アナザーで会いましょう


9.甦り 1




澄んだ音色が放たれると同時に、店内に満ちていた喧騒がピタリと途切れた。
レイの指が紡ぎだす、美しく物悲しいピアノの音色が、厚いドア越しにローズの耳に届く。今奏でられているのも、彼女が今まで1度も耳にしたことの無い夜想曲だ。
年若い少年の腕前は素晴らしく、アメストリアで活躍している音楽家達と比べても、ひけを取るまい。
耳に押し当てた受話器から聞こえる、姉レベッカのすすり泣く声と見事に調和し、痛んだ胸が癒される気がした。

≪こんなに心配…させて。………貴方は昔から無茶ばかり……≫
姉が自分を気遣う気持ちは本当だ。

≪わたくしは、あの人なら貴方を幸せにしてくれるって……、皆、貴方の幸福を思って祝福していたのに、何もかも放り出して逃げるなんて。……本当に仕方のない娘……。いつまでも我侭で甘ったれで………貴方という娘は……≫

確かに、姉夫婦が用意してくれたあの男となら、自分は姉の思い描く【世間並みの幸せ】を手に入れられた。ハクロ将軍も義妹を有力な将軍の息子に嫁がせることにより、政治的繋がりを更に強固にすることができた。夫の地位が安泰なら姉親子の幸せな生活は揺るがず、またローズを娶る相手も、彼女が祖父から受け継いだ莫大な遺産を得ることができた筈。
客観的に見れば【ローズ1人が和を乱した】と、誹られても仕方がない。
だが、挙式の日に逃げなかったら、ローズの心はきっと死んでいた。

姉が思い描く【妹の幸せ】と、ローズが自分で描く【自分の幸せ】は違うのだと、いくら言葉を重ねても理解は得られない。
17歳だった自分の犯した罪は消えない。彼女自身が心と折り合いがつかぬ限り、目を背けて未来を歩むことはできない。
それを証拠に9年経った今も、ローズの身体の成長は止まったままだ。

でも――――――

無事で良かったと、電話口で泣いてくれる姉に、ローズは胸がつまる思いだった。自分の身を本当に心配してくれる身内は、きっと彼女だけだろう。
この心優しい姉ならば、この先自分がどうなっても、墓ぐらいは守ってくれる。

一月前、この街で見た過去の罪。
自分を浚いに来た、あの長い黒髪と蒼い目を持つ少年。
9年前、ローズが殺した最愛の人。

「……お姉さま、もし、お義兄さまが死んで生き返ってきたとしたらどうします? 涙を流して暖かく迎えられますか? それとも『黄泉に帰れ化物』と叫びますか?」
≪………アンネ・ローズ、不気味な冗談で話をはぐらかさないで……、今すぐ迎えを行かせますからね。今何処にいるの?………≫
「お姉さま、どうかお義兄さまと代わってください。急を要する大切なお話があるのです」
≪大丈夫。あの人の事はわたくしに任せておいて。貴方に怒るような真似はさせませんし、今度こそ貴方が気に入るお婿さんを捜して貰いますから安心して≫

姉は愛しいが、お節介すぎる。
あの人はハイネの言う『自分の目線で物事を見て、それが世間の常識だと勘違いしている奴』の典型的な例だろう。

「お姉さま、どうかハクロ将軍と代わってください」
≪いいのいいの、わたくしは判っているから。ちゃんとわたくしが謝ってあげるから、ローズは気にしなくて良いの≫
(違うぅぅぅぅぅぅぅぅ!!)

突きつけられた刻限は短いのに、姉の思い込みブロックは強固だ。
ハイネが降りて来るかもしれない階段方向をちらちらと気にしつつ、ローズは焦りそうな心を宥め、どうやって姉をかわして義兄を電話口に呼び出すか、真剣に悩みだした。


☆彡

「さぁ、寝に行こうね」

水を飲み干し空になったグラスをテーブルに置くと、マーゴットが優しくグレゴリーを促した。突如意識が明確になった彼は、何故自分がここにいるのか解らなかった。
30年間働いてきた厨房に、いつの間に自分は帰ってきたのだろうか?
ゆるゆると立ち上がれば足元がおぼつかず、彼の肥えた巨躯が大きく傾ぐ。転ばなかったのは、マーゴットがふくよかな身体で肩を支えてくれたからだ。

「大丈夫かい? ゆっくり行こうね」

どうやら、マーゴットが飲ませてくれた水のお蔭で、グレゴリーにも少し理性が戻ってきたらしい。
麻薬を打たれたための酩酊なのに、気心の知れた彼女は自分を酔っぱらいだと信じ、足元に気を配りながら、優しくのろのろと歩き出す。下心のない、自分を気遣う気持ちが本物だから、余計に彼は物悲しくなった。

どうして自分はこうなのだろう?
一体何が間違っていたのだろう?

