偶像の落ちた日 キラ・ジュール編
8月6日、運命の日。
「できたぁぁ、僕、もう駄目〜。ミリィ、次のは起きたらやるから、三時間だけ……」
「キラぁ、ここで寝ちゃやばい。駄目だって!! って、あああ、もう!!」
イザークの愛機、涼しげで落ち着きのある青色にペイントされたスラッシュザクファントムで、開きっぱなしのコックピットの中に居たキラ・ジュール博士の白衣が翻った。脱いだ白衣を毛布代りにして、ぱったりとシートに倒れこんだキラを、秘書のミリアリア・ハウが、がくがく揺さぶっている。
それをつぶさに見ていたイザークは、ディアッカとともに、モビルスーツの足元で、これ見よがしに昼食のサンドイッチをパクついていた所だった。彼女が強引にこのヴォルテール鑑に乗り込んで早三日目。意地の張り合いな長期戦だったが、ようやくキラが潰れた。
(ギリギリか)
イザークは安堵がばれないように顔を引き締める。
「半日ね。姫さんにしては、時間かかって整備してたよな。やっぱ、お前の愛機だけは特別ってこと?」
「知らん。キラの勝手だ」
部下のモビルスーツはかかっても五、六時間だ。突き放した言い方をしても、愛い奴めと、ついつい頬が緩みそうになる。
キラ・ジュール博士は多忙だ。
プラントの名家であるジュール家に嫁いだことにより、社交界での交流が増えたこともあるが、今ザフトで開発を急がれている、新型モビルスーツのOS総責任者に就任したことが最大の原因だろう。
彼女は一応オーブに気遣って、軍属ではなく民間人扱いになっている。だが、戦艦のOSをプログラムしたり、最高評議会のマザーコンピューターのプロテクトに携わったりした過去の業績を省みれば、出るところへ出れば、そんな言い訳など通用する筈もないぐらい、どっぷりザフトに漬かりきっている。
イザーク自身も多忙だ。
半年前にジュール隊を結成してからというもの、部下の訓練、プラント周辺の防御、そして不届きな海賊退治に明け暮れて、自宅に戻れたのはのべ一ヶ月。それ以外は戦艦ヴォルテールで寝泊りをしている。
結婚して約一年。
すれ違いが多い夫婦だが、ありがたいことにキラはイザークにベタ惚れで、些細な時間をみつけては、仕事を抱えてヴォルテールにやってくる。今回もキラ・ジュール博士は、ザフト軍最精鋭といわれるジュール隊の戦闘記録を新型機のOSに使うからと、愛する夫会いたさに、開発チームを引き連れてやってきたのだ。
だが、使える人材は出涸らしになるまで酷使すると評判のイザークは、自分の妻にも無茶を言った。
「ほう、そんな暇があるのなら、ついでに貴様に仕事をくれてやる」
速攻で、ジュール隊のモビルスーツ全ての緊急メンテナンスを押し付けたのだ。しかも、この仕事が終わらない限り、ジュール隊の戦闘データーをやるつもりは無い。
しかも、今回スタッフを勝手に大量に連れてきたため、キラとミリアリアの部屋は確保できなかったということにし、ミリアリアはディアッカの部屋に押し込んだが、キラには毛布一枚をくれてやっただけ。
「嫌なら帰れ。それから、人前で無様な様を晒したら、放り出す」
そう宣言したときのキラの顔と言ったら!!
