神などいない  2











滅多に足を踏み入れない礼拝堂、アスランはここが大嫌いだった。



ルーク修道院で祀られているのは、1200年も昔に死した聖者を包んだ…と言われる『聖骸布』のハギレだった。
御丁寧にアスランの指の先から肘まで同じ長さの古びた額縁に入れられ、大切にされているが、聖人に縁ある遺物なんて、誰かが勝手に主張しているだけで確たる証拠はない。


ここも、かつて聖遺物伝説が捏造され、至る地域で修道院が乱立した時代に建てられた上、アスランが生きてきた17年間、今までで一度だって崇拝者に奇跡を与えた記憶もない。
そんな現実も、不信感に拍車をかける根拠になる。

怪しい物に縋る程人間辞めてないし、神への信仰心はあれども、ボロ布を拝む趣味もない。
そんな時間があれば、母が残してくれた手記を熟読して更に学び、人々の為になる良薬を作り、キラとの幸せな未来を手に入れる為、お金を稼ぎに市場に行った方が能率的だ。



崩れた祭壇から少し離れた長椅子に、薄汚れた長衣姿の修道士達の人だかりが見える。
アスランが駆け寄れば人垣は自然に道を開けた。
粗末で節だらけの椅子の中央に、茶色の短い髪の女の子が右足を抱え、痛みに脂汗と涙を零して横向きに転がっている。

「祈っている最中、何かが割れる変な音がした。私と娘は落ちてきた天井をとっさに避けたが、その時この子が階段を踏み外して転落して」

少女と同じ色の髪を持つ、初老の男が当時の状況を説明してくれる。

キラの焦り具合から、てっきり瓦礫の下敷きになったのかと思ったが、意外に軽症で胸を撫で下ろした。

「治療に入ります」

担いできた籠を床に置き膝をつくと、浮腫んで晴れあがった足首を手に取る。
前後左右に動かしてみると、少女は反射的に苦痛で身を捩り、呻き声を更にあげた。

痛みを感じるなら、神経や筋も傷をついていないだろう。
これなら普通の処置で大丈夫そうだ。


「貴方が医師か?」
「薬師です。でも簡単な治療ならできます」

侮る視線はいつもの事、娘と同じ年ぐらいの若造に託す不安が見て取れる。

確かに自分は医師じゃない。
もし、この少女が瓦礫の下敷きになり、手の込んだ縫合や手術が必要な大怪我を負った場合、悔しいが、まともな治療なんてできなかっただろう。
だが、誰も代わってくれない。

現実に、今この街に医者はいないのだから。


「俺がレノアの息子です」


母はアスランの誇りだ。
かつてルーク修道院に属していた謎の医師『レノア』は、この国では得る事のできないエリューシオンの知識を習得した名医と評判で、自分の知識は総て、母と母が残してくれた手書きの書物から学んだ。

現金なもので、知名度の高い名前に父親の目の色も変わる。


「両手を押さえていて下さい。後、彼女の口に綺麗な布を咥えさせて。一瞬だけですが、かなり痛みますので舌を噛まないよう気をつけてください」
「ミリアリア」

父親が気遣わしげに娘に白布を咥えさせ、両肩を抑えるのに加わる。
準備を見届けた後、アスランは折れた足首を、力一杯正常な位置に骨を接ぎ合わせた。

「!!」

声にならない悲鳴と同時に、少女の身体がバネのように跳ね上がる。
皆が身体を押さえつけている間に、アスランは構わず浮腫んだ足に湿布用の軟膏を盛大に塗りつけてガーゼで押さえると、添木で足を固定し包帯を大量に巻きつけた。
痛みに呻く少女の顔に吹き出た脂汗と、両の眦から迸る涙を、キラが甲斐甲斐しく拭ってくれる。

