第一章
出逢い1
そこは一年の半分が冬季で閉ざされる地域だった。
周辺は切り立った山々に囲まれ、その山々からの冷気が吹き溜まる荒涼とした氷原が広がっている。
その静寂の氷原を裂くような声が響き渡った。
「にぃさまぁぁ――」
叫ぶ少女の眼の前で、輝く金の髪が舞い上がる。男は崩れながら、驚愕に金の瞳を開いた。
自分の胸に深く長剣を突き立てて薄く微笑む男、今の今まで友と呼んでいた男を見る。
そして、せり上がる血に咽びながら吐き捨てた。
「――お、お前がなぜ?」
問われた男は、格別面白くもない表情で薄く微笑みながら冷ややかに答えた。
「まあ、それなりに退屈しのぎになった。私がゼノアだ」
少女も崩れる男も声にならない。『ゼノア』それは、斃すべき『魔龍王』の名。
その男の姿がゆらりと歪んだかと思うと、魔龍その人の姿をかたどっていったのだ。
肩に少しかかる黒髪が整い過ぎる冷酷な貌 を縁取り、覗く瞳は深淵の闇を思わせる。
ゼノアは、男に突きたてた長剣に更に力を加え、深く抉り抜きはらい氷で覆われた大地に突き立てた。
白き大地が魂を吸い摂るかの様に、見る間に真紅に染めあがる・・・・・・
ゼノアの瞳は、底が見えない闇色に、狂気の光を放っていた。
死を描いた血まみれの手がすっと上がり、少女の顎をすくい上げ囁いた。
「アーシア、私の宝珠。そなたはもう逃げられない。そなたの美しい月のような髪も、優しい草原のような瞳も、
春風のような声も・・・・その大いなる力も・・・・すべて私のものだ」
そしてアーシアの左手を荒らしく掴み、ぐっと引き寄せると残虐な笑みを刻む冷たい唇を彼女の手に口づけた。
闇の瞳は少女の瞳を捕らえて離さない・・・・
「――だ、誰があなたなんかに!」
少女は渾身の力で振り払いながら叫んだ。ゼノアは、更に力強く引き寄せ、狂気に満ちた瞳で、アーシアを覗き込む。
そして圧倒的な征服者の声でゆっくりと囁いた。
「私のものだ。誰にも渡さない。そなたは、さぞかし私を愉しませてくれるだろう?」
薄く微笑みながら、更に顔を近づけてきた。
闇の瞳に射抜かれて、恐怖で足はすくみあがり、かたかたと、全身が震える・・・・
(怖い…でも、負けたら駄目! この〈力〉をゼノアに使われることだけは絶対にあってはならない! 絶対に!)
一瞬だった。
少女は自分の膝元に倒れている兄が腰に下げていた短剣を抜き取り、両手で一気に自らの胸に突き立てたのだ。
不意を突かれたゼノアは制止が一瞬遅れたものの彼女の心臓に切っ先が達した時、刃をピタリと、止めた。
「止めたって無駄よ! 絶対にあなたのものにならない! なるぐらいなら何度でも刃をこの身につきたてる!」
更に〈力〉に逆らうように短剣を握った両手に力を込め、深く進めようとしたのだ。
ゼノアは苛立ちと怒りを全身にみなぎらせ、ゆらりと立ち上った。
「愚かな。死をもって私を拒むのか・・・・・死なせはしない」
魔竜王の瞳は闇色から紅く、暗く、真紅に染まった。
そして全身から〈力〉が蜃気楼のように立ち昇り、それは右の腕に集まる。
その腕の肩から指先にかけて、毒々しいまでに紅く暗く輝く『龍』の文様が浮かびあがってきた。
それをアーシアに向け、眩むような〈力〉を放出した。
それは蒼き炎の龍となり彼女に巻きつくと身体の自由を奪っていったのだ。
それからその蒼き龍は時を奪う氷結晶となり、彼女を凍りつかせていったのだった。
「クククッ・・・・死なせないよ」
氷の柱となりゆく彼女の耳元に満足そうに薄く微笑みかけ、氷よりも冷たい声音で囁く。
「お前は私のものだ。死の神にさえ渡しはしない・・・・気が変わるまで眠るがいい・・・・・・」
アーシアは次第に意識が薄れゆく。瞼が重い声が出ない―抗いたいのに――ゼノアの声が脳裏に焼きつく…
――お前は私のものだ。誰にも渡さない――
近くに横たわる彼女の兄は、遠のく意識の中、どうする事も出来ない自分を呪いながら、絶命した。
少女を閉じ込めた氷柱の周辺から氷結は広がっていった。
その氷柱を守るかのように険しい氷山の姿に変容していったのだ。再び静寂が戻った。
寂寥とした風だけが何の無かったかのように通り過ぎて行く。そしていつしか伝説が生まれた。
幾千の時を眠りし氷結の宝珠
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その輝きは天地をも動かす
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それを手にするもの天地を与えられるであろう
この世界は『龍』と呼ばれる〈力〉あるものが存在する。
〈力〉とは四大要素である『火』『水』『風』『地』を源とした多種多様な能力である。
その龍達の中にも当然、優劣があり彼らはより大きな〈力〉を渇望する。その渇望を叶える事が出来る存在がある。
龍の〈力〉を増幅させる事ができる『宝珠』と呼ばれる者たちだ。いつの世も龍は宝珠を求めて夢乞う・・・・・・
そうしたこの世に、千年もの永き時を自分の欲望のまま支配する残虐にして非道な龍が君臨し続けた。