彼女がヴォルテールに留まれる期間は十日間限り。時間の余裕を失い、蒼白になったキラだったが、「僕、絶対イザークから離れないもん!!」と、不眠不休のままモビルスーツのチェックに突入した。そして今、とうとう睡魔に負け、自滅したのだ。
「イザークの鬼!! キラが可哀想だと思わないの?」
「ああ」
ミリアリアの罵声もなんのその。イザークはキラが哀れだとは全く思っていない。
「俺と過ごす時間が欲しいのなら、ザフトの仕事など請け負わずに家でおとなしく待っていればいい」
「そうそう。ミリィだって、俺の婚約者の筈なのに、仕事仕事で延期でさぁ。一体いつになったら俺の花嫁になるんだよ?」
「うるさいあんたたち!!」
ミリアリアが、ディアッカめがけて手に持っていたクリップボードを投げつけた
「ぐだぐだ文句垂れてないで、博士をさっさと医務室なり仮眠室なり連れて行きなさいよ。それとも、ヴォルテールにはキラを寝かせる予備のベッドもないわけ?」
「ない。だから降りろと言っている」
イザークは、ミリィと視線を合わせないまま煩げに、ストローで呑みきった紅茶の紙コップを握り締めて潰した。
イザーク自身、プラントでも有数の名家出身で、ヤキンの英雄、そして今はジュール隊の隊長だ。妻を働かせなくとも、十分養っていける財力もある。常々キラを家庭に閉じ込めておきたいと公言しているのだが、疲弊したプラントが復興するためには、他国が侵攻を躊躇う程、強い兵器を作ることは有効な戦略である。キラがプラントに移住できるようにと、骨を折ってくれたプラント評議会最高議長直々の願いがあったからこそ、イザークもしぶしぶキラをザフトに協力させることを許したのだ。
だが、OS開発の最高責任者就任は、協力の域を遥かに超えている。
キラは軍人ではないし、お人よしが服を着てあるいているような奴だ。このまま軍と深く係わり合いになれば、いつ元フリーダムのパイロットだとばれて、英雄に祭り上げられザフト軍に利用されるかわからない。
自分がずっと守ってやれればいいが、モビルスーツのパイロットの命がいかに散りやすいかは、先の戦争を戦った自分が一番良く知っている。
だから、イザークはなるべくキラを軍から遠ざけたいと願っているのに、可愛くて馬鹿な妻はイザークと少しでも一緒にいたいと、どんどん仕事をこなして、自分から軍に接近していく。堂々めぐりの悪循環だ。
そんな人の気も知らないで、キラが可哀想だとミリィに一方的に非難されるいわれなどない。
「ミリィ、データーは後で送ってやるから、とりあえず姫さん連れて研究院に戻りな」
「キラの命令がないのに? ふざけんじゃないわよディアッカ!! 大体、あんたたちに情けはないの? キラが一体誰のためにここにきてると思ってるの!!」
「俺は頼んだ覚えはないがな」
ミリアリアの眉尻が吊上がる。
「あんた、倒れるまで働いた自分の奥さんに対して、いたわりってもんはないわけ? このままキラを働かせるだけ働かせて下船させるって言うのならいいわよ。私、このままザフト本部の研究室に駆け込んで、秘書として仕事をばんばん詰め込んで、キラを当分ジュール家に帰さないんだから!!」
「ミリィ!! 言い過ぎ!!」
「貴様ぁー!! いくらキラの親友だろうが、俺にも我慢の限度があるぞ!!」
デッキにイザークの怒声が響き渡る。そして一斉に空気が凍った。
なんせ、イザーク・ジュールの沸点はとても低い。しかもキラが絡めばますます加速する。
「イザーク、ミリィは民間人だ。軍人じゃない」
穏便にとアイコンタクトで匂わせられ、握り締めた拳も押さえられる。ミリアリアは、キラがプラントで一番頼りにしているかけがえの無い親友で、悔しいが、キラの信頼はイザークよりも彼女の方が上だ。
彼女に怒りをぶっつければ、キラは絶対に自分を許さないだろう。
本当に帰してもらえなくなるのも非常に困る。
イザークは、まぁ仕方ないかと白旗をあげた。
そうと決まれば……、イザークは、キャットウォークを駆け上り、シートですやすや眠るキラをそっと抱き上げた。久しぶりに触れた妻は、相変わらず軽い。
(こいつ、また食ってないな)
「どこに連れて行くの?」
「俺の私室だ」
文句無いだろとふいっと顔を背ければ、ディアッカが盛大に吹き出したのが聞こえた。
「なあなあミリィ。お前もさぁ、もう一回俺の部屋で休んでおく? なんなら裸で俺のことを待っててくれていいから♪」
「馬鹿!! このエロスマン!!」
ミリアリアは昨夜、キラより一足お先に睡魔に負け、ぐっすり眠ったばかりだ。彼女はディアッカめがけてペンを投げつけると、真っ赤になって顔を背け、「キラが戻ってくるまで、あっちのバグチェックお願いね」と、残ったスタッフに、ディアッカの機体のプログラミングミスを探るように命じていた。
ナチュラルなのに、コーディネーターに対して卑屈にもならず、臆しもしない。
