第一章 目覚め2


 その日は朝からどんよりと雨雲が立ち込めて生暖かい風が吹いていた。その風が血生臭さと腐臭を運んで来たかと思うと、穏やかな笑い声に包まれていた城が一気に悲鳴と怒号の嵐となったのだ。
 ベイリアル帝国の奇襲だった。
 帝国の軍は大陸最強を誇る。
最強―――それは死ぬ事が無い。嫌、既に死んでいる者達で構成された死の軍団なのだ。身体を粉々に砕かない限り何度でも起き上がって攻撃を仕掛けてくる。帝国の帝王ゲルトは禁忌とされた魔術を手に入れてこの世界に覇を唱えたのだった。遥かなる昔、オルセン王国が人間の理に背く魔神を擁して世界を掌中したように――――
 急な進撃に王国は呆然とした。まさかの出来事だった。卑劣にも隣国が裏切ったのだ。同盟を反古にしてベイリアル帝国を手引きしたのだった。死の軍団は国境を一気に越えて守備兵の知らせよりも早く、怒涛のように押し寄せてきた。態勢を整える暇も無く王都は悪魔の集団に呑み込まれて行くようだった。城内も迫り来る死神に打つ手も無く逃げ惑う人々で溢れかえっていた。
 エリカは幾人かの侍女と警備兵に守られながら城内の奥へと逃げた。奥には王を守る屈強の親衛隊が守護しているからだ。王族の為の逃げ道もあるはずだ。しかし辿り着いたその場所は既に敵に包囲され退路も絶たれている様子だった。敵の包囲の先に見えるのは父と兄、そして母と抱き合う妹。だが、近づく事が出来ない!
 王はエリカを見付けて叫んだ。
「エリカ―――っ、来るのでは無い!封印の間に行きなさい!そしてお前だけは生き延びよ」
 エリカは嫌だと叫びたかった。
 だが腐臭を撒き散らす兵が、此処にもいたのかと、振り向いてエリカ達を襲ってきた。警備兵も侍女達も彼女を逃がそうと立ち向かっている。
エリカは走った。下へ、下へと。文字が目に飛び込んできた。

 ―――オルセン王国の守護者サイラス、此処に眠る―――
 急ぎ扉を押し開けて中へ走り込んだ。
「サイラス――っ、この国の守護者でしょう!助けて!お父様達を、みんなを助けてよ!お願い、サイラス、サイラス、起きて!お願いよ――っ」
 エリカは彼の硬直し全く動かない身体に取りすがって泣いた。魔神の名前を何度も呼んだが彼は瞳を開ける事は無かった。エリカはもう子供では無い。魔神がどうして眠っているのか十分知っていた。それでも彼を起こして皆を助けて欲しいと乞い願った。
 しかし、追っ手が来てしまった。扉をしっかり閉めていなかったのだ。エリカは振り向いて護身用の短剣を抜いて構えた。死の兵は無言で剣を振り下ろす。その剣を短剣で受け止めたが、力の差で完全にかわしきれず腕を切り裂かれてしまった。それから体勢を立て直す為に台座の後ろへ回り込んだが、腕から流れる鮮血が魔神に飛び散り彼の顔を濡らした。
その血は頬を滑り、唇に達して消えたようだった――――

 その瞬間、魔神サイラスは瞳を開らき、ゆらりと起き上がったのだ。

「!」
 これ以上無いと言うくらい大きく瞳を見開くエリカに、魔神はすっと顔を向けると淡々と話かけてきた。
「私を呼んだのは(なれ)か?」
 エリカは彼の瞳は何色だろうと何時も想像していた。抑揚無く冷たく問いかける魔神のその瞳は想像を遥かに上回る神秘的で神々しいものだった。まるで黄金を溶かして固めた様な色―――黄金の瞳。
 エリカは彼の言葉に頷きながら、今の状況を忘れてその瞳に魅入ってしまった。無表情の中で輝くその瞳には自分が映っていた。
 サイラスは数年前から誰かが自分に話しかける声を聞いていた。しかし最後の命であった眠りを妨げるとは思わなかった。それが出来るのは遥か昔の最後の主人であった王だけなのだから・・・その王も今は存在せず、新たな契約も正式に出来ていない。主従の契約は確かに契約者の血を口にするが、重要なのは自分を縛る呪と神器が必要であり、それらの不足で契約は完了していないのだ。何故、深い眠りより目覚めたのか分からなかった。
しかし、我が身に刻まれた宿命は目の前の少女が主人であると告げていた――――

 感情を持たぬ死の兵士らも、只ならぬ張り詰めた空気に攻撃を躊躇していたが、再び総がかりで襲ってきた。
「きゃ―――サイラス!危ない!」
 エリカは叫んだ。
 兵達に完全に後ろを向いていたサイラスが真後ろから切りつけられたのだ。
 しかし刃は皮膚を裂くどころか逆に弾き飛ばされて彼を傷つける事は出来なかった。
サイラスは振り向いて後ろの兵達に視線を流すと、再びエリカに問いかけた。
「あれは、汝を害するものか?」
「そうよ!サイラス、助けて!みんなを助けて!」
「承知」
 彼は金の瞳を閉じて承諾すると、死の兵らに伸ばした腕を横に振った。ただそれだけの様に見えた。だがその一瞬で兵達は砂塵の様に跡形もなく崩れ去ったのだ。それから彼は瞳を閉じたまま何やら呪を唱え始めていた。長い黒髪が夜の闇のように舞い上がっていった。髪の揺らめきと共に暖かい風が流れ、その場の大気が膨張していくような感じだった。
そして金の瞳が開かれると一気に大気が弾け大地が震えた。

