静かなるその瞳に 1
「いいの。お願いですから先に戻ってください」
「ですが補佐官様!!」
女王補佐官アンジェリークは、にっこりと微笑んだ。
「大丈夫。私、クラヴィスと一緒に戻りますから」
馬車があると思うから意志が挫けるのだ。彼女は乗ってきた馬車を王宮に帰すと、鬱蒼とした木々に囲まれて立つ不気味な暗い館を仰ぎ見て、こくりと息をのんだ。
今日はなぜか、このクラヴィスの私邸は退廃し、近寄り難い雰囲気を醸し出しているように思える。アンジェは女王候補時代に何度もクラヴィスの館に招待されていたが、その時には落ちついた佇まいに、安らぎと居心地の良い寛ぎを感じていたのだ。
(こんなに不気味だったかしら?)
と、疑問が頭に横切ったが……アンジェは敢えて考えないように、ふるふると頭を振った。
そう思うのはきっと、自分の心が不安定になっているからだろう。
クラヴィスの館に来るのは実に一ヶ月ぶりだった。
補佐官に就任した途端、慣れない執務がどっと押し寄せ、ただでさえ手際の悪い彼女は遊ぶ時間どころか寝る間もない程働いている。
(何を怖気ついているの? もうクラヴィスに嫌われたっていいって決めたんでしょ? どうせ……あの人はもう……私への関心がなくなっちゃっているし……)
アンジェは滲んできた涙をぐしっと拭い、まっしぐらにクラヴィスの館の扉を叩いた。
新宇宙に移行して、早2ヶ月。この頃、闇の守護聖の様子がおかしい。
彼はもともとあまり仕事熱心ではなかったが、最近は特に酷かった。
まず、行政館に出仕する日数が週二日に減った。
しかも彼は出てきても、頬杖をついて書類を読むふりをし、ぐっすりと眠っている。
式典は大抵すっぽかすし、運良くジュリアスとオスカーが捕獲してきても、リュミエールやアンジェが目を離した隙をついて何時の間にかとんずらしている。
それで、彼が何処に入り浸っているのかというと……結局自分の館なのだ。
≪クラヴィス様はもしや……どこかお体の具合でも悪いのでしょうか?≫
≪まあまあリュミエール……その心配は大丈夫でしょう……大体、聖地には病気はないですからねぇ……≫
≪館で働くレディのうちに、気にかかる相手でもできたんじゃないか?≫
≪え!! あのクラヴィス様が!!≫
≪ふ〜ん☆ クラヴィスも恋すれば、ただの男だったってわけ。彼は只でさえ情が怖そうだしね〜。きっと恋人と離れられないかも♪ これで少しは明るくなるかも!! うふふふ☆ よかったじゃな〜い♪≫
(止めてよぉぉぉ……クラヴィスは、私の恋人なのにぃぃぃぃ!!)
守護聖達が勝手な憶測を飛ばし噂するごとに、アンジェはきりきりと胃が痛くなってくる。
けれど彼と本当に付き合っているのか? と、問われた場合、アンジェは強く言いきる自身がない。
アンジェがクラヴィスに告白したのは、ロザリアに大差で負け試験が終了したその日だった。自分の出来の悪さに減滅し、家に帰る準備が終った彼女は、最後に自分の気持ちをただ知ってもらいたいと願って彼の館を訪れたのだ。
いつこの寡黙なクラヴィスに恋したのかは覚えてはいない。暗く寂しげな翳りのある彼と会う度に、いつも側にいて抱きしめてあげたいという想いで胸が一杯になった。
≪私、クラヴィス様が好きです。ずっとお側にいたかったんです≫
≪ならいればよい≫
≪……………≫
その後ロザリアに請われて補佐官になったが、口数の少ない彼は一度も好きといってくれたことがない。アンジェが『大好き!!』と抱きついても、彼は幼子をあやすようにぽしぽし頭を撫でてくれるだけである。