「アスラン、客間のベッドですが準備が整いました。ミリアリア嬢を動かしても大丈夫ですか?」

マルキオ院長の指示で、彼らの横に棒2本にシーツを巻き付けて固定しただけの、粗末な担架が用意された。

「待ってくれ、娘は動けないのか?」
「当たり前です。全治2ヶ月は覚悟してください」
「困る!! 何とかしてくれ!!」

必死の形相で胸倉を捕まれ揺すぶられても、無理なものは無理だ。

「諦めて下さい。骨折したお嬢さんは今から高熱が出ます。無理して動かして、万一の事があったらどうしますか?」
「なら荷車と馬を寄越せ!! そもそもうちの娘が怪我をしたのは、貴様らのせいだろうが!! 私達はどうしても今週中にアンバーに行かなくてはならないんだ!!」

怒鳴りだす顔は浅黒く歪んでいたが、声は大きく、腕の力も強く、手に張りがある。
この男は、きっと見かけより若い。
顔に多く刻まれた焦燥と皺は生活苦が滲み出ており、しかもアンバーに連れて行かねばならないと人前で喚く異様な神経に、鬼気迫る切羽詰まりを感じる。
いつもは鈍いキラでも、その街が何を意味するか知っているので、痛ましげに少女から顔を背けた。

この国3大歓楽街の一つがそこだ。
金が続く限り、賭博などの刺激と酒、女との享楽が約束されている、男にとって夢の地だ。
貧しい父親が年頃の娘を連れて訪れる理由など一つしかない。
手っ取り早く金を稼ぐ為に、娘を夜の街に立たせて売春させるか、最悪娼館に娼婦として売る為と決まっている。


「……、え、怪我したのってミリィ?」

流石に自分だけ寝ていられなかったのだろう。
掃除用の水桶を運んできたトールが、びっくり眼で駆け寄ってくる。

「アスラン、ミリィは? ミリィは大丈夫なのか!?」
「落ち着けよトール、治療は終わっている。骨がくっつけば今までのように歩けるさ。それより知り合いか?」
「ああ、俺の恋人。今頃結婚してた筈だったんだけどさ、……まあ、後は察してくれ」

彼女に振られたから、トールは誓願して修道士になったのだ。
ホッと安堵の息を吐く彼を、ミリアリアの父親が食い入るように凝視する。

「トール……、トール・ケーニヒ? ケーニヒのぼっちゃん、そうか……、それでミリィはここに……」

後ろめたそうに視線を反らす父親に、逆にトールの眼が突き刺すように眇められる。

「で、なんか凄い声で勝手なこと喚いてたけど、もしかしてあんたがミリィの親父さん?」
「面識ないのか?」

アスランの呆れも当然だ。
普通、親が生きているのに、結婚まで決めた少女の父を知らないなんて異様すぎる。
重々しく頷く彼に、いつもの明るさはない。


「確かトマス・ハウさんでしたっけ、初めまして、ミリィからいつも噂だけは聞いていました。アンバーがどうとか言ってたけれど……あんたまさかまた博打に手を出したりしてないでしょうね?」

尖った口調で問い詰められれば、父親は益々萎れてしまった。


「もう一度聞きますけれど、ミリィを何処に連れて行くんですか? いっときますけれどこの修道院、食うのが精一杯で余分な荷車の馬もありませんよ」
「……仕方がないんだ、もうこれしか……」
「このクソ爺!! お前どこまでミリィを食いつぶす気なんだよ!! 俺達の結婚がぶっ潰れたのだって、お前が博打で大負けしたせいだろが!!」

胸倉を掴んで拳を丸めてトマスを殴り倒す。
そんなトールの狼藉を、修道士達は誰一人止めなかった。

ミリアリアの父親が妻子を置いて失踪したため、口減らしと家に仕送りする為に、彼女は10歳の頃から大地主のケーニヒ家に奉公に出された。
トールは、働き者で明るくしっかりものの彼女を、直ぐに好きになった。
トールの母と祖母も大層彼女が気に入り、我が子のように手塩にかけて家の切り盛りの仕方から土地貸しの仕事を仕込んだ。
16歳で次期女主人の器量をようやく当主だった祖父に認められ、結婚が決まった時が、2人にとって幸せの絶頂だっただろう。
都から花嫁が身につけるベールが届いた丁度同じ日、なんと人買いがケーニヒ家を訪れたのだから。