キラが頼り、ディアッカが選んだだけある。
勿論、イザークは一言だってミリアリアに告げてやる気はなかったが、そんな彼女だから、自分も安心してキラを任せておけるのだ。
☆ ☆
「さあ、そろそろ昼の休憩は終わりだな」
腕に巻いた時計の時刻は一時。
イザークは、キラにキス一つ与えてベッドに転がすと、誰も入れないように厳重に鍵をかけ、急ぎ足でモビルスーツの格納庫に戻った。
「ディアッカ、準備は?」
「できてるぜ。おい、お前ら整列!!」
ディアッカがおもむろに声を張り上げると、ジュール隊の隊員と、整備班全員が綺麗にイザークの愛機、スラッシュ・ザク・ファントムの前に四列に並んだ。
勿論ミリアリア達……、キラ・ジュール博士のチームは彼の部下ではないので、イザークを無視したまま、黙々と宛がわれた作業を進めている。
イザークは部下を前にし、いつもの鉄面皮のまま、よく通る声を張り上げた。
「先日伝えたように、今から我が隊の体験学習で、ここヴォルテールに士官学校の生徒がやって来ることになっている。貴様たちはジュール隊の一員として、明日のザフトを担うパイロット候補生達に、良き手本を見せつけてやれ」
「よし、お前ら入って来い!!」
ディアッカの声と同時に、扉が開いた。
紺色の服に身を包んだ少年少女達総勢20名が、期待と不安の入り混じった面持ちで、シホの先導でしずしずと入ってくる。
ヤキンを戦い抜いた精鋭、ジュール隊を束ねるイザークの姿を目にし、パイロット候補生達に緊張が走る。
その中に、黒髪と真っ赤の瞳の少年の姿もある。
どうやら今期の赤服候補生の枠にしっかりと収まっているらしい。
イザークとキラの養い子、シン・アスカ。
彼は他の生徒と異なり、きょろきょろと格納庫内を見回している。キラの姿を探していることは明白だった。
シンは、プラントの戦災孤児救援の政策で、三ヶ月前にザークとキラの養子になった。同じオーブ出身で、オノゴロ島での戦闘で家族を亡くした彼を、キラは弟のように溺愛している。
だが、イザークの事情は違う。なんせたった三つしか年の離れていない養子など、息子と見るよりライバルだ。初対面の時、のほほん妻が彼に、真顔で『これからは、イザパパ、キラママって呼んでね』などと言ったとき、以後そんな名前で呼び倒される恐怖に、妻の頭に盛大な鉄拳制裁を与えた程だ。
キラが自分を愛していることに疑い一つ抱いたことはないが、キラが養子にしたばかりの少年を気遣い、溺愛している風景を見るのは面白くない。大体、今回の新型MSのOSを引き受けたのだって、もしかしてシンが乗るかもしれないからという理由だ。
キラを強引に強制退場させれば、きっと、後でシンが来たとバレた時に、涙目+口利かずの刑に晒されるのは必須。だから、彼女が調度良く潰れるようにスケジュールを組んでみたのだが、予測にぴったりと噛み合い、怖いぐらいだ。
そんなイザークの心情を、誰よりも理解している副官は、にやにや不敵に眺めている。
「…うそぉ!! ちょっと、キラぁぁぁぁ!!」
シンの登場に、ディアッカの機体チェックに取り掛かっていたミリアリアが、蒼白になって携帯電話を引っつかんだ。
「キラ、キラ、シン君来てるよ!! さっさと起きて、早く来て!! 聞いてる、キラ!!」
ミリアリアの動揺もわかる。なんせ、キラ達の本来の仕事は、新型MSのOS開発である。
そして彼女が今開発している、アビス、ガイア、カオス、インパルスの四機は、今から来るパイロット候補生の誰かが乗る予定になっているのだ。
彼らの今のデーターが取れれば、後々の仕事が楽になる。
「ミリアリア、安心しろ。ひよっ子達のデーターは、キラがいなくたって取れる」
「そうそう、安心してMSチェックを続けててよ♪」
「いいわ、あたしがキラを叩き起こしてくる。あんたたちはできる限り食い止めて!!」
ミリアリアは二人を無視してキャットウォークを駆け下り、一目散に格納庫から飛び出していった。
だが、何故か残された職員達の挙動が不審だ。
今までいたガナーザクウォーリアーを放り出し、キラが整備し終えた筈の、イザークの愛機に群がりだしたのだ。彼らはコクピットをこじ開け、必死の形相で繋いだキーボードを弄っている。
エラーの警告音が連続で鳴り響いてもお構いなしだ。
「おい、貴様ら俺の機体に何をやっている!!」
イザークが、ドスの利いた声を張り上げたその時だった。
突如、スラッシュ・ザク・ファントムが不気味な轟音を響かせ、うなり始めたのだ。
「な、なんだ!!」
格納庫中に響き渡る打音、それが何層も重なって腹の底から痺れる怪しげな低重音が作られる。途端、スラッシュ・ザク・ファントムからキラのスタッフが全員全速力で逃げていく。
そして軽快な機械音が飛び交う。
最新流行の音楽など、てんで疎いイザークだったが、その音が昔自分がクルーゼ隊にいた頃、何かと面倒を見てくれたミゲルが好んだ楽器だということに気がついた。
