してもね、出せるのは1時間後なの〜〜!!」
「おぅわ、マジ??」

厨房を覗き込めば、マーゴット以下フルーツ部門担当者達が、血眼になってオレンジの皮むきをしている。
たかがジャムというなかれ。真っ白なバニラアイスやヨーグルトに、一匙紫色やオレンジのソースがかかっているだけで、見栄えが断然違う。

昼間はぽかぽかと暖かい陽気だったから、アイスやレアチーズケーキが飛ぶように出た。
『お菓子作りはちょっと自慢♪ 1000年続いている趣味なのよ〜♪』と、ふざけた事をぬかし、えっへんと威張るだけあり、アンジェの作るスイートは、ハイネのホテルのパティシエに引っこ抜きたい程美味だ。
勿論、彼女はこの店一番のウェイトレスだ。接客で売り上げを取るなら、彼女に厨房は入れられない。
そんな人気者の彼女が作る手作りジャムだからこそ、気を引きたい男性客はこぞってオーターを増やす。またパンに塗ってもクラッカーにつけても引き立ち、朝のモーニングや昼間のランチ客だけでなく、夜の舌が肥えたお姉さま達にも大層好評だ。
シフォンケーキにも当然添えるし、1時間も生のフルーツと花で誤魔化すのも辛い。

「あ、そういやレイ……、お前アンジェお手製のラズベリーの大瓶1つ持ってたよな、確か本棚の奥♪」

店の片隅で、ピアノの調律をしていたレイが、眉間に皺をよせ不機嫌な顔でハイネを睨む。
「ハイネ、あれは一昨日、俺が小遣いで買った私物だ」
「貸してくれ♪ 新たにできたら返すから♪」
「まて!!」

赤子は、母から一方的に生きる糧を授かる期間が終われば、自然と自我が芽生えるものだ。
その時、子供は自分の物を『所持する喜び』を覚えるのだが、そんな感情がようやく芽生えたばかりのレイに、得たばかりの大好きなものを寄越せと取り上げれば、怒るのは当たり前。

じたばた暴れるレイをまあまあと宥めながら、悪いお兄さんは新入りに、レイの部屋へ行けと顎をしゃくる。

「ハイネさん、セントラルから遅れていた酒樽が入荷しました」
「検品はグレゴリーの指示に従ってくれ。店に並べるのならローズに聞け。内装の雰囲気は絶対壊すな」
「グレゴリーさんの姿が見えないんですが」
「またサボりかよ、しゃーねー親父だな。ならお前がやっとけ」

木がゴロンと重い音を立て、ガラスが大きく砕ける音がする。
どうやらぶどう酒の樽を盛大に転がし、何かに当ててしまったのだろう。

「すんません!! 花瓶が割れました!!」
「怪我人は? いないなら破片かき集めておけ。壊れ物は全部レイに直させるから」
「イエッサー」
「俺のジャム返せ〜!!」
「はいはい、一時間後な。キウイジャムも俺が一瓶買ってやるから」
「いらん!! ハイネなんか嫌いだ!!」
「困ったな〜、俺はレイが大好きなんだけど♪」
「……………」

たちまち、顔を真っ赤にし、照れて俯いてしまったレイの頭をくしゃくしゃと撫で、その隙にハイネは離れた。
カウンターに、いつの間にか人の悪い笑みを浮かべ、ガイとその子分達8人が屯っているのを見つけたからだ。

「よう♪ 何時もながら、この時間は凄い騒ぎだな」
「あんたこそ珍しいな。日も暮れてねーうちから来るなんて」

ハイネは、ガイに向かいぴらぴらと手を振った。

「しかも綺麗な姐さん1人も連れずにさ、何かあったのか?」
「ああ、この店の経営者が俺に代わった。お前との契約更新は明日だろう?」

ハイネの目が一瞬で眇められた。
周囲も一気に喧騒が途絶え、各々が聞き耳をたてだす。

「グレゴリーの親父はどうした?」
「さあな。ここで話してもいいが、お前にとっても従業員にとっても、あんまり気分いい話じゃねーぞ」
「従業員なんて言うな。皆、俺の『仲間』だ」
といっても、店は開いたままである。
客の目もあり、ハイネはガイに目線で促した。