ミリアリアの父親が賭博に手を出し、多額の借金を負ったのだ。
そのカタに娘を娼館に売る証文にサインしたと聞かされれば、まだ婚姻してないミリアリアの権利は父親に属している為、法的にも差し出さなければならない。

6年も手塩にかけて育てた娘を娼婦に出すのは忍びなく、ケーニヒ家は代価を全て肩代わりして彼女を助けたが、そんなだらしない父親がいる娘と縁戚になれる訳がない。
結婚話は破談になり、彼女は暇を出されてしまった。

トールは家よりミリアリアを取ると縋ったけれど、彼女に拒まれた。

恩ある家からケーニヒ家の跡取り息子を取り上げる事はできないと、恋人に泣かれてしまえば彼も従う以外ない。
でもミリアリア以外の嫁を宛がわれるのがどうしても我慢できなくて、彼はそのまま修道士の請願を立て、逃げたのだ。


「……不甲斐無い父を許してくれ……」
そう言って泣き出す親の醜悪さに、トールも嫌悪に顔を歪めたが、今こいつを殴っても意味が無い。

「いくら借りたんだ?」
「……金貨10枚……」
「それっぽっちかよ? まともに働けば、1年経たずに返せる額じゃないか」
「支払い期限が来週だ。もう時間がない」

唇を戦慄かせながらトールは頭を振った。

「畜生……、家だったらそれぐらいの金、手元にあったのに!!」

大地主の息子だったのは過去の話、今のトールは修道士だ。
喰うものにも困る極貧の一文無しに救う術は無く、己の不甲斐無さに涙を滲ませる。

重く暗い空気の中で、アスランは密かに溜息をついた。
世知辛いが、現実、金がないと誰も救えない。

「こんなの酷い、酷すぎる!! トールもミリアリアさんも可哀想だ!!」

キラが全速力で礼拝堂から駆け出していく。
長い付き合いだ。
お人好しでお馬鹿な彼女の行動など、手に取るように判る。

アスランは人目につかないように、こっそり籠の中にあった痛み止めの軟膏の瓶をポケットに隠すと、静かに立ち上がった。


「ミリアリア嬢を客間に運んでおいて下さい。俺は痛み止めの薬が足りないので、薬草畑からマオウを摘んで来ます。それから誰か厨房に行ってお湯を沸かしておいて下さい。軟膏ができるまで、生葉をお茶にして彼女に飲ませたいので」

マオウの葉のお茶は、凝縮した薬より効用は劣るが、解熱沈痛の効果がある。
場を離れる理由をでっち上げると、彼は直ぐにキラの後を追った。

礼拝堂の外に出ても、足の速い彼女の姿はもう何処にもなかった。
アスランは迷わず自分達が住んでいる畑の片隅にぽつんと建っている小屋に向かうと、傾いた古い木扉を潜った。
案の定、キラはしゃくりあげながら思いつめた顔で薬棚の前に立ち、積み重なったレノアの書き付けたメモや覚書の中から、手記を纏めて綴じた本を凝視していた。

アスランは、そんなキラの襟首を引っつかむ。

「それをどうするつもりだ?」
「ゴメン、アスランにとって、命の次に大切なものだと思うけど、トールの恋人を助けてあげて」
「あのなあ、いくらキラのお願いでもさ、俺が一度も会った事ない女の為に手放すと思う?」


症例の細かな記述、その対処法が克明に記された手引書は、価値が判らない者にとっては単なる覚書にしか見えない。
けど医学を多少でも齧った者には、貴重すぎる手記だ。
売り方次第で高値がつく。
写本にして売るなら兎も角、現本を手放すなんて冗談じゃない。

