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紅とアーシア4![]()
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兌龍州―――そこは年中春季の穏やかな気候の土地だ。
だが広い土地が無く湖が点在する水の州とも言える。湖と言えば隣の湖の都・・・全州を代表する歓楽街を有する坤龍州が有名だがその州の様な水上都市を造れる程の大きな湖は無かった。住みよくても目立った産業も無ければこれと言った特徴も無い平凡な州だ。
アーシア達は州境まで次元回廊で進んだが龍力を使うこの手段は身元を隠す為に、兌龍州へは正規の道順で入った。
「特別に変わった様子は無いみたい。ねぇ、ラシード?」
アーシアは素直な感想を述べたがラシードもラカンも無言だった。二人にはこれといったものが無くても何かを感じていた。
「・・・アーシア、迂闊に言葉を発しない方がいい・・・」
ラシードはアーシアを見る事無く前を向いたまま言った。
じっと観察されているような感覚―――ラシードもラカンも州境での付きまとうその不快な感覚に神経を尖らせていた。
三人は当然ながら身分を隠しての潜入だ。龍力も珠力もカサルア特製の抑制器具で完全に封じ込ませていた。だから誰が見ても彼らは只の人にしか見えない。
そして彼らが向かった先は別荘地帯・・・いわゆる金持ち専用の保養地だ。
アーシアは到着した別荘でその豪華な建物の全容を見渡した。
「ねぇ、ラカン、此処はあなたの別荘?」
「いや、違うよ。別荘は別にあるよ。俺の使うとバレバレだろう?此処は今回、急いで買い取ったんだよ」
「ふ〜ん。でもそれって譲渡内容を調べれば名前が分かるんじゃないの?」
「大丈夫、大丈夫!身元ごと買収したからね」
「どういうこと?」
ラカンの金銭の価値観は尋常では無いとアーシアも十分分かっていても思わず訊ねてしまう。
「本当にいる人物に成りすますのさ。俺はファーで、ラシードは弟のジン。そしてアーシアは俺らの妹でリルダ。今回、期限付きで彼らの名前ごと買い取ったんだ」
「実在の人って・・・どういう事?」
それにはラカンでは無くラシードが答えた。
「例えば色々調べられても書類上は何も出て来ない。年恰好は選んでいるから後は髪の色を似せれば彼らの知人にでも会わない限り大丈夫だ」
「そうそう、ラシードの偽者がこんなに横行出来るんだから一般人なんて簡単なものさ。なぁ〜ラシード」
アーシアは、ふ〜ん、と言って染めた自分の髪を摘まんだ。
彼女の月の光色の髪は黒っぽく、ラカンも同じだった。ラシードの黒髪はそのままで特徴のある紅の瞳を誤魔化す為に変色をしてくれる眼鏡をかけていた。
「ラシードは眼鏡かけていると何だか別人みたいね」
「はははっ、言える!言える!イザヤん所にいるみたいなガチガチの真面目役人みたいだ!はははっ」
ラカンが大笑いすると、ラシードが眼鏡のガラス越しに冷たい視線を送って来た。
「笑い過ぎだ、ラカン。全くお前ときたら緊張感が足りなさ過ぎる。さっさと中へ入って行動計画を練るぞ」
「うわっ、性格まで超真面目になった?」
「ラカン!」
「もう!喧嘩は止めてよ!さあ、入りましょう」
アーシアが呆れ顔で二人を諌めると、さっさと中に入って行った。
邸内は豪華な外観から想像出来ないくらい・・・
「な、何これ?」
「うわぁ〜聞いていたより酷いなぁ〜」
ラカンが一歩入った部屋を見渡して言った。
屋敷は外観と玄関口となる広間だけが豪華なだけで数ある扉は騙し絵で部屋自体無く、使える部屋は数えるくらいしか無かった。外から見える部屋は全てが見せかけのようで、使える部屋は外が見えない内側にあり、床も壁も天井も薄い板張りのままだった。
