メスシピ朝の発展2<10世紀>(2012年12月23日)



四世紀にフェニキア人をカリブへと追い払ったミシシッピの民は、
割拠や異民族による征服王朝の成立などを経験しながらも、
その後長く北米大陸東部一帯の文化的、経済的な主導権を握り続け、この地域は繁栄していた。
また、カリブ海航路の成立と前後して
メソアメリカからもたらされた生産性の高いサツマイモ等の新作物の導入などもあいまって、
九世紀頃には北米東部の人口は一億を超え、量的には世界でも屈指の文明へと成長して行ったのである。
この大陸は、中国大陸と地政学的な幾つかの類似点が見られた。
第一にこの大陸が世界最大級の穀倉地帯を抱えており、
またこれといった自然障壁の存在しない巨大な陸塊であった事だ。
目立った半島部はフロリダのみであり(ここはカリブ文明圏に組み込まれているが)
山岳もさして峻険とはいい難いアパラチア山脈のみで、巨大な統一国家が成立する条件に恵まれていた。
無論、この広大な地域で生活する人々が単一民族であるなどありえない事で、
事実南部と北部、アパラチア山脈の西と東では言葉の通じない異民族が生活していて、
時折この民族の差異に添って国境線が走り複数国家の鼎立状況が生じたが、
これはあくまでも例外的な事象とされ(この大陸の史家や政治学者達に異常な状態と認知され)、
この地域は統一されている事が常態であった。
これには、ミシシッピ沿いの交易圏が果たした役割も極めて大きかった。
この地域の交易活動の活発さが(交易路を保護・維持してくれる)統一政権への人々の期待を生み、
割拠の時代でもミシシッピ流域は比較的速やかに統一が回復。
なおかつこの地域は農業面=人口でも他の地域を圧倒する要素を有していた為、
北米大陸東部には、ミシシッピ流域を核にした統一国家が度々成立したのである。
フェニキア人が北米東岸からカリブへ移動を余儀無くされた四世紀の事件は、
こうした状況が始めて起った結果、発生した出来事だったと言える。

更にこうした事は、文明の維持それ自体に海洋交易を必要としながら
船材に適した森林資源を持たないカリブ、メソアメリカ諸国が台頭し、
一方でミシシッピ沿いの森林喪失とこれに伴う五大湖以北の木材供給が拡大した八〜九世紀以降、一層強化されて行く事となる。
ミシシッピから五大湖までが単一の国家によって支配されている事が経済的にも望ましい、と考えられられたのだ。
このようにして成立した北米東部の統一国家は強い専制国家であり、皇帝は比類ない絶大な権力を有していた。
帝国は強力な専制君主と巨大な官僚機構によって支配され、ミシシッピ中流域に建設された帝都には、
史上空前の巨大宮殿(テーブル型のピラミッド上に、宮殿を建設したもの)や、
ミシシッピと五大湖を繋ぐ大運河、そして北米大陸を東西真っ二つに分かつ大要塞が建設される。
また、貨幣経済の普及もこの大陸特有の事情からすこぶる早く、
タバコや綿花といった商品作物の大増産に帝国は何度も禁令を出しては挫折するを繰り返し、
アンデスの銅を元にメソアメリカで鋳造された貨幣がミシシッピで見つかっても、
後世古銭としては殆ど価値が認められない程となるのである……。


 南北アメリカに戻る      前へ