「今度だけ、今度だけだから」
「お前、可哀想だと思った奴を片っ端から助けてどうなる? お前自身何の力もないのに、いちいち俺の大事なものを取り上げる気か? こんなの単なる自己満足だろが」
「でもトールは僕らの友達じゃないか。もし、僕が売春宿に売られていくとしたら、アスランはみすみす僕を見捨てるの?」
「そんな訳ないだろ!!」

この世にキラ以上に価値のある者なんていやしない。
キラのためならレノアの手記全部投げ売ったって惜しくなし、この修道院にいて、キラが売られていくような羽目になったら、それこそ修道院の物品ありったけ全部換金してでも助けてみせる。
それができなければ神を呪い、キラを不幸にした奴全員毒殺してやる。

「なら、トールの嘆きを理解できるよね。お願いアスラン、トールとミリアリアさんを助けてあげて!!」

ひたむきに自分を見上げる濡れた紫水晶の眼差しに、アスランは金縛りにあったように動けなくなった。
馬鹿だマヌケだアホだ突き放せとエンドレスで頭に鳴り響くが、えくえくと泣きじゃくるキラに、彼は今まで一度だって勝てた覚えがない。

大きく溜息を吐き、しゃくりあげる彼女を宥めるように抱きしめる。


「……まあ、写本はいい案だな。金貨10枚分の損失は、キラに責任もって手伝ってもらうとするか……」
「……アスラン、じゃあ!!……」
「母の手記は売らなくていい、俺に任せてこっちにおいで。くれぐれも人目に気をつけて」

薬草摘みに使用する大きな藤籠を腕にかけ、キラと手を繋いで小屋を出る。
彼が目指したのは、マオウ畑だ。
丈が40センチぐらいしかないにスギナに良く似た薬草の繁みに腰を降ろし、周囲に人の気配がない事を確認してから、草を掻き分けて柔らかな土を掻き出す。

さっき、土を軽くかけただけなので、瓶の丸い蓋がすぐに露わになった。

「何それ?」
「俺のへそくり」
「えええ!?」

木の蓋を取り払えば、瓶の中は1/2も貨幣で埋まっていて、覗き込んだキラの眼が面白いほど大きく見開かれる。

「なんでこんなにお金があるの?」
「薬を市場に卸して、3年がかりで稼いだものだ。誰にも言うなよ」

キラと将来エリューシオンに行く為の大切な資金だ。
キラにも教えられなかったのは、彼女が罪の意識に苛まれ、馬鹿正直にお金を所持しているのを懺悔してしまいそうな怖さがあるからだ。

「……でも修道士が貯蓄なんて……」
「祈っているだけで一体誰を守れるんだ? 実際、この修道院を金銭的に支えて、皆の口を祭っていたのは、俺の母の稼ぎだろう? それに今日は俺が蓄えてきた金がトールの恋人を救うんだ。違うか?」


キラは素直に首を横に振った。

「違わない」
「約束どおり、写本頑張ってくれよ」
「うん任して。そうだよね、いくら修道士でもお金は必要だよね。小母さまの手記ならきっといいお金になるし、僕頑張るから♪」
「期待する」

キラはアスランがきっと、修道院のいざという時の為に蓄えていると思っているようだが違う。
アスランは今まで金集めに必死だったから、いずれ自分がこの修道院を離れる時の事をすっかり忘れていた事に気付いたのだ。
薬草畑が残っても、それを薬にして活用する技術を残しておかなければ、宝も持ち腐れだ。皆が食うに困らないよう、薬作成技術の指南書を残すのは彼の義務だ。

ハルバートンから貰った想いある王貨5枚のうち、彼は2枚選んで取り出した。
救えなかった我が子を思い、アスランの未来に期待してくれたものだが、あの理知的な老人の事だ。
人助けに使えば、きっと許してくれるだろう。

