第三章  海 神 3

 
 グレンはすぐさま嵐に立ち向かうべくバイミラーに指示を出して、エリカ達に船室に戻るように言うと、揺れて滑る甲板を走りだした。
予想されなかった事態に船上の者達は右往左往していたが、流石に訓練された兵士達は次第に落ち着きを取り戻し始めた。

エリカはサイラスに庇われながら船室へと向かっていたが揺れが大きく思うように進まなかった。
猛り狂う大波に呑み込まれる者達が方々で発生していた。
自然の驚異にエリカは恐怖するしかなかった。

その表情を見たサイラスは彼女の耳元で囁いた。

「皆を助けなくて良いのか?」
そうだった―――この状況をどうにか出来る力を自分は持っているのだ。
無力な人間には無い力を持つ魔神が此処にいた。
しかも自分の命令一つでそれを可能にする事が出来るのだ。
問う魔神は何を思っているのか?
二度と命令はしないと誓う自分に何故、問いかけるのか?
見上げたサイラスの表情は変わらないが瞳が淡い金色になっていた。

横に付き従うデールはニヤニヤとしながらエリカが答えるのを待っている。
どうせ使うだろう、と思っているのだろう。

エリカはサイラスに手招きした。
魔神は背を折って彼女の声が聞こえるように顔を近づけた。
エリカの瞳は辛そうな色を湛えてはいたが迷いは無かった。
細い両腕が魔神に差し出されたかと思うと彼の首に抱きついたのだ。

「おい!馬鹿女!何をするんだ!我が君から離れろ!おいって――」
デールはすぐさま抱きつくエリカに抗議したが何時もの返答が無いのをいぶかしんだ。

エリカはサイラスに強くしがみ付いたまま肩を震わせていた。

「私は決めたのよ。あなたに命令しないって―――どんなにそれを望んでいても。それをしないって――私はしたく無いの」
「・・・・・・・」
サイラスは何も答えない。主命が無いのなら動く必要は無いのだ。

デールは呆れた。この後に及んで親子共々お人好しな彼女が皆を助けようとしない、嫌、助けたいけれど自分の誓いというかサイラスとの約束を違えないようとする意思の強さに呆れたのだ。

(なんて人間だ!頑固な奴!これじゃ自分が傷つくだけだろうが!きっと後で、わぁわぁ煩く泣くに違いない)
デールは悪態をつきながらも少しばかりエリカの心配をした。

サイラスの首元に顔を埋めながら小さく震える頑固なエリカを、彼はそのままの状態で脚をすくって抱き上げた。
そして再び耳元で囁きかけた。

「本当に良いのか?」
エリカがビクリと肩を上下させたが強く頭を振った。

確かに力の恐ろしさと乱用を戒める必要があったが此処まで頑なになるとはサイラスも予想外だった。余程先日の件がショックだったのだろうが・・・・・

エリカさえ守っていれば良いのだし、主命以外で力を使う事は今まで一度も無い。
自分が感情に動かされる事など一度たりとも無かった。
主の命が無く、罪も無い女子供が斬殺され街が焼かれようともその場で見ていた事も度々あった。
哀れむ気持ちさえ許されなかったのだ。
何時に無く気になって言葉をかけてしまうのは、やはり彼女だからかもしれない―――

サイラスが再び話しかけようとしたその時だった。
小船のように揺れていた船に大波が襲い掛かり、あっという間にサイラスとエリカを呑み込み海へと引きずり込んでしまったのだ。
二人は海低に吸い込まれる様に沈んで行く。
エリカは不思議と落ち着いていた。
サイラスに抱かれているせいか海水の中でも息が出来るし、瞳も開く事が出来た。
ふと、サイラスを見上げると魔神の姿に戻っていた。
夜の闇のような流れる黒髪は水中で漂い、黄金の瞳が妖しく光っていた。