人々は彼を『魔龍王ゼノア』と呼ぶ。
この暗黒時代の初め、金の瞳の龍が魔龍王を斃 すべく立ち上がった。
しかし、ゼノアの姦計 に斃 れ、人々の希望は虚 しく潰 えてしまったのだった――
それから数百年、圧制に苦しみながら人々は再び希望を見出している。
力ある『龍』の若者が『魔龍王』打倒に立ち上がったのだ。
その『龍』は、着実に仲間を増やし、力を蓄え、刻一刻と『魔龍王』の足元を脅かしていた。
そして彼らは、都から東に位置する『震龍州』の本拠地の砦に集まっては、慌しく立ち動いているのだった。
その本拠地である震龍州は、平野が少なくほとんどが山岳地帯だが、気候が春と秋の二季周期で
比較的に住みやすい地域だ。しかし、彼らの砦は山岳地帯でも奥地で、周りが険しい荒れた山々に隠された場所にあった。
自然に守られ、幾重 にも結界を張ったこの場所を、仲間以外知るものはいない。
砦は堅固な石造りで、高い塀から覗く五つの尖塔があり森の大木の枝がかすめている。
砦をぐるりと囲む高い塀の表面には赤く色付いた蔦が所どころ絡まっていた。
塀の内側の建物は東西南北に四ヶ所の中庭を囲むようにそれぞれ配置され、その中央には一際大きな建物があり、
それぞれを回廊で繋いだ五つの棟で構成されている。
中央の建物には、この砦の中で最も広く天井が高い大広間がある。
そこは、各棟に繋がる四方に扉があり、内側は壁で囲まれているが、天井に近い壁に灯りとりの窓が沢山あり、
上からの光が明るく広間を照らしている。
中央に位置する事から、四方の扉もいつも開いており、広間というよりも皆が行き交う広い回廊のようになっていた。
その広間の中央には、彼らの中心に位置すると思われる『龍』が、何かと指示をとばしている。
見かけは二十歳代前半ぐらいだろうか、太陽の光でも集めたかのような、ひときわ豪華に輝く長い金の髪が印象的である。
彼は指示をだしながらも秀麗な顔に忙しく落ちてくるその髪を、煩げに後に束ねようとしていた。
「ああーもう!切ってしまうか!邪魔だ!」
サラサラと、うまく纏まらない髪にうんざりして悪態つく彼の傍には、
逆に襟足できっちり切り揃えた銀の髪の龍がいた。
彼は雰囲気が落ち着いているせいか?それとも表情がないせいか?この中では一番年長に見える。
彼は隙のない銀灰の瞳を、悪態つく金髪の青年に向けて話していた。
「間違ってもそれはなりません。カサルア、あなたは皆からなんと呼ばれているかご存知ですか?〈陽の龍〉です。
その陽光のような髪は魔を払う象徴。その姿を見て人々は希望を持つのであり、そもそも・・・・・・」
カサルアは分ったからと、彼の言葉を遮った。
いつもの小言に降参とばかりに一度、印象的な金の瞳を軽く閉じて肩をすくませると
今度は丁寧にゆるく後ろに束ね始めた。
この二人のやり取りを聞いていた龍達がいた。見かけはカサルアと同じ位だろうか?
黙っていれば整った精悍な顔立ちだが喋ればくるくると表情が変わるので、人を和ませる雰囲気を持っている。
彼は愉快そうな表情を浮かべながら、隣で壁にもたれかかっている長身の龍を突いて耳打ちしていた。
「イザヤの奴、またやってるぜ!髪なんて長かろうが短かろうが〈力〉には関係ないのにさ、なぁ〜ラシード」
つつかれた龍は黒髪の一際目を引く真紅の瞳で、秀麗だがどこか冷淡な顔立ちをしている。
面白がる友に冷やかな声で返した。
「カサルアの髪の長さで彼の価値がなんら変わるものでもない。イザヤはカサルアに何かと構い過ぎる。
それに自分の考えを押し付け過ぎだ」
腕組みしながら、そうそう、と大仰に頷いて、ひそひそと更に耳打ちした。
「イザヤは全てがカサルア絶対思考だからねぇ〜俺だったらそんなことされたらウザすぎて殴っちまう。
まぁ〜カサルアは適当に流しているみたいだけどさ」
ラシードは眉をひそめて、一層冷たく声を落とした。
「彼の為になるのなら問題はないが、奴はいつも何を考えているのか分からない」
「おや、嫉妬?自分も構ってもらいたいとか?」
普段から気が向いた時にしか喋ってくれない淡白な友が、いつになく喋ってくれるのが嬉しく
益々調子にのって喋っていた。
「それよりもラカン、私は、お前の髪や格好のほうが問題だと思うが?」
横で聞き流していたラシードは、怜悧な真紅の瞳をチラリと、友に流した。
彼は空色がかった銀色の大きなウエーブを描いた髪を長々と伸ばし放題で
鬱陶しいまでに背中で波打たせている。
龍の服装は一般的に上衣は首元に襟が立ちあがった長目の丈で袖に特徴があり、
〈龍力〉をみなぎらせる右腕を誇示する為に右袖は無く、左袖は長袖だが手元にいくにしたがって
少しゆったりと広がっている。
それから細幅の長い衣を、左肩から右腕にかかるように、くるりと回して止め流すのが基本的なものだ。
しかし、この男は襟をほとんど止める事なくダラリと胸をはだけさせ、そのうえ左袖は肩までまくっている始末だ。
確かにだらしない・・・・・・
ラカンはギロリと睨みながら言い返した。
「ラシードはいいさ!髪は真っ直ぐだからそんなに短くしても大丈夫だろうけど俺は駄目だね!