この2枚で金貨10枚分の価値になる。
王都なら3ヶ月ぐらいで使い切ってしまう額だが、貧しいこの地区なら人一人分の年収分に値する筈。

「でも、どうやってこれをトールに渡すの?」
「それは簡単♪」

実際、何事も奪うより与える方が楽なのだ。方法なんて色々考え付くが、今回は準備している暇もない。

「手っ取り早く行こう。耳を貸してキラ、お前の演技力にかかってる」
「ほえ?」
「必死でやれよ。しくじったらミリアリアさんは娼館に叩き売られると思え」
「ふえぇぇぇぇ!!」


★★★


厨房から貰ったお湯で、ミリアリアの為に鎮痛剤がわりのマオウ・ティーを作った後、アスランとキラは、天井崩落で悲惨な状態となった祭壇へ、修道士総出で片付けている中にこそこそと加わった。

再び天井が落ちてくるかもしれない恐怖と戦いながらの作業など、遅々として進まなくて当たり前。
上から軋む物音がすれば身体が竦み、実際瓦礫が3度も皆の頭上を飛来した。
二次災害を恐れつつ、それでも皆危険な作業を諦めなかったのは、ひとえにこの修道院の存在目的である聖骸布を発掘しなければならなかったからだ。

聖遺物を守る為に建てられたのなら、失えば修道院そのものが取り潰し確定だ。

「あった!!」

誰かが切れ端が納められた額縁を発掘した直後、近場で機会を見計らっていたキラは、テンション高く奇声を上げた。


「ねえ、アスラン、トールも見て見て、僕、これ見つけちゃった!!」

しくじって芝居がばれれば、ミリアリアはアンバー行きだと脅しておいたお蔭か、キラの声は裏返り、もう半泣きである。
そんな鬼気迫る必死さが余計に緊迫感を煽る中、彼女は集まった修道士達の中央で、重々しく手の平を上に向けて開いた。
割れた額縁の破片と、王貨が2枚。
ちょっきり金貨10枚分の価値がある貨幣だ。

「良かったなトール、これはきっと、神さまの施しだよ。だってミリアリアさんが祈っていた時に天井が落ちたんだろ」
「うん、僕もそう思う。敬虔な彼女を憐れに思って、聖遺物を通じて助けるようにって下さったんだよ」
「奇跡だ!!」
「奇跡なんだ!!」

畳み掛けるように二人に言われ、暗かったトールの顔も輝く。
皆の前で堂々と王貨をトールの手の平に乗せ、神の奇跡を連呼し続ければ、いくら古参の修道士達だって「それは天井の修復費にあてるから寄越せ」など少年たちに言える筈ない。
盲いた目で様子を伺っていた院長のマルキオも、肯定するように頷いてくれたから。

「ミリィ!! お前助かる!! アンバーに行かなくて済むぞ!! 奇跡だ、奇跡が起こったんだ!!」

トールは歓喜の涙を流しながら、彼女の元へと走っていった。
唐突に振って湧いた小さな奇跡に興奮し始めた修道士達の群れに紛れたまま、アスランはキラと互いに目配せし、成功を喜んだ。


だが、その日の夕食後、アスランとキラは、二人揃って院長室に呼び出された。


「ルーク修道院の歴史は古く、建立は400年昔です。ここに祭られている聖遺物も1200年前のもの。なのに額縁から鋳造されて25年しか経っていない王貨が転がり出てくるなんて、いくら奇跡でも、貴方たちなら素直に信じられますか?」

盲目の筈なのに、マルキオの前に座ると、頭の中まで見透かされそうで怖い。
簡素な長椅子に仲良く並んでいた彼らは、神妙に俯いた。
アスランの経験上、マルキオに嘘は一切通用しない。

「俺がやりました」
「アスランは悪くありません、僕が何とかしてってお願いしたんです」
「神の名を騙った嘘はいけませんが、今回はそれで少女の不幸な未来が変わったのなら、主も今日の嘘にお目こぼしを下さるでしょう」

素直に自首した2人に、マルキオは優しく微笑んだ。

「アスラン、市場に薬を流すのもいいですが、くれぐれも麻薬や毒物は扱わないでくださいね。人体に害を及ぼすものは、その目的の後ろ暗さから高値がつきやすい。富に目が眩めば身を滅ぼします。レノア殿も纏まった金銭を得る目的で、市場を良く利用していましたが、良薬以外の類は絶対に扱わなかった」