(やっぱり、綺麗だなぁ・・・)
エリカは封印の間で過ごしていた日々を思いだした。
静かな二人だけの世界―――

(なんて静かなんだろう・・・このまま死んじゃうのかなぁ・・・)
それは無いか、と頭に浮かんだ思いを否定した。

魔神は契約により必ず主を守るのだ。
そう、主だけ―――それは駄目だと思った。人間の寿命は魔神に比べればとても儚く短い。
自分が生きている間なら問題は無いが、その終わりは避けられないのだ。
サイラスを解放する事が出来なかった場合はどうなるのだろうか?と思ってしまうのだ。
主を亡くした彼はどうなってしまうのだろうか?と。
もしかして続く契約者がいなければ解放されるのだろうか?それとも主がいようといまいと契約の戒めは彼を心の無い人形のようにしてしまうのだろうか?そんな事は無い、とエリカは思いたかった。
抑制された中にもサイラスの意思が見え隠れしていると感じるのだ。
囚われる前の様に自由な意思で生きて貰いたいと願うのだ。

だから命令なんか絶対にしない―――

沈み行く海の底が急に眩しくなった。光りが目の中で弾ける感じだ。
エリカの細めた瞳には輝く光りが人型をとっていくのが見えた。

「久しいの・・・アーカーシャ」
「ジャラ・・・」
「ほう?まだ名を覚えていたのか?」
ジャラと呼ばれる人物はサイラスと同じ界の者だろう。
彼と同じく人では有りえない気を放ち、その姿は白い肌に白銀の髪と瞳――恐ろしく美しかった。

その切れ長の瞳がエリカにチラリと視線を流しただけで、エリカは恐怖で卒倒しそうだった。
言葉では表せないが危険だと直感的に感じるのだ。
だから卒倒まではしなかったが硬直してしまった。

そんな彼女を抱くサイラスの腕に力が入った。
大丈夫だと言ってくれたような気がして止めていた大きく息を吐き出した。

「・・・・それが今の主か?」
ジャラの声に嫉妬のような響きがあった。デールに良く似た感じだったのだ。

サイラスは更に深くエリカを引き寄せるとその白銀の人物に対峙した。

「ジャラ、何故此処にいる?」
「はっ、何故とそなたが聞くのか?我に?勝手に此処へ降り立って阿呆のように人間なんかに囚われて――良い笑いものだ!あれからどれくらい経ったと思う?そなたの顔さえ思い出すのも苦労するぐらいだ」
「会おうと思えば道は通れた筈だ。長くは居られないがな。それなのに何故今、現れる?答えて貰おうか?」
「―――例の件以降、天王の存在は感じるが我らの前からお隠れになられた。後任は当然存在しない。空位のうえ空の王であるそなたは出奔。そんな中、おいそれと我が界から出られるものか!それでも永い間、界は力の均衡を失っても大丈夫だったが最近では支障が出てきた。此方と我らの界の境が弱くなっている。だから我らが少々長居しても弾かれる事が無いのだ。完全では無いがな・・・・」
「なら、さっさと去るがいい」
ジャラは刺すような視線をサイラスに向けたが、呆れた顔をして首を傾げた。
そのおどけた様な仕草は意外だった。

「久しぶりに会った友に言う台詞か?相変わらず変わらないな。笑顔で迎えてくれとは言わないがな」
「お前こそ、友ならこの様な荒々しい出迎えは無いだろう?いずれにしてもこの界への干渉は止めてもらおう」
「そなたに命令される謂れは無い。それにこんなに面白い界を独り占めか?それは無いだろう?我はとても気に入っている」
エリカは二人の会話からこの白銀の人物はサイラスの友人でたぶん、なんとか王だろうと思った。
しかも嵐を起こしたのはこの人物らしい。
(グレンの言っていた海神=Hでも嵐を起こしてめちゃくちゃにしたのよね?守護者なのに?)
エリカはサイラスの腕の中から顔を出すとジャラに向かって言った。

