第三章心の扉

 胞子事件の患者の往診でまだ度々レンは出かけているようだったが、

アーシアは必要ないようでここ何日かゆっくりしていた。
 そんな昼過ぎ、アーシアは天気も良く風も心地良くぼんやりと空でも眺めたい気持ちに誘われて西の中庭に出た。

殺伐とした砦だが普通の人達も多く働いていて、皆が過ごし易いようにと心を配ってくれているようだった。

東西南北の敷地に四つある中庭も、そのような人達の手が入っていて綺麗だ。ここは水の庭園らしい。

中央に大きな噴水があり勢いよく水を噴き上げて曲線を描いていた。     
 アーシアは噴水の(ふち)に腰かけ、水面を(のぞ)きこんだ。水中には綺麗な色の魚が気持ちよさそうに泳いいでいる。

ふふふと笑う。今度は水面に映る自分の姿を見て顔をしかめた。
(やっぱり派手だわ)
 兄に、普通の(ころも)が欲しい と訴えるのに、それが普通だよ。と、言って取り合ってくれなかった。
 ピチャンと水面の自分を叩くと、後に回した両腕に半身の体重を預けて首をそらし空を見上げた。

近くで小鳥のさえずりが聞こえ、水音も心地良くアーシアの耳をくすぐった。

遠く澄み渡った空に泡のような雲が流れて行くのを眺めながら心地よい風に髪を預け、さらさらと揺らしていた。
 その様子を通りかかったラシードが()()めた。
ひとりで百面相をしていたかと思うと不安定な格好で空を見上げている。

噴水の水しぶきが、きらきらと輝き幾つもの小さな虹を描いていた。彼女の周りで光が踊っているようだ。

その中でも
一際(ひときわ)、目を引くのはもちろんアーシアだった。ラシードは不覚にも一瞬魅入(みい)ってしまった。
相変わらず変な奴と思っていたが、あまりにも彼女が同じ姿勢で動かないので不信に思って近づき声をかけてみた。
「何をしている?宝珠」
「きゃ!」
 アーシアは突然目の前に現れたラシードに驚いて腕の力が抜け、水面に落ちそうになった。

 咄嗟(とっさ)にラシードは助けようと手を出したが、彼女に巻き込まれて二人まとめて噴水の内側に倒れこんでしまった。

内側の水は浅いものの、ラシードはアーシア
(かば)うように受身(うけみ)で倒れ込んだので頭から水をかぶっている。

アーシアはラシードの胸元に倒れ込んだが、彼の身体は水の中―――当然、一緒にびしょ濡れになってしまった。
(な、なんでこうなるの!)                      
 瞬間、倒れ込んで抱き合ったような状態のまま二人とも声も無く、見つめ合った。
 先に()()らしたのはラシードの方だった。ふいっと瞳を伏せ、相変わらずの冷淡な口調で言った。
「早くどいてくれないか宝珠」
 アーシアは、カチンときた。
「そもそも、あなたが急に来て驚かすからでしょう!」
「騒ぐのは、後にしてくれ宝珠」
(宝珠、宝珠と、いつもまともに私の名前呼んだことないんだから!)     
「私の名前は、宝珠じゃありません!アーシアです!」
 アーシアは起き上がろうとして、ぬめりに脚をとられて、再びラシードの上に倒れ込んでしまった。
「うわ、ごめんなさい!」   
(あ、つい(あやま)ってしまった。このひとには二度と(あやま)らないし、お礼も言わないと(ちか)っていたのに!)
 声に出さなかったものの心の中で思った事が、表情にしっかり出ていた。水に濡れた髪が顔に張り付くのも構わず、

(ほお)紅潮(こうちょう)し、憤然(ふんぜん)として瞳が輝き見返(みかえ)していた。
 それを見て取ったラシードは、乱れた前髪をかきあげて珍しく軽い口調で言った。
「今日は、優雅に礼をしてくれないの?宝珠?」
 彼は前回、アーシアが嫌味にしたお礼の件を言っているようだった。
「な、なんですって!誰が二度とするもんですか!あなたは、私のお礼なんか、いらないんでしょう!」
 ラシードは、しらっと返してきた。  
「そんな事は無い。先日は大変素晴らしいお礼を頂戴して感激した」
「嘘ばっかり!意地悪!」
 アーシアは憤懣(ふんまん)の言葉を投げつけ、怒った勢いで再度起き上がろうともがいたが、又、倒れ込んでしまった。
「もう!馬鹿!馬鹿!」
 自分に悪態つく。
 その様子を見たラシードは思わず、くすりと笑ったのだ。
 アーシアは驚いた。彼の楽しそうに笑った顔なんか見たことなかった。    

いつも無愛想で冷めていて、笑うといっても嫌味な
()みしか見たこと無かったのだ。
 アーシアが呆然(ぼうぜん)としている間に、ラシードはアーシアごと起き上がり彼女をひょいと抱きかかえて噴水から脱出した。
 ラシードはまだ目元が笑んでいた。そしていつになく饒舌に喋りだした。
「さあ、お礼はしてもらえそうにないが、ずぶ濡れの宝珠をこのままにしては心が痛むので、お部屋までお運びしよう」
「ええっ!」                         
 アーシアは()を見開いてぎょっとした。
「けっこうです!降ろして!」
 もがいてみるが、びくともしない。
「暴れないでくれないか。その豪華な衣が水を吸って重たいのだから。それとも最近は良く食べて重くなったのかな?」
「ほっといて頂戴!自分で歩きます!」
 抱きかかえられたままアーシアは抵抗したが、ラシードは愉快そうに受け答えしつつ降ろそうとしない。

二人は回廊に所どころ水溜りを作りながら通って行った。

 彼らを見かけた者達は、ラシードらしからぬ様子に驚いて立ち止まるものさえいた。それに後日、誰かに話しても

きっと信じてくれないだろうと思った。笑うのはもちろん、表情を崩すこともほとんど無い

氷のようなラシードが笑いながら、しかも宝珠嫌いの彼が宝珠を抱いて歩いていたのだから――――
 部屋に到着したアーシアはやっと降ろしてもらった。                           
 それでは、と立ち去るラシードにアーシアは慌てて声をかけた。
「待って!」
 アーシアは急いで部屋の中から乾いた大きめの柔らかな布を持ち出し、背伸びをしてラシードの頭にかけた。

それはふわりと花の香りがした。

 アーシアは
(くや)しそうに、ちょっと()()らしたが、いつものようにラシードの瞳を見返しながら

言い
(にく)そうに、ひとこと言った。
「お礼です」
 ラシードは、くすりと笑い、それはどうも、と言って出て行った。

 彼は自室に帰りながら、頭にかけてもらった布を肩に掛け直し顔をふいた。やわらかな花の香りが
鼻腔(びこう)をくすぐった。

ふと気分が軽くなる
感じがした。久しぶりに笑った自分に驚いたが、彼女のむきになった様子が面白(おもしろ)かったのだ。

ラカンが天敵
を見るようだと言ったが(まさ)にそんな感じ。

いつも会えば、
可愛(かわい)らしい顔に
あなた嫌い! ≠ニ書いてある様だ。

(好かれなくて結構だが、
(おく)する事無く対等に話す彼女には、少なくとも好感は覚える・・・・好感?)

 ラシードは、ふと浮かんだ感情に馬鹿らしいと、自ら否定したのだった。








       

TOP   もくじ   BACK   NEXT    あとがき