静かなるその瞳に 3
新女王が即位して約一月………。
「ねぇ〜……いいでしょ〜? ロ・ザ・リ・ア〜♪」
アンジェは楽しげに色とりどりの九つの封筒をトランプの札のように広げ、ロザリアの顔に突き出した。
「私ね、絶対楽しいと思うの。皆さんだって連日の仕事三昧できっと息抜きしたいと思っているし。それにロザリアだって疲れが溜まっているんだもん。ここらで少し、たわいも無いお喋りとかして、皆さんとリラックスした一時を過ごそうよ!!」
新宇宙の慌しい移行後、世界は至る所で異常が発生した。
慣れない業務も一月頑張ればなんとかなるもので、宇宙は最近になってやっと安定の兆しが見え始めた。まだまだ気が抜けない事態は続いていたが、アンジェはロザリアが連日九つのサクリアを操り続ける激務で、いつか倒れるのではないかと冷や冷やしていた。
「ね、守護聖様達だって、今までずっとお休み返上で働いてくれたんですもの。王宮でお茶やお菓子を振舞ったって、罰当たらないと思うの」
「あんたねぇ。大の大人達捕まえて、お菓子振舞うはないんじゃないの? 子供じゃあるまいし」
「駄目なの?」
「……確かに。ただありがとうと言葉で感謝するのも味気ないわね」
「じゃあ、やってもいい♪」
「そりゃ、こんなものが出てくればね」
アンジェの入れた紅茶を啜りながら、ロザリアはシャルロット・ポワールを一口頬張った。この梨のケーキは特別な手作り品だ。
完璧主義のロザリアはどの仕事も手を抜かず、きちんとやり遂げようとする努力を惜しまなかった。しかし女王はなりたてだ。いくら彼女が優秀でも、先代と比較すれば、何をするのにも倍の時間がかかっていた。
それを悔しいと感じたロザリアは、執務もこなしつつ、寝食惜しんで学問にも励んでいた。アンジェは、休まず食も細くなったロザリアを心配し、とうとうロザリアのばあやさんに連絡を取り、彼女のお手製のケーキを取り寄せたのだ。
ロザリアはもう一口頬張り、フォークを皿に置いた。
「あんたはトロいけど、こういうところに良く気がついてくれるから」
「う……それって、役立たずってこと?」
「馬鹿ね」
ロザリアは九つの封筒を裏返して机に並べると、蜜蝋を一つずつ手紙の中央に丁寧に落とした。その後右手に嵌めていた指輪をくるりと回し、女王の正式な招待状である証として溶かした蝋が固まる前に、指輪を押し当て女王の紋章を刻んでくれた。
「補佐官の仕事は生きた計算機や伝達係じゃなく、私の補佐することでしょ。あんたはもう、私が素のままで我侭言える唯一の娘なんだから。あんたがいるとほっとするわ。判る?」
「う……んとんと……えへへへへ♪ ニュアンスは判るんだけれど〜……」
本当は良く判っていなかった。生きた計算機や伝達係が文官達なのには気が付いたけれど、ロザリアの補佐として役に立っているかという問いに、補佐をする仕事だからと当たり前に返されても困るのだ。
アンジェは上目遣いにロザリアを見上げた。
「ね……私本当に、ロザリアの役に立ってる……かな?」
「あんたって相当鈍いわね」
ロザリアは切れ長の目を細めてジロリと見据えると、気持ち顔を赤らめて再びお茶を啜った。
「アンジェがいてくれなきゃ、私が困るのよ」
「わあああい♪ ロザリア〜!! 好き♪」
アンジェが抱きつこうと腕を伸ばすと、女王はべしっと腕をはらいのけた。
「もう、つまんないこと言っていないで、とっとと行ってらっしゃい!! あんたにあげる時間は一時間!! 終ったら今晩も私と王宮で缶詰なんですからね!!」
俯きつつ、びしっと九つの封書をアンジェの額に軽く叩きつけた女王の顔は、照れて真っ赤になっていた。
「はぁ〜い♪ いってきまぁす♪」
アンジェは封書九つを大事に抱え、うきうきと行政館に来たのだ。
順番に沿って、最初はジュリアスの執務室だ。
――――そんなアンジェを待っていたのは――――