「レイ、ローズ、アンジェ、マーゴットさん。四人は今から俺の部屋まで来てくれ。その他は通常通りに頑張ってくれ」


☆彡☆彡


ここ一ヶ月、グレゴリーの店は、今まで見たこともない程活気付いていた。
自分の子供よりも下の若造に、店の切り盛りが変わった途端にだ。

酒場のオーナーなのに、グレゴリーは店に立つことはなかった。ハイネに押し付けられた仕事は名ばかりで、倉庫に入荷する僅かな酒をちまちまと検品したら、やることはなくなる。
彼の、この道30年のプライドは粉々だ。
それでもハイネを苦々しく思いながらも受け入れてきたのは、店の利益のうち半分が自分のものになるからだ。グレゴリーが初めて暮らしに余裕が持てたのは、皮肉にも彼が働なくなってからだった。


生きることに精一杯だった今までが嘘のように、毎週現金が湧いてくる
だが、少しでも良い目を見た人間は、それが失われることを恐れるもの。

「グレゴリー。来月からのことだけど、俺、現状での契約は更新しないから」

ハイネに店を貸す約束は一月、それが契約書に記された期間で期日は明後日。
このままの生活が維持できるのなら、年若いハイネの我侭にも目を瞑ろうと、懐の深さをみせていたつもりのグレゴリーに、制限時間が突きつけられ、挙句こんな爆弾が落とされた。

人は危機の時、二通り進む道を突きつけられる。


―――――――誠実さを取るか、己の欲望を取るか――――――


暇な人間には、腐れたことを考える時間はたっぷりある。
そして嫉妬に狂った人間に、現実を直視する理性は無かった。







「あいつは恩知らずだ!!」

事務所で激吼するグレゴリーに、ガイはソファーに深く腰をおろし、冷めた目で彼とハイネが交わした契約書の控えを眺めた。

グレゴリーの店舗の賃貸契約書は、明日で期限が切れる。
更新したければこの店に関する利益配分は2対8で、来週オープンする支店での権利はなしにしろと捻じ込まれたらしい。


「行き場のなかったあいつら兄弟を拾ってやって、寝る場と食い物と職を与えてやって、酒場のノウハウも俺が1から教えてやった!! なのにあいつは自分1人の手柄のように!!」

(お前の方こそ、誰のお蔭でケチな詐欺から足洗えたと思ってんだ?)

ハイネが3軒新たに店を出すのは、増えた従業員をまともに食わせるためだ。
きっちり几帳面に書かれた帳簿を見ても、グレゴリーに渡された店の利益半分は一月で400万、ガイも80万受け取っているから、ハイネを含め、ちまちまと増えた全従業員29人に支払われた給料は300万そこそことなる。
立ち上げたばかりで、しかも増築や増員を繰り返し、規模を広げた店の利益は薄い筈。なのに役に立たない名ばかりの経営者に、1ヶ月といえども、約束を律儀に果たしたハイネは褒められこそすれ誹られるいわれは無い。

契約を普通に更新すれば、新たな店舗を含めた利益を半分、グレゴリーにくれてやる計算となる。有益な経営者ならともかく、今のこいつにそんな価値はない。ハイネがいかにお人好しでも、同じ条件で再契約を交わす理由は何処にもない。
今後も働きがないグレゴリーに、店の利益2割を残してくれるだけでも、逆に感謝しなきゃならない立場だろう。なのにこいつは判らない。


「だから、俺はあいつを追い出すんだ。あんな奴がいなくても店は十分にやっていける。ガイさん、あの生意気な若造を追い出すのに力を貸してくれ。依頼料が足りなきゃ、来月再来月の収入から絶対払うから」

