狂花の実たち 1

刻限2






プラント王国は、この大陸で一番巨大な港を有し、陸と海の貿易全てを牛耳っていた。

蒸し暑い夜、王太子ニコル・アマルフィは、城の屋上で見張りの兵士を人払いし、ただ一人王都の街並みを眺めていた。
煉瓦作りの街並みが、月明かりに照らされる。
月下で白銀色に染まった建物の群れは、まるで累々と横たわる白骨を思わせた。
かつて栄えた街の面影など、もはや微塵も感じられない。民間船が逃げ出し、軍船しかなくなった港からは、潮風に混じって、人の腐臭と、焼いた煙の匂いが漂ってくる。

全ては黒死病……ペストのせいだ。

この伝染病は、確たる治療法もなく、かかったら最後、十人中七人は亡くなる恐ろしい病だ。その猛威は、国王を始め、貴賎を問わず、勿論老若男女の区別なく襲いかかり、1週間でこの街を廃墟に変えた。
健康な者の殆どは、命惜しさにこの都から、とっくの昔に逃げ出している。自分とて、どこで感染するかもわからず、正直今にでもこの街を去りたい程だ。けれど、父がもう直ぐ臨終する。
次期王として、神殿から使わされた司祭の指示に従い、父の終油と告戒に立会い、遺言を聞く義務があったのだ。

(父上……まだ、早すぎます。僕はまだ、十五です……)

突如、月が翳った。
ニコルは、無意識の内に空を仰ぎ見る。すると、先程まで月があった場所に、巨大な蛇の影が見えるではないか。
蛇は悪魔の使いと言われる。それがこの国の空を泳いでいるなんて。
目を疑い何度も目を擦ってみたが、影は消えない。


(まさかこいつが……病を撒き散らしたのか!!)

「弓兵隊!! 出会え!! 出会え!!」

そこで彼ははっと気付いた。
ここは屋上、今の彼の声が聞こえた者は、遠く離れた城壁の見張りぐらいだろう。
弓兵がニコルの命令を聞き、駆けつける頃には、とっくの昔に悪魔の化身は消え去っているかもしれない。
あれが自分の窮地の元凶だと決め付けた今、ニコルの腹にふつふつと怒りが湧いてきた。ニコルは沸き立つ血に任せて、見張りの兵士が置いていった長槍をひっつかむ。

「この僕が討ち取ってくれる!! いざ、立ち会え!!」

――――――おーい、俺たちゃ敵じゃないぜ―――――――

夜の闇に、聞きなれないが、とてもよく通る青年の間延びした声が響いた。

「俺はオーブ王国近衛騎士隊の隊長、ムウ・ラ・フラガだ。我が国の王女、カガリ様は、貴国の黒死病の治療に参られた。まぁ、攻撃するっていうのなら、このまま帰るけれど♪」
「フラガ、からかうのは大概にしろ」

突如雲が晴れ、銀色の月が再び姿を露にした。
ニコルが蛇だと勘違いした異形の影は、白く輝く白銀の竜だったのだ。

彼は、またもや我が目を疑った。
伝説の神獣が、まっしぐらにこの王城を目指して飛来してくる。
白竜の額には、1本ユニコーンのような長い角が生えており、その角に掴まって一対の男女が額に立っていた。
どちらも金色の髪を風にたなびかせ、オーブ王国の、近衛騎士の着る白い軍服を身に纏っている。

男も丹精な顔をしていたが、女も凛々しい美貌だった。小柄だが均整取れた体に、男のように短く切った髪が良く似合う。大理石のようなすべらやかな肌に、石榴色の唇、そして何より人目をひくのは、意志の強そうな琥珀色の瞳だ。

(信じられない。あれが本当に『見かけ倒しの聖女』?)

あまりにも有名な、オーブ王国の恥。

今年十六歳になる王女は、白竜の幼体とともに王妃の腹から誕生した。カガリと名づけられた姫君は、伝説だと思われていた聖獣の加護を、生まれながらに持つのだ。オーブの民は勿論、大陸中が彼女の奇跡を期待したものだ。
ところが姫も白竜も虚弱体質で、カガリは城のベッドで年がら年中寝たきりの日々だった。竜とて飛ぶどころか、日がな一日日向ぼっこか水浴びしか関心のない大喰らいで、役立たずにも姫専用の離宮から一歩も外に出た事がない。
そんな日常生活すらまともに過ごせない彼らに、奇跡など起こせる筈もなく。

