第二章 隷従の魔神1
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数日後、出立の準備が整い出発の前夜だった。
元々病弱だったエリカの妹ニーナが危篤に陥ったのだ。
医師達も手の施しようが無く、永遠の別れとなるのは時間の問題だった。
部屋でちらちらと揺れる灯火が沈黙を一層重苦しくさせていた。
聞こえるのは時計の音と、ニーナの苦しい息づかいだけ―――心臓が弱く成人するまでは生きられないと言われてはいたが余りにも儚い。
エリカは覚悟していたにも関わらず沈黙に耐え切れなかった。
苦しいそうなニーナから顔を背け俯くと小さな声を発した。
「イヤ、イヤよ。駄目、駄目よ。死んだら駄目―――っ」
次第にそれは叫び声となった。
そして薄紅の瞳を大きく見開き振り向いた。魔神へと。
「サイラス!助けて!ニーナを!あなたなら出来るでしょう?お願い!お願いだからニーナを助けて!サイラス!」
ニーナの寝台の側で泣き崩れていた母と、その隣で労わるように立っていた父や兄が、はっ、と魔神サイラスを見た。
彼は寝台を囲んでいたエリカや彼らとは距離のある出入り口の扉の近くに立っていた。蝋燭の灯りが届かないその場所に佇む魔神はまるでその場に大昔からある彫刻のようだった。
反応を見せない彼にエリカは再度叫んだ。
「サイラス!出来無いの?出来るの?どっち?お願い。助けて。お願いだから・・・」
サイラスの黄金を固めたかのような瞳が一瞬光ったようだった。そしてゆっくりと一歩を踏み出しエリカとの距離を縮めながら冷たく言葉を発した。
「願い?我は願いなど聞かない」
「!」
魔神の思いがけない言葉に一同凍りついた。
主となった者に絶対服従すると云われる魔神が主であるエリカの願いを聞かないと言うからだ。しかしサイラスは飄々と続けた。
「―――願いでは無く、汝はただ命じれば良い」
黄金の瞳がエリカを射抜く。
「あっ・・・命令よ!ニーナを助けなさい!」
「承知」
その言葉と同時にサイラスの周りを渦巻くような風が起こったかと思うと異様な?嫌、歓喜にも似た声なのか歌なのかが沸き起こったのだった。そして部屋が真っ暗になったかと思ったら次は、眩しい光がその闇を裂くように射し込んできた。その光りの中から大勢の人影が浮かんで来たようだった。その人影は男女様々で年齢もまちまちだ。ただ姿形はそれなりに美しかった。そして謎の人々は深々と頭を垂れてサイラスの眼前に跪いている。
サイラスは異様なその者達を見渡しその中に進むと、一人の歳若な者の前に立ち止まって声をかけたのだ。
「そなた名は?」
サイラスのその一言に跪く人物は震えて顔を上げた。歓喜に紅潮したその面は少年なのか少女なのか定かでは無かったがやはり震える声で応えた。
「あ、ありがたき幸せ。ノアと申します。我が君。身に余る光栄に存じます・・」
サイラスはその人物に手を差し出しほんの僅かだが微笑んだ。
エリカは驚いた。彼が始めて微笑んだからだった。どちらかと言えば突き放したような会話で何時も無表情だったからだ。笑うような感情など持っていないかとさえ思っていたぐらいだ。
それから空いた手を横に払ったかのような仕草をすると、ノアと名乗った人物以外の者達はたちどころに消えたのだった。
次にサイラスは一人残ったノアを抱き寄せた。
「サ、サイラス!何やっているの!」
「馬鹿かお前?お前が命じたんだろう?羨ましい奴。こんなちっぽけな命じゃなかったら俺が選ばれたかった」
エリカは、ぎょっ、とした。
何時の間にか見知らぬ自分と変わらない歳の少年が真横にいたのだ。しかも銀髪で銀色の瞳をした美少年だ。
「何!あなた誰よ!」
美少年は馬鹿にしたような瞳をチラリと向けて鼻で笑った。
腕を組んでふんぞり返っていた少年は睨みつけるエリカに顎をしゃくった。
エリカは見た。歓喜で抱かれていた者がキラキラと輝きだし霞み始めたかと思うと一握り砂金のように変わっていったのだ。その欠片はサイラスの片手に収まるものだった。
そして彼は寝台に近づきその欠片をサラサラとニーナに振りかけたのだ。するとその光りの粒はまるでニーナに吸い込まれるように消えている。
「な、何?どうなっているの?」
隣に居る銀色の少年がふてぶてしく答えた。
「あんたが我が君に命じたんだろう?さしずめあのちっぽけな虫けらの命でも助けてと?それで我ら同胞の命を使って再生したのさ」
「えっ!あの人の命と交換!まさか・・・そんな」
「馬鹿かお前?我が君に不可能は無いが命を作り出す事は至高天王でさえも出来やしない。命には代価が必要なんだよ。対等な。ちっ、やっぱり羨ましい。あんなに若輩者なのに我が君に望まれるなんて」
エリカは驚きで回らない頭を必死に使って話を整理してみた。
この横にいる少年はおそらくサイラスの世界の者で、彼を我が君≠ニ呼んでいる事から推測すれば、サイラスに従う何かだろう・・・しかもサイラスの為に命を捧げるのを羨ましいと言っている。
羨ましい≠チていったい?