≪………クラヴィスが前回と同じ愚を犯すかとも思い気を病んだこともあったが……アンジェリークは女王になる可能性は全くなかった。だから私は影ながら目を瞑り祝福さえしていたのだぞ……なのに……あやつときたら!! 日に日に怠惰な生活が更に酷くなっているではないか!!……≫
≪まあまあジュリアス。彼もアンジェリークと交際を始めたばかりですし。クラヴィスがこの新しい恋で、少しずつでも失恋の痛手を忘れ、自分の殻から出てきてくれれば、こんな喜ばしいことは……≫
≪そなたの頭はどんな作りだ!! こんなことになっても、まだアンジェリークとクラヴィスが恋中だと信じておるのか!!≫
≪あ……ああ……そうですねぇ……≫
≪……クラヴィスは前陛下との恋を失った時から常軌を逸しだした。もう何年も前だというのにいつまでも女々しくとな!! アンジェリークを責めるのは筋違いだが、いくら名前が同じでも、前陛下とアンジェリークでは中身が雲泥の差だ。あの手際の悪さと鈍さでは、いつまでも過去ばかりを見ている男を現実の世界に戻すなどできる筈なかったのだ≫
≪ジュリアス。アンジェは気立ては良い娘ですよ≫
≪それは私も判っておる。だからこそ私はクラヴィスが許せないのだ!! 前陛下は特別に素晴らしいお方だった。あのクラヴィスの求愛を退けてまでも、宇宙の為にと至高の位に登られた。いくら名前が同じだからと言って、アンジェリークを身代わりにするなど!!一体あの者は何処まで後向きなのだ!!≫
≪ジュリアス……人は誰でも、慰めが必要なのですよ……≫
≪だが他人の身代わりだぞ!! 慰めが欲しくば、新たな愛情をくれる女性を見出せばよいであろう!! そなたはクラヴィスの身勝手に振りまわされている……アンジェリークが哀れだとは思わないのか!! ≫
≪……思いますが……こればかりは当人同士の問題ですから………≫
アンジェはノックしようとした手を下ろし、スカートの端を握り締めた。
腕に抱えていた招待状の束は締めつけられてしわくちゃだ。だが、今からどうやってこの執務室の中に入れるというのだ?
彼女は嗚咽を堪えて足音を立てないようにとぼとぼ廊下を逆に戻った。
惨めだった。
ジュリアスの執務室でドア越しに聞こえてきた会話は、確かにアンジェの心をズタズタに引き裂いた。それは二人の会話に傷ついたからではなく、自分がクラヴィスと接していて抱いていていた違和感の正体が判ったからだ。
クラヴィスは女王試験の時、アンジェだけを気にかけてくれた。育成に失敗して大陸に嵐を招いた時も、火山が噴火した時も、ジュリアスに叱咤され、めえめえ泣いている時にも、いつの間にか駆けつけてきて、あの大きなトーガに包み、泣き止むまで抱きしめてくれた。
ゼフェルのロボットのパーツを踏んで壊してしまった時も、機関銃のようにまくし立てて怒る彼の耳に何かを囁き、追い返してくれたこともあった。オスカーに冗談でからかわれた時も、パズハさんに怒られていた時も………膝を抱えて泣いている時、いつもいつも彼は来てくれた。
彼はロザリアがなにをしても完全に無視していたのに、アンジェにだけ優しくしてくれた。
涙が止まらなかった。
喉が熱い。叫べるのなら無茶苦茶暴れたい。好きなだけ泣きたい。
(だから……クラヴィスは私にだけ優しかったんだ……)
馬車に向かおうと階段を駆け下りる、そんな彼女を遮る者があった。
ぱふっと柔らかなトーガに絡めとられ、アンジェは厚い胸に顔を押し当てられた。
白檀の香りがむせかえる。
抱かれなれた暖かい腕を感じ、アンジェの双眸からどっと涙が溢れてきた。
「……クラヴィス……ひっく……えっえっえ………」
むせび泣く彼女の頭に、何度もぽしぽしと大きな手の平が落ちる。
「何が悲しい? 話せ」
アンジェはえくえく泣きじゃくりながら、首を横に振った。
ジュリアスとルヴァの話など、彼に言える訳がない。
クラヴィスはしばらく無言だったが、やがて胸を飾るペンダントから紫水晶を一本指でつかんだ。
