アナザーで会いましょう
15.月の裏側 2
―――――――――輝いている月の裏側は、誰も見ることはない――――――――
月明かりに照らされた顔は真珠色に輝いて、ロイの膝に頭を乗せ、眠る彼女の泣き濡れた頬がいっそ痛々しい。
「くそっ!! セイランめ」
彼は深く吐息を零し、忌々しげに6枚の図形が色々と描かれた紙を、纏めて握りつぶした。
毎夜、ひっそりと行われる研究は、いつまで経っても実ることはない。
もともとロイは焔を専門とする錬金術師だが、国家錬金術師の資格を取得できたプライドがある。いくらキラと自分を繋ぐものが、目で見ることはできないとしても、彼女を預かってもう一月だ。
あの魔術師が残した憎らしい魔法を、解くどころかきっかけすら掴めないなんて。
「今の情勢では、私はいつリオールに派遣されるか判らないというのに」
7年前に起こった、イシュヴァールの内乱程規模はないが、このイーストシティから僅か東へ100`向かった場所で、10万を超える市民と軍が、一発触発の状態だ。
一端戦いの火蓋が落とされれば、一番に派遣されるのは東方司令部で、最前線で殺戮をつくすのは人間兵器たるこの自分だ。だが、その時……キラはどうなる?
戦場に、民間人の少女を連れて行くなんて、冗談ではない。
「……ん……、アスラン……好き…」
膝の上のキラが、すりっと頬を寄せて嬉しげに笑みを浮かべる。彼女の恋人『アスラン』は軍人で、キラを残して爆死したと聞く。睡蓮の粉を使った睡眠薬を使っているから、目を濡らしてもこのまま朝まで目覚めることはないが、愛しげに恋人の名前を囁き、幸福の涙を流す彼女は、今一体どんな夢を見ていることやら。
時計は4時を回っている。後2時間もすればキラが起きる時間となる。
明日はヒューズも来るし、お開きにする潮時だ。ロイはキラの頭を膝から外し、そっと枕に戻した。人のぬくもりがなくなり、一瞬寝顔が不安げに曇るが、ロイがくしゃりと頭をかき撫でると、キラは安心したのか息を吐き、みるみるうちに穏やかな寝息を取り戻す。
「子供が戦場にいくことだけは、もう二度とあってはならない……。なのに、どうしていつも私の願いは裏切られるのだろうな?」
『鋼の』もそうだが、この娘も軍部に深く関わってしまった。例え今、このロイと繋ぐ不思議な楔から解き放たれ、何処かに下宿し、普通の職についたとしても、常に監視の目がついて回る筈だ。
何時まで、この悪夢は続くのだろう?
「…全く、私の専門は焔だというのに……」
自分の力が及ばないのならせめて、この穏やかな日々が潰える前に、彼女を元の世界に戻したい―――――――――
☆彡
昼食後のうららかな一時、適度に腹も満たされたこのひとときは、睡魔に狙われやすい時間帯である。
毎夜、キラと己を繋ぐ『セイランの呪い』を取っ払うべく、孤軍奮闘するロイ・マスタングにとって、とても貴重な睡眠時間でもある。執務机から書類を片付け、両腕を組み、幸せそうに頭を埋めて眠る大佐を邪魔する者はいない。
なぜなら、物音を立てて起こそうものなら、彼はキラを抱えて逃走する。そして彼の枕はキラの膝となる。
リザ・ホークアイ中尉という、ロイのストッパーが出張した今、彼の暴走を止めれる人材はなく、キラを連れて行かれれば東方司令部の事務は壊滅的に滞る。
皆の仕事をスムーズに片付ける為、皆は物音一つ立てることなく、ほのぼのだらりと昼の休憩を過ごしていた。
そんな時に、ノックもなしに執務室のドアをけたたましく開けた男がいた。
「久しぶりだな〜ロイ。土産はうちの女神のような愛妻のお手製、『グレイシア特製アップルパイ』だぁ。さぁ遠慮はいらない。涙を流して感謝して食っていいぞぉ〜♪ はっはっは〜♪」
一気にまくし立てた男の名は、ロイの親友『マース・ヒューズ』という。
ロイよりほんのちょっと高い身長に、オールバックの黒髪を一筋だけ前に垂らし、ほんのりと髭を残した面長な顔に小さな四角く角ばった眼鏡をかけた青年は、大きな口を豪快にあけて笑いつつ、腰に手を添え偉そうにふんぞり返り、誇らしげに『アップルパイ』が入っていると思わしき、紙袋を高々と突き出した。
こんな登場に、いつも慣れているロイ配下の部下はともかく、免疫のないキラの目は点だ。