「なんでシンセサイザーが鳴っているんだ!!」
唖然とする最中、濃いブルーの機体がゆっくりと動き出した。イザークや隊員、そしてパイロット候補生達が見守る中で、厳かな筈のモビルスーツが、肩を揺らし始めたのだ。
曲は激しく編曲されているが、プラントに住む者なら誰でも知っているラクス・クラインのヒット曲だ。
アップテンポのリズムに合わせ、まるでコンサート会場にいるファンのように左右に体を揺らし、足を踏み鳴らし、右手を突き上げる。その手には、ペンライトのかわりにビームサーベルが握られている。
ジュール隊の隊長機が、信じられない悪夢だった。
あんまりな光景に、恐ろしくて、ジュール隊の誰もが硬直している。
「シン、ジュール隊長って、こんなお茶目な趣味があるの!!」
パイロット候補生の数少ないピンクの髪の少女がひそひそとシンに囁くが、「俺が、知るかよ。人の趣味なんてそれぞれだろ!!」と、養い子の絶叫が轟く。
それを皮切りに、パイロット候補生は、自分達を歓迎しての余興だと思い込んだようだ。MSに好きな歌を載せられるんだ〜、移動中に聞いていたりして…などと、不謹慎な誤解が蔓延する。
「知らん!! 俺は無実だ!!」
沸点の低いイザークが絶叫してるが、この珍しい光景と、ラクス・クラインの未発表らしき楽しい編曲を聞き逃すものかと、皆、耳もダンボで、イザークの罵声など蚊帳の外だ。
そして、とうとうクライマックス。
≪やっほー。イザーク♪ 誕生日おめでとぅ〜vvvv 僕、今年も、君が無事で幸せな一年になるようにお祈りしてる。ずうっとずうっと愛してるからねvvv≫
≪イザーク様、ラクスです。お誕生日おめでとうございます。キラに頼まれたので、この曲をお贈りいたしますわね。貴方は私から、唯一無二の大事な親友をかっさらっていったのですから、キラに寂しい想いをさせたら、承知いたしませんわよ。お二人とも、いつまでもお幸せにですわvv≫
「犯人はキラかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「あわわわ」
ミリアリアと一緒に慌てて駆けつけたキラは、寝巻きに白衣を引っ掛けただけの、情けない姿だった。そこに踊りくるっている隊長機と、鬼になったイザークを見つけてしまい、慌ててくるりと方向転換する。
「待て貴様!! これが戦闘中だったら、どうする気だった!!」
「ザクが起動してなかったらって条件で立ち上がる、サプライズプログラムだもん。だから、大丈夫だった筈なんだもん!!」
「俺にこんな恥をかかせおって!! もう許さん。貴様は辞職して家でおとなしくしてろ!!」
「だって、君だって、今日シン達が来るなんて……、僕、聞いてないよぉぉぉぉぉ!!」
格納庫から飛び出していったキラの後を、イザークはまっしぐらに追いかけた。
今の彼の頭からは、指導すべき生徒も、自分が纏めるべき部下も、頭の中からすっぱり綺麗に抜け落ちていた。
☆☆
ドドドドドドドドドと、凄まじい地響きを立てて、イザークの靴音が遠ざかっていった後、曲の終わりと同時に何事も無かったように元に戻ったスラッシュザクファントム機の前で、自然後を引き継ぐ形になったディアッカは、面白そうに唇の端をゆがめて笑った。
「ま、どんなお偉いさんも、同じ人間だっつーことだ。戦いに明け暮れて、生活のゆとりを忘れちゃいかん、そうだろ?」
飄々としたディアッカの言葉に、ジュール隊の隊員や整備班から笑いが巻き起こる。
それで生徒達は納得してしまった。信じられないが、これがジュール隊では日常茶飯事なのだ。
ヤキンを戦い抜いた、英雄イザーク。
目下、ザフト最高の頭脳と賞賛される、キラ・ジュール博士。
ザフト軍、一番の精鋭と歌われる、ジュール隊。
あっけにとられたシンだが、プッと噴出した。
彼も、堪らなくなって笑い始めた。
「これだから俺、キラママとイザークさんが好きなんだよなぁ」
あの、アイスドールと呼ばれるイザークが人間に見える。
規律に溢れた軍隊が、日常のほのぼのとした一風景に変わる。
どんなに凄い英雄でも、皆と変わらない人間なんだと、そう、再確認した日。
イザーク・ジュールが英雄という偶像は落ちたけれど。
シンはますますイザークとキラが好きになった。
Fin.
05.07.09.
八ヶ月ぶりの創作です。曲はミーアがノリノリで歌っているアレ。キラも自分の睡眠時間削って何しているんだか(爆笑)
しかも、誕生日を間違えているし(正確には8月8日)
リハビリに〜と、気になっていた種ネタ(『僕はキラ』の番外)やってみましたが、これ書くのに12時間(号泣)
あああああ、やっぱりブランク置くと辛くなります〜。
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