この男が、ハイネを店から叩き出したとしても、彼と同じように売り上げを伸ばせるとは、とても思えない。
ガイはため息を一つ吐くと同時に、グレゴリーとハイネが交わした契約書の控えをテーブルに捨てた。

「俺への迷惑料として、お前の店と土地の権利書だな」
「は?」
「お前のボロ店、500万センズで買ってやる。置いていけ」
「はぁぁ!!」

グレゴリーはぶんぶんと首を横に振った。一月で400万もの収入を与えた勢いのある店を、500万のはした金で売る馬鹿が何処にいる?
そんな男の太い首の頚動脈に、ガイは面倒くさげにでかいナイフの刃を当てた。


「……お前なぁ、妄想も大概にしとけよ。何が恩知らずだ? だったらお前は何だ? 恥知らずか? てめえは酒の在庫管理だけやって400万貰い、ハイネは睡眠時間もロクに取れない程フルで働いて、やっと15万。先月てめえで切った身銭の損失すら取り戻せていない。どっちに義があるかなんて、ヤクザもんの俺でもわからぁ。これ以上奴の足引っ張ってぐだぐだぬかすなら、てめぇが消えろ」
「だ…だが、あの店は……俺の……!!」
「安易にこの俺を使おうとしたんだ。それなりの覚悟持って来てたんだろ? ああ?」

問答無用で契約書に署名と拇印を押させ、現ナマ500万センズをつめた袋を押し付ければもう用はない。ガイはうっとおしげに顎をしゃくった。

「ガイさん!! 俺達は長い付き合いだった!! ミカジメ料だってきちんと払ってきた、なのになんであんたが裏切るんだぁぁぁぁぁぁ!!」

裏切るも何も、ビジネスでも、人柄でも、今後の見通しでも、ハイネを切りグレゴリーを取るメリットはない。
若い衆に猫のように襟首を捕まれ、外に摘まみ出される男の遠吠えを聞きながら、ガイは得たばかりの契約書を片手に、春用のコートを羽織った。

「さて、新オーナーとしてご挨拶に行こうか。契約更新の話もあるしな」


☆彡


ガイは、この店の帳簿と、グレゴリーと交わした契約書の控えをバサバサとカウンターに置く。


「という訳で、この店の経営者は俺になった」
「はぁ……、あのおっさんはもう……、なんつー短絡思考で動くんだ……」

ハイネはがっくりと肩を落とし、がりがりと頭を掻き毟った。

彼を処分し、店を取り戻し、彼以上の成功を手にする。
そうしないと自尊心が粉々だからなんて、なんつー勝手な言い草だ。グレゴリーが嫉妬し、見栄と虚栄心を膨らませるのは勝手だが、店のオーナーという立場ある身が自爆すれば、被害は店子全員の迷惑だ。

いくらハイネが今まで金と銃をちらつかせ、ガイと友好関係を保っていても、所詮ヤクザだ。油断すればいつ骨までむしゃぶりつくされるか判らない、際どい間柄だ。
なのにひがみ根性丸出しの身勝手な私怨に浸り、ハイネ追放を目論んで、逆に自分が追い出されるなんて…間抜けすぎて言葉もない。

「人と比べて何になるんだよ。俺は5つの頃からホテルに住み込んで働いてたんだぞ。14年間のキャリアを嘗めんな」
「…お前、ボンボンかと思ったら、結構苦労人か?…」
「うるせぇ、ほっとけ」

といいつつも、ハイネは頭のスイッチを切り替えた。
立場が変わった今、ちょっとでも隙を見せれば、負ける。
今からはもう人間の話し合いではなく、獣の殺し合いだ。

「あんたさ、グレゴリーに店の権利書を返してやる気は……ねぇよな?」
「お前が俺の傘下に入るなら、考えてもいいぜ」
「冗談じゃねぇっつーの。入ったが最後、しまいにゃてめえの身売るどころか、体バラして腕や足まで売るハメになりそうだ」
「なら、金のタマゴを生むガチョウを、みすみす追い出そうとした馬鹿なんかほっとけ」
「俺は鳥じゃねー、人間だ」