「……んっ……、ふぅ……早かったな。てっきり着くのは夕方かと思ったぞ」
寝起きの不機嫌さを隠そうともせず、ロイは冷たく睨みながら身を起こした。
そんな彼に悪びれもせず、ヒューズはキョロキョロと室内を見回す。
「で、噂のキラちゃんは何処だ…………おおおおっ!!」
「……は、はい?」
振り向きざま、いきなり奇声を発したまま絶句したヒューズに、キラはびくびく身を竦ませ、不安げにちらちらとロイを見あげている。
賑やかな男だが、彼に害はない。ロイはむっすりと口を引き結び、右肘をついて顎をのせた。
「ヒューズ、キラは人見知りだ。あまり怖がらせるな」
「了解了解♪ だが凄いなぁ……、それが噂の『ロイ特注の軍服』か。ほぉ〜」
ヒューズが感嘆の声を上げたのは無理もない。
ロイが自費でオーダーしたミニスカートの鮮青色な軍服は、太ももからばっちりすらりとした足を晒し、踝までしかない焦げ茶のショートブーツと真っ白なニーソックスを組み合わせて、健康的ながらも扇情的だ。
ポケットマネーで作ったとはいえ、私設秘書だからと、やりたい放題である。
「足も長ぁ〜、キラちゃん、お人形さんみたいに可愛いぞぉ〜♪」
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
キラは、両手を開いて抱きしめようと飛び掛ってきたヒューズに怯え、一目散にハボックの広い背中に回りこむ。
キラに頼られた男は、だらしなく鼻の下が伸び、ちょっと得意げだ。
逆に肩透かしをくらったヒューズは、ハボックの影に隠れたキラに手の平を向け、「ちっちっちっちっ……」と、まるで仔猫を呼び寄せるように手招きしている。
「ろ、ロイさぁん……?」
あうあうと、涙目になって震えるキラは、まさに小動物だ。
「なんだ、めちゃくちゃ奥ゆかしいな」
「いや、お前が規格外なだけだ。キラ、怖がらなくてもいい。彼はマース・ヒーズ中佐、軍法会議所の責任者だ」
「よろしくなぁキラちゃん♪」
ロイの言葉に安心しのか、キラはもう逃げなかった。わしゃわしゃと、ほわほわした白髪を撫でられ、キラが和む。にこっと穏やかに微笑む、紫の真っ直ぐな瞳が可愛い。
「愛らしいぞぉぉぉぉ♪」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ」
「ヒューズ、彼女はもう17歳だ。エリシアと同レベルの扱いはやめんか」
再び抱きしめようと飛び掛ってきた中佐に、キラは慌ててかわして脱兎で逃げた。
彼女はどんくさく見えるが、意外にすばしっこい。だが、視線がヒューズに釘付けだったキラは、入り口付近にいた彼の部下に勢いよく正面衝突だ。
「……あうっ……」
「おっと」
倒れかけたキラを、逞しい片腕で軽々と支えたのは、2メートルを越す長身の大男だった。綺麗に剥げた頭部に、金の前髪を1房だけ垂らし、透き通った青色の優しい目をした軍人だ。
彼はヒューズの部下のアームストロング少佐だ。別名、『豪腕の錬金術師』という。
「……ふぁぁぁ、凄い筋肉……」
キラがびっくり目でまじまじと彼を見上げている。
服の上からでも、少佐の全身鍛えられた屈強な体は判る。だが、お礼を忘れる程、惚れ惚れと体躯に見惚れたキラは……実は地雷を踏んだ。
鍛え抜かれた肉体を、人々に見せびらかすのを快感に感じる男に、キラのあどけない視線はもってこいの賞賛だ。
「むん!!」
少佐は即座に服を脱ぎ、上半身を裸になった。そしてボディ・ビルダーが筋肉を見せるポージングを取る。男の裸など見ても気持ち悪いし、蠢く筋肉など暑苦しいだけだ。興ざめするロイはそっぽを向いたが、キラだけは夢中で手を叩いて喜んでいる。
「すごいすごいすごぉい〜♪」
輝く嘘偽りの無い目で見詰められ、少佐までが、きらきらと目を輝かせる。
「むんっ!!」
「わぁぁぁぁぁぁ♪ あはははははは♪ きゃううううう〜♪」
少佐がぽーんとキラを放り投げると、彼女はさらに歓声をあげる。父親が子供に『高い高い』をしているのと同じだが、きゃっきゃと笑うキラの喜びは本物だ。
今度はヒューズの目が点となり、口もあんぐり開きっぱなしだ。
