血色の真珠 2






月明かりでは、只の石畳も青白く輝いて見える。
白い旅衣を纏ったニコルは、真夜中に金の燭台一つを手にし、物音の途絶えた城の廊下をゆっくりと進んだ。

昔は少女でも通用した華奢な体躯も、今では180を超え、長く背まで伸ばした独特の若緑色の髪を、人目につかないありふれた金色に染め替えた。
鼻梁の整った顔、そして琥珀色の瞳、にっこり笑みを浮かべれば、イザークの寒々しい美貌と対照的な、長閑な春の陽だまりを彷彿させる柔和な青年に見えるだろう。

だが明らかに不法侵入している優男然としたニコルを、咎める者は一人もいなかった。
ミュラ自治領主の住まう城を守る兵士達は、誰もが腰を下ろして頭を膝にのせ、だらりと両腕を伸ばし、持っていた槍を剥き出しの赤煉瓦の床に投げ出している。

ニコルが持つ、燭台の灯りに照らし出された彼らは皆、血の気を奪われた青白い肌を晒している。
全員、息絶えているのは明白だった。

「……さて、イザークはどうでしょうね?……」

ニコルは、予め相方と示し合わせていた合流地点……城主の子供の寝室へと足を踏み込んだ。
厚い布地で織られた豪奢な赤い天蓋付きのベットでは、十ぐらいの幼い少女が横たわっている。目を閉じた顔は安らかで、苦しみに身悶えた様子はない。

自分で殺しておきながら、ニコルは燭台をサイドテーブルに置き、厳粛に死者に贈る聖印を結び、指を絡めて祈りを捧げた。

「……恨むのなら、貴方の父親にしてください……」

もう四、五日も立てば、イザークが切り刻み巨石の錘に足を括って捨てた、伯爵の水死体が裏の湖から上がるだろう。

「尤も、貴方とパパが同じ天国で再会できるかどうかなんて、僕には判りませんが」

懐から取り出したコインを、指で弾いてシーツの真ん中に落とす。
金貨は薔薇の花芯をダカーが貫いている。

この意匠は『ロゴス』の印。
見るものが見れば、ここの城の住人が『ロゴス』の怒りを買って皆殺しになったことが解る筈だ。

その時、彼の背後から人影が覆いかぶさった。


「……貴様、よくも姫様を……!!」
ふらきつつ、老人が憎しみに滾る目をぎらつかせ、長剣を振りかざす。

片付けるのは簡単だが、血の匂いを嗅ぎたくない。どうしたものかと考える事2秒後、面倒だが窓から捨ててしまおうと決めた。
この部屋から地面まで、楽々20メートルはある。
だが、ニコルが捕らえようと腕を伸ばした正にその時、老いた執事の首が目の前で横にずれた。

「うわぁ!! 何するんですか馬鹿ぁぁぁ!!」

ニコルが本気の見苦しい悲鳴を立てた瞬間、老人の首から吹き出た生暖かい血飛沫が、彼の頭から雨のように降りかかり、血の匂いが理性の糸をぶっちぎる。
心臓の鼓動がドクンと大きく音を立て、体内に火が灯ったように熱くなり、今にも体が爆発しそうだ。

「……くぅぅぅぅぅぅぅ……」

皺びた首が床に音を立てて転がる頃、眦に涙を溜め、蹲ったニコルは急いで自分の懐を弄った。


体を侵食した野獣の血が滾り、右手が強張り震えが走る。
やがて白銀の体毛がびっしりと手の甲を覆い、中指に填めた金細工の指輪を圧迫しだす。
「痛っ、痛たたたたたたたたたた!!!」
「貴様、何度言ったら判る? 仕事中は指輪を填めるなと言っただろ?」


開いた扉の暗がりから、気配もなく影が揺れ動く。
イザークはできたての屍を動じる事もなく踏みながら、血で汚れた愛用の長剣の刃を払った。

彼の逞しい体躯を覆う、黒ずくめの旅着から血痕は見えない。
だが敏感になったニコルの鼻が、濃厚な血の匂いを易々と嗅ぎ分ける。

(……この何様男め、……少しは僕に気を使いやがれ!!……)