ぼやきつつも今後を考えるとため息しかでない。折角健全かつ地道にコツコツ一月頑張り、支店を増やそうと一致団結していた矢先に、ヤクザの店子になるなんて。
ハイネはガリガリ頭をかきむしったが、切り抜ける良い策は思い浮かばなかった。
キラが心配した通り、自分の髪の生え際は、限りなくヤバイかもしれない…。

「……ハイネ、あの人を助けてやっておくれ……」

ポツリと声を落としたのは、マーゴットだ。
見れば案の定、彼女は目を潤ませてグレゴリーの心配をしている。
彼女は昔、グレゴリーと組んで詐欺の片棒を担いでいたが、今では自宅を改造して、ここに逃げてきた従業員達に棲家を与え、良きビッグ・ママとして尊敬されている。
また、厨房でもアンジェの下につき、即戦力で若い子を動かしてくれる。最早店に居なくてはならない貴重な存在だ。
スタート地点はグレゴリーと同じだった筈なのに、えらい違いだ。

「ローズ、後で手の空いた店の男連中かき集めて、グレゴリー捜索隊を組んでくれ。最悪、東方司令部の派出所に届出を出すが、………そん時はマーゴットさん頼むな」

脛に傷ありまくりな者達の集う『グレゴリー・パブ』だ。
軍人はあまり相手にしたくなかったが、仕方がない。

「判ったわ。カフェ勤務の人達に超過手当てをつけて、協力をお願いしてみるから。……マーゴットママも一声お願い。それとハイネもね」

ローズの言うとおり、普段からさぼりがちで働かないグレゴリーを、率先して探そうとする者は居ない。いっそ消えてくれて清々すると思われるのがオチだ。

「ほっとけ。嫉妬でやぐるって、ハシタ金で権利書手放す奴連れ戻してどうなる? 偽善も大概にしねーと、身を滅ぼすぜ」
「50過ぎてて行き場ねーし、身よりもねぇ。ここで保護してやんなきゃ野垂れ死ぬっしょ?」
「感謝期待したって無理だってわかってるだろ? 俺が一番エラいと勘違いするアホは、何度も騒動起こすぜ。そんなのを店で飼ってたら、部下に示しがつかねーぞ」

ハイネはソファーから立ち上がると、机の上から、ここ一ヶ月で増えた書物を掻き分け、インク壺とペンを取り出した。
そしてソファーに戻りがてら上半身を屈めると、ガイの目線でピッと己の手の平を立てる。

「……なんのパフォーマンスだ?……」
「人はさ、自分の『思い込み』がかかったフィルター越しに、世の中を見ちゃってるから、あんたが見て感じる『俺』は、一体どう見えているのかな……って、おもってさ」
「最初は気が狂ったアホかと思ったが、威勢のいいクソガキに昇格して、今は金のタマゴを生むガチョウ…だな」
「おいおいおっさん、あんた俺からタカる気満々だな」

ハイネは肩を竦めて腰を降ろした。

「じゃ、グレゴリーの親父はどう思っていたのかな? 俺を追い出したくなるぐらい憎むなんてさ」
「知らないし、気にかけたくもねぇ。てめぇに悪感情持ってる奴の気持ちなんか、どうだっていいだろ?」
「俺も友人選ぶ時はそうだけどさ、職場は別だ。一つのプロジェクトを成し遂げるには、チームワークが必要だ。どんな人間にも使い道はある。そこを見つけて上手く引き出すのが、チームリーダーの仕事だ。俺はそうありたいし、そういうのを目指してきた」
「理想論だな。所詮奇麗事だ」
「それがどうした。これが『俺』だ」

指を組み、顎を乗せ、ハイネは真っ向からガイを射る。

「俺の知ってる常識や知識なんざ、広い世界に照らし合わせりゃちっぽけなものだ。あんただってそうだし、グレゴリーだって同じ。なのに俺達は勘違いしちまう。『自分の頭にある常識が、世間様にまかり通っている常識だ』ってな。だから、自分と考えの違う奴は『非常識』だの『常識がない』とか決め付けて認めず、自分に賛同してくれるもんだけ可愛がりがちだ。