「……おい、彼女はうちのエリシアちゃんと同レベルか?……」
「可愛いだろう、うちのマスコットは」
ロイの幕僚も、目を和ませながら少佐とキラの遊びを眺めている。この殺伐とした職場で、彼女の笑顔は本当に心が温まる光景だ。
「だがヒューズ、確かにキラは無邪気で愛らしい子だが、見くびると痛い目にあうぞ。事務処理能力は、この東方司令部で随一の実力者だ」
≪……知ってるさ、だから俺がここに視察に来れたんだろが……。気をつけないと、あの娘がヤバいぞ。処分者のうち何人かが、逆恨みしてるだろうし≫
≪ぬかりはないさ、私の傍からは離してないだろう。馬鹿どもも、いっそ私に牙を剥いてくれれば楽なのだが≫
≪ふん、焔の錬金術師にサシで挑む奴がいるか。誰だって弱くてか弱い方に、身勝手な憤りをぶつけるさ。だがな……≫
ひっそりとしたナイショ話を中断し、ヒューズが大仰に肩を竦める。
「おい、ロイ。キラちゃんを一体何処から連れてきたんだ? 軍にはお前の遠縁って登録になっていたが、お前とは全然似てねえみたいだけど」
少佐と遊んでいたキラが、再びびっくり目でこっちを見ている。どうやらヒューズは、直接キラにカマをかける気らしい。
「彼女の戸籍は信頼できる闇ブローカーに手配した。お前が叩いても何も出んよ」
「なら、あの子は『本当に信頼に足る子』か?」
ヒューズの心配は、ロイの敵側のスパイではないかということだろう。大総統の地位を狙う自分には敵が多い。
自宅も、司令部の電話は盗聴されているし、ロイ宛の手紙とて盗見られている。
直に会う機会でもなければ、ヒューズにキラの事を正確に伝えられなかったし、彼とて1ヶ月の間、さぞかしヤキモキしたことだろう。
だが、疑心など、キラに限っては無効だ。
親友が自分を心配する気持ちをくすぐったく思いつつ、ロイは誇らしげに笑った。
「ああ大丈夫だ。キラは異世界の住人で、訳あって私が預かった子だ。お前を含めたここにいる全員同様、私は彼女のことを心の底から信頼している」
「……ロイさん!!」
青ざめた彼女が、慌ててロイの口を塞ぎに飛び掛ってくる。そんなキラをがっしりと掴み、ロイはぽしぽしとキラの頭を撫でた。
「異世界の住人だぁ? ロイ、お前頭大丈夫か?」
「証拠の品々は、お前の目で確認しろ。キラ、お前の『パソコン』と仕事振りを見せてやれ」
【百聞は一見にしかず】とは、的を得ていることわざだと思う。
「はい、先月と今月の軍法会議所の経費比較はこちらです。円グラフと棒グラフと両方出しますから、お好きなほうをご覧下さい。………蔵書一覧表……ですか、2時間お時間いただければいけるかと。後、こちらの在庫ですが、明らかに弾薬の残数が1桁違います。捜してください、無ければ隠匿の可能性が高いです……」
キラの流れるタイピングは、タイプライターが普及しているこの世界の者と比べても、神業に等しいし、画面が次々とめまぐるしく変わり、ワンタッチでグラフや集計が終わる様子も圧巻だ。そして、キラが纏めた資料は、パソコンに繋げられたプリンターが、片っ端から印刷していくのだ。
ヒューズとその部下が、次々片付いていく書類の山に、呆けている顔は痛快だった。
「ご覧の通り、キラ1人で東方司令部の総務課30人の仕事を奪ったという話はデマではない」
「ほうほう」
ヒューズはパソコンとプリンターに目が釘付けだ。
「なあ、この便利な機械、2つとも量産できないかな? ロイ、錬成してくれよ?」
1枚1枚手書きかタイプライターで入力している現在、大量印刷ができれば仕事量は激減する。
気持ちは判るができない相談だ。
「外見だけならできるさ。だが、我々では理解不能な精密機械が入ってないのなら結局鉄屑だぞ」
この『プリンター』は、新聞印刷会社の輪転機を応用し、小型化したものをフュリーが組み上げたものだ。
キラが半泣きでパソコンと繋げられる媒介ユニットを作ったから使えるが、これも結局パソコンが無ければ、意味の無いハリボテだ。
「ほうほうほうほうほ〜う♪」
ヒューズは眼鏡を直してにやりと笑みを浮かべた。とても邪悪で、含みのある顔だ。
「じゃあな♪」
「えええええ!!」
がしっとキラを小脇に抱え誘拐しようとする。それを部下一堂、ハリセンで頭をひっぱたく。