気配で気付いたアンジェは、慌てて彼の手を取り押さえた。クラヴィスは水晶球程ではないが透明な物なら何でも媒介に使い、自分の知りたいことを多少透かし見ることができる。
「私の心を勝手に読んじゃ駄目なの!! 礼儀なの!!」
顔を上げたアンジェから、クラヴィスの優しい指が涙を拭った。
「話せ。私は知りたい」
アンジェを覗き込む、彼の顔は無表情だった。
昔ならば綺麗で怖いと思った顔も、今なら彼がとても心配してくれているのが判る。
アンジェはしゃくりあげながら言葉を捜した。ジュリアス達から聞いたことをそのままクラヴィスには言えない。また自分が彼から走って逃げるなど……どんくさいと自覚もある。アンジェでは直ぐに捕まってしまう。
アンジェはじっと彼を見上げた。彼も相変わらず、真っ直ぐアンジェを見下ろしている。
一言も言葉を聞き逃さぬよう、耳を傾けていてくれる。
もう逃げ場はない。
「あ……あのね……クラヴィス………」
「うん?」
一番聞きたいことは……自分が、前女王の身代わりなのかということ……。
胸がまたぎゅっと締めつけられ、ぬぐってもらったばかりの目に涙が溜まってきた。
「どうして……クラヴィスは前陛下と…………あんなに素晴らしいひとと……?」
「アンジェリーク!! 誰から聞いた!!」
優しかったクラヴィスの紫の双眸が、一瞬で怒りに歪んだ。青くなった顔に、アンジェの両肩を掴む手、こんなに彼の指が食い込む程握られたことはなかった。いつも静かな彼からは想像もつかないような怒声で怒鳴られ、アンジェの喉はまた熱く苦しくなってきた。
「どうして……陛下を諦めたの?……」
(こんな、愚図でドジな私を身代わりにするぐらい好きだったのなら……どうして……?)
今度はアンジェが挑む番だった。
一歩も引かないと。涙を一杯溜めた目で、クラヴィスの顔を覗き込む。
にらめっこの末、クラヴィスはため息を一つつき、アンジェの涙を指で拭った。
「彼女は私の愛情から逃れるために、女王になったのだ。もう、あれの話は二度とするな。どのみち、二度と会うこともなかろう」
アンジェをかき抱く腕にますます力が入る。彼女の胸も締めつけられていたが、クラヴィスも辛そうに顔を歪めていた。
彼の顔には怒りが滲み歪んでいる。けれどアンジェは彼から哀しみを感じていた
彼の心の傷は、人格を閉ざす程に辛い出来事だったのだ。
(そんなに……好きだったんだ……)
彼はまだ前女王を憎んでいるのだ。だから忘れない。
傷の深さは失った恋の重さだ。
今のアンジェは、クラヴィスの温かいトーガの中に包まれているのにも関わらず、身体は凍えそうに寒く感じていた。
(……前の陛下が……羨ましい……)
クラヴィスから逃げたくなるほど、彼から愛情を注がれていたことが。
「泣くな。お前が気にする事はない。もう終ったことだ……あれとはもう、二度と会う事はないと言っただろう?……」
二度と会う事がないから、想い出はますます色濃く鮮やかになって心に刻み付けられるのだ。そんな、クラヴィスの理想像となった者を、気にかけるな!! なんて、言われても!!、
(身代わりでもいいから……側にいたい……)
名前が一緒だから、気遣って貰えたというのなら……その幸運に感謝もする。
この人が好き。誰よりも好き。
愛されていながら、クラヴィスから逃げてしまった女王が憎かった。
そんな彼女の身代わりだと知った今も、自分から離れるなんて絶対できやしない。
クラヴィスに他に本当に好きな人ができるまででもいい。
「側にいたいの……私クラヴィスの側にいたいの……好きなの……クラヴィスが好きなの…………!!」
アンジェは、目に溜まった涙が頬をつたう気配に、自分が何時の間にか夢を見ていたことを悟った。
辛い思い出だった。
思い出す度に枕を濡らし、その度に前女王を憎んだ。
(でも……今なら私言えます。陛下……『誤解してごめんなさい〜』……と!!)