毛むくじゃらになりつつある手で、身頃の裏ポケットの中を弄り、今一番お気に入りの小さな香水瓶を引っ張り出す。
コルクを爪で引き抜くと、自分と老執事に少し、だけどイザークの銀頭に、思いっきり中身をぶちまけた。

「貴様!!」

陰惨な場にそぐわないローズマリーの香りが部屋中に広がり、鼻に届く血の匂いが全てかき消された。
すると彼の手の甲にびっしり生えていた銀の体毛も、みるみるすべらやかな皮膚に戻る。


「んー、回復ぅ〜♪」

満足げに両腕を伸ばして伸びをすると、怒りで身を震わせていたイザークは、諦めじみた深い溜息を零した。
茶化しが入ったニコルには、いくら小言を言っても無駄だと、長い付き合いで理解しているのだ。


「ねえイザーク、どのぐらい生き残ってました?」
「ふん、お前の毒薬の威力は認めてやる。16人だ」

明確な数字が出たのなら、イザークはきっと漏れなく皆殺しにしてきた筈。
血なま臭い訳だ。

「イザーク、剣で殺した後は、僕が渡した香水をちゃんと使ってくださいって、いつも言っているでしょ?」
「お前、今日は新作だな?」

ニコルの懇願をきっぱり無視し、イザークは身を屈めてベッドに横たわる少女の唇に指先を触れた。
毒薬の痕跡を調べているのだ。

元々学者肌で研究熱心なイザークらしいが、無下にされたニコルが面白い筈もない。

「貴方は相棒に『大丈夫か』と気遣う優しさもないんですか?」
「いちいち変身するお前が悪い」
「好きでなった体質じゃありません」
「………くそっ、貴様の香水のせいで、匂いがわからん……。シアン系か? いや、違うな。それとも……」

「耳が悪いんですか? それとも理解できる頭が無いんですか? 僕を蔑ろにするなって言っているのが判らないのですか!!」

勢いに任せてガラスでできた筒型ピアスを割ると、思いっきりイザークの背中めがけて放り投げた。
中の赤黒い液体は、ニコルの思惑通り彼の黒コートにぶち当たる。


「ニコル!! 貴様!!」

自分についた甘ったるいバニラベースの匂いを嗅ぎ、イザークは鼻に皺を寄せている。
どんなに芳しい香水でも、趣きの異なる二つが混ざれば異様な臭いになるのは当たり前。
ニコルは舌を出し、今度は自分が無視を決め込んだ。

本部で秘儀を受けて半年後、ニコルが十七の誕生日を迎えた頃、2人共初めての完全な獣化を迎えた。

二人が組織で教育を受けた時、変化は一般的に、感情の起伏が引き金になると聞いていた。
主に彼らの箍が外れ、理性が吹っ飛び激昂する時、獣に変貌する筈だった。

だが、イザークは更に進化した形態で、自分の意思の力で自在に獣へと変わる事ができ、流石『エンディミオンの鷹』の子息、『組織始まって以来の天才』と、ロゴス内部での評価は右肩上がりである。

逆に自分は、苦手とする血の香りを大量に嗅いだ時に、変化してしまうのだ。

いくら貴重な獣化の適合者でも、いつ処分されてもおかしく無い致命的な体質だろう。
血を流せない暗殺者など、ニコルだって考えられない。


だが、幸いにもニコルには『毒の研究』という趣味があった。


幼い頃から血の匂いが苦手だった彼は、9つでギルドに入ってから直ぐ、血を流さなくて済む殺しの研究に没頭した。
死活問題だった為、努力具合もハンパでなく、今彼は『毒使いのニコル』として、組織内でも一目置かれる存在に成長していたのだ。


「いい加減、勿体つけずに教えろ」

元々辛抱強くないイザークが、焦れて拳を振り上げる。

「……もう。本当に貴方は横柄なんだから……」


ニコルは唇を尖らせつつ、懐から手の平に乗るぐらいの、小さな皮袋を取り出した。
紐を解き、口径を開いた中には小さな真珠がびっしりと詰まっており、燭台の仄かな温かみのある明かりに照らされて、柔らかな輝きを見せつける。