「てめぇら、俺は一応上官だぞ!! それからロイ、軍法会議所は万年人手不足なんだ。俺とお前の仲だろ?」
「何がいいたい?」
「こんな凄腕な事務のエキスパート、一週間でも十日でも一ヶ月一年でもいい、…うちに貸してくれ!!」
「燃やすぞ」
発火布の手袋を嵌め、ロイは腕を掲げた。これで臨戦態勢OKである。
「大体ヒューズ、貴様日数がどんどん増えている」
「ち、バレたか」
「当たり前だ。返さない気満々だろ」
「俺だって、残業無しで帰りたいんだぁぁぁ!! 愛する妻と娘がいるのに、俺にだって平和な毎日をくれ〜!!」
中佐も結構必死である。
気持ちは判るが無理なものは無理なのだ。
「ケチケチするな!!」
「キラにセントラル勤務は無理なのだ」
「なんで?」
「彼女はどんなに離れても、私の所に直ぐ戻ってくるのだ。だから……」
「おおおおおお〜!!」
いきなり、感激の涙を流して叫ぶ彼に、キラもあうあうと半泣きだ。
「お前、そこまで惚れたのか!! でかした!! そこまでこんな女癖の悪い奴を、矯正してくれて……、ありがとう、キラちゃん。ほんとありがとう」
「おい、ヒューズ」
「くぅぅぅぅぅ〜〜、女をとっかえひっかえ、その日の着替え気分で捨てまくっていたお前が、真人間になるなんて。俺は嬉しい、正に奇跡だ」
「おい、ヒューズ。勝手に決め付けるな」
「いやいや何も言うな」
激吼しかけたロイの肩を、両手でぽんっと中佐が掴む。
「花嫁のベール持ちは、うちのエリシアちゃんに任せろ!! かわいいぞぉかわいいだろな〜♪ 背中に天使の羽生やして、真っ白いベールをしずしずと持って花嫁に寄り添う……まさに天界からの使者に相応しい♪」
「何の話だ!!」
「ところで、お前とキラちゃん何時結婚するんだ? 日取りが決まったらとっとと教えろ。エリシアちゃんにもドレスを仕立てる準備がある」
「だから、真顔で何のジョークだ!? キラ、お前もこいつに何か言ってやれ!!」
「……つもる話はお2人でどうぞ。僕、仕事が溜まってますので失礼いたします♪……」
キラはぺこりと頭を下げ、とてとてと給湯室に駆け込んでいった。
そしてロイは見放されたのだ。
☆彡
「へぇ、ここがおふた方が株主となったお店ですか」
「そうそう、ファルマン准尉も贔屓にしてよ。売り上げ伸びれば俺に入る配当が増えるからさ♪」
ホークアイ中尉の出張と、ヒューズ中佐の来訪で、司令部は珍しく早々に仕事が終わったので、ハボックはフュリーと准尉を誘い、早速ハイネの店へと走ったのだ。
夕方は、昼間と赴きが違ってしっとりとした大人の雰囲気を醸し出していた。上品なテーブルクロスに、赤々と燃えるキャンドルが仄かな明かりを提供し、居心地の良い空間だ。
「ここは生演奏も楽しめるんですか?」
壁に置かれた漆黒のグランドピアノに、ファルマン准尉が驚いている。悪評判しかないシェル街に、こんな洒落た店があると思っても見なかったのだろう。
「よぉ、少尉と伍長さんじゃねーか、いらっしゃ〜い♪」
オレンジの髪したど派手な兄ちゃんが、気さくに声をかけてくる。誘った手前、仕切るのはハボックだった。
「ファルマン、彼が店長のハイネだ」
「え、あの18人殺しの?」
昨日の今日で、まさか店に出ているとは思わなかったのだろう。
「過ぎ去った過去は忘れてくれ。ほい、何にする?」
昨日ブタ箱に入っていた男は、飄々とメニューを差し出す。
「しかし、潤いねーなあんた達。ここに野郎3人で来るなんて、彼女はいねーの?」
「お前ホント口悪いな」
といいつつも、ハイネの軽口に嫌味はない。ハボックは灰皿を受け取り、早速タバコに火をつける。
「紅一点のべっぴんさんは、昨日から2週間出張なんですよ」
律儀なフュリーが答えるが、例えここにホークアイ中尉を連れてきても、男よりも漢らしい軍服姿の彼女では、潤いは程遠いだろう。
「今日は何にする? 初めてさんはメニューの豊富さに戸惑うからさ、慣れるまでは『シェフお勧めコース』が無難だぜ。俺でも根を上げる分量で、デザートとコーヒー付きでお値段1800センズだ」
夜のメニューにしてはお手頃価格だ。
「じゃそれで。後ビールを中ジョッキで3つ」