けどさ、俺はそんな心の小さい奴になりたくねー。

『俺の言う事きけねーのなら勝手にしろ』なんて、俺はそんな優しいことは言わない。グレゴリーが俺憎しで人生踏み外したのなら、それは奴が選んだ人生だ。アホだよ、馬鹿だカスだこん畜生が〜と俺も思うさ。俺は『逆恨みされて嬉しい♪』なんて、思うマゾじゃねーからな。でも、この店に一人でも奴の無事を願う気持ちを持つものがいるのなら、俺は喜んでそのアホを受け入れる。
まぁ、流石に見つけたら拳で2〜3発ぶん殴るだろうがさ。俺に対する迷惑料だし」

ハイネは紙を2枚掴みだし、さらさらと契約書をしたためた。
パソコンに慣れきったプラント社会と違い、ここはいちいち全部の文を綴らなきゃならないのが辛い所だ。

「明日の更新日だが、あんたの取り分は本店で2割のみ。これ以上は飲めない」
「本店5割に、支店に関してはミカジメ料1割の他に3割」
「駄目だ。だったらグレゴリー・パブを引き払って、3つを拠点に再出発する」
「妨害するぜ」
「殺すぜ♪」

にっこり互いが微笑みながらでも、飛び出す会話はとても寒い。
だが、今回はガイが鼻で笑う番だった。

「一月前ならいざ知らず、お前は守る荷物が増えすぎちまってんだよ。お前ら兄弟だけならいいさ、気に食わなけりゃこの街から出てけば済む。だが、お前に心酔してついてきた残りの従業員はどうなる? その家族は? 弾みついて走り出した車輪は止まらねー。いまさら後には引けねーよなぁ? 大甘なハイネちゃん♪」
「お前さ、何か勘違いしてねーか? 誰がこの街に住み着くなんて言った? 俺もレイも、キラを見つけたら帰る人間だぜ」

急に侮りだしたガイに、ハイネは鷹揚に薄く笑う。

「てめぇの住む国の民全部の命と、ここでちょっと知り合った『仲間』の生活を天秤にかけてみろ。ここの連中は俺を失っても職は残るし生きていける。けど、俺達の国は、俺達がキラを見つけて戻らなければ嬲り殺しだ。ヘタしたら塵一つ残さず滅ぼされる」
「……大袈裟な話だな……」
「ホラだと思いたければ勝手にしろ。けど、俺とレイはそんな覚悟背負って、ここにいる」

民間人しかいなかった農業コロニーに、核を平気で撃つ様なナチュラルと、戦争の真っ只中なのだ。しかも地球軍はザフトの数十倍もの戦力を持っている。
ザフトの女神『白きアテナ』とアマルフィ隊は、ザフト軍のエースだ。希望の星だ。
キラが駆るフリーダムと、それを守るように従うオレンジにペイントされたジンの部隊が、戦闘に存在するか否かで、仲間の士気も変わってくる。

プラントの為、コーディネーターの為、そして妹ミーアの為に、自分達は絶対にキラと一緒に帰るのだ。そして、戦場に戻らねばならない。
見知らぬ世界で得た知己とて大切だが、人間誰しも譲れないものがある。

「俺達は絶対に帰らなくちゃならねーんだ。帰らないと仲間が殺される。家族も、友人も、何もかもが皆……。守るって決めたんだ、この手で俺はな。てめぇごときの1個人の欲望の為に、俺は今後、延々と貢いでる暇なんてねーんだよ」

激吼はないが、更に怖い静かな殺意がこの部屋に充満した。
外見と、彼があえて作る柔和な雰囲気に騙されがちだが、ハイネはこれでも赤を纏う軍人、小さな街でハバを利かせているヤクザ程度、纏めて始末しようと思えば簡単だ。