ニコルは姫用にとサイドボードに置いてあった水差しを掴むと、飾りグラスの中に真珠を三粒落とし、透明な水を注いだ。

細かな気泡が水中の白珠にびっしり纏わりついたかと思うと、それらは瞬く間に水の中に溶け込んでしまう。

杯をイザークに手渡すと、彼は鼻先をグラスの縁に寄せ、小鼻をひくつかし、しつこく匂いを嗅いでいたが、やがて眉を顰めた。

「やはり香りがしないな。色も変化無しか。一体どんな毒だ?」
「主成分は、僕の血から抽出したエキスですが、それに色々混ぜて真珠にコーティングしてみました」

ニコル達、獣人の血は猛毒だ。
その血がもし生身の人間にかかれば最後、直ぐに息絶えてしまう。
だから簡単に死なないように調合するのが、ニコルの腕の見せ所だ。



「ほら、貴族達って夕食事に真珠入れたワインを嗜みますよね。そこを逆手に取ってみたんですよ♪飲めば三十時間後に、きっちり心臓が止まっちゃう優れもの。色んな作戦に使えるでしょ?」


渾身の自信作を見せびらかし、褒めて褒めてと期待すれど、イザークはニコルを無視し、人差し指で水を1掬い取る。

彼が舌で舐める寸前、右手を引っ掴んだ。

「……止めた方がいいですよ?……イザーク程度の毒の馴らし方では、お腹がゴロゴロに下っちゃいます。折角綺麗に皆殺ししたのに、城を臭い匂いで台無しにして欲しくありません」
「……貴様……」
「それとも、黙ってほくそえんでたほうが良かったと? 余計な真似してゴメンナサイね」

嫌味でにっこり笑みを浮かべれば、銀髪の幼馴染の眉間にくっきり皺が寄る。
そんなイザークに、ニコルはまた茶化すように軽快にポンと手を打ち鳴らした。

「あ、そうそう。殆どの井戸にも、毒粉末を放り込んでおきましたので、無闇に城の水も飲まないで下さいね。勿論樽のお酒と瓶、それに壷も抜かりありませんから」

イザークは忌々しげに吐息をつき、ニコルにグラスを押し返した。

「おい。見分け方を教えろ!!」
「ならその剣を貸してください」

ニコルは息を止めて、イザークの腰に吊った鞘からすらりと長剣を引き抜いた。
彼の愛剣は、乾きかけの血糊が大量に付着している。

刃先を一瞬水面に付ければ、白珠と水がみるみるねっとりとした血の色に変わっていく。

「ほら、綺麗でしょう?」

ニコルは目を細めてグラスをイザークに向かって掲げた。
「血色の真珠……、これで何もかもが静謐になるんです。ほら、まるで御伽話の眠れる城みたいだと思いません? 退廃した貴族達の淀んだ血筋を、死の世界に沈めるに最適な小道具でしょう?」

だがあまり芸術を解さないイザークは、ますます薄氷色の瞳を眇め、侮蔑を露にしただけだった。
「一生自己陶酔に浸っていろ。俺は撤収する」
「うわぁ、僕も行きます………って、ちょっとイザーク、待って!!」



ニコルが止める声は間に合わず、イザークの長剣が、眠るように事切れていたベットの中の幼子を、頭上からつま先まで一刀両断した。
金髪の少女が、左右対称に真っ二つに割れる。


「ひどい……止めてください、イザーク!!」
「……彼女は寝てる間に死んだんだ。痛みなどない……」


振り返った酷薄な男は、口元に笑みを浮かべていた。
しかも長剣を再び振り上げると、更に少女の胴を真横に切り離す。


いたたまれず、ニコルはとうとう目を背けた。
彼が何をしようとしているのか、はっきりと理解していたから。


二人が今回上層部から受けていた指令は、一夜で城内を皆殺しにする事だった。
理由は、ここの伯爵が『ロゴス』への報酬を一部踏み倒したことが原因だ。

だから城主の家族は見せしめを兼ねて、派手に殺す必要がある……。
目を閉じていても、容赦なく厚い死肉を骨ごと叩き切る、鈍い音が耳を打つ。
ニコルは目を瞑ったまま、唇を噛み締めた。


(……キラさえいてくれれば……)

3年前の彼ならば、いくらロゴスの命令だとしても、親の犠牲で殺された幼子の遺体を、ここまで傷つけるような真似はしなかっただろう。

(イザークは変わった……あの日から変わってしまった……)