「ちょっと、ラカン!どういう事?」
「えっと・・・つまり身元を借りた一家は見栄っ張りの貧乏人でね。おかげで交友関係は深くないから都合は良いし、何よりお金を積めばあっさり商談成立だったわけ」
それにしても・・・とアーシアは恐々歩を進めると、ギッ、ギッ、と軋む嫌な音がした。そしていきなり床がしなって沈んだ。
「きゃっ!」
アーシアはその嫌な感覚に飛び上がると後ろに居たラシードの首にしがみ付いてしまった。
「嫌!何!どうしたの!グニャって!」
つま先立ちでラシードにぶら下がった状態のアーシアは騒いだ。
「アーシア、落ち着いて。床が腐っているだけだ」
「腐ってる!嫌だ!鼠とかもいるんじゃないの!」
「はははっ、鼠なんかいないよ。奴らさえ住まない屋敷らしいからね」
ラカンはお気楽に答えると、埃かぶった硬そうな椅子をパンパン叩いてそれに座った。
アーシアはそれをしかめっ面で見ると可愛らしい口を尖らせた。
「ラカン、良くそんなのに座れるわね」
「はあ〜?やっぱり、アーシアは何だかんだ言っても育ちが良いよなぁ〜」
「何よ!自分だって大金持ちのボンボンじゃない!」
「まぁ〜俺もラシードもそんなもんだけど・・・昔は命がけで大変な目に色々あったからなぁ〜休む為ならゴミの上だって泥水に浸かってでも座れるよ」
「あっ・・・ごめんなさい・・・」
アーシアは小さな声で謝った。
大変な目―――それは魔龍王戦の時代だ。
彼女がそれに参戦したのは本当に終盤の大詰めの時だった。魔龍王ゼノアを斃せるだけの大きな力となるまではラカンもラシードも言葉に出来ないくらい散々苦労した筈だ。
「謝らなくて良いよ、アーシア。普通の反応を見ると安心する・・・なぁ〜ラシード?」
ラシードはそうだ、と言うように、ふっと微笑んだ。そしてアーシアをふわりと抱き上げた。
「アーシアは私の膝の上に座ったら良いから問題は無いだろう?いつもそうしているんだし」
「ちょっ、ちょっと!ラシード!ラカンの前よ!」
「それが何か問題でもあるのか?」
「も、問題って・・・(気のせい?)」
アーシアは背中を支えてくれるラシードの腕が回って来て、自分の胸先で彼の長い指がかすかに動くのが気になって仕方が無かった。アーシアは頬を赤らめ悪戯するラシードの指を叩いた。
ラカンが何?と視線を向けたがラシードが平気な顔をして口を開いた。
「ラカン、他の部屋を見て来てくれないか?此処は本当に酷いしな」
「俺が?お前は?」
「私とアーシアはこの部屋で使えそうなものを探す。奥に納戸らしきものがあるしな」
分かった、とラカンが出て行ってしまった。
それを見送ったアーシアは頬をふくらませてラシードを睨んだ。
「ラシード!何を考えているの!ラカンの前であんな事しないで!」
「居なかったら良いんだろう?だから追い出した」
「えっ?ちょっと!」
ラシードの顔が近づくと唇が重ねられた。
「アーシア・・・どうして欲しい?」
口づけを解き、意地悪くどうして欲しいか訊く恋人をアーシアは涙目で睨んだ。
その時、カタンと言う音がしてアーシアはビクリと身体を緊張させた。ラカンが戻って来たのだと思ったが違った。ラカンが他の部屋の扉を閉めた振動がこの部屋に響いて来ただけのようだった。
「アーシア・・・君のそのビクビクした感じがとてもそそられる・・・」
「冗談じゃないわよ!ラシード!もう止めて!」
「本当に止めて良いのか?本当に?」
「もちろんよ!こんな事する為に来たんじゃ無いもの!」
「嘘つきには罰を与えよう・・・」
「なっ!ううっ・・・んんっ、ぅぅ・・・」