クラヴィス自身に『本当に私のこと好き?』っと、尋ねてみるのが一番だが、彼を疑っていると思われ嫌われてしまうのが怖く、結局何も聞けない。
せめて行政館で会えれば良かったが、肝心の彼は出仕しない。それに移行したばかりの新宇宙は次々と問題ばかりが起こるのだ。
今だ目が離せず、纏まった時間を取って、クラヴィスの館を訪問する余裕もない。
だが今回は特別だった。
何としてでも、クラヴィスを宮殿に引張ってこなければならない。
今、宮殿は激震区となっている。
アンジェは、≪あの男を聖地から叩き出しなさい!!≫と叫ぶ女王と、≪オスカー!! クラヴィスを檻に放り込んで連れてまいれ!!≫と怒鳴り散らすジュリアスを必死で宥め、突っ走ってきたのである。
「おや、アンジェリーク様……お久しぶりですね」
「ロジャーさん。クラヴィスは何処にいます?」
候補生時代、アンジェはクラヴィスの館を訪れた時には笑顔を絶やしたことがなかった。だが焦りは余裕を奪う。挨拶もそこそこ険しい顔で尋ねてくるアンジェを見て、老齢の執事も館で働く女官達も皆一斉に眉を顰めた。
「直ぐに会いたいの。何処にいますか?」
「お部屋においでです」
「では火急の用で、補佐官が尋ねてきたとお伝え下さい」
「………そ……それが……」
執事達は急に、おろおろとみっともないほど狼狽しだした。
「申し訳ございません。あの方がお部屋におこもりになる時は、何人たりとも一切クラヴィス様には取りつがないようにと申しつかっております」
「そんな言葉では引き下がれません。今日クラヴィスは視察の出発をすっぽかしたのですよ!!」
惑星ネイヴで闇と水のサクリアの異常が伝えられた。
王立研究院のデーターによると、このまま異常が続けば惑星の消滅の可能性があるとの報告を受け、女王はクラヴィスとリュミエールにネイヴへの視察を命じたのだ。
なのに、今日出立したシャトルには、闇のサクリアで眠らされたゼフェルが、クラヴィスの代理として積み込まれていたのだ。
「ジュリアスが怒っているのはいつものことだけれど、今日は女王陛下も酷く立腹なされてしまって……。今、オスカーが兵を率いてクラヴィスを捕らえにくる準備を進めております。このままではきっといつもの捕縛どころか、酷い罰をくらいます!! だって、陛下は聖地から叩き出せって言っているんですもの!!」
執事達の間に動揺が走る。
アンジェはたたみかけるように叫んだ。
「今ならまだ間に合うんです!! 大事にならないうちに、クラヴィスを王宮に出頭させてください!!
道理の判らない人ではなかった筈です。私とお話さえさせてくだされば、彼を何とか説得してみますから!!」
「なりません!!」
「補佐官様!! どうぞ、お止め下さい!!」
「クラヴィス様のプライベート・ルームに入るなんて、絶対駄目です!!」
「アンジェ様が傷つきます!!」
使用人達は口々に異を唱える。その迫力は、アンジェが補佐官でなければ掴みかかりかねないような激しさだった。
(……やっぱり……そうなの?……)
アンジェの胃が、ぎゅっ……っと痛くなった。
皆がこんなに、アンジェを止めようとしているということは……今、クラヴィスの部屋にはアンジェに知られたくない誰かがいるってことだ。
(……やっぱり……皆さんが言ってる通り……別に好きな人ができちゃったのかな?)