彼の事務所にプラスチック・爆弾を一つ二つ仕掛ければ、部下諸共纏めて肉片になるだろう。
ガイ1人ならこの場で殺し、そこの浴槽に引っ張り込んで硫酸ぶっかければそれで終了。骨すら残さず溶け、下水道に流れて終わる。後はレイに錬成させるなりして風呂釜を直せば、証拠も残るまい。

「……お前、人を弾いたことあるな? それも1人や2人なんて生易しい数じゃねぇ……」
「それがどうした?」

弾く(はじく)=銃で撃ち殺すという意味である。不殺を貫くキラと異なり、ハイネは確実に敵機を撃破する性分だ。戦艦も数多く堕としてきたし、人数に換算すれば、多分ナチュラルの1000や2000は軽く殺している。


「まあ、お前の事情なんざどうでもいい。契約は明日だ。荷物纏めて出ていくなり、俺の条件飲むなり好きにしろ」

冷や汗と鳥肌を、鷹揚に見せかけた言葉で誤魔化し、ガイはそそくさと腰を上げた。
また明日来ると、ドア越しにぴらぴらと手を振ったのは、明らかに部下への建前だろう。

ハイネは大きく息を吐くと、ガリガリと髪を掻き毟った。

ヤクザの条件を一つ飲めば最後、あとは雪崩現象だ。
あれよあれよという間に支店諸共事業は乗っ取られ、ハイネだけでなく、レイもアンジェもローズも、そして従業員全員が、ガイに隷属し、飼い殺しとなる。

「……どうしたもんかな……」

問題が起こる時には立て続けだ。
契約のタイムリミットは明日まで。
ヤクザに対抗できるとしたら、アメストリアの法律だろうが、今から役所で手を打とうにも、もう17時を過ぎている。開くのはきっと8時か9時。

「…店もやらにゃしゃーねーしな。グレゴリーも捜してやらにゃ、帰ってこれねーだろうし」

ハイネの代わりに、カウンターでカクテルのシェーカーを握れる奴は既に3人いる。
アンジェはほえほえしているが、あれでなかなか人使いは上手い。彼女をチーフに置いておけば、店は何も心配はいらない。

「アンジェ、今夜の店は任せた。レイはピアノの演奏宜しく。ローズとマーゴットさんはグレゴリーの捜索。俺はガイ対策の為、予(かね)てよりの計画を実行に移す」
「え? 無茶よ!!」
頭の回転が抜群に良い、ローズが目を剥いてこっちを凝視する。
「だけど朝一でやるっきゃないっしょ。俺、後で電話ルームに立てこもるから、使いたい奴は先に使わせて。あ、ローズ。階下に降りる前に、お得意さんリスト出してから行って。宜しく〜♪」

いよいよこの身体と顔を使って、年配の女性をたらし込む時が来たようだ。
別に生娘じゃあるまいし、散々遊んできたから出し惜しみするつもりもないが、今後1ヶ月は自堕落な生活を送ることになるだろう。
レイの情緒教育に、どう影響が出るのかは怖いが、まぁ、ガイ程度の男にたかられるより、女性に貢いで貰った方が遙かに良い。

「ハイネ、そんな汚い真似、わたくしは嫌よ」

子供なレイとアンジェはやっぱり気づかなかったが、ローズとマーゴットは、ハイネが不特定多数のお得意を相手に、身を売るのだということを察知したようだ。

「といわれてもな〜。今の俺に使える手段なんて、僅かなものだし」

プラントならそこそこ経済界で羽振りを利かせられるし、軍でも勢いのあるアマルフィ隊の参謀だ。
だが、今の自分はちっぽけな異邦人。キラ探しの為にも、ガイなんぞに関わる暇はないし、金持ち同士はそれなりのネットワークがある。後家さんや有閑マダムに気に入られれば、情報は引き出し放題というメリットもある。