「ねえ、あなたシーウェルの海神=Hグレンはあなたの加護があると感謝していたのに何故こんな事をするの?」
「なんだ娘。我に意見するのか?」
「汝はこれに口利く必要は無い」
エリカはむっときてサイラスの腕の中から抜け出た。
水の中で宙に浮いている感じで足元が不安定だがなんとか踏ん張ってみた。

「サイラス!その言い方は無いでしょう?この人はお友達なんでしょう?駄目よ!久しぶりに会ったお友達にそんな態度をとったら駄目!ねぇ、ジャラさん」
ジャラは研ぎ澄まされた雰囲気から一転して堪らず笑いだした。
あのアーカーシャを頭ごなしに叱り付ける者がいるとは懐かしい昔を思い出す。

(ああ・・・そうなのか・・・アーカーシャ)
ジャラはサイラスを見た。彼女を見る瞳が自分の想像する答えを語っていた。

(憎らしい程、良い顔をする・・・)
さっきまで怯えた様子だったエリカが、今は興味津々でジャラを見て答えを待っている。

「大層豪胆な娘だ。気に入った!はははは、気に入った」
「お前が気に入る必要など全く無い」
「ジャラさん。私の質問に答えてくださらないの?それに私の名前はエリカって言うのよ、娘と言う名じゃないわ」
「クククっ、これは失礼。不義理な旧友を少し驚かせたくてね。手荒な招待をしたが、シーウェルの者達は大丈夫だ。我はシーウェルの王を気に入っている。戯れでもな」
エリカは、ぱあっ、と微笑んだかと思うとジャラに飛びついた。

「ありがとう!ジャラさん」
驚いたのはジャラの方だった。
無邪気というか無鉄砲というのか・・・友の苦労が目に見えるようだった。
エリカはもう彼を恐れてはいなかった。サイラスの友人と認識したからだ。
後日デールに言わせれば、主であるサイラスと並び称される水の王をさん′トばわりした挙句、抱き付いたとは恐ろしくて身が縮みあがるらしい。

抱きつかれたジャラは愉快そうにサイラスを見た。
珍しく彼は不愉快そうな顔をしている。実に愉快だ。

「じゃあ、ジャラさんはシーウェル王とはお友達なんですか?契約はしていないんでしょう?」
「契約?ああ、そこの馬鹿とは違ってそんな愚かな事はしない」
エリカはサイラスの事を馬鹿≠ニ言われて、むっときた。

「サイラスは馬鹿じゃないわ!私の先祖が悪いんだもの」
エリカの表情が一瞬のうちに曇った。

それを見たサイラスはジャラを睨んだ。

(ははは・・怖い、怖い)
「そう、そうだな。アーカーシャは悪く無い。シーウェルは退屈していた我を楽しませてくれる。それに彼は・・そう人間界ではこう呼ぶのが相応しいだろう魔神の瞳≠持つ彼をとても気に入っている」
「魔神の瞳!やっぱりシーウェルの王がそれを持っているのね!そうなのね、ジャラさん!みつかったわ、サイラス!ねぇ。良かった!」
エリカははしゃぎながら今度はサイラスに飛びついた。
ジャラは何の事なのか話が見えないがサイラスがそれ以上喋るな、と言うように無言の圧力をかけてきた。

「さあ、帰ろう。皆が心配する」
「そうね。宝玉の在り処も分かったし、早くシーウェルに行かなくてはね」
エリカは抱き付いた腕を解いてジャラに向かうとドレスをちょっと持ち上げて挨拶した。

「ジャラさん。ありがとうございました。失礼しますね」
「また会おうエリカ」
「遠慮する」
サイラスはエリカが答える前にそう言うと、さっとエリカを抱き上げて消えた。

海上で顔を出した時は、海は嘘のように穏やかだった。
そしてジャラが言ったように人的被害は全く無かったのだった。
だがエリカの胸には新たな魔神との出逢いが、何を意味するのか考えずにはいられなかった。



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