ガイの事務所から追い出された後、グレゴリーは即座に馴染みの酒場へと憂さ晴らしに走った。あの時の彼に、真っ直ぐ店に戻る勇気などある筈がない。
ハイネとレイや、ハイネに心酔している店の従業員達のリンチを想像し、足が竦んだ。
大金を手にしていたことも拙かった。金に糸目をつけなかったので、自暴自棄のまま浴びるように酒をかっくらった。

胸に燻る憎悪の矛先は、やはりオレンジ色の髪を持つ悪魔に向かった。この病んだ街で平和に暮らしていた自分の所に、ある日ふらりとやってきたハイネのお蔭で、自分は全てを失った。

「俺は悪くない。何もかも、あの疫病神が悪いんだ…!!」
「馬鹿な男だねあんた。そうやって人のせいにして生きてきたからこうなったんだろ?」

人間、本当のことを言われる時、一番腹が立つものだ。グレゴリーが憤怒に顔を上げれば、黒衣の少年が艶然と笑っていた。

「……うるせぇこのクソガキ、あっちへいけ!!」

グレゴリーの酒に酩酊した狭い視界が、少年の背後に立つ不気味な巨躯の男達を捉えた時には、もう手遅れだった。
彼は逃げる間もなく大柄な男達に、テーブルの上に上半身を押し付けられ、肩に怪しげな薬を注射されたのだ。

薬によってたゆたゆと蕩けていく意識の向こうで、少年が囁いた。
≪この金は預かっとくよ。返して欲しければ俺の所にローズを連れておいで≫

腹がずくりと熱くなった。
皆が自分を都合よく利用する。
人に振り回されるのはもう沢山だ。

怒りと切なさが脳髄をかき回し、勝手にしろ、もうどうでもいいと自棄になった瞬間、グレゴリーの意識は無くなった。
そして、今彼は何故かここにいる。


(……俺は、どうしたらいい?………)


マーゴットに支えられ、ゆるゆると歩を進める事に、グレゴリーの意識はますます正気に戻ってきた。

取り上げられた店の代金は、全部あの少年に持っていかれている。
返して欲しけりゃローズを連れて来いと言うが、まがりなりにも1ヶ月自分の店で働かせてやった従業員だ。寡黙だが、錬金術を使えた彼女のお蔭で、店の増改築費用も小物等の雑貨も買わずに済み、財政に大いに貢献してくれた優秀な人材だ。

憎たらしいハイネなら、ここぞとばかりにリボンを付けて差し出すが、あんな怪しげな集団におとなしい少女を引き渡せばどうなる?
売春宿や変態の愛人に売られる程度ならいいが、臓器売買でばらされたり殺される可能性もある。自分のせいで見知った小娘に死なれるのは、流石に目覚めが悪い。

だが、連れて行かなければ自分はどうなる?
金も惜しいが、自分の命は更に惜しい。

グレゴリーの私室は酒場1階の裏にあった。
のろのろとレイが弾いているグランドピアノの脇を通り抜け、電話室のちいさな部屋に差し掛かった時、扉の差し込みガラス越にローズの姿が見えた。
グレゴリーはそっとドアを少し開けた。
彼女の低めの艶めいた美声が耳に届く。

≪……お義兄さまに預けてあるわたくしの財産から、お金を少し都合して欲しいの。かどわかされかけたわたくしを救い、1月お世話になった方の危機ですの。とりあえず2億センズあれば足りると思うのだけど……≫

この瞬間、グレゴリーの腹は決まった。
ローズが裕福な家の娘なのは、立ち居振る舞いと錬成する小物の趣味から解っていた。彼女にとってグレゴリーが悩んでいる500万センズなとはした金だろうし、そもそも彼女がこの酒場に来なければ、自分は黒衣の少年に脅されることなどなかった。
よって、彼女もハイネ同様、自分の生活を乱してくれた迷惑な存在だ。
自分の視界から、消えてしまうがいい。

「…ちょっと、…グレゴリー? どうしたの?」

彼はマーゴットの腕をはらいのけると、扉を大きく開け、ローズの華奢な肩をひっつかんだ。

「え? きゃああ!!」
≪……アンネ・ローズ? ……どうしたの?≫

床に転がった受話器から、妙齢の女性の声が漏れ聞こえる。
その最中、グレゴリーはローズを肩に荷物のように担ぎ上げると、全速力で店から飛び出した。


身体が、嘘のように軽い。
よろけていた足取りが信じられない程、グレゴリーは軽やかに走った。

「待て!!」

背後からレイが追いかけてきたが、単独で走る彼でも、今のグレゴリーの脚力には敵うまい。
良い気分だった。いつも人を馬鹿にしたような無表情な彼が、切羽詰った声をあらげるなんて滅多に無い。しかも彼を慌てさせているのが自分なのだ。ざまあみろといった感じだ。

