フェニキア人漂着〜メスシピ王朝成立<前2〜後4世紀まで>(2012年12月23日)
紀元前二世紀ごろ、
数十〜数百頭の牛馬、製鉄技師、灌漑農耕技術等を持つフェニキア人が北米大陸東海岸に漂着した。
彼等はここに、地中海世界でそうしたように植民都市の建設を開始し、
ペスト等の新大陸にはなかった伝染病によって弱体化した原住民を
征服&吸収しながら北米東海岸において徐々に勢力を拡大して行った。
また彼等は北米植民後も交易民族としての特性を色濃く継承しており、
更には高度な造船技術や大型獣畜類を有していた為に、
史実のどんなネイテイブアメリカンの部族よりも遥かにダイナミックな交易活動を行う事に成功していった。
この為彼等の活動は、彼等の征服地となった
北米東海岸以外のネイティブアメリカン諸部族にも重大な影響を及ぼし始める。
交易の過程で伝えられた新技術の活用によって急速に勢力を拡大し、
東海岸のフェニキア人に対抗できるだけの力を獲得する部族が出現し始めたのである。
特にその傾向が顕著だったのがミシシッピ中流域、ちょうどカホキア文化が栄えたあたりだった。
交易の要衝であるこの地には史実でも最大数万人単位のネイティブアメリカンが集住していたのだが、
この世界(?)では牛馬の出現によって交易の範囲とスケールが著しく強化されていたため、
集まった人間の数が史実を数倍凌駕するようになっていた。
しかし、従来の原始的な農法では、肥大し過ぎた都市人口を支えきる事が出来ない。
時折起こる旱魃にも対処できない。
それ故この問題を解決する為、ミシシッピ中流域では他の地域とは比較できない程急速に、
灌漑農法の導入が進んだ。
この世界(?)のミシシッピ文明が史実のカホキアと違って幸運だった点は、
人口の増え過ぎや干ばつに対応する技術を、比較的容易に他所から持って来れる点にあった。
これによって彼等は都市放棄や人口減少以外の能動的な方法で、危機に対処できるようなれたのである。
こうして従来からのトウモロコシ栽培に
東海岸のフェニキア人から交易によって伝えられた灌漑農法、鉄製農具が応用され、生産力は飛躍的に増大。
この事がさらなる人口集中と富の集積=強力な王権を産み、カホキアには人口数十万の巨大都市や
エジプトのそれを底面積において数倍凌駕する巨大な土のピラミッドが造営され、
この新たな文明は未曾有の繁栄を謳歌する事となる。
また、ミシシッピ流域は世界屈指の潜在的穀倉地帯であった事、
新カホキア(?)がミシシッピ交易網の中枢であった事、
牛馬や大型船の存在(鉄による木材加工を応用した独自の船。外洋航行不可。
フェニキアは直接船でミシシッピまでは乗り付ける事に成功していない)等の理由により、
ここで考案されたすぐれた技術は猛烈な勢いでミシシッピ流域全域に普及。
この地域の経済的・人的膨張は世界のどの古代文明にも例を見ない、急速な物となって行った。
一方東海岸の発展はミシシッピ程急速ではなく、フェニキア漂着から五世紀を数える頃には、
人口や経済力の面で両者の力関係は完全に逆転。更に大きな差がついてしまっていた。
四世紀。
ミシシッピ流域全土を支配する強大な騎馬の民が現れる。
強大な権力を持つ有能な王に率いられた騎馬軍団は嵐のようにミシシッピ流域を押さえると、
ここに集積された有り余る富をもって大量の鉄を手にし、更に怒濤のごとく北米大陸東岸になだれ込む。
かくして北米初の統一王朝が成立する事となる。
一方、ユーラシアにおけるヒッタイトにも比肩されるこの部族は残虐な性質も持っており、
自分達の文化とは異質な東海岸文化を破壊する事となる。
かくして北米大陸にはミシシッピ文明のみが主導的な立場を獲得して残り、
フェニキアの文化や宗教は尽く灰塵に帰する事となった。
しかし彼等の一部はこの戦乱を逃れて南へ、
フロリダやアンティル諸島へと持ち前の航海技術を駆使して脱出。
ここに新たな国家を建設して行く事となる。
これがマヤとミシシッピの二大文明圏を繋ぐカリブ海航路の誕生を促す事となるのだが……。