第三章  海 神 1

 国境に到着した。
シーウェル王国からの使者も半時遅れたがやって来ると、
その使者は木陰で待っていたエリカ達の所へ、馬から降り立ち歩み寄って来た。
陽光が真上に差し掛かり、その使者の金色の髪を輝かせていた。
年中温暖な気候のシーウェル王国の特徴である褐色の肌がその髪を更に引き立たせているようだった。
歳はエリカの兄達とそう変わらないぐらいでその堂々とした物腰は身分ある者だと感じられた。
王族を迎える使者なのだから当然先方もそれなりの人物を出しているだろう。
近づくにつれてその顔立ちが精悍で整っているのが見て取れた。
そしてその強い意志を感じる瞳―――

エリカは驚いて思わず後ろへ一歩引いてしまった。

その双眸は―――空の色。

今日の晴れ渡った空のような、青い青い懐かしい色―――

その使者は目の前でお辞儀をして挨拶をしだした。

「遅れまして申し訳ございません。シーウェル王国国王の命によりお迎えにあがりましたグレンと申します・・・?姫・・・」
面を上げたグレンの前に立つ王女エリカが声も無く涙を流していた。
珍しい薄紅色の瞳から涙が溢れ頬をつたっているのだ。
グレンは一瞬その光景に見入ってしまった。
オルセンの上の姫の噂は聞いていた。神秘なる王国の巫女姫とは程遠い変わり者のお転婆な姫だと。
だから期待はしていなかったが・・・・・

(これは、これは。楚々としてなかなか可愛らしい姫君ではないか?しかし、可愛いだけでは物足りないが・・・)
王女を値踏みするグレンはエリカの真後ろに立つ護衛官らしき人物に目を留めた。
エリカ越しに二人の鋭い視線が絡んだ。
グレンは思わず身震いした。只ならないものを感じ、剣士として戦慄を覚えた。
サイラスは彼から視線を外して背を折ると、後ろからエリカの耳元で囁いた。

「何を泣く?」
エリカはその声に、はっ、として我に返った。
夢に見ていたあの瞳と同じ色のグレンの瞳を見て動揺したのだった。
胸が熱くなって何か思い出せそうで思い出せない・・・切ない想いが広がっていた。

「ご、ごめんなさい。塵が目に入ってしまって・・・お見苦しいところをお見せ致しまして申し訳ございませんでした。出迎えありがとうございます。えぇっと・・・」
「グレンとお呼び下さい」
「はい。ではグレン、道中宜しくお願いします」
「ご同行者は此方の?」
「あっ、はい。私の護衛官でサイラス。その従者のデールと侍女のシェリーです」
「従者付きの護衛官?ですか?しかも一人・・・侍女もお一人で?」
「ええ・・・まぁ・・変ですか?沢山連れて来てもご迷惑でしょうし」
グレンは微笑んだ。この姫が気に入ったのだ。
早々に到着した他の国の姫君達はまるで輿入れかと思うような絢爛豪華な支度で、護衛官はもとより侍女を数多く連ねていた。
だがこの姫君ときたら幾ら弱小国とはいえ一国の王女が、まるで近くへ散歩にでも出掛けるかのような気楽なものだから驚きだった。
飾り気の無いこの姫に好感を覚えたのだ。

「いいえ。我が国で十分用意していますから大丈夫です。では参りましょうか?」
エリカは高鳴る鼓動を抑えながら、そっとグレンを見た。

「はい」
そしてお互い微笑あった。

その二人の様子をサイラスは無言で見つめていた。
魔神の心の奥を見ることは出来ない。
何を感じているのだろうか?傍から見て殆ど分から無いサイラスの変化に、デールだけが気が付き考え込んでいるようだった。


 エリカ達が向かっているシーウェル王国は四方を海に囲まれた王国だ。
そして対岸の沿岸地域を支配する国王は海の王≠ニも呼ばれていた。海は彼らの支配にあると云っても過言では無い。
その強大な王国は他国との交易を主としているが自らを決して晒す事無く油断ならない強かな国だった。
外交も交易と同様でシーウェルの思惑通りに全てが進んで行ってしまうのだ。

現国王の手腕は大胆かつ繊細で巧み。相当な切れ者との噂だった。しかも歳若く隻眼の美丈夫らしい。
独身だとは知らなかったが正妃が決まっていないだけだろう。
シーウェル歴代の王の中でも特出したこの王が、ただの花嫁選びに興じるだけだとはどの国も思っていない。
だがその真意は推し量れ無かった。
各国もそれぞれ協議を重ねたがこの際、餌に釣られたふりをして自分達が大魚を釣ろうと決めたようだった。
自慢の国一番の美姫を用意してシーウェル王を陥落させようと―――