店を飛び出し500メートル進んだ頃、なんの変哲も無いただの道に見えない壁があった。
何の気もなく素通りする時、シーツを頭から被せられ、それを夢中で抜け出す時のような妙な圧迫感を感じた。
それが、アンジェが施した守り……魔が手出しできぬ聖域の境目、結界を突破したのだと気づかずに。
何も知らず、追いついてこれないレイに対し優越感に浸る彼の前に、空から黒いものが目の前に舞い降りた。
「ごくろうさん」
にっこりと笑った少年は、彼の肩からローズを奪うと、グレゴリーの金の入った青い袋を差し出した。
それを受け取ろうと手を伸ばす彼の腹が、急に熱くなった。

「きゃああああああああ!!」

何故かローズが甲高い悲鳴をあげている。
のろのろと自分の身体を見おろせば、少年から伸びた左腕が、何故か自分の身体を貫いている。
熱いと感じたものが、実は痛みだと気づいた時、グレゴリーは両腕で腹を抱えたまま、膝を崩して前のめりに倒れていた。喉に込みあがる血が気道を塞ぐが、痰を切るように喉を咳き込ませても息が吸えない。

どうしてこうなったのだろう?
空ろにぼやける瞳に、少年がグレゴリーに向かって投げつけた袋の口が開いていたのか、1万センズ札がぴらぴらと枯葉のように舞っているのが見えた。
拾おうにもうつ伏せた手のひらが掴むのは、単なる地面で動かそうと引っかく爪が抉るのはただの土だけ。

どうしてこうなったのだろう?
一体何がいけなかったのだろう?

薄れていく意識の中、彼に答えを示せる者は誰も居なかった。




数分後。



「ハイネ、クマ親父が大変だ!!」

書類の山に埋もれていたハイネの私室に、慌てたバーテンが飛び込んできた。彼の制服は血まみれで、よく見れば両手もべったり真っ赤になっている。

「…喧嘩か?…」
「……よくわからねーけど……」

慌てふためく男を従え、ハイネは引き出しから小型レーザー銃と軍用ナイフを取り出すと、ポケットに詰め込み、そのまま階段を駆け降りた。ここの男従業員の殆どは、ハイネが拾った荒くれ者だ。麻薬中毒だった奴、ヤクザに喧嘩吹っ掛けて逃げてきた奴等、とにかく血の気が多い。
グレゴリーがガイに店をはした金で売ってしまった事は、もう皆の耳に入っている。気がちっちゃい癖に、妙に粋がる尊大な親父だ。ふざけた事をぬかして皆の逆鱗を買い、集団リンチに合う可能性は大いにある。


「何があった!!」


グレゴリーの私室に足を踏み入れれば、部屋中に充満する血の鉄錆びた匂いに眉を顰めた。
鼻を啜りながらベッド脇で泣いているマーゴットの横で、アンジェは横たわったグレゴリーに手を翳し、懸命に治癒の光を当てている。

「お腹を貫かれてるの。胃とか片方の腎臓とか、臓器ごと抉られて無くなってる」
「助かるのか?」
「……助けることはできるけど、臓器の再生は『ここの世界』では無理ね……それからローズが連れて行かれたわ。それをレイが追っていったそうよ。これを……」

何か彼女の言葉に引っかかった気もしたが、気が急いたハイネに考え直す猶予は無かった。
ちゃらっと、貴金属が擦れる。ハイネの手に置かれたのは、手の平にすっぽり納まるコンパクトな鏡と鎖だ。

「私の化粧道具で錬成したの。見づらいけど、其処に映っている光二つがローズとレイよ。上下が北と南、左右が西と東。大雑把だけど、無いよりマシって思って」
「助かる、サンキュー」

ハイネは早速、落とさないように鎖を首にかけた。チェーンは長めで臍あたりまである。

「おっさんを頼むな」

踵を返して店の外に出れば、ハイネの目に夜空に向かって放たれた空に向かった一直線の赤線が飛び込んできた。
レイが、レーザー銃を空に向けて撃ったのだろう。
信号弾の代わりらしい。
距離にして南西1`ちょいという所か。かなりのハイスピードで追っている。

ハイネ、腕をまくってサバイバルウォッチを見て、ピコピコとボタンを押して画面表示を変える。デジタル表示が消えた後、其処には綿密なレーダーがある。
レイが執着する、彼が隠匿したハイネのデジカメに、発信機をつけておいて正解だった。
彼だけなら、これで正確な位置も判る。

「店を頼むぜ」

ハイネが裏口に停めてあった仕入れ用の四輪ジープに飛び乗ると、気の荒い彼の部下が、自分達もと鉄パイプや包丁を片手に、車に乗り込もうと走ってくる。
それを手で制し、鍵を差し込んで車を急発進させる。
彼らの気持ちはありがたいが、背中を預けられる人間でないと、結局はハイネが守るお荷物となり、足手まといになる。
レトロな車はMSに慣れた自分にとって、スピードがいまいちだが、この際贅沢は言ってられない。

(待ってろよレイ!! 無茶やらかすんじゃねーぞ!!)

ハイネは人通りの増えた街中を、アクセルを全開でふかして突っ走った。



06.11.25





まずは推敲できた分だけ載せます( ̄― ̄)θ☆( ++) 
長すぎるよハイネ〜(号泣)


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