涙が滑った頬がひんやりと冷たい。
アンジェは完全に目が覚めた時、自分がクラヴィスのトーガにすっぽりと包まれ、岩棚の影の窪みで眠っていたことに気付いた。
「……寒い……!!」
身を起こしかけたアンジェは、また直ぐ無言のクラヴィスの腕の中に逆戻りした。
彼はアンジェを抱きしめたまま目を瞑っていた。何か考え事をしているのか、眉間に皺もよせている。
「クラヴィス……ここは?」
「お前が登ってきた山の終着地だ」
「え……嘘!! でも、光が……!!」
先程とはうって変った目映い世界だった。空には雲の合間から薄い陽射しがカーテンのように差し、こげ茶色の乾いた大地を照らしている。周囲を見まわせば白い花畑に湖もある。ゆらゆら揺れる木といい、さっきの暗闇と全く別世界に思える。
「嘘ではない……ここには何一つ、生命は育まれておらぬだろう?」
言われてよく見れば、花畑だと思ったのは白骨の群れだった。そして木だと思ったのは崖から落ちそうになったアンジェを支えてくれた手達の群れだった。彼らは陽光の元では不気味さはなく、各々骨のパーツを持ち、せっせと骨を組みたてて、博物館で見るような恐竜を完成させている。
肉の全く無い竜の身体は無駄なものが何一つ感じられず、とても美しく神聖なもののように思える。
そして完成した竜達は……動くのだ。
それは異様な光景だ。ある竜は飛び、ある竜は湖に泳ぎ、ある竜は地を走る。そして何時の間にかこの台地から姿を消している。
「クラヴィス……私、何が何だか判らないんだけれど……貴方、この世界で何やってるの?」
「とは?」
「完全な状態で生き物一体の骨を復元するなんてまず無理だってルヴァが言ってた。見つかるのは骨の一部だけが当たり前。なのに…こんな何体も組みたてれるなんて……」
そもそも、あの骨は本物なのだろうか?
寝起きで鈍かった頭に血がいったためなのか、アンジェの耳に微かな泣きじゃくる声が届いてきた。
人の声獣の声鳥の声魚の声等々、世代種族を越えた嘆きが聞こえる。
それらは皆断末魔の悲鳴だった。命を奪われる者の叫び……耳を塞ぎたくなるような悲痛な声。
「この声なんなの?」
時間がたつにつれ、耳に否応が無く飛び込んでくる声がますます多くなる。
震えるアンジェに対し、クラヴィスは彼女を抱きしめながら平然と囁いた。
「急くな。お前達の順番はまだだ」
彼の身体から、紫色のオーラが立ち込める。それは一瞬焔のように噴き上がり、直ぐに空間に浸透した。
闇の、安らぎのサクリアだった。
その後、泣き叫ぶ不気味な声は綺麗に消えた。
静かになった世界を目の当たりにし、アンジェはそろりとクラヴィスを見上げた。
「クラヴィス……今、誰に話しかけたの?」
「知らぬ。数が多すぎる」
「じゃなくて!! この手や骨はどうしたの ?」
「拾ってきた」
「何処から!!」
「……ランブリング星だが……」
アンジェはくらっと、目眩がした。
「旧宇宙に捨ててきた星じゃないの!!」
01.09.05
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