事実、王女と白竜は16年間ただの一度とて、国民の前にすら、まともに姿を現したことがなかったのだ。
よもや偽者かもと頭によぎったが、この大陸に住まう竜は、オーブの白竜ただ一頭のみで他は存在しない。
よって、彼らが本物の『見かけ倒しの聖女』なのは確実だが、ニコルが(本当に、奇跡など起こせるのですか、あなたたちは!!)といぶかしむのも、至極もっともな話だろう。

「んじゃ、そこの人、ちょっとどいててね」

白竜は、失礼な近衛騎士の予告の後、ニコルの許可も得ずに勝手に城の屋上に舞い降りる。
実在の竜は、ニコルが噂に聞いていた以上に巨躯で、下手したらこのマイウス城の、2階建てで客室8部屋ある離宮一つと同じぐらいあるだろう。

騎士が、カガリ王女をお姫様抱きにする。
「風精、来い」
王女の凛とした命じ慣れている声の後、迷わず男が竜の頭から滑り降りた。
目に見えない風の精霊達が二人を包みこんだのか、無事にニコルの前に降りる。

王家のしきたりでは、身分の高いものから低いものへ声をかけるのが礼儀。
どちらも権力者の子なら、王女よりも王太子の方が、身分が勝る。ニコルは作法通り、彼女に口を挟む隙を与えずに、口火を切った。

「ようこそカガリ殿。僕はニコル・アマルフィ。この国の王太子です」

「おやまぁ、これは失礼を……ぐはっ!!」

王女は、フラガの腹に肘鉄を食らわした後、冷静に膝を折り、頭を垂れ、作法の適った礼を返す。

「殿下にはお初にお目にかかる。私はカガリ・ユラ・アスハにございます」

だが、神妙な態度も顔を上げるまでだ。

「早速だが王子、病の状況はどうなっている? 患者を収容した施設はどこあるのだ?」
「王宮を始め、街の住民の七割が感染しています。特に衛生設備の無い貧民街が九割やられてしまいました。全ての神殿、公共施設は開放していますが、治療や医療に従事する者が、圧倒的に不足しています」

ニコルが強引で無礼な彼らを拒絶しなかったのは、現時点で病に対する手立てが何一つ立てられていなかったことと、こうなれば見掛け倒しでも神獣、駄目でもともと、助かればラッキーというヤケッパチな気分だったからだ。

「何しろ健康な者は、感染を恐れて都から逃げてしまったし、民間船も我が港に寄港してくれないのです。医薬品の補充もままならず、後、我々にできることと言えば、神か天使への神頼みぐらいです」
「わかった。なら、お前も今から手伝え」

果たして、今まで王太子であるニコルに対し、『お前』だの『手伝え』だの命じた女がいただろうか?
それにプラントはこの大陸一番の大国で、片やオーブは中堅国、国力もニコルの方が上なのに。

唖然とするニコルを残し、カガリは、細い腰の帯びに刺し込んでいた短剣を鞘から引きぬいた。

「ムウ」
「はいよ、姫さん」

騎士は芝居かかった恭しさで、背の高い筒型の酒飲み用のゴブレットを竜鱗にあてがった。
姫は、竜の胴に短剣を直角に突立てる。
どろりとした赤い血が、剣の柄を通って、ムウの差し出した杯に滴り落ちる。その血は見る見るうちに、杯を満たした。

「カガリ王女、その血を一体どうするのか?」
「ああ、竜の血は万能薬だ。この杯の血を一樽分の水で薄め、病人に片っ端から口に含ませろ。黒死病でも、体力があれば助かる筈だ」

姫はムウから、次のゴブレットを受け取った。
「ほら殿下、ぼさっとするな。重病人から急いで飲ませろ」
「えっ!?」

ニコルは、血で満ちたゴブレットを手渡され、動けずにいた。確かに、伝承によれば竜の血は万能薬だ。そんなことはこの大陸に住むもの殆どが知っているだろう。
けれど、カガリと白竜に関しては、全く信憑性がない。
そんな良いものがあるのならば、何故姫と白竜はずっと病弱だったのだ?

だが、次々とムウが持参した杯を城壁に並べていき、カガリも片っ端からそれらに血を満たしていくにつれ、彼女の顔に脂汗が滲んできた。

「カガリ殿? 具合でも悪いのですか?」
「当たり前だろ」

杯に竜の血を満たしつつ、右の脇腹をずっと押さえている。一体どうしたのかとよく見れば、うっすらと血が彼女の白い軍服を汚し始めていることに気付いた。

「その傷はどうしたのです?」

彼女は、呆れ交じりの微笑を浮かべた。

「私と竜は一心同体なんだ。竜に傷がつけば、私も傷つく」

ということは、竜が血を流し続ければ、カガリも血を流し続けるということではないか?