彼女の遺品を……金の小鳥の護符をピアスにし、いつも身につけることによって彼女に囚われ続けている。

大切なニコル達の新たな家族同様だった天使が、自己をとことん犠牲にしてイザークの負担を減らして逝った。
その事が結果的にイザークの心を追い詰めることになってしまったなんて。



あの日から、イザークは狂った。
キラが目の前で死んだ時から、イザークは無力な者、弱者、利用される愚か者全てを憎んだ。

おそらく今も、彼は親の都合で無力に死んだ少女を、己と重ねている。
自分自身を……組織から今だ離反できない自分を……、父を殺す実力のない自分を憎み、己を投影した少女の亡骸を蹂躙している。



―――――弱き事は罪―――――
―――――無力は重罪―――――



ニコルはぐっと拳を握り締め、思いっきり闊達に呼びかけた。

「仕事はもう十分でしょ。『キラの島』に帰りましょう」

キラが死んだ幽閉所は、現在二人個人の所有物になった。
ムウ叔父の最後の餞か嫌味か定かではないが、彼らが獣と融合の儀式に生き延びた時、『ロゴス』から下賜されたのだ。


だが、イザークは長剣を鞘に収めながら皮肉に笑った。

「残念だな。もう次の仕事が入っている」
「えぇぇぇ、連続〜……ちょっと、僕達ってば働きすぎじゃないですか〜?」
「だが、今度は半分バカンスのようなものだ。何と言っても、南大陸シェラザード帝国のイマール宮に入れるんだからな」
「え!!」

ニコルは耳を疑った。



南のイマール宮と言えば、シェラザードの帝都エリューシオンが誇る、最高の宮殿ではないか!!
その豪華絢爛さは噂しか聞いたことがないが、宮殿全体が一粒の宝石のように美しい白亜の建物だと聞く。

古今東西全ての芸術と文化が集まり、精錬され花開くニコルの憧れの地。
一生のうち、一度はいつかこの目で見てみたいと狙っていた所である。

「イマール宮? イザーク、本当に僕達、イマール宮に入れるんですか!!」
「そう。皇族一家のお家騒動に首を突っ込むんだ。ただ、宮殿に入れるのは一人だけで、依頼主の警護と実働を担当する。もう一人は宮殿を取り囲む街中で、伝達と雑用、その他武器調達を……」
「はいはいはいはいはーい!! 僕が王宮に行きまぁ〜す!!」

絶対これだけは譲れない。そんな気迫で迫ったニコルに、イザークは珍しく笑みを堪えた引きつった顔を見せた。

「そうだな。綺麗な物目白押しの場所は、やっぱりお前の方が似合っている……」

そういうイザークとて、民俗の歴史が大好きだという一面がある。
宮殿内など、一般人では知りえない知識の宝庫だというのに、何故か彼はゴネもせずあっさりニコルに侵入の役目をくれるなんて。


「……ねぇイザーク、貴方何か隠してませんか?……」
「嫌ならいい、俺が入るから……」
「いいえ、宮殿潜入役は、絶対譲りません!!」
「……ならば頑張れ。俺は心から応援する……」


その時、見間違いでなければ、満足そうな幼馴染の背中に、悪魔の尻尾とはためくコウモリの翼の幻影が見えた気がした。


―――そして1ヶ月後。


(あの銀髪おかっぱ頭ぁ!! どうして僕がこんな事を〜!!)

ニコルはかき鳴らされるシタールの旋律に合わせ、大陸を放浪する奔放なロムニ(ジプシー)達の舞曲を情感込めて踊っていた。


ぴらぴらと透けるベール、それを幾重にも重ね、衣装に豪奢な宝飾品をふんだんにつければ、体の線は何とか隠す事ができた。
だが、童顔の女顔だからと言って、誰にも男と気付いて貰えぬのも哀しい。

(イザークの奴ぅぅぅ、本当にこれ以外の方法はなかったのですか! 絶対、新手の嫌がらせでしょ、覚えてろぉぉぉぉぉ!!)

第二皇子の新しい寵姫として後宮に召されたニコル改め『ニコラ』は、玉座の前で晒し者になりながら、悔しさにベールをこっそり噛みつつも、顔はにこやかに笑みを浮かべて延々と舞い続けた。


08.08.10





プロローグがここまで。
以降アンジェ版と比べて、ベクトルが違う方向に向かいます(オイ)


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