そんな各国の思惑とは全く違った目的のエリカは気軽なものだった。
使者のグレンが度々呆れるぐらいだ。
シーウェル王国へ渡る為に辿り着いた港には巨大な軍船が停泊していた。
それに乗船するようだった。その勇壮な軍船は誰もが戦慄を感じるものだがエリカは違っていた。彼女は初めて見る大きな船に瞳を輝かせて見入っていたのだ。

「うわぁ〜すごい!大きな船。こんなのに乗れるなんて素晴らしいわ。これが水に浮かんでいるなんて驚くわね。ねえ、サイラス?ちょっとデール。私、サイラスに話しかけているのよ。邪魔しないでよね」
「邪魔なんかしていないだろう!」
「邪魔しているわよ!私とサイラスの間に立たないでよ!」
グレンは従者と言い合うエリカを見ながら驚いた。

国力の差を見せ付ける為に各国への迎えは軍船にしている。
此方の思惑通りの反応で各国の一行は恐怖を抱いて一様に黙り込んだそうだ。
それなのにこの一行ときたら姫は興味津々で侍女は別として、護衛官とその従者は無関心で平然としていたのだ。

グレンは一層興味を覚えて心の中で微笑んだ。

「では、姫。乗船致しましょうか?揺れますからお手をどうぞ」
彼はそう言うと、エリカの前へ手を差し出した。

「・・・だ、大丈夫です。お構いなく」
エリカは断りながら顔を背けた。

「・・・・先程から気になっていましたが私が何か姫に失礼な事でもしましたか?」
エリカは、はっとした。

皆が自分に注目していた。サイラスさえもだ。
エリカの様子がグレンと会ってからおかしいからだ。
彼を意識しているかと思ったら、あからさまに無視をする。普段人当たりが良い性格の彼女から考えられない態度だった。
エリカは気持ちの整理が出来ていなかったのだ。

(あの記憶が本当に前世のものならばあの瞳を持つ夢の彼はたぶん大切だった人・・・)
グレンには関係無いのに失礼な事をしたと自覚したが・・・

(・・・もしかして彼は?まさかね・・・でも本当に関係無いのだろうか?こんなに心が騒ぐのに?)
勇気を出して逸らした瞳をグレン向けた。
薄紅の瞳が彼の空色の瞳を捉える。グレンはその瞳が美しいと思った。
シーウェルには年中花々が咲き誇っているがその中で最も美しいと云われるのは薄紅色の花々だった。強烈な色でも無く、単調でもなくどんな色の中にでも一際華やぐ色だ―――本当に綺麗だ。

「ごめんなさい。グレン。私の方が失礼でした。ちょっと考え事をしていて・・・本当にごめんなさい」
グレンは絶えず微笑みを浮かべた表情の下で感心した。

(一国の王女が下級の者に頭を下げて謝るとは・・・本当に変わった姫だ)
彼が作っていた笑顔は何時の間にか自然な微笑みへと変わっていった。

「いえ。私の不注意で姫を不快にさせていないのでしたら安心しました。それでは、どうぞ」
グレンはそう言いながら笑みを深くし、エリカを支えるように手を取った。
あと少しで船に辿りつこうとした時、大きな波が打ち寄せて渡り橋を揺らした。
その瞬間、グレンがエリカを身体ごと支えようとしたが、その前にサイラスが彼女をふわりと掬い上げて抱きかかえた。

「うわぁ〜怖かったぁ〜ありがとう。サイラス」
エリカは無邪気にサイラスの首にしがみ付いたまま橋を渡りきった。

グレンは胸の奥に何か刺すものを感じた。
自分の手から大事なものを攫われたような気分だった。
そしてその考えに馬鹿な、と悪態をついた。今までそんな感情など持った事など無かったからだ。

甲板に到着したエリカはサイラスの腕から飛び降りると駆け出した。
いち早く船の様子を見たかったのだ。
その姿をサイラスは目で追っている。
護衛官なのだから当たり前だが普通とは何処か違うものをグレンは感じていた。
彼の独特な雰囲気のせいかとも思ったがそれだけでは無いものが・・・・直感的にそう思うのだ。

(それにしても無邪気な事だ・・・)
エリカは少しもじっとしていない。
この姫を見ていると思わず微笑んでしまう。可愛らしくはあるが特別美人でも無い不思議な魅力を感じる少女だった。心が癒されると云うのが最も近い表現かもしれない。
殺伐としたこの世には甘美なる存在―――特に自分にはそう思えた。


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