「はいよ。けどコース料理には『カクテル』も1つつくぜ。試してみた後でもいいんでない?」
と言われても、ハボックもカクテルは初耳だった。
「それってなんだ?」
「ん? 平たく言えば、酒やジュースのブレンドだ。あれから好きなの選んでくれ」
ハイネに指差された方向には、壁に大きく張り紙があった。それを見て、ハボックはまた首を傾げた。
『ビーバーの夢』
『招き猫』
『トムとジェリー』
『マウントフジ』
『ドリームメーカー』
『マルガリータ』
『ハリケーン』
『ブラッディ・メアリー』
『エンジェル・キス』
など、とても飲み物の名前とは思えない15種類が並んでる。
「それもお任せで頼む」
「はいよ。食前だからショットでいいな、レイ…こっちだ」
呼ばれた少年が、果物を山盛にした籠と、銀色の筒型の入れ物、そして数種類の酒を積んだワゴンをゴロゴロ押してやってくる。ハボックは首を傾げた。
「そう言えば、あの可愛い金髪のウェイトレスは? 確か、アンジェ…っとかいう…」
「ああ、あの子今日は昼勤だったんで。なに? あの娘気に入ったの?」
にやっと含み笑われ、ハボックはふて腐れつつ首を横に振った。
本命はいる。可愛いキラだ。
だが、アンジェのグラマラスな胸は目の保養だ。眺める価値がある。
潤いのない軍服の群れに、今日は筋肉ダルマまで見てしまったのだ。可愛い女の子を眺めたくなっても不思議ではあるまい。
「まぁ、後で少しは拝めるんじゃねーの。後ちょっとでピアノの生演奏始まるし」
「何? アンジェが弾くの?」
「いいや。今日のピアニストをさ、連れてくるんだと。シフトに入ってた娘がちょっと…、セントラルに帰っちまってるんで、代奏者をツテで……」
「何、弟弾かないの?」
「……ちょっと今、反抗期でな……」
「嘘をついたハイネが悪い」
「はいはい、確かにお兄さんが悪うございました。だけどさ、お客さんの前ではソレ止めろって、な、いい子だから」
ハイネは肩を竦めてワゴンからシェーカーを取り出すと、クラッシュアイスを放り込み、酒を何種類か混ぜて振りたくる。
レイは無言のまま、3人の前でこれまたぽぽぽいっと適当にボールにカットフルーツとミルクと蜂蜜を放り込み、銀色に光る水筒を開けた。すると、筒からなにやら怪しげなもうもうと白煙が立つ。なのにそれを器にえいっと放り込む。
「おい、弟!!」
ハボックが目をむくが、じゅわ〜っと怪しげな音を立てて、容器が一気に煙を噴出し、外側も黴のように真っ白な霜がつく。
「な、何????」
「前菜がわりのシャーベットです」
動じない少年は、無表情だった。
「それは、何の薬品ですか?」
「液体窒素だが」
「ああ、大丈夫大丈夫。熱奪って凍らしたら気化しちまう代物だ。人体への影響はないって」
カラカラ笑うハイネなだけに、胡散臭さも倍増だ。レイがもくもくと皿に盛る、色とりどりのフルーツの他に、凍ったライラックの花とかミルクシャーベットも美味しそうではあるが……、怖い。
「少尉、僕達、これから一体何を食べるんでしょうか?」
「もう、いいから早く来るの!!」
甲高い声がした途端、ハイネの手からシェーカーが吹っ飛んだ。
同時に、レイも持っていた真っ白のプレートを滑らせ、床に落とす。
2人は銅像のように固まっている。
「……な、なんであいつが……」
あのふてぶてしいハイネが動揺している姿に、ハボックはついついつられて振り返った。アンジェともう1人……信じられない美女が、グランドピアノの前に腰を降ろす。
「おいこらアンジェ、そいつは何だ!!」
「ローズのピンチヒッター♪ ね♪」
えへへと笑う少女と異なり、肩で切りそろえた青紫色の髪を煩そうに耳にかけた美女は、氷のような寒々とした笑みを浮かべ、にっこりと邪悪な笑みを浮かべた。
≪判ってるだろうけど、この貸しは高くつくよ≫
「……勘弁してくれ……」
「……何故、ゆーちゃんが?……」
「ゆーちゃん?」
「幽霊だから、『ゆーちゃん』」
ハボックを含めた三人は、レイの言葉を冗談だと思いたかった。
だが、よくよく目を凝らして見てみると、スポットライトに照らされた2人の内、アンジェはともかくもう片方は、何となく影が薄いように見えるのだが、気のせいなのだろうか?
