第三章心の扉

 



 翌日、アーシアは部屋の中で昨日のラシードの肩衣を、広げたり、たたんだりして自己嫌悪に陥っていた。

(はぁ、どうして持って逃げてきたんだろう・・・・・貰う訳にはいかないし、返しに行くのも気まずいし・・・

ほんと、私ってなんて短気なのかしら)
 普通ならもっと上手にかわす事も出来る筈なのに、何故かラシードに対しては上手(うま)くいかないのだ。

ラカンからもきっとからかわれる事だろう・・・・気は重くなるばかりだった。

 しかし、覚悟を決めて返しに行くことにした。溜息をついて肩衣をたたんで適当な布に包むと部屋を出た。
 丁度その時、何日か不在だったレンと出会った。

回廊からさす朝の柔らかな光が、彼の極めて秀麗な貌を更に引き立たせていた。

優しげな翡翠色の瞳が、アーシアの姿をとらえると輝きを増したようだった。
「おはようございます、アーシア。今、あなたを訪ねるところでした。どちらかお出かけですか?」
「レン、お帰りなさい。お疲れさまでした。ちょっとラシードに用事があって向っているところなの」
レンは少し首を(かし)げて言った。
「それは少し遅かったですね。ラシードはラカンと一緒に出かけで行きましたよ」
「ええっ!いつ帰って来ると言っていました?」
「さあ、私も今朝帰って来ましたから丁度、入れ替わる感じでしたので詳しくは聞いていませんが、急ぎですか?」
 アーシアは慌てた感じで否定した。
「いいえ!特に急ぎじゃないので、大丈夫です!」
「そうですか。それでは私の用向きをさせてもらって宜しいでしょうか?」       
「はい。なんでしょうか?」
「今日は少し治療をさせて頂きます。お部屋に戻って頂いて宜しいですか?」
「帰って早々忙しいのに、いつもごめんなさい」
「いいえ、私に出来ることはそれくらいですから。さあ参りましょう」
 レンに促されてふたりはアーシアの部屋に向った。
レンは治癒ぐらいしか役に立たないと言っているが、アーシアはカサルアから()いて知っている。

〈地の龍〉は特に治癒と防御に優れ他の龍達より攻撃力に劣るが、レンはもちろん〈地の龍〉の中でも最高の治癒者だ。

それに、いざ戦いとなるとその穏やかな容貌は消え、鬼神の
(ごと)き攻撃の〈力〉を繰り出すという―――

治癒と破壊の相反する二つの顔を持っているのだ。

 以前カサルアが言っていた。
レンは、自分が嫌いらしい。自分の手は傷ついた人達を治すためにあるのに、同じその手で人を傷つけることが出来る

〈力〉が有ることを嫌悪している。でも、傷つけずに守る為には〈力〉が必要なのも解っている。

だからレンはいつも相反する心に揺れているようだ。優しい心の奥には激しい心が眠っている。

彼の為にも、それを起こさないようにしてあげたいと思う・・・・』と。
  
 アーシアはレンに指示されるがまま、寝台に仰向(あおむ)けで横たわりながらレンの顔を、(ひそ)かに(うかが)っていた。
(鬼神のようなレン?想像がつかないな――戦いが嫌いなレン・・・にいさまの言うとおりよ

こんな優しい人が戦わなくていいように、一日でも早く平和な世界を取り戻さなくては・・・)
 アーシアの思いをよそにレンは右手を、彼女の身体の上にかざして目を閉じている。

その片袖の無い右腕には、彼の瞳と同じ色の翡翠の龍紋が輝いていた。それも二の腕から甲にかけてだ。

〈力〉の大きさでこの龍紋の刻まれ方は違うが、一般的なのは手首から甲どまりだ。

龍紋が現すかのように胞子事件の時もそうだったがレンの〈力〉はかなりのものだ。
 レンは〈力〉の発動を()めて目を開けると気遣(きづか)わしげに訊ねた。
「アーシア、最近の体調は如何ですか?何か変わったこととかありませんか?胸が苦しいとか、頭痛がするとか?」
 アーシアはにっこり微笑んで答えた。
「いつもありがとう。大丈夫よ。調合してもらっているお薬が良いせいだと思うわ」
 レンは念を押すように繰り返す。
「何も変わった事は無いのですね?アーシアあなたの身体表面に傷も無く、

治っているかのように見えますが瀕死の状態だったのですから、決して安易に考えてはいけませんよ。

絶対に薬は忘れることの
無いように飲んでくださいね。絶対ですよ」
 アーシアはレンを安心させるように反芻(はんすう)して言った。
「体調に何か変化があったら直ぐ言うわ。お薬も絶対忘れずに飲みます」
 レンはアーシアから確認をとって別れても、まだ憂慮(ゆうりょ)の面持ちだった。   

 それから彼は、カサルアに報告する為、足早に彼のもとへ向った。
 とある一室で、カサルアはレンの報告を無言で聴いていた。  

 レンが話し終わった時、彼は抑揚なく、いや、落胆で声を落としながら訊ねた。
「今のところ有効な手段は無いというのだな」
 答えるレンも沈痛な声音で話す。
「はい。現状、薬で抑える事は出来ていますが、切れるとどうなるか解りません。命の保障は致しかねます――」
 カサルアは大きく息を吐き、そうか、と一言いうと次第に憤りを声に(にじ)ませた。
「しかし、いったいどうしたらそんな状態に出来るんだ!」
 先程もそうだったがレンは常に、アーシアの体調を管理していた。  

 要らぬ心配をかけたくないという配慮から、本人には、まだ完全ではないから用心するように、としか言っていないが、

実はそれとは逆で全く治ってないのだ。

確かに今は身体の表面上の傷は全く無いが、内側はそうではなかった。

今も、死に至ってもおかしくない大きな傷があるのだ。

レンの治癒力を受けつけようとしない、ありえない状態に二人は頭をかかえていたのだ。
 レンは思い当たる事を、自分でも半信半疑で話し始めた。
「考えられるのは、ゼノアの封印の時を止めるものが解除されたと同時に、

何らかの作用で他の力を受け付けないものになったのでは?と思うのですが・・・

ですから薬と言って渡しているものは、時の封印を活性化させる〈力〉を物質化させたもので、  

今のところそれは有効に働いて、傷だけは時が止まっていますから」
 カサルアはレンの言葉に注意深く耳を傾けていた。
「それでも、危険な状態に変わりはないという訳だ。そのような不確かな〈力〉の作用、

何時(いつ)どうなるのかも知れたものでないな」
 レンは頷く。
 カサルアの金の瞳が、確固たる決意に強く光り、レンを見据えた。
「完全なる封印の解除。それは術を(ほどこ)した者の死しかなかったな?    

―――分かった、レン、引き続き彼女を頼む。何かあったら直ぐ知らせてくれ」
 
 レンも同じくカサルアを見つめ、その優しげな整った(おもて)を厳しくすると、退室して行った。
 残ったカサルアはひとり呟いた。
「ゼノア!いったいどこまでアーシアを苦しめれば気が済むんだ!」        








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