「う、羨ましいって?あなたこそ馬鹿じゃないの?」
「はあぁ〜ん?我が君のお姿を見るだけでも至高の喜びだと言うのにお声をかけて貰うなど俺みたいな側近ならいざ知らず端の者など夢のまた夢。その上、望まれてお役に立てるなんて最高の名誉!」
「あ、あなた達の考え方は異常よ!」
「何だと!」
「其処までだ。デール!私は皆戻れと命じたであろう」
言い合う二人の間を割って入ったのはサイラスだった。
エリカは、はっ、として彼の側に横たわる小さな妹を見た。
ニーナは苦しそうな息づかいから一転して安らかな寝息へと変わっていた。一命をとり止めたのは誰の眼にも明らかだった。しかしそれは代わりの犠牲が払われたと見知らぬ少年は言った。そんな馬鹿な事があるものかとエリカはそう信じたかった。
「サ、サイラス・・・・本当にさっきの人の命をニーナに使ったの?」
「・・・・・・・」
無言は肯定だった。
「そんな・・・どうして!どうしてそんな事をしたの!」
「我が君を非難するなど検討違いだ!お前が命じたんだろうが!」
「デール!止めよ」
お前が命じた≠サの言葉がエリカの頭の中でこだました。
次第に足がガクガクと震えて冷たい床に崩れるようにしゃがみ込んでしまった。凍えるような冷たさが足の温もりを奪い心まで凍りつかせる様だった。
「そうよ・・・私が命じたのよ。私の責任だ・・・ごめんなさい・・」
エリカは瞳を大きく開いたまま大粒の涙を流した。
誰の責任でも無い、自分が命じたのだ。
頬をつたって落ちた涙は床で強く握り締めた両手こぶしを濡らしている。
サイラスは泣き崩れるエリカに近づき彼女の両腕を掴むと無理やり立ち上がらせた。
二人の視線が絡み合う。
「汝の命令は絶対。私を良くも悪くも使うのはそなた次第だ」
慰めの言葉か優しい言葉を期待したが、彼から発せられたものは冷たい一言だった。
エリカは頭を振った。
「言ってくれれば良かったじゃない!ニーナを助けるには他の人の命を奪う事になるって!言ってくれれば・・・」
「言えば?命じなかったと?妹が助かる方法があるのに?しなかったと?」
魔神は何時に無く雄弁だった。今まで黙して語らなかった彼は人格が変わったかの様だった。此処ではっきりさせておく必要があった。エリカは何でも願いが叶う魔法の道具を持っているようなものなのだ。その危険性を十分理解させておかなければならない。
「命が・・・命が必要なら私のを使って貰ったわ!そうよ!私の命を使ってさっきの人を蘇らせてちょうだい!」
一瞬、風が舞い上がった。サイラスの感情が大気を揺らしたのだ。いつも無表情な魔神が蒼い炎のように怒りを燻らせていた。
「――それは命令か?」
その声は低く静かに響く。魔神を隷従する唯一の人間が下す命令それは・・・・