クセがありすぎるから短くしようものなら、始末に終えない!結んだら頭痛くなるし!ダメダメダメ!
それに、この服は、着・こ・な・し!あ〜ヤダヤダ!イザヤじゃあるまいし俺に構うなって!」
ラシードは、ラカンの言葉に少々呆れながらも、彼には珍しく表情を和らげて言った。
「・・・・まあ、ラカンだからそれもいいだろう」
「聞き捨てならないなぁその言い方!俺がどうだって」
「お前らしいと褒めたのだが」
「お前から聞くと褒められた気がしねえ〜自分が俺様よりチョットばかり顔が良くてもてるからってさ!
お前は恋人を、とっ替えひっかえで不誠実だぞ!ほんと次から次へと・・・俺の格好よりお前の生活態度の方が問題だ!」
ラシードは先程の和らいだ表情を閉ざした。
そして、いつものどこか空虚な冷たい表情を浮かばせると切り捨てる様に言った。
「話しを転換させるな!」
そして彼は一度言葉を区切り、更に冷たい声音で言葉をつないだ。
「恋人など持った覚えはない。勝手に女達がまとわりつくだけだ。払うのも面倒だから好きにさせている。
愛しているだの、好きだのと言ってくるわりには、自分から直ぐ離れていく所詮そんなものだ!」
返ってきた言葉を聞き、ラカンは複雑なラシードの生い立ちを思い出した。
ラカンとラシードは親しくなる前からお互い顔だけは知っていた。近くに住んでいたからだ。
その頃、傍から見れば父親は都の重臣の「龍」、母親は父親の「宝珠」絵に描いたような
恵まれた家族のように見えていた。
親しく付き合うようになってから、一度だけ本人から聞いた事がある。
その後は、決して触れようとしないが・・・・・・ラシードは母親の不義の子だと言う。
世間では誰もがうらやむ仲の良い完璧な夫婦だったようだが、家の中では諍いが絶えず、
母親から自分は一度、殺されそうになったこともある、と自傷気味に軽く笑って言っていた―――
両親の不和、しかも「龍」と「宝珠」の関係ではありえない話だった。
「宝珠」は「龍」と契約する。契約したら「龍」の力を増幅もするが、未契約の時と違い「宝珠」の力は最大限になる。
その心身を全て「龍」にゆだねる。しかも「宝珠」は一生に一度しか契約をしない。「宝珠」の無二の誓い。
「龍」と「宝珠」・・・・・・関係は様々だ。男女の関係、親族、友人 「宝珠」は「龍」を認め受け入れる。
「宝珠」からすれば「龍」は絶対の存在で裏切る事などありえない。
しかし、ラシードの母親のように無二を誓う宝珠の妻が、夫の龍を裏切ったのだからラシードにしてみれば、
愛だの恋だの、信じられないのも無理はないと思うのだが―――
ラシードに寄って来る女達は、そんな彼の心が自然と分かるのだろう。
と、言うか非常にそっけなく冷たい態度なのだから、女達には耐えられなくて去っていくのが実情だと思う。
ラカンは少し困った表情を浮かべ、自分より幾分か高いラシードの肩をポンと軽く叩いた。
「それはお前が悪い。本気にさせきれない方も悪いと言えなくもないけど、お前、ほんと冷めてんな。
そんなんじゃ相手が可哀そうだ。本気になれないならもう付き合うな!」
反論しかけた時、広間の中央にいたカサルアが、自分達に振り向いて声をかけてきた。
「ラカン、ラシード。レンが戻ってきた。話があるから中央の塔の間に来てくれ!」
ラカンとラシードは扉から入ってくる龍を見止めた。長身で、見かけは彼らと変らないぐらいだろうか?
同じ黒髪でも彼は長くキッチリと後ろで結んでいる。端整な顔立ちで顔だけみれば女性と見紛う美しさで
翡翠色の瞳が穏やかで優しげな雰囲気を漂わせている。
二人は帰還早々のレンに、声をかけながら広間を後にするのだった。