ショックだった。
「クラヴィス様が私室からお出になったら、私が責任持って補佐官様の伝言をお伝えしますから」
執事が労わるように言ってくれる。
アンジェは泣きたい気持ちをぐっと押し殺し、ふるふる首を横に振った。
「ならロジャーさん。あの人はいつ出てくるの?」
「それは……」
執事は途方に暮れ、視線をさまよわせた。
「私達にもわかりません。ですが……クラヴィス様のご言いつけに背けば、あの方がどれ程お怒りになるか……!!」
「そうです!! 絶対にいけません!!」
「でも、待ってる間にオスカーが来てしまうかもしれないんですよ!!」
「……ですが……我々も……入り辛いのです。絶対に駄目です!!」
堂々巡りで埒があかない。
「わかりました。では、こうしましょう。
クラヴィスがもし貴方達のことを怒ったら……≪補佐官がクラヴィスに会いたがり、反対する貴方達の制止を振り切って部屋に勝手に入り込んでしまった≫と言ってください。
ね、こうすれば貴方達は主の言いつけに背いたことにはならないし、私も補佐官の仕事を遂行できるの。これなら貴方達に迷惑はかからないでしょ? 」
「ですが……」
まだ言い淀む執事に対し、アンジェは縋るような眼差しで見上げた。
「陛下はクラヴィスに視察に行くよう望まれたわけじゃないんです。彼に行くよう命じたんです。私は女王補佐官……陛下のご意志が妨げられないよう守護聖に潤滑に働きかけるのが役割です。間もなく、オスカーが手勢を率いてくるでしょう。その前に、彼を宮殿に出仕させなければ、最悪あの人は陛下に逆らう罪人になってしまうんです。
私なら大丈夫。どんなに傷ついても平気です。
あの人さえ無事ならば……。
私をクラヴィスに会わせてください!! お願いします!!」
おおおおおおおおおお!!
突然の、割れんばかりの拍手に、アンジェはびっくりして立ちすくんだ。
「なんと素晴らしい!!」
「流石はアンジェリーク様だ!!」
「かつて、これほど勇気ある補佐官様が存在しただろうか!!」
(え?)
クラヴィスの使用人達は、あるものは目に涙をため、あるものは感動にうちふるえている。
執事ですら涙ぐみながらアンジェの両手を力一杯ぎゅっ……と握り締めた。
「判りました。アンジェリーク様にそれ程の覚悟がおありになるのなら、私達はもう、何も申し上げることはありません。流石はクラヴィス様が、ただ一人の方と決められた方……どうぞクラヴィス様をお探しくださいませ」
(え……ただひとりの方って……女の人じゃないの?)
戸惑うアンジェに、かけよった若い女官が、大きな黄色の袋を差し出してきた。
「どうぞこれをお持ち下さい」
リュックサックだった。執事がいそいそとアンジェに背負わせてくれる。
「これには三日分の食料と水が入っております」
(はい?)
「それから、中では通信機が一切利かなくなりますのでこれをお持ち下さい」
柄が木でできた金色の糸巻きを持たされる。
「この糸はチタン合金でできております。文字通り命綱ですから、絶対に手放してはなりませんよ」
(え……?)
「それと、これは魔除けです」
別の女官から、アンジェの首に大きな十字架と、まるごとのにんにくを幾つも繋ぎ合わせた丸いレースがかけられる。
(ちょっと……?)
「中は暗いですから」
工事現場でつかわれるような<ヘルメットに大きなライトがくくりつけられているものが頭に被せられる。
「こちらは一応照準にオートがついておりますが、銀の弾丸が入っている旧式の銃になります。くれぐれも間違えて、クラヴィス様を撃たないように」
と、腰のベルトに黒塗りの銃が差し込まれる。
「ちょ………ちょっとこれ……ロジャーさん!!」
「では、お気をつけて行ってらっしゃいませ!!」
執事の手により、開けられたクラヴィスの部屋のドアノブに、アンジェの命綱がくくりつけられる。
彼女の眼前には、真っ暗な荒野が広がっていた。
ヘルメットのライトに照らされた岩棚には、草木どころか生物のいる痕跡もなく、ただごうごうと音を立てて強い風が吹き荒れている。
(うそぉぉぉぉぉぉぉ!!)
「それでは、補佐官様の勇気を称えて………!!」
ばんざ〜い
ばんざ〜い
ばんざ〜い!!
アンジエを激励し執事達の大声援が後押しする。
引くに引けなくなった彼女はなかばやけくそになり、未知の世界に足を一歩踏み出した。
01.08.15
光姫さまと創作をトレードするためだけに書き始めた代物でしたが、素晴らしいゼー様を頂いたくせに、まだ終っていない(←酷い奴)
多分全四話。
次回クラ様出ま〜す♪
NEXT
贈り物の部屋に戻る
ホームに戻る