副業がバレていた事よりも、母も同じ事をして稼いでいた方が驚きだ。

「あの〜……、俺の蓄えた金は、没収ですか?」
「どうしてです?」
「だって、修道士は赤貧を尊び、個人所有の財産は一銭たりとも所持してはならないって規則がありますよね」
「ええそうです。でも貴方達は違う」

アスランは目を見開いた。いつも鈍いキラも、こくりと小首を傾げている。

「それはどういう事です?」
「貴方方を赤子の頃から見ておりましたが、請願を受け取った記憶はありません」
「「はあっ!!」」

なら自分達は一体?

「マルキオさま、じゃ、俺達修道士じゃなかったんですか!?」
「正式な立場は、ここの修道院預かりの『孤児』です」

17年間生きていて、初めて知った事実に愕然とする。

「レノア殿はいつもこう申しておりました。『将来二人が自分の意志で修道士に請願するなら受けて欲しい。何か他の職につきたいと願うのなら、後見をお願いします』と」

なら、エリューシオンに行きたいとあんなに悩んでいた自分は何だったんだろう?
結婚も自由にできるし、好きな職にもつけるのなら、もう何の制約もない。

「ですがアスラン、貴方には遺言があります。『生涯決してエリューシオンに近づくな』それがレノアたっての願いです」

冗談ではない!!
それは自分の学びたいと願う夢が潰えるのと同じ事。

「理由をお聞かせ下さい、何故母は俺をあの国から遠ざけたがるのですか?」
「私にも判りません。レノア殿は何も語られなかった」


嘘だ……と頭に過ぎったが、アスランは口を閉ざした。
盲目の修道士長は必要な時以外、決して口を割りはしない。

「用事は済みました、行きなさい」

穏やかに話の終焉を告げられれば、アスラン達は部屋を辞さねばならない。
だが、キラが物を言いたげに、じっと彼を見上げてくる。

「何、キラ?」
「天井の修繕費」
「は?」
「だって、うちお金ないんでしょ。どうするの?」
「それは俺に出せということか?」
「うん、その為に貯めてたんでしょ? 修道院の危機じゃない」


今手元にある全財産ひっくり返してもきっと足りないだろうが、聖遺物は嫌いでも、自分を育んでくれた修道院にはそれなりの愛着がある。
だが、マルキオはゆうるりと首を横に振った。

「どんなに貧しくとも、子供の財産を取り上げる気はありません。神の御心のままに、きっと何とかなるでしょう」

にっこりと人を煙にまく笑みを見せる院長に、アスランは小首を傾げた。
盲目の穏やかな修道士の長が、曖昧で楽観的な言葉を吐くのは珍しかったのだ。


だが、なんとトマス・ハウの父親の職業は大工だった。
『奇跡の王貨』を渡された彼は、娘を売り飛ばしにいかなくても済んだ事と、流石に心疚しい行いを悔いたのだろう。
ミリアリアの足が治るまでの間という条件で、彼女と一緒に修道院に身を寄せ、天井の修繕に無料で勤しんでくれた。

また引き裂かれた恋人が再びこの修道院で巡り会い、ささやかな奇跡のお蔭で身売りをしなくて済んだ美談は、娯楽に飢えた田舎街で話題になった。
そのおかげで天井の材料になるようなものを、街の信者達は礼拝ついでに各々持ち寄ってくれたから、見栄えは悪いが雨漏りしない程度に無事修繕は完了した。


全てが丸く収まったのだが、ここで問題が一つ。


「俺さ、還俗しようと思うんだ。それでミリィと一緒に所帯を持つんだ。もうあんな親父に彼女を任せておけるか!!」


例のごとく酒をこっそり飲み、顔を赤くして小屋を訪れたトールを無視し、アスランは切らしたリュウマチ薬を、くつくつ煮ていた。
キラはお人好しにも写本の手を止め、馬鹿正直にふんふんと熱心に相槌を打ち、酔っ払いの話を聞いてやっている。

「でもさ、トールってば修道士の請願した時、ケーニヒ家の財産相続権放棄しちゃったんでしょ? 手に職がある訳でもないし、生活どうするの?」
「う〜ん、母さんと婆ちゃんに泣きつこうかなって思ったけどさ、父さんにぶん殴られそうで怖いんだよな〜〜、あああああ、どうしよう!!」


頭を掻き毟って項垂れているが、殴られる程度で実家に帰れるのなら万々歳ではないか。
トールがかなり甘やかされていたのは明白で、アスランにも人並みに嫉妬がある。
恵まれた馬鹿息子は妬ましく、更にトール嫌いに拍車がかかりそうだ。

「まあね、家族の願いと反対を振り切って修道士になったのに、半年で還俗なんて恥晒しもいい所だもんね」
「ううう、きついよキラ」
「しょうがないじゃん、本当の事だし。で、どうするの?」
「とりあえず俺今、聖遺物さまに毎日祈っているんだ。親に頼らずミリアリアを嫁に貰えるぐらいの金をくれってさ♪」
「はあ?」

アスランも、思わず鉄鍋をかき回していた木の大スプーンを落としてしまった。

(聖遺物……さま?)


それは俺が溜めたものだと声を大にして叫びたかったけれど、キラ以外の修道士に、こっそり金儲けしているなんて口が裂けても言える訳なく、彼の広い額にくっきりと青筋が浮かんだ姿を目で捉えたキラが、遠くから恐る恐る自分の機嫌を伺っている。


「あ〜、早く奇跡おきないかな♪」
「いや、それは無理だよトール」


どこまでも他力本願の甘えた男に腸が煮えくり返る。



―――――いいですかアスラン、神に祈ってもお腹は膨れません―――――


母の言葉は本当だと、改めて偉大さに頭が下がる。
祈って金が湧くなら誰も苦労はしない。

「神様、早く頼むな♪」と、聖遺物が祀ってある方角にむかってなむなむと手を合わしているトールの影で、アスランはのっそりと籠から白い乳鉢を取り出し、中に朝顔の種を2粒入れた。
それをゴリゴリとすり潰し、消化薬の包み紙を一つ開き、中のコナとよく混ぜあわせる。

「トール、そろそろ夕餉の仕度に戻らなくていいの?」
「あ、いっけね」
「ちょっとまだ酒臭いよね、ねえアスラン、トールに薬あげて」
「はいはい」
「おう、サンキュ♪ やっぱアスランってさ、キラがいる時態度違うよな」
「そうか?」
「おう、いつもなら水でも飲んでろって、冷たい冷たい」

笑顔で差し出したアスランの粉薬を、彼は上機嫌で飲み干した。




そして―――――


トマス・ハウは天井の修復終了後、気の良い街人の斡旋で、細々ながら大工仕事にありつけた為、結局このジェイド街に居を構える事になった。
同時に田舎にいたミリアリアの母と妹弟も呼び寄せる事になり、一家はささやかだが幸せになった。

またアスランの八つ当たりで、朝顔の種という強烈下薬を飲まされたトールは、訳も判らないまま3日間トイレとお友達になったという。


Fin




ずっと書きたかった守銭奴アスランです♪ 
性格設定は、アスランは今の所白、キラも白。
今後はどんどん時代に翻弄されてドロドロしていきますが(笑)

ここで皆様にお願い。
小学生が普通に理科の観察で栽培する朝顔の種は、現在でも使われている強烈な漢方薬です。
1〜2粒でも重い腹痛と下痢でのた打ち回り、それ以上だと病院で処置する他ありません。
(子供の誤飲報告も毎年あり、大体7粒で致死量です)
くれぐれもふざけてすり潰し、黒ゴマの和え物とかに混ぜないで下さいm(__)m。

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