「さあ、時間がない。くだらないおしゃべりはナシにして、各自やれることをやろうぜ。つーわけで、出てった出てった♪」

珍しく抵抗するローズを軽やかに追い出し、ハイネはぱったりドアを閉ざした。

昨日の友が、今日は敵。ホント、せち辛い世の中だ。

だが、今日の敵は明日、友になるかもしれない。
付け焼刃の知識が、何処まで役に立つか判らないが、ハイネはぺらぺらと分厚い法律大全を捲くり、役所提出用の書類を作り始めた。


☆彡

「ローズ、急がないと昼の皆さんが帰ってしまうわよ。グレゴリーさんを捜すなら、早くお願いしないと、ね?」


ハイネから部屋を追い出され、階段影で物思いに沈んでいたローズの肩を、アンジェがとんと突付いた。

ほえほえと、いつも柔和な笑みをたたえた純真無垢な少女は、この店で一番の人気者だ。客だけでなく、店員の中でも狙っている男は多い。だが、彼女は行方不明になった恋人を一途に愛し、この天使の微笑みで誰の手も取らずにかわしまくっている。

「……アンジェは、好きな人が自分でない人を抱いても平気?……」
「嫌♪」

顔はにこにこ、でもあっけらかんと答えた。
そしてにちゃっと含み笑いを浮かべる。

「ローズはハイネが好きなのね?」
「……う…、違うわ。わ、わたくしは別に………」

彼女は気まずそうに俯き、首を静かに横に振った。

「あの人は、いつか自分の国に帰る人だし」
「ついていけば?」

ローズはきりりと唇を噛み締めた。

「もしわたくしがハイネを好きだとしても、告白すらしてないのに?」
「すれば?」
「簡単に言ってくれるじゃない」
「ええ、簡単なことだもん。自分の心に正直に耳を傾けるだけなのよ。貴方もハイネも生きてるわ。死人じゃない」

ローズの肌があわ立った。

―――――死人じゃない――――――

アンジェが『あのこと』を知るわけない。だけどなんと辛い例えなのだろう?
ここの生活が楽しくて、すっかり忘れていた過去の傷。どれ程悔恨を繰り返しても、罪は消えない。
自分は二度と恋をしない。
それが、自分に科した戒めと誓いだった筈なのに。
ローズの動揺を知らず、ほえほえした天使は、更なる言葉を綴る。

「ハイネは『自分が自分が』って、己を追い込んでしまうタイプだから、人の意見は聞く姿勢を見せつつも、結局は自分のペースに巻き込んで言う事聞かせちゃうし、頑固で、下手に実行力があるから皆を巻き込む困ったちゃん。でも、大切な皆を守りたいって願う気持ちは純粋で、複雑怪奇な人だけど、いい男性だと思うわ」
「……かなり言うわね……」
「ええ。今のハイネの言い草、私だってぷんぷんだもん、えへ♪」

怒っているぞと言うわりに、アンジェはやっぱり良い笑顔だった。

「人の気持ちと意志は難しいわね。ハイネは今頭の中がぐるぐるになってて、金持ちの女の人に身を売って、融資を募るしかないって思い込んでいる。恋人でもない私が止めても、きっと笑われて終わりよ。なら、自分を想ってくれていた仲間の言葉ならどう? 
貴方が嫌だと思ったことを、ハイネに告げなさい。自分だけ犠牲になるのは尊くもなんともないって。ましてやこれは、彼の自己満足よ。私達だって、彼に身売りまでさせて自分達の今の生活を維持しようとは思わない。ありがた迷惑よ、でしょ?」

アンジェはペロッと舌を出した。

「最も、貴方が言葉で止めなくても、手段なんて山のようにあるし♪ さあ、ハイネがとことこ電話室に降りて来る前に、私はさっさと電話線をちょっきんとハサミで切ってくるわ♪ それで明日ガイと交渉が決裂したら、とっとと荷物纏めて、皆で楽しく笑顔で支店にお引越ししましょ♪ 明日も忙しくなるわね〜♪ 増改築の錬成は、ローズに頑張って貰わないとならないし、がんばろ〜ね〜♪」