ハボックは紫煙を吐き出し、ふるふると頭を振った。
(…ははは、きっと、ライトの加減でそう見えるだけだ……、幽霊が堂々と人前に来る訳無いし……)
アンジェがピアノの横にちょっこり座りニコッと微笑むと、ふて腐れた美女は深くため息を一つ付く。
だが、指を鍵盤に走らせた途端、店内の空気は変わった。
それは、音楽に造詣のないハボックでも、ため息が零れそうな程艶めいた音色だった。目に見えない一瞬で消える音が、美女の指で紡ぎだされた途端、儚く消えるこの世で一番贅沢な芸術となる。
ライトが絞られた店で、キャンドルの赤々とした焔が揺れる。
仄かな明かりに目を凝らしてみれば、ハボックは個々のテーブルに座る組み合わせは、カップルばかりだと気がつく。
≪……ハイネ、あのさ……もしかして、夜は全部こんな感じか?……≫
音楽に気兼ねして小声で尋ねると、ふてぶてしい筈の店長は、巻かれた螺子がなくなり、止まりかけた人形のように、のろのろと動き出す。
「あ……、ああ、ローズがピアノを弾く時はな。彼女のレパートリーは、恋情たっぷりのものが多いし……」
身を屈めてシェーカーと、割れた皿をせっせとかき集め、ハイネはそそくさとチョコレート色のカクテルを3つ作り、レイと一緒にそそくさと厨房に戻ってしまった。
しっとりとした演奏が流れる店内は、無言で音に聞き惚れるカップルだらけで、三人は段々といたたまれなくなってしまった。
この店は、男だけで入るには辛すぎたのだ。
≪くそ〜、いちゃつきやがってぇぇぇ≫
≪今度キラちゃんを連れて巻き返しましょう。あの娘なら、俺達は羨望の的です≫
≪でも、そうすると漏れなく大佐まで…≫
≪なら、中尉もご一緒ならどうだ?≫
やぶへびだった。きっと、ここだけお通夜のようなテーブルになるだろう。
やっぱり、寂しい恋人のない軍人達に、ここは不向きな場所かもしれなかった。
☆彡
軍部の宿舎を断ったヒューズは、いつものようにロイの家に泊まりこみにきた。
「じゃ、ロイさん、ヒューズさん、お休みなさい」
親友同士、積もる話があるだろう…と、キラは酒とつまみの用意だけして、とてとて自室に引き上げてしまった。
それをぴらぴらと手を振って挨拶に変えると、ヒューズは早速、キラが作って行ったおつまみに目を走らせる。
大きな魚が解剖され、濁った目を向けている代物は、骨が見えていて結構グロい。
「おい、ロイ。これは何だ?」
「お刺身という」
「お刺身ってなんだぁ!!」
「生で魚肉を食べるだそうだ。美味らしい」
「らしいってなんだ!!」
この国では、生で魚を食べる習慣はない。
ヒューズの血の気が引いているのを見て、ロイは意地悪く笑った。
「そこの醤油を使え。私直々に大豆から錬成した、キラ自慢の調味料だ」
「はぁ? お前が家事手伝ったのか?」
そんな心づくしのおもてなしをされれば、ヒューズも恐る恐るロイをまねて、二本の棒…お箸を駆使して…生の魚の切り身を、恐る恐る醤油に絡めて口にほお張った。
ひんやりと冷たい魚の白身が、口の中で蕩けていく。
「…あ、美味い…」
「認めよう。あの子は料理上手だ」
今ロイの部屋に置かれたテーブルは豪勢だった。素材を十分に生かし、大小さまざまな皿に色とりどりに盛られた料理品数は多く、見た目も美しいし、味も品が良い。
あちこちの食べ物をつまみだしたヒューズは、初めての味にもう夢中だ。
「おお〜、これも美味い♪ グレイシアへの土産代わりにレシピを是非聞いていこう♪」
「調味料はどうするんだ? 売ってないぞ」
「外食ばかりのお前に、丁度いいかもな」
「キラが来てから一月、すっかり夜遊びは止んださ」
「ほー、お前さんが女断ちとは……、これまた天変地異の前触れ?」
ワインをくいっと飲み、ヒューズは目を細める。
「でも安心したぜ。あの子は明るくていい子だ。俺はこの家に笑い声が戻ってきた事が、本当に嬉しい」
目線を負えば、机の上にある、伏せられた写真たてに注がれている。
ロイは、自分のグラスにワインを注ぎながら、苦笑を漏らした。
期待に胸を膨らませる彼には悪いが、キラの存在は、正直ロイには苦痛だ。
「しかし、『セイラン』っちゅー魔導士はともかく、キラちゃんにはホント感謝だぜ。なぁ、今度あの子と一緒にウチに泊まりに来いよ。グレイシアだってすっごい喜ぶぜ」
「ヒューズ、お前が何を期待しても勝手だが、あの子はやむにやまれぬ事情で預かった子だ。その内消える」
「いっそ本当の家族にしちまったらどうだ? この家、随分と寒々しかったのに、今じゃ見違えるようだ」