「無茶だ!! 姫!! 血を全部の病人に飲ませれば、君の血が無くなってしまう!!」

姫はニコルにも、ゴブレットを二つ押しつけた。

「わかったら、とっとと走れ。私は今無茶苦茶痛いんだぞ。これ以上無駄に私に苦痛を与えるのなら、こいつともども暴れるぞ。この城が何分で壊れるかどうか、殿下、賭けでもするか?」
「いえ、ご遠慮申し上げます」

ニコルは、踵を返してダッシュで階段を駆け下りた。
自分の勘が告げている。なんか、この姫は危ない。
逆らったらホントに竜をけしかけて、やりそうな怖さがある。

「おい、人と入れ物もかき集めろ!!」

背後に王女の命令を受ける。たとえ「おい」呼ばわりされたとしても、最早ニコルに逆らう術はない。
「はい、直ぐに集めてきます!!」
それどころか、返事は敬語だ。

階段を駆け下りると、見張り兵士の屯所がある。
ニコルはそこを通過ついでに叫んだ。
「手の空いている者は、直ぐに屋上へ行け!! その場合、必ず何か杯の代わりになるような物を持参せよ!! オーブの王女と白竜殿が我が国を助けに来た。いいか、絶対逆らうな!!」

最初は駄目でもともとという、侮った気分だった。
だが、今は彼女に逆らったら我が身が危ない。
ニコルは徹底的に我が身の保身を図ることを学んできた。
帝王学でまず学ぶことは、『君主たるもの、部下を見殺にしても生きのびろ』である。どんなに良い統治者になっても、暗殺されてしまえば、簡単に国は乱れるのだから。


こうして、ニコルの命令に従い、見張りも文官も近衛兵も女官も、城にいた動ける者全てが屋上に杯を抱えて駆けつけたのだ。


 
最初は誰もが半信半疑だった。
だが、危篤状態だった国王の口に、竜の血を混ぜた水を含ませると、直ぐに高熱が引いた。また、城内で病に伏した者達に片っ端から血を与えたら、体力のある者から、次々と回復の兆しを見せたのだ。

次々に証明される血の奇跡に、城の者達も、今度は熱意を持って水に竜の血を混ぜた樽を作り続ける。
樽を積んだ荷車は、どんどん城から飛び出し、夜が明ける頃には、城下町の殆どの病人の口に入ったのだ。


そして、1週間とたたないうちに、プラントは黒死病の恐怖から解放された。

「カガリ姫、どうかもうしばらく逗留ください」
「嫌、そろそろ国に戻らねば、兄上が心配する」

といいながらも、カガリの顔は青白かった。
血を大量に流したあの夜、カガリの腹の傷はかなり酷いものだった。
医師が手当てしたが、全治一ヶ月、絶対安静1週間の診断が下り、結局竜ともども2週間、この城で養生していたのである。
「国王陛下の病も落ち着いたようだし、私もここで寝てるより自分の城の方が気楽なんだ」
「でも、貴方はこの国を救ってくれた聖女様です。せめて感謝の宴ぐらいは…」
「なら、フラガを代理で置いていく。あれ一人いれば女10人ぐらい余裕で侍らせて賑やかだぞ」
「ちょっと待て王女。そりゃないでしょうが。俺はマリュー一筋なんだから」
「わかった。フラガは浮気したと、ラミアス女官長には伝えておく」
「やめてくれ!!」

強情な姫は、意地っ張りな外見同様、竜の額に自力でよじ登り、後から追いかけてきたフラガをけり落とそうと足蹴にしている。
かなりハチャメチャでお転婆だが、こういう女性は好ましい。ニコルは微笑をもらした。

確かに噂どおり虚弱だったが、彼女は立派に聖女だった。
彼女は、初めて立派に人の役に立てることを証明したのだ。
フラガが額に辿り着く前に、やはりマイペースだった白竜がのっそりと身を起こし、大きな翼を広げて羽ばたいた。


「姫!! 姫!! 落ちる、落ちるってば!!」
「安心しろ、骨は拾ってラミアスに届けてやる」
「ひでぇ!!」
「だったらしっかり角に掴まれ。私は手を貸さないからな」
「…落ちたら……、…恨んでやるぅ〜呪ってやるぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!……」

「………」

空に舞った竜と賑やかな二人を見送りつつ、ニコルは噴出して笑った。
本当に印象的な王女だった。
そして、彼は心に誓う。

(カガリ殿……この恩は、いつか必ずお返しいたします)





「かっこいいなぁ」

水鏡がぶれると、キラはもたれていた青竜の胴から身を起こした。
食い入るように湖面を見入っていた為、体の下敷きになっていた腕が、ぴりぴりと痺れている。

「勝手な奴らだな。今まで散々弱小国だの役立たずの姫だの罵っていたのに」
「もう、どうしてアスランは、そう捻くれた事を言うの?」

キラは、ぺちんとアスランの背を叩いた。ところが固い竜鱗に覆われた体は、例えキラが拳で殴りつけたとしても、彼女の手が痛むだけだ。
キラは今、アスランの体が丸まって作った揺り篭の中にいる。彼自身は固くても、敷き詰められた綿の中にいるので、彼女自身はふわふわで暖かい。

「うちのお姫さまは、手が早いんだから」
「ふふーんだ。きっとアスランに似たんだよ」

キラは、白く輝くふわふわの綿から這い出て、アスランの大きな顔に顔に抱きついた。キラが両手を精一杯広げても、ぜんぜん足りない。彼女の明るいミルクチョコレート色の長い髪が、竜の顔をくすぐり、アスランの綺麗な翡翠色の目が眇められた。

「ねえアスラン、続きは?もっと見せてよ?」
途端、アスランはますます顔を顰めた。
「キラぁ……俺、もう寝たいよ……」
「やだぁ――。アスランってば、いつも寝てばっかりいるんだもん。もう少し僕と遊んでよ。…でないと……」
直ぐに彼女の紫の瞳に、うるりっと、涙がにじみ出てきた。

キラは寂しいと思えば、直ぐに泣くことができた。
ここは白霧の湖……アスランと自分しか存在しない世界。

アスランとキラが、今浮かんでいるこの湖面は、竜が命じれば、人界の映像を運んできて見せてくれる。キラにとっては、将来自分が生まれる世界だ。この覗き見は、あまり喜ばしくないと知っていても、いつも二人きりの寂しい世界にいるキラにとって、たった一つの楽しみだった。

「ねえ、アスラン……僕達は、カガリ姫の次世代の、聖竜と聖女になるんだよね」
「ああ」
「僕、一日も早く生まれたいな」
「四大エレメントの魔術が、全部暗唱できるようになったらな」
「う……完璧だよ」
「嘘つけ。キラが完璧なのは、火と風の攻撃呪文だけじゃないか」
「ううぅぅぅぅぅぅ」

聖女の必須条件は魔法である。けれど、彼女は水と土系の魔術が壊滅的に苦手だった。

「聖女はね、水や大地の癒し魔法を重宝するんだぞ?」
「でも、カガリは全然魔術を使ってないじゃない?」
「彼女は虚弱だからな。使えないだけ」
「なら、僕もいらない♪」

アスランの大きな口が、がばっと開く。
噛まれると判った瞬間、キラは慌てて綿の中にもぐりこんだ。

「アスラン、待って!! 話し合いは大切だよ、うん!!」
「キラ。お前はカガリとは別の意味で役立たずと呼ばれたいのか? 俺は自分が痛い思いするのは嫌だからな。白竜みたく、献血なんて、絶対やらない」

綿からぴょっこり頭だけ出し、キラは渋々頷いた。

「わかったよ。いつかちゃんと克服する」
アスランの目が、にっと笑った。
「はいはい、期待してるよ。俺も大概甘いな」

アスランが一つ息を吐くと、視界を遮っていた霧が、みるみる晴れていった。アスランの巨大な体の下にある湖面がさざなみ、無数の映像を手繰り寄せる。
キラはわくわくと揺り篭から身を乗りだし、霧の湖面を覗いた。
教会の鐘が、賑々しく鳴り響いている。
今、オーブの王都はお祭り騒ぎだった。
「うわぁ!! 結婚式だ!!」
「そうだな……さっきのから、丁度2ヶ月後ってとこかな」


石造りの王都が、花吹雪で埋まり、神殿には祝いを叫ぶ民衆達で溢れかえっていた。
王弟兼大司祭のジブリール直々に、聖王女カガリ・ユラ・アスハと近衛騎士隊長ムウ・ラ・フラガの婚礼が、華々しく執り行われていた。


06.03.16




ギャグ色濃いな〜と思いつつ、まぁいいかと。
再録やるからには、同じじゃ面白くないのでどんどん変えていきます♪

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