ローズは一ヶ月ずっとアンジェと一緒にいたけど、何も知らない天然が入ったお嬢様どころか、彼女はたまに神託を告げる巫女のような厳かな顔を作る。
かと思えば、ほえほえと彼女に微笑まれれば、悩みも些事なことだと心が軽くなるから不思議だ。

本当にこの人は天使なのかもしれない。
シェル街という悪い地区なのにも関わらず、この店に訪れる皆が笑顔になって帰っていくのは、彼女が醸し出すこのほえほえとした暖かさも大きい筈だ。


「貴方の恋人はかなり心配だったんじゃない? 目が離せないって」

アンジェは途端に眉を顰めた。

「うん、無茶苦茶嫉妬深いの。油断した時ね、彼の館に連れ込まれて、そのまま1年お家に帰して貰えなかったことがあるし」

ローズの笑顔もピシリと強張った。
それは、いわゆる拉致監禁というものではなかろうか?

彼女の親御さん達が心配する気持ちが、ようやく判った。
今まで勝手に何処かに捨てられてしまった恋人に、酷い話しだと大層同情していたけれど、認識を改めた方が良いかもしれない。

(私も、褒められた身内じゃないかもしれないけれど……)

ローズはアンジェに釣られ、ふと、もう二度と会いたくないと思っていた後見人達を思い出した。

「そうよ。ハイネが無茶しなくても、都合の良い権力者ならあの男がいるわ!!」
ローズの興奮した声に、アンジェの翡翠色の目がまん丸に見開かれる。

アメストリア公国は、軍人政権だ。国を治めるのはブラッドレイ大総統という独裁者で、ローズの姉は、その側近に取り立てられた男の元に嫁いでいる。

「アンジェ、電話線を切るのは少し待って。わたくし、ちょっとお義兄さまに連絡を取ってみるわ」
「え? ええ、いいけど……いいの? 貴方、結婚式を逃げ出して……」
「ハイネが身売りするよりマシ!! それに、後の事は後で考えればいい!!」

たった一つの名案が閃いた途端、彼女は藁に縋る思いで、何が何でもそれを成功させねばと思い込んだ。
(お義兄さまに…、ハクロ将軍なら………あの男だって手出しできない筈……)
ローズはそのままの勢いで、パタパタと一階のグランドピアノ横にある、電話室に駆け込んだ。



その頃、厨房では……。


「ああ、無事だったんだねぇ………!!」


マーゴットが茶色の髪を振り乱し、グレゴリーの大柄な身体に飛びついた。
今まさに、彼を捜す捜索隊が出発しようとした時に、どんよりとうつろな目で、肩を落とした男がのこのこと現れたのだ。
喜んでいるのはマーゴットただ1人で、残りの面々の顔は冷ややかである。

「気まずいのは判るけど、私も一緒に頭を下げてやるから。さぁ、ハイネに謝りにいこう」

マーゴットの太った手が、労わるようにぽしぽしと彼の背を撫でる。
だが、俯いていた大男は、ゆっくりと頭をもたげると、うろんげに周囲を見回した。

≪………ローズは……、何処だ………?……≫

酒に酩酊しているのだろうか、ろれつも回っていない。
まぁ、自分が30年守っていたこの土地と店が全部巻き上げられたのだ。飲まなければいられない程辛かったのだろう。
マーゴットは大きく息を吐くと、若い子から受け取った水入りグラスをグレゴリーに手渡した。

「さぁ、これを飲んで少し酔いを醒まそうね。それで今日はもう寝よう。明日色々今後のことを考えればいいから………」


マーゴットは知るよしもなかった。
グレゴリーの言葉と頭が怪しくなっているのは酒のせいではなく、彼こそがローズを狙う少年が薬漬けにし、放った≪操り人形≫だということに。



06.11.13




スクランブルです。結局、前編だけUPです( ̄― ̄)θ☆( ++) 
根性ナシなりに頑張りました(号泣)
次1話で終わってくれ、頼むぅぅぅぅ!!
白キラとセイランが無性に書きたい。

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