「彼女には、故郷に待っているご両親や弟がいるそうだ。そのうち迎えが来る」
「女の子はいつか嫁に行くものだぜ。お前がその気なら……」
「断る。私にはもう家族はいらない」
「ロイ」
「守るものは最小限にしたい。私の敵の多さは知っているだろ? 大総統の地位を狙うんだ、足手まといはいらないし、キラは子供で対象外だ」
「『後腐れなく、遊べる』対象じゃないよな、あの子は」
「……ヒューズ……」
しばし探るようにロイを見ていたヒューズは、睨まれて降参したのか、やっとたきつけるのを諦めたようだ。
「う〜ん、残念だなぁ。家庭的で、ホント普通のお嬢さんって感じの子なのに」
「だから、早く元の世界に戻してやりたい。こんな殺伐とした軍人の群れに置いておくのは可哀想だ」
「……それもそうだな。ここにいる限り、あの子も『ロイ・マスタング』の幕僚の一員だ」
それ以降は、会話の流れが変わった。
キラが話してくれた『コズミック・イラ』の世界、宇宙で暮らす人々の事、ヒューズとてロイの友人だ。人一倍好奇心も強い。
久しぶりに会った親友と飲む酒は美味く、また話もなかなか尽きない。
2人は時間を忘れて楽しい一時を過ごしていた。だが、明日もみっちりと軍務がある。
時計の針が3時を回り、そろそろお開きにしようと、グラスに残っていた酒を一気に煽ったその時だった。
≪………………、フレイィィィィィィ―――――――!!≫
「なんだぁ!!」
唖然とするヒューズを残し、ロイは舌打ちしてワイングラスをテーブルに放ると、隣室へと走り出す。
飛び込んだキラの部屋は、ベッドと服が吊るしてあるクローゼット以外一切の私物がない。
明かりをつければ、キラはベッドの中で夢に魘され、泣きながら身悶えている。ロイは慌てて彼女を引っつかむと、身体ごと抱き寄せた。
「キラ、キラ……、起きなさい、キラ……」
ぎゅっとロイに縋りつく彼女は、全身を震わせ、必死でロイの腕にしがみ付く。
「僕を置いて……、かな…いで……」
「キラ、夢だ。キラ……」
「……アスラン……、アスラン、アスラン……嫌だぁ……、アス……!!」
口元がガクガク震え、言葉が上手く紡げないらしい。宥めるように背を撫でると、ぽろぽろと涙を零しながら、涙に曇った目がゆうるりと開く。
焦点があいロイの顔を見た途端、人違いに気づいたのか、その笑顔はくしゃりと歪む。
「………ふぅぅぅ………、えっえっえっ………、アス……」
膝に顔を埋めて嗚咽を堪える彼女が悲しい。
ロイはサイドボードから小さな瓶を取り出し、指に睡蓮の粉末をつけ、しゃくりあげる彼女の鼻腔につける。
息と一緒に眠りに導く粉を取り込めば、ゆっくりと泣き声は弱まりやがて眠りに落ちた。
完全に眠ってしまったことを確認すると、ロイはキラから己の膝を外し、丁寧に布団を被せる。
足音を殺して廊下に出て、ドアを閉じた途端、隣で大きな息を吐いてヒューズがタバコの火をつけた。
「お前、やめたんじゃなかったのか?」
「家じゃな。誰がエリシアちゃんの肺に煙をいれるか。ほれ」
差し出されたタバコを、ロイは1本咥えた。火を貰って大きく紫煙を吐き出すと、ヒューズも吹かしながら目を眇めていた。
「アスランって誰だ?」
「キラの婚約者だった男だ」
「ほー、で?」
「多くは語らないが、彼女の目の前で爆死したらしい」
「…そりゃ、ヘビーなこって。じゃ、フレイってのは?」
「友人だろうな。他にも何人も大切な人が死んでいる。まぁ魘された時に口走った言葉からの推測だからわからんが」
「……おいおい……」
「彼女も…色々辛い経験をしてきたということだ」
紫煙を燻らしながらロイを見つめるヒューズの顔が、段々と険しくなる。
「こういう事は頻繁にあるのか?」
「緊張した夜は危ないな。まぁ今日はお前や少佐に随分懐いていたから、今日は大丈夫だと油断した」
ヒューズは駄目出しで、深いため息をついた。
「ロイ、やっぱキラは俺が預かるわ」
「駄目だといった筈だが。セイランの呪いを解かなければ話にもならん」
「けど、お前だって、7年前のイシュヴァールを……」
「…一日たりとも忘れたことなどない……」
あの時の地獄を忘れられる筈がない
脳裏に去来するのは、あの悪夢の内乱だ。
『ロイおにいちゃま……!!』
泣きながら、必死に自分に向かって手を伸ばしてきた幼子。
彼女の手を掴もうとした。なのにヒューズがロイを羽交い絞めにして阻み…。
結果、1人で逝かせてしまった。
ロイの目の前で焔に飲まれて消滅した、あの少女をどうして忘れられよう?
「悔しいさヒューズ、私はこんなに無力だ。庇護下のたった数人の子供ですら、この手で守ってやれない」
子供を、民間の少女を、軍で使うなどもっての外なのに。
現実はロイの想いを裏切り、長引いた内戦の影響で、軍は万年人手が不足している。その補充に優秀な子供まで軍の狗だ。
あの鋼の少年のように。
「だが、いつか……、もう二度と理不尽な命令に従わずに済むように、私はこの国のトップを取る。必ず、この国の大総統の地位を手に入れてみせる」
「ああ、その夢を下で支えるのは俺だ」
幼子を見殺しにしたあの日から、ヒューズとロイは共犯者だ。
彼らの心は、誰も目にすることはできない。まるで、月の裏側のように。
☆彡
「……っこの、ヒューズ貴様!!……」
ロイは、背中に蹴りを食らって飛び起きた。昨夜寝たのが4時近く、キラが起こしに来るまで、1分1秒たりとも眠っていたいからこそ、腹も立つ。
腕を捻って、寝相の悪い男を押さえつければ、そこにいるのは真ん丸く菫の瞳を見開いた少女で、右拳を振り上げ、殴る気満々でいたロイも思わず息を呑んだ。
「……キラ?……」
「あうう、ロイさんどうしよう……!!」
彼女は既に涙目だ。
時計を見やれば時刻は6時、いつもキラがぽてぽてと朝食を作りに台所へ向かう時間である。
なのにロイの背中に蹴りを浴びせてきたということは?
よりによってヒューズがいる日に? ロイも嫌な予感が脳裏を横切った。
「…今日の距離は、10メートル以内ということか……」
キラは涙目でこくこくと頷く。今までの最短距離だ。
記憶の中の麗人に、罵詈雑言を浴びせるが所詮無駄なこと。今日はどうしたものかと体中の力が抜ける。
「あの…、その…、僕、ご飯作ってきますね……」
だが、そうなるとロイも起きねばなるまい。
「判ったが、少し待て。私も直ぐ着替えるから」
途端、キラは項垂れてしまった。
「……すいません。ロイさんだって、昨夜は飲んでてお疲れなのに……」
「いや、キラが気にすることではない。悪いのは、悪意をたっぷりと感じるあの……訳のわからない魔導士なのだからな」
だが、離れられる距離が短いと、キラもロイも不都合は大量に発生する。
着替えはまだしも、風呂とかトイレが困る。
幸い、キラは人称も『僕』だし、子供なので…妙齢の女性のように余り気を使わなくても良いのが唯一の救いだ。
「んぁ……、ロイ〜〜、何の音だ……?」
隣のベッドであくびしながら起きたヒューズだが、即座にその目は点になった。
ロイは上半身裸で、エプロン姿のキラを組み敷いていて、キラは涙目でひっくり返っている。そんな彼女と目がぱっきりと合った彼は、にかっと良い笑顔で笑った。
「すまん、邪魔したな♪ 好きなだけ続きをやってくれ♪」
彼は硬直する2人にぴらぴらと手を振ると、いそいそと着替えの入った鞄を抱え、にかっと笑って、ドアの向こうに消えた。
「ヒューズ、違うぅぅぅぅぅ」
「誤解です、中佐ぁぁぁぁ!!」
波乱の一日は、幕を開けた。
06.12.09
詰め込みすぎた上、大遅刻だ(号泣)
何時もの二倍の長さです。ご勘弁くださいm(__)m
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