「い、今のは何? ぶぁ〜って何かが駆け抜けたみたいだったけど・・・」
「汝に害する者を全て消去した」
「えっ? まさか全部? 本当に? あっ、父様達!」
 エリカは家族の安否を確かめる為に慌ててその場を後にしようとしたが、人形の様に立ち尽くす魔神に手を差し出した。
「サイラス、何しているの? 一緒に行きましょう」
 彼は差し出されたエリカの手をじっと見つめているだけだった。エリカはにっこり笑うと差し出したその手で彼の手を引っ張った。その手は大きく彼女の手では指しか掴めなかったがその指は今までと違って温かかった。
生きている証
それが彼女はとても嬉しかった。

「・・・・・・」
 サイラスは間近で微笑むエリカを見た。微かな灯りの中でも薄紅の瞳が輝いていた。魔神は何も映していないかの様な黄金の瞳を細め、その双眸を閉じると何か呟いた。
「何?何か言った?」
 エリカは魔神の発した言葉を聞き逃してしまったので、無邪気に首を傾げながら聞き返してみた。
 しかし魔神はただ彼女を見つめるだけでそれ以上口を開く事は無かった。

 エリカは彼が何と言ったのか気になったが、つないだ手を再び引いて歩き出した。
サイラスは無言のまま、引かれる手に誘われながら自ら施した封印の間を踏み出して行った。
時の流れる中へと―――
 城内は悲惨なものだった。
城は所々打ち壊されていて、数多くの者達が切り殺され、外は射殺されている者も多数いた。しかしサイラスが言った様に死の軍団は影も形も無かった。本当にあの一瞬で消滅させたようだった。
 エリカ達は、さっき別れたばかりの城の奥へ向かった。流石に親衛隊は精鋭揃いなだけあって見事に王達を守りぬいていた様だった。しかし急な敵の消失に全員が呆然としている様子だ。
 エリカは走り出して父に飛びついた。
「父様!良かった。みんな無事?」
「エリカ!」
 王は愛娘の名を呼んで、その後ろに立つ者を見て目を見張った。敵兵の残骸の中に悠然と立つその姿は、人外の圧倒的な存在感に溢れていたのだ。完璧なまでの肉体と、背を覆おう闇色の長い髪に黄金の双眸。誰の目にも明らかだった。まさに人間でない存在――――
「守護魔神・・・・エリカ、そなた・・・魔神を目覚めさせたのか?」
「何だか分からないけど目覚めて、みんなを助けてくれたの。本当に彼は守護魔神だったみたい!サイラス、紹介するわ。父様よ、そしてこっちがね―――」
 彼は目線を動かしているものの彼女の紹介など聞いている感じでは無い。全くの無表情だった。機械仕掛けの人形のようだったと伝わる恐ろしい力を持つ魔神そのままだ。
 王は畏怖を抱かずにはいられない存在の彼に問いかけた。
「余がオルセン王国の現在の王だが、そなたは余に仕えるのであろうか? それとも・・・」
「私の主は(なれ)ではない。我の主は・・・・」
 サイラスはチラリと王を見たが、その視線はエリカに戻されていた。
 王の予感は的中した。苛酷な試練を我が娘が受けなければならないのかと神を呪いたくなった。伝説によれば守護魔神は主の言う事しか聞かない。王国の守護者では無いのだ。彼の力を私しようとした者の考えでそうなってしまったからだ。だから魔神の力をどう使うかはその主の考え一つとなる。それゆえ魔神の力を欲する他の者は彼の主を狙うのだ。
(エリカは常に陰謀の渦中に巻き込まれ、そして真っ直ぐで素直な心が幾度となく傷つき悲しむことになるのか?)
 王は娘を見つめる魔神に無駄な事だとは思ったが声をかけた。
「守護魔神サイラスよ。エリカを守ってくれ」
「・・・・言われるまでも無い。主を誰にも害させる事などしない」
「そうでは無い。あれの笑顔を・・・心を守ってやってくれ。悲しませないでくれ」
「・・・・・・」
 ベイリアルによるオルセン侵略の失敗 の報は、大陸全土を駆け巡った。
 オルセンは今や弱小国に成り果てたと云っても、かつては大陸に覇を唱えた伝説の王国。諸外国にとって潜在的に触れてはならない不可侵の存在だった。魔神を使役したその王国の王家は神格化されていたのだ。
ベイリアル帝国の侵略方法は皆知っている。損害も疲れる事も無い軍を持つ国に唯一対抗できるのはベイリアルより国力が勝るシーウェル王国だけだった。だがその国は諸外国の同盟要請に沈黙を続けている状態だ。
 その情勢の中、オルセン王国への侵攻。
誰がこれを予測しただろうか?
死の軍団の消滅を―――
 シーウェルが動いた訳でも無く、何がこの王国を救ったのか?
やはり不可侵の王国に手を出した天罰なのか?それとも伝説が蘇ったのか・・・・・

 諸国は真実を求めてオルセン王国の動向を探り始めたのだった。


TOP    もくじ  BACK  NEXT   あとがき