ラシードに再び唇を塞がれ深く口づけをされた後、ようやく解放されたアーシアは、ぐったりとラシードにもたれた。
バタンと今度は近くで音がしたがそこに顔を向ける気力がアーシアには無かった。
「ん?アーシア、どうしたんだ?」
音の主はラカンの声だった。彼が戻って来たのだ。
「具合が悪いようだ」
ラシードはアーシアの口づけの余韻に浸っている顔を隠すように抱いたまま答えた。
「大丈夫か?」
「少し休ませれば大丈夫だろう。寝れそうな場所はあったか?」
「ああ、まだマシな部屋は向こうにあったから早く休ませたら良いよ」
心配するラカンに案内させた部屋に取り敢えずアーシアを寝かした。そして男二人はもう一つ別の部屋へ落ち着いた。
「アーシア、大丈夫かな・・・薬を買って来て飲まさせた方が良くないか?」
「お前、本当に気が付いてなかったのか?」
「へ?何が?」
ラシードは小さく嗤うとラカンを気の毒そうに見た。
「何だよ!その嫌な態度!」
「アデルとは軽いものしかしないんだな・・・と思っただけだ」
ラカンはようやく状況を察して口をパクパクさせた。
「な、な、な―――だいたいこんな所でするかっ!俺達は遊びに来た訳じゃないんだからなっ!何を考えているんだっ!」
「もちろん、考えた上の行動だ」
「はぁ?アーシアとイチャイチャするのがそうだと言うのかよ!」
ラシードは頷いた。
「アーシアが居ては相談出来ない」
「何だって?じゃあ・・・」
ラシードはわざとアーシアを遠ざけたようだった。
「アーシアをこの一件に関わらせたく無い」
「そりゃ・・・気持ちは分かるが・・・どうしたんだ?今までも危険なことはあっただろう?今回が特別と言う訳でも無いし・・・」
ラシードはラカンを、ギラリと睨んだ。
「だったらアデルが此処に居てもお前はそう言うのかっ!」
「何をそんなに神経質になっているんだ?もしかして・・・ゼノアのような所業というのに引っかかっているのか?」
ラシードは黙したままで答えなかった。それが肯定だとラカンは感じた。
「偽者は真紅の瞳・・・瞳の色は龍力に比例する。真紅となるとそういないよな・・・でも、ゼノアは力を使う時だけで普段は黒かっただろう?奴じゃないさ」
「―――ゼノアとは思っていない。だが奴に連なる者かもしれない・・・」
「連なる?」
ラカンはそう呟いて考え込んだが、はっと顔を上げた。
「まさか・・・お前みたいに・・・」
「そうだ。奴が戯れに撒いた種・・・」
ラカンはそんなこと有り得ないと強く否定は出来なかった。
ゼノアの血を引く者―――ラシードの本当の父親は魔龍王ゼノアだ。しかもそれを知らずに育ったのだ。もし何もなければ一生知らなかったかもしれない。だからラシードと言う例があって他の例が絶対無いと言えないだろう。
「し、しかし、もしそうだったとしてもそんなに問題ないだろう?」
「・・・奴の血は狂っている・・・それは私の中に流れるその忌々しい血がそれを語っているのだから良く分かる」
「ちょ、ちょっと待てよ。宝珠殺しの血とかなら別に――」
ラシードは、違う!と激しく否定してラカンの言葉を遮った。
「何かを欲するような渇いた心!それを癒す存在はアーシアだけだった!だから奴は彼女を何よりも欲した!私もそうだ!彼女に出会わなければ奴と同じく狂っていただろう!第二の魔王となっていたかもしれない!渇いた心にささやかな悦楽を求める為に奴の様に、この地を血で染め上げただろう!」
「ラシード・・・お前・・・」
ラカンは言葉が出なかった。ラシードはいつも積極的に自分の思いは語らない。黙して内側に溜める・・・しかし長年共に居たラカンはそれを分かっていた。だからこんな風に言う時はかなり思い詰めている証拠だ。
「―――ラカン。私はゼノアからアーシアを守ることが出来た。振り返れば本当に奇跡に近かった・・・しかし・・・今度も大丈夫だという保障は無い・・・私は怖いんだ・・・」
肩を落とす親友にラカンは自分の目を疑った。
「ラシード、どうしたんだよ!お前らしく無い!気弱になってどうするんだ!お前は何時だって、ふてぶてしく尊大じゃないか! アーシアがそんなこと聞いたら怒るぞ!しかもまだ何も分かっていないのにアーシアを奪われそうだと心配してどうする!そりゃ、恋人が魅力的で心配する気持ちが分からないでも無いけど、考えすぎだ!この馬鹿!」
ラカンはそう言ってラシードの頭を叩いた。そして、ふん、と鼻を鳴らしてラシードを睨んだ。
「分からないって言うだったら分かるまで叩いてやっても良いんだぜ」
「・・・・・・・・・」
「だいたいな!お前はゼノアに固執し過ぎだ!奴と同じようになる?はっ!笑わせんな!それはカサルアが一度だけ俺に洩らした言葉だ。カサルアもゼノアと同格の力を持ち、同じ悩みを抱えていた。ゼノアは最初から魔王だった訳じゃない。そうだろう?奴に無かったものがアーシアだけじゃない!カサルアにもお前にもゼノアに無かったものがあるだろうがっ!それは仲間に友だ!だから同じなんかじゃないし同じようになんかならない!お前が信じられなくても俺が保障してやる。もちろん、カサルアだってレンだって、そしてお前と衝突ばかりしているイザヤだってそう言うだろうよ。そして一番お前を信じているのはアーシアだ。彼女を悲しませるのも喜ばせることが出来るのもお前だけだ」
この馬鹿!とラカンは再びラシードを叩いた。
ラシードは避けることなく大人しく叩かれた。そして小さく頷いた。
「ふん、分かればいい。でもな、アーシアをこの件から遠ざけると言うのは賛成だからな。とにかく得体の知れない状況に彼女を巻き込みたくない」
「大人しく言う事を聞くのなら苦労しない・・・」
「まぁ〜なぁ〜じゃあさ!さっきみたいにアーシアの足腰立たないくらいにお前がガッツリやっちゃったら?得意だろう?夢心地で寝台に釘付けみた・・・うにゃむにゃ」
ラシードに睨まれてラカンは口を濁した。
「えっと・・・冗談はそれくらいで・・・と。で?どうする?」
「偽者は隠れたままだろう」
「そうだな。イザヤの調べによるとお前が青天城に居る時は姿を消して他州に出掛けている時のみに現れているらしいからな。城から出れば次元回廊を使うのだから何処にどう移動しようと怪しまれない。偽者にしたら自由に名を騙れる。だいたい城に居る時は四大龍それぞれの旗印を立てるからなぁ〜バレバレさ。で、今は一応、旗を掲げ城に在住中と偽っている。本当にそれで良いのか?不在にして出て来て貰った方が良くないか?」
「嫌、敵はイザヤの密偵を取り逃がした時点で焦っている筈だ。密偵を放つような事をするのは我々しか考えられないだろうからな。早急に州城へ潜入し、内情を調べなければならない。潜入方法として考えていた州城との商談、そして何度か通って新密度を上げ、タジリが絶対に出席するだろう妹マリカの婚約式の宴へ誘われる・・・そんな悠長なことは出来ない。最初の商談で片付けよう。相手が一回で飛び付くような商材を用意して欲しい」
「一発ねぇ〜う〜ん―――よし!分かった!直ぐに手配するからな!」
「頼んだぞ、ラカン」
「任せなって!明日には全て整えて城へ乗り込もう!」
ラカンとラシードはガッシリと握手を交わした。
州公タジリに会う。それが最初の目的だ―――彼の生死さえ分からない今、敵なのか?それとも囚われの身なのか?